島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

87-1四条天皇

2021-04-28 | 天皇陵巡り
 
 第86代後堀河天皇(1212~1234)にやっと生まれた第1皇子で、母は九条道家(1193~1252)の娘竴子(シュンシ・ヨシコ)(1209~1233)の秀仁親王(ミツヒトシンノウ)は、生誕後すぐに立太子しわずか2歳で即位、第87代四条天皇(シジョウ)(1231~1242)(在位1232~1242)です。
 
 四条天皇の即位には、鎌倉幕府からは「不快」の意思表示もありましたが、外祖父九条道家の三男が鎌倉幕府4代将軍九条頼経(ヨリツネ)(1218~1256)、長男は摂政九条教実(ノリザネ)(1211~1235)であり、平清盛の権勢にも並ぶと言われた教実・頼経の祖父でもある前太政大臣西園寺公経(キンツネ)(1171~1244)は道家の舅でありましたので、絶頂期の道家の力で四条天皇は生れています。
  泉涌寺の中にある月輪陵、入り口で御陵に参拝しますと言ったら拝観料は無で通してくれました。さすが泉涌寺、太っ腹でした
 
 四条天皇即位後は、父後堀河上皇が院政を敷きましたが、わずか2年で父は亡くなり、以後は九条道家や西園寺公経が政治を動かし権勢をふるいました。
  月輪陵制札にはずらっと数えきれないぐらいの名前が書いてありますが、其の1番手が今回の四条天皇です
 
 その後四条天皇は11歳で元服し、九条教実の娘彦子(ヒロコ)を女御に迎えますが、女よりいたずらの方が好きなまだ子供だったのか、次の年にお傍のものを滑らせて喜ぼうと、御所の廊下にいたずら心から撒いた滑石で、なんと自らが滑ってしまい、皆の予想外の12歳で亡くなってしまいました。
  これから何回も出てくる月輪陵、写真が重ならないように、連休にでももう一度行って、たくさん写真を撮っておきます
 
 四条天皇には兄弟も息子もいなかったので、次期皇位を巡っては物議が持ち上がりましたが、鎌倉幕府は後鳥羽-順徳系の天皇を認めず、比較的中立を保っていた土御門天皇系の後嵯峨天皇が生れました。
 こうして次期天皇は藤原家系の公家が決めるのではなく、武家社会が口出しして決める世の中に変わっていきました。
  京都駅の東南に有る御寺泉涌寺(ミテラセンニュウジ)、四条天皇の葬儀はこの寺で行われ、父後堀河天皇陵傍のこの泉涌寺内月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

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