西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

空手の話⑫

2011-06-25 23:12:34 | 日記
大学4年間の空手道部の物語の中で一番記憶が薄いのは、大学2年生です。
大学一年生は「なんだこれ」の連続で、稽古の全てが記憶に深く刻み込まれます。
ところが2年生となると、下に後輩が入り先輩達はそっちに意識が集中します。
いえばちょっと、忘れ去られた時代なのです(逆に有り難いことですが)。

34.5年前の記憶はなかなか思いだせません・・何してたんだろう?
帯色でいえば、多分茶帯になったばっかりだと思います、その頃私たちの流派は5段制で(つまり最高段位が5段という事、今はほとんどが10段制ですが)、また師範の可知先生が厳しくって、なかなか昇級段は難しいものでした。

なんせ船越義珍・義豪先生直系なので、間違ったら終わりです(形は正しくと言い続けた義珍師範です)。
思い出すに(間違っていたら、神原会長訂正お願いします)最初に学んだ形は、義豪先生創作の太極でした。それから鉄騎と平安初段から5段です。
その後、高級型(と言っていたような記憶が)に入り、バッサイ大、ジオン、エンピ、観空大、ソウチン、・・と言う順で習いました。

兎に角、記憶力に問題がある私は形が苦手で、往生していました。
前にも書きましたが、大学OB(その頃は南空会と言ってました)が金曜日に稽古をつけにきてくれました。
私が今所属している「國際空手道松濤會」の会長である神原先輩もいつもきて頂きました。
先輩は古武道にも造詣が深く、サイ(江戸時代のご用ご用と言いながら与力が使っていた十手みたいなもの)やトンファを持参され稽古されていたのを記憶しています。

多分先輩は形にとけ込んでいる、それらの技を後輩である私たちに知ってもらおうと思っていたのでしょうが、レベルがずっと下の私たちはその温情に気づかず、先輩達の動きを見ていました。

兎に角「技は力の中にあり」とある面正しく、でもやはり間違った考えにどっぷり浸かっていた私は、先輩方がされる古流の技に興味を抱くことが出来ませんでした。
これは今になってホント惜しいことだったと思っています。
自由組手を嫌っていた(ルールに縛られた戦いでは、空手の技のほとんどが使えないから、形を中心に真に効果的な技を学ぶべきであり、そしてそれらの技は一生がい使わずにすむような生活を送ることが「善」と考えていました)私たちの大学にとって組み手は約束組み手がほとんどでした。
5本から始まり3本、一本、自由一本と稽古は進んでいきました。

お馬鹿な私は「約束は、約束だろう」と思っていました、あれから34.5年過ぎて約束組み手の奥深さに気づきました。
技を極限までに磨き上げるために、約束組み手はあるんですね。
自由組み手ばっかりやっていたら、ある程度の強さ(それはそれでなかなかのものですが)は得ることが出来ますが、武道として深遠さはやはり約束組み手などの基本から得ることが出来るのだと、今になって思っています。

戦いというのは、限られた面積(リング)の中で行うと限らないし、禁じ手なんてものも存在しません。
だってそこには、生きるか死ぬかしかないわけです。
だからこそ、向かい合って戦い始めるのは、それは競技であり空手の先人達が考えた戦いにほど遠いものだと思っています。

陸上に10種競技があります、真の意味で言えば(私が思うにです)、それらの競技者こそ最強のアスリートだと思っています。
自分より体がでかかったら、兎に角走って疲れさせる、その後近くあるものを投げる。兎に角、真っ正面の戦いを避けるための技術がいっぱいです。

そんな意味からいえば、今テレビでおこなわれている格闘技は、戦いの中の、極めて限定的な環境の中での競技としか思えないし(それはそれで見ておもしろいですが)、競技の中での強者を決めるものでしか無いです。

空手という武道の中心である形をつくった先人達は、それらのことを知った上でつくったなと、最近気づき始めました。

人間の弱点は「目」であり、男なら「金的}であり、または関節を逆に決めてしまうものであり、そこらにあるもの例えば砂とか、棒きっれとか(戦いの中では卑怯者といわれかねないほとんどのもの)使い徹底的に弱点を攻めます。

だからこそ、「空手は君子の武道」といい、「君子危うきに近づかず」と言った意味の言葉が残されています。
首里手空手の偉大な先人糸洲先生は弟子達に危うきところに近づくなと、口酸っぱくいわれたようですし、義珍先生は生涯私闘はなされなかったと聞いています。

