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自分が50歳を過ぎてから尊敬し始めた伊能忠敬。
1745年生まれ、50歳で家督を長男に譲り、ここまでも立派な商人と呼ばれる男でしたが、その後地球の大きさを測りたいと暦学を学び、1800年55歳から日本の測量を開始、とうとう大日本沿海輿地全図(ダイニホンエンカイヨチゼンズ)を完成させました。
輿地;万物を載せている輿(コシ)の意で、大地・地球・全世界を表す。
遅まきながら今回この言葉を知りました。
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福江島の五島歴史資料館のロビーで伊能忠敬来島200年を記念して、資料の少しだけの展示がありました。
特別展示「伊能忠敬其の壱」
写真の緑の足跡の如く、1813年(文化10年)6月20日~6月26日、丁度200年前の昨日に忠敬は奈留島に上陸していました。
矢神の辺りに行ってないのは気に入りませんが、奈留島百人一首第27番で書いたように、夏井の井戸にはその足跡はありました。
この時忠敬68歳すごいですねえ!!
奈留島の端の方を歩いたら、忠敬の足跡の上に10人の足跡もないような地面があると思われるので、野首辺を慎重に歩きたいです。
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そのとき作成された五島の地図、右上奈留島・中央久賀島・左下福江島の一部・右椛島です。
奈留島は今よりややスマートに描かれていますが、現在は海岸に沿って道路が出来たり埋立地があったりするので、江戸時代の奈留島はこれぐらいスマートで間違いではないと思います。
よく見ると、トンボロも繫がっていました。
第1.5ぐらいの人生をおくっている私は、第1の人生を立派に働いて、第2の人生をこれぐらい素晴らしく生きた忠敬には尊敬の一言です。
返事
花水木さん:花栽狽フ専門家に不思議がられて嬉しいです。
本当に何故なんですかね?
大雪男さん:キャンプ場あります。
結構頻繁に往復されているのですね。