島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

84-2順徳天皇皇曾孫志玄王

2021-04-14 | 天皇陵巡り
 
 第84代順徳天皇の第6皇子善統親王(ヨシムネ)は1233年生まれですので、父順徳が佐渡島へ配流された後につくった皇子のようです。
祖母の修明門院の下で育ち、親王宣下を受け、七条院領を相続し、四辻宮とも呼ばれていますので、島流しの父を持ったにしては、まあまあの生活をして85歳まで行きました。
  少しかすれ始めてる制札でした
 
 善統親王の息子で、四辻宮の2代目が尊雅王(タカマサオウ)です。
  嵐山(天龍寺)から近い慈済院の一般墓地の真ん中に、宮内庁治定の墓があるので、裏側からも見通せました
 
 そして尊雅王の息子が、今回の志玄王(シゲンオウ)(1282~1359)ですので、順徳天皇のひ孫にあたります。
 13歳で出家し、庭園設計でも有名な夢窓疎石(ムソウソセキ)(1275~1351)に師事し、京都天龍寺の第2世になったそうです。
 
 天龍寺塔頭の慈済院を創建したので、この慈済院墓地内にお墓があるのは分かりますが、こんな人の墓を、宮内庁がわざわざ治定陵墓に加えて守ってる意味がもひとつ分かりませんし、こんな墓までわざわざ巡ってる私の意図も判然としませんね。
もやもやしながら墓を巡って、三条通りに出たら、そこは若い時に当直にも行ってた先輩外科先生の病院でした。

       返事
和さん:今年の京都の桜は早かったので、
    絶好の時期でしたね。
    半木の道の枝垂れも早かったようですね。
花水木さん:孫に会えたの1年半ぶりとは、
    島にいた頃の私より間隔開いていて、気の毒ですね。
     朝橘さんの実演を観れない今、せめてNOTEの献金と思ってますので、
    もっと頻回に書くよう(文章上手です)、親の方から命令しておいてください。
toitennさん:フィッシャーマンズワークより、
    海岸線沿いの店を、私は主に回っています。

コメント (1)
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