島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

明智藪

2020-07-02 | 京都
 
 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」、まあ半分ぐらいボチボチ観てますが、新型コロナの影響で撮影が遅れ、途中中断中ですね。
いろんな所でやってる「麒麟がくる」目当ての特別展の会場も、どこも出来なくなってるようで、春に訪れた西教寺の展示会場も閉鎖中でしたが、大河で木村文乃さんが扮してる光秀夫人煕子(ヒロコ)(細川ガラシャ夫人の母になります)さんの墓は、明智一族の墓と共にこの西教寺にあると、今春紹介してますね。
 
 撮影がずれこむために、本能寺の変は来年の放映になりそうですね。
天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝に起こった本能寺の変の舞台本能寺は、私が通った高校の隣にあった本能小学校にあったようで、私の高校時代にはなかった碑も建っています。
 
 伏見の山の上にある老人ホームからの帰り道、反対方向に寄り道して、貞Mの道を下りました。
本能寺の変の後、山崎の合戦で秀吉軍に敗れた光秀は、滋賀の居城である坂本城に落ちのびる際に、多分老人ホームの敷地内ぐらいを越えて、この辺の山道を降りて行ったと思います。
 
 貞Mの道を抜けて住宅地に出ましたが、捜してる明智藪は見つからず、あきらめかけていた時に、この幟に出会いました。
大河人気にあやかろうと、幟が立てられていたのです。
 
 その後はここまで、手書きの道案内標と幟に導かれ歩きました。
最後は、隣の住宅の私有地かなとも思うような道です。
 
 明智藪のこんな石碑もありました。
たまたま居合わせたボランティアのお爺さんの説明によると、最近少し位置をずらされた石碑のようです。
 
 一部造成地が近くまで及んでいますが、これがお目当ての明智藪です。
まあ誰かが、「この辺にしようか」と言いだしただけのことだと思いますが。
 
 どこにでも親切なボランティアのお爺さんがいます、自家製のパネルを出して懇切丁寧に説明してくれました。
ちょっと前の写真の方が、明智藪らしい?風情はあります。
近くには小さな城と言うか砦の跡もあって、それなりに街道としての役割と地の人の支配が有った場所だった、というようなことも説明されて、それなりに納得。
 
 天正10年6月13日(1582年7月2日)、そうです438年前の今日7月2日、落ち武者となり下がっていた明智光秀は、山科小栗栖(オグルス)のこの明智藪で、土民の窒竄閧ナ腹を刺され亡くなりました。
 このすぐ近くの複合施設「小栗栖の家ほっこり」でも、私は少し働いています。

      返事
花水木さん:その地方にとって当たり前の食べ物も、
    他の地方の人はまったく知らないことはよくありますね。
    でも、雲龍を知ってた花水木さんが、
    水無月を知らないのは驚きました。
    水無月もマイナーな和菓子なんですね。
toitenlabeeさん:昔東京の伯母が祇園祭の頃に来て、
    「京都のちまきは安い」と買ってきて、
    中身が無いので怒っていたことを思い出しています。
    中身の有るちまきは美味しいですね。

 
コメント (1)
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