道場訓の最後に「血気の勇をいましるべき」とあります。
空手の本質はそこにあるんだと、初めて習って36年目に気づき始めた私です。
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復興状況

2011-06-24 15:43:49 | 日記
口蹄疫から1年と2ヶ月過ぎました。
大変な災害でしたが、少しずつ復興の姿が見えてきました。

今日の委員会で口蹄疫後の畜産経営状況が報告されました。
ちょっとまとめて書いてみます。
西都市の場合
牛の場合・口蹄疫前の畜産農家数196戸、内再開した農家111戸、経営を中止した農家63戸、残りは予定です。
豚の場合・口蹄疫前の畜産農家数5戸、内再開した農家4戸、経営を中止した農家0戸、残りは予定です。

高鍋町の場合
牛の場合・口蹄疫前の畜産農家数75戸、内再開した農家46戸、経営を中止した農家15戸、残りは予定です。
豚の場合・口蹄疫前の畜産農家数7戸、内再開した農家4戸、経営を中止した農家0戸、残りは予定です。

新富町の場合
牛の場合・口蹄疫前の畜産農家数172戸、内再開した農家108戸、経営を中止した農家30戸、残りは予定です。
豚の場合・口蹄疫前の畜産農家数8戸、内再開した農家2戸、経営を中止した農家5戸、残りは予定です。

川南町の場合
牛の場合・口蹄疫前の畜産農家数248戸、内再開した農家127戸、経営を中止した農家42戸、残りは予定です。
豚の場合・口蹄疫前の畜産農家数89戸、内再開した農家37戸、経営を中止した農家不明戸、残りは予定です。

やはり、廃業された方多くいます。
西都の場合牛では、32%が中止しています。
傷跡は深く残っているようです、復興の道はまだまだ途中です。

畜産の被害でもこれです、東日本は更に困難な復興への道を歩くことでしょう。




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議案質疑

2011-06-23 17:32:41 | 日記
本日は11の議案、報告2つ、請願2つ、報告(専決処分)1つの議事が行われました。
1つの議案以外は3つの常任委員会に付託されました。
明日からそれぞれ付託された議案に対し、委員会が行われます。

産業建設(私の所属している委員会)は3つの議案の審査を行います。
また先日、市に届けられた「西都市まちづくりビジョン策定」に係る提案書の概要説明が担当から行われます。

また代表者会議で、議会事務局の橋口晋さん・浜砂晃さんが8月、福島山元町に復興支援に行くと報告がされました。
猛暑の中の作業になると思いますが、頑張ってきて欲しいものです。

うれしいことがもう一つ、西都市議会の議長である黒木正善議員が25年の永年表彰を全国市議会から受けられました。
25年う~ん 4かける7で28・・7回もあの選挙をくぐり抜けたのですね、すごいです、う~ん。
正善さんおめでとうございます、これからも2元代表制の議会を引っ張っていってください。
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一般質問

2011-06-22 16:47:29 | 日記
本日一般質問終了しました。
約束どおり、壇上での質問を全文載せます。
それでは・・

一般質問 2011年6月議会

おはようございます、政友会の橋口登志郎です。
3月11日の14時46分東日本を襲った大震災から3か月以上が経ちました。
震災による死者・行方不明者は約2万4千人、建築物の全壊・半壊は合わせて18万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上で政府は震災による被害額を16兆から25兆円と試算しているそうです。
 被災された東北の方々の姿が報道されていますが、未だ見つからない肉親を探し続ける姿や、被害に遭いながらも、同じ被災者の為にボランティア活動する姿、恨み言を声高く言うでなく歯を食いしばって耐えている姿を見ると、心が痛みます。
 全国から救援の為、人々が汗を流す姿も報道されました、西都市では消防署員、職員の皆さんが救援活動に行かれましたし、自衛隊新田原基地では延べ6200名の隊員の方々が行かれました。特に原発災害直後の福島で作業された隊員の方々には心より感謝致します。
民間でも先日報道されたように、三納の伊藤さんが「一人一食プロジェクト」を立ち上げ、レトルト食品を自ら開発して、荒川敏満議員が同行して被災地に配付されました、また数多くの市民が支援物資を送っているようです。
 米国の「友達作戦」に代表されるように、諸外国の皆さんも17カ国以上の国が直接救援にこられ、また140を超える国々が支援をしているか、支援を申し出ているそうです。心から感謝に堪えません。
私は「JIN」というテレビドラマが大好きですが、そこで新しい国作りに奔走する坂本龍馬がこんな台詞をいいます「死んでいったモンらに報いる方法は、1つしかないし思わんかえ。もういっぺん生まれてきたい、そう思える国にすることじゃき」
 全く同感です、今生きている我々がやらなくてはいけないことを、まさに言ってくれています。 被災された方々、被災地に心を寄せてくれた方々、支援の手を伸ばしてくれた方々にたいし、恥ずかしくない復興の姿をお見せする義務が残された我々にあります。

