島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首26

2013-06-07 | 奈留島百人一首
  
 26. 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
           今ひとたびの みゆき待たなむ

                 貞信公(テイシンコウ)(880~949)
 「小倉山の紅葉葉よ、お前に物の心があるなら、今度ここに醍醐天皇の御幸があるまで、散らないで待っていてくれよ」と詠う貞信公は、24番の作者菅原道真の怨念によって病死したと言われる関白藤原時平の弟で、右大臣までになった藤原忠平(フジワラノタダヒラ)です。
忠平は人望のある政治家で、道長に連なる藤原氏全盛の基礎をきずきました。
 それがなるほどとうなずけるような歌ですね。
  
 26. なるの里 窓のさくら葉 心あらば
            今ひとたびの 面会待たなむ

           の・葉・心あらば・今ひとたびの・待たなむ  19字 同じ
 奈留島にある唯一の老健施設「なるの里」の庭には、桜の木がたくさん植えられ、春の満開時は近くの宮の森公園と併せて、桜の名所になります。
 「今日も家人が満開の桜の下面会に来てくれたが、又次の面会まで桜は咲いていてくれ、いや、桜が散らぬ間に次の面会に来てくれることを願っていますよ」
  
 入所者の気持ちになって詠みましたが、なるの里はどの家からも近いので、毎日ぐらい面会に来る家人もいるそうです。
 すんなりと変換できた、楽な歌でした。

   返事
花水木さん:サネカズラという名は、なんかいやらしい気がするのは僕だけですかね。
喜珍さん:老婆心ながら、大友皇子は天智天皇の子供で、後の弘文天皇です。
    百人一首1番を詠んだ天智天皇は中大兄皇子です。
     私の想像ですが、天智と天武は兄弟ではなく、なんか親友ぐらいの関係だったような気がします。
    それで光仁天皇になって、皇統は天武から再び天智系に戻ったのではないかと考えています。
コメント (2)
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