妻高と同じように90年の歴史を持つ高鍋高校の90周年記念式典に参加してきました。
来週には妻高校も式典を迎えます、高鍋高校がどのような式典をされるのか興味津々でした。
最初は学校の沿革のDVDの放映です。90年の歴史を分かり易く編集されたものでした。・・その中で設立時の逸話として、妻高との絡みが出たのです。それは・・・
明治維新から30年過ぎたとき、高鍋地区にも県立中学校(勿論今の高校のことです)をという、運動が起きます。当時の宮崎中学校からの分校化を願ったのですが実現しませんでした。(尚高鍋では明倫堂を引き継ぐ形の高鍋学校という明治12年からの学校があります)
さて時はたち、大正時代になります。人口増加国民生活の向上に伴い全国的に進学希望者が増えてきます。中学教育機関の増設の要望が強くできます。
宮崎県でも同じで大正10年に小林、日南で中学校が認可されました。高鍋でも中学教育機関の設立の動きが高鍋町民の間から出てきました。
さてここです、高鍋と同じように妻を中心とする児湯西都地区でも中学校設立の要望が出されていました。
中学校を巡る熾烈な争奪運動が始まったのです。県としては近くに2校の県立学校は難しいとして、高鍋農学校の西都移転を条件に高鍋にとか話を持ち出したのですが、農学校は当然反対します。両地区の中学校誘致運動はさらに熾烈を極めました。
で結果大正11年12月20日の県議会最終日に、両地区を住民が固唾を飲んで見守る中、「県立妻中学校」の設立が議決されました。
皆さん、たくさんの方がおられる記念式典の場所で放映されました、(中学校誘致運動に勝った)妻高校のPTA会長として参列している私の居心地の悪いこと・・・。
ということで妻高は大正12年(1923年)に設立されたので、今年で90周年です。アレ高鍋高校も90周年というのはどうゆうこと?・・と思われたでしょう。
高鍋では有志が「独力での中学校設立」を目指して活動を始めました。寄付金を集め(当時のお金で25万円、今のお金で言うと1億5千万円ぐらい)、中学校設立の許可申請を文部大臣に提出して、認可を受けました。
で見事大正12年の4月15日に財団法人高鍋中学校として開校できたそうです。文教の町と高鍋は言われますが、教育への力の入れ方はすごい地域だなと思った次第です。私立としてスタートですが高鍋高校も90周年を迎えたと言うことです。
その後、昭和18年に県立高校として移管されました。
いつものように写真を撮ったので紹介します。
高鍋高校の正門、南京ハゼの並木道です。素敵な道です
開会です
生徒の誓いの言葉
記念事業は演奏会です。「モーツアルト・カンマーオルケスター」の演奏でした
ある著名人(アインシュタインだったと思う)が、「あなたにとって死ぬこととはどういう事ですか?」と聞かれ、「もうモーツアルトを聴けなくなること」と答えた逸話がありますけど、やはりモーツアルトは最高ですね。
そして演奏も素晴らしかった・・・感動!
生徒がお礼の花束を・・。
高鍋高校の皆さんおめでとうございます。有り難うございました。
さて来週は妻高校の記念式典です、がんばるぞ~ 。
西都モノクロームphoto