久しぶりの再掲シリーズの再開です。ごろつき夫婦による生活保護費2億4千万円恐喝事件に関した十数年前の投稿です。ゴシック部が再掲分、明朝がいまのコメントです。
#193評論家ぎらい 2008年12月5日投稿
今、例の恐喝事件穴埋金補填についての説明会に出席し帰宅したところです。
職員全員による補填について、市長、副市長から職員に対し初めて謝罪がありました。
事件発覚から1年以上経っているというのに、謝罪の言葉は初めてです。
最初からこのような謙虚な姿勢でいれば、これほどまで職員に嫌われなくて済んだのに。
ボクは意見をいいました。
内容は、「全く納得できない。市長は全財産を補填充当に提供し、市長を辞さなければ職員は納得しない。・・・」
市長の返答は「意見として聞き置く!」ですものね。
相変わらず謙虚さの微塵もありません。
何人もの職員が当局の方針に否定的な意見・質問をしましたが、納得できる返答は皆無でした。
職員間で囁かれている、組織崩壊の状態に入っているのかもしれません。
・・・
今回の本題に入ります。
この事件の伏線になっているのかもしれない、ことなる意見に対する当局の反応についてです。
組織の中ではこの頃、末端まで意見を求める事があります。
職員全員に意見を求めるのが流行になっているくらいです。
皆の意見を聞いた事が、免罪符になるとでも思っているのでしょう。
でも“本当の意見”が出ると体制側の人は「評論家はいらない!」と言って、切り捨てます。
そして、採用される意見はいわゆる“提灯(ちょうちん)意見”ばっかりです。
これから意見を募集する際には「提灯意見に限る」って、注釈を加えたらいいんだと思います。
往々にして、体制は耳障りなことを聞こうとはしません。
口当たりの良い提灯持ちの言葉ばかり聞いてしまうんです。
そして、周りを提灯持ちや茶坊主で固め、かなりいびつな価値観を持つ事になってしまうのです。
いけません。
多様な価値観こそ、何にも増して大事な事なんです。
彼ら体制側に、それぞれの価値観を理解させるのは無理です。
しかし、この世の中に多様な価値観が存在する事だけは、理解してもらわなくてはいけません。
いくら深い洞察力に欠けていても、努力をすればそこのところくらい理解できます。
そのためには耳障りだろうけど、評論家の意見を聞かなければなりません。
それが提灯持ち・茶坊主達の最低限の義務なのです。
今回のようなハレンチな事件を、再度起こさないためにも。
・・・
以上ですが、当日ボクは職員を集めた説明会で市長に「全く納得できない。市長は全財産を補填充当に提供し、市長を辞さなければ職員は納得しない。・・・」と言ったのです。その心は今でも変わりありません。