ボクのこのブログ、昔の思い出、ってけっこう記されているんです。70年も生きてるもんだから、たくさんの思い出があります。その中でも大学時代の4年間は密度の濃い思い出がぎっしり詰まっています。ボクの人生の思い出の半分以上がそこに詰まっています。
ボクはこのブログに、カテゴリー“学生時代”として30回にわたり出来事を投稿し続けました。ただ今回の初回のは大学に入学前の高校3年生の時のことを記したものです。
#83 学生時代(1) 2008年2月2日投稿
このブログにはボクの個人史的なことも記したいと思っています。
加齢からか、どんどん昔のことが記憶から失われています。
今、覚えていることを書き残さなくては・・・との思いです。
なぜ書き残さなければならないのか。
ボクのノスタルジアです。
興味の無い方は、読み飛ばしてください。
ボクは50数年生きていますが、その中で大学1年と2年のたった2年間が思い出の6割を占めているほど、いろんなことがあって、いろんなことを思い、いろんなことに悩んだんです。
生まれてから高校3年生までは思い出の2割、大学3年から今現在までも思い出の2割程ですから、その占める割合の多さが際立っているのがわかると思います。
今回はまず、なぜその大学に入学しなぜその学部を選択したかを述べようと思います。
どうしてかと言うと、そのことがボクの一生の多くを決めることになったからです。
こんなにいい加減に・・・こんなことでいいんでしょうか?
小さい時から虫が好きで、大きくなったら生物に関する仕事がいいなと思っていました。
山に行って虫を捕まえ、川に行って水生昆虫を捕らえ、部屋に虫かごや水槽をいっぱい置いて毎日それを眺めていたものです。
高校1年の時に、生物を教えていた教師と親しくなりました。
関東の私立大学の理学部生物学科卒業だそうです。
その大学は推薦制度があり、それが一番手っ取り早いとのこと。
受験勉強がいやなボクはそれを聞いて喜び、もうすっかり入学したつもりになりました。
そして、大学卒業後は生物の教師になるんだろうかと、漠然と思っていたんです。
高校3年になって、内申書を少しだけ操作してもらい(昔はよくあった)、推薦入学の願書を提出しました。
しばらくたって、一次選考に通ったとの通知が来ました。
生物の教師に報告すると、「もう受かったようなもんだ。二次で落ちる奴は少ないぞ。」とおっしゃられます。
二次試験は大学で面接です。
口頭試問で、生物に関してと英語がありました。
英語でわからないところがあり気になりましたが、生物の教師の言葉を信じて合格するものだと思っていました。
結果が郵送でありました。
不合格です。
愕然としましたが、次のことを考えなければなりません。
もう大半の大学は願書の受付を終えています。
ボクが結果的に入学した北海学園大学が2回に分けて募集しており、その2回目の募集を行っていました。
すぐに願書を取り寄せました。
高校に持っていき、クラスの親しい奴らとわいわいと願書をながめました。
ほかの連中はほとんど行き先が決まっているので、チョー適当です。
そのときの学部は、法学、経済、工学でしたっけ。
一応理系の生物志望だったので、簡単に工学部を決めちゃったんだけど、その学部に建築と土木の2学科があったの。
そのときはその違いすらよくわかりませんでした。
親しいクラスメートが「土木なんて男らしくていいんじゃない」と言うと、ほかの連中も「土と木が相手なんて健康的でいいじゃん」とか無責任極まりない言葉を投げかけます。
そして、ボクは願書の中の土木工学科にマルをしました。
ボクの一生を左右することになる選択は、このように適当に、不真面目に、不謹慎に、偶然に決まったのでした。
次回からは、本題の大学時代です。
・・・
結果的に、ボクのの後の職業まで決めることになった、この入学先の選択、なんともテキトーなものだったのです。談合を糾弾し建設業界を批判しているボクですが、土木そのものを嫌っているんではありません。土と木と石からなる土木構造物って、本当は地球にやさしくエコなものなんです。
学生時代シリーズは計30回もあって読み物として面白いと自負していますが、再掲は今回のみに留めます。興味のある方はカテゴリー内の“学生時代”から検索してください。