アナーキー小池の反体制日記

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#3065 国鉄三大ミステリー事件と偽旗作戦(2)

2019年06月25日 | 犯罪と防犯と審判
国鉄三大ミステリー事件のうち松川事件は、戦後最大の冤罪事件、とされます。
この戦後最大の冤罪事件で、国による偽旗作戦と囁(ささや)かれるものについて、事件発生から70年を迎える今年の8月に、関係者が教訓を後世に伝えようと記念の催しをしたり、事件に関する資料を分析しユネスコの「世界の記憶」への登録を目指す運動を始める、とのことです。

もしかしたら無垢な労組員5名が死刑になり15名が懲役刑を喰らわせられたのかもしれない、冤罪事件でした。
後世に国による偽旗作戦だったと明かされる可能性が埋もれているかも知れない貴重な資料です。
国って、放っておいたらえげつないことを平気でします。
我々市民は、じっくりと国を監視し続けなければなりません。
自身の身を守るためにも。

・・・
以下に1948年(昭和24年)に起きた国鉄三大ミステリー事件と、日中戦争に駆り立てた戦前の柳条湖事件(1931年)や盧溝橋事件(1937年)の概要を記します。
最初は松川事件です。

松川事件
1949年8月17日未明に福島県の旧国鉄東北線松川駅ー金谷川駅間で発生した上り普通列車の転覆事故で、蒸気機関車の機関士と機関助手の計3人が死亡しました。
脱線転覆の原因は、カーブ外側のレールが取り外されていたことでした。
事件の数日後、一人の元保線工の少年が別件逮捕され、拷問を受けた末、捜査当局の絵が描いた通りの自供を始めたんです。
捜査当局は少年の自供により、労働組合員らが線路を破壊したとして列車転覆致死罪などで計20人を起訴しました。
1審の福島地裁判決は5人に対する死刑を含め全員を有罪としました。
ただ、その後自供内容と犯行現場に次々と矛盾がみつかり、事件が違法な取り調べによる虚偽の自白に基づいた捏造(ねつぞう)されたことが明らかになりました。
そして、14年後の63年9月に全員の無罪が確定したのです。
捜査当局は早い段階から実際の犯行グループを知っていて、あえて逃亡を見逃した、とも言われています。
結局、真犯人の捜査をしないまま時効を迎えてしまったのです。
この事件、国による偽旗作戦だったとは断定されていません。
限りなく黒いのだけど。

下山事件
日本が連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、国鉄総裁・下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に線路上で轢断死体となって発見された事件です。
国鉄三大ミステリー事件の封切の事件です。
事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、警視庁は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切りました。
1964年7月6日に殺人事件としての公訴時効が成立し、未解決事件となりました。
結局迷宮入りとなったこの事件、まず自殺か他殺なのか随分と揉(も)めました。
ただ当時から語られていることとして、生粋の国鉄マンが国鉄の線路で自殺するわけがない!という関係者の言葉に説得力があります。
仮に自殺だとしても、強いられた自殺だったのではないか?というもんです。
他方他殺説は、当時勢力を増した日本共産党に対し打撃を与えるため、進駐軍のアメリカ陸軍防諜部隊が事件に関わったと囁かれてました。
下山事件が時効を迎えると、有志が「下山事件研究会」を発足し、資料の収集と関係者からの聞き取りを行い、連合国軍の関与した他殺の可能性を指摘しました。
この事件、本当のことは何もわかっていないのです。
ただこの直後に続く三鷹事件、松川事件のことを鑑(かんが)みるに、国ないし進駐軍の策謀が疑われるのです。

三鷹事件や、本物の偽旗作戦として認められている、日中戦争に駆り立てた戦前の柳条湖事件(1931年)や盧溝橋事件(1937年)については次回に。
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