 さて、この大震災は短時間に被害を及ぼした地震と津波による災害だけでなく、長期間に渡り被害を及ぼし続ける原発事故が更に事態を深刻化させています。
資源のない日本にとって、ある時期原子力による発電に頼ってしまったのは、やむおえない部分もあったかと思いますが、やはり頼りすぎであり、そして原発は安全だという神話を信じすぎました
それが故に事故が起こった場合の被害が桁外れに大きいことが分かっていたにもかかわらず、予防に手を抜いてしまいました。
そして、本当は想定しなければいけない範疇の地震津波によって、悪夢が現実に起こってしまいました。
放射能拡散によって生まれ、育った土地や家を追われてしまった福島の人たち、そして不安に怯える幼子やその母親の心情を思うと、安易で惰性で続いたエネルギー政策を認めてしまった我々は悔やむばかりです。
 この原発事故からの直接的な復興は政府や東電が行うことになるでしょうが、私たち地方の人間も再度エネルギー政策を考えなくてはならないと思っています。
そのような背景の中、通告書に基づき質問いたしますので、御答弁よろしくお願い致します。

先ず環境問題と新エネルギーについてです。
まず最初に、この事故を地方自治体の首長としてどう思われたか、どう考えられているか市長にお伺い致します。
また、今度の原発事故によって、国の方針は大きく変わっていくのでないかと思います。
諸外国でも変化が見られます。この原発事故により、エネルギー対策を考え直す時期となるのでないかと思っております。勿論この対応に関しては、国が中心として政策をくみ行動すべきものですが、地方としてどんな取り組みを考えておられるか、重ねてお伺い致します。

続きまして、まちづくりについてです。
昨年西都市課設置条例を一部改正して、まちづくり推進室が設置されました。
私は今までの一般質問でも「自転車」「文化」「食」「歩行者天国」などをキーワードにまちづくりを質問してきました。中心市街地活性化事業、都市計画課事業の一体的取り組みとまちづくりビジョンの構築によるまちづくり推進を事業として、まちづくり推進室が設置されてまだ3ヶ月です、まだ活動を初めたばかりですが、あえてお伺い致します、今の具体的な取り組みと、その具体的な目的とするところをお聞かせください。

最後は財団医療法人西都児湯医療センターについてです。
市民の期待を担って、西都児湯医療センターは4月1日にスタートしました、官民共同型という全国でもまれな方式でしたので、担当課やセンターの皆さんは暗中模索の中でのスタートだったと思います。また先日理事会が行われたとの報道もありましたし、着々とセンターとしての業務を推進されていることと考えます。そこでまだはじまったばかりだと思いますが、現在の状況をお伺い致します。

以上壇上からの質問といたします。

以上です、質問席での質問は、概略まとめたら、項目毎書いてみようと思っています。
お楽しみに・・・。
コメント (4)
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一般質問2日目終了

2011-06-21 16:12:47 | 日記
本日は吉野和博議員、同じ会派の黒木吉彦議員、井上司議員の3人が質問しました。

吉野議員は1、第4次総合計画について・2、日向国分寺跡の国指定について。
黒木議員は1、農業振興(1)第4次西都市総合計画の前期基本計画について・2、危機管理対策について・3、伊東マンショ没後400年顕彰記念事業について
井上議員は1、観光行政について(1)史跡文化と五智館(2)各伝承地の整備と今後について・2、西海市と姉妹都市について・3、スポーツ振興について(1)西地区球場について

以上でした。メモはとっていますが、この質問、答弁等は一字一句とっても重要なので、西都市のHPに出るのを待ってください。

さていよいよ明日は、私の出番です。
再度質問を確認して、良い答弁が引き出せるよう頑張ります。

PS・11時ちょい過ぎが出番です、入場無料です。

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