3か月前の2021年4月3日に投稿した、#3712 旭医大学長へ“袖の下”事件の闇(8)の再掲です。再掲部がゴシック表示となっています。
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#3712旭医大学長へ“袖の下”事件の闇(8)
4市2町の合併破綻の件を続けるんだけど、このことは旭医大学長へ“袖の下”事件に少なからず影響を与えていると思われるので、記し続けます。
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いろいろあったんだけど・・・合併後の市立病院の設置位置を巡る対立は続いたんです。
滝川市と砂川市の対立なんだけど、他の市町からの意見も尊重しなければばりません。
他の市町の大半は旧産炭地です。
この合併騒動、旧産炭地救済の意味合いも兼ねていました。
石炭を掘り出さなくなって、産炭地は存在価値を失っています。
北海道は合併により旧産炭地救済を図ろうともくろみました。
何せ石炭産業以外に産業が無い市町があるんです。
農業すらない市町があるんです。
北海道の目論見には、見返りが不足してました。
合併したならそれなりの財政援助をしなければならないはずなのに、見合ったものの提示はなかったんです。
合併したなら旧産炭地の負の部分の多くは、滝川市や砂川市などが負わなければなりません。
滝川市や砂川市などは根底にそんな理不尽さを覚えていたのです。
それでも合併に備えた協議は着々と進み、実務者間の打ち合わせにまで及んでいたのです。
ボクの所属していた建設部門でも同僚が4市2町の協議に臨んでいました。
他の部局でも、ボクの親しい職員が協議に臨んでいました。
その協議に係わった職員の多くが囁(ささや)いていたことがあります。
旧産炭市町の自己主張が強すぎる、というものです。
炭鉱マチは他と比べ、かなり異質なマチの成り立ちを有してます。
昔は電気代も水道代もタダだった時代もありました。
例えば、合併協議の頃も旧産炭市町の除雪は、私道どころか通路まで市町が無料で行っていたんです。
旧産炭地市町は、合併後も同様のサービスが不可欠、と主張するのです。
合併したら旧産炭地市町だけを特別扱いできるわけが無いし、旧産炭地市町並みのサービスを他の市町に導入することは道理的にも財政的にも困難です。
そんなこともあって合併協議は停滞気味ではあったんです。
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この合併劇、滝川市や砂川市は旧産炭地市町救済の意味合いがある、って認識だったのだけど、旧産炭地市町の職員はそんな意識は無かったようです。
何せこの合併劇、建前は吸収合併ではなく対等合併だったのです。
滝川や砂川市などは吸収合併どころか救済合併だ、って心の隅で思っていても、旧産炭地市町はあくまで対等合併なんだ、って思っているのです。
一部の旧産炭地首長は、合併しなければ生き残れない、と正直に申していましたが。
この旧産炭地市町が病院設置位置を巡る滝川市と砂川市の対立に、砂川市側に付いたのです。
現砂川市立病院のところに空知市立病院を建てるべきだ、って。
合併に関し積もりに積もっていた憤りが、病院設置位置の件で旧産地市町の態度に滝川市の堪忍袋の緒が切れた瞬間でした。
協議会総会途中で委員の滝川市長と滝川商工会議所会頭が離脱を表明し席を立ったんです。
続きます。
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2021年4月3日投稿の#3712 旭医大学長へ“袖の下”事件の闇(8)の再掲でした。旧産炭地の市町、どっこい今も生き残っています。