今回は千回目です。
それぞれ節目のときに述べた記憶がありますが、最初は50回か百回も続けば、って思っていたので、千回なんて予想もしていませんでした。
お役所風に言うと、想定外のことが起こったのです。
千という単位はボクのブログにとってとても大きいものなのですが、単位の大小を見渡すとそれほど大きなものでありません。
この頃は億とか兆とか、ことによると京なんて単位が出始めているのを見ると、千は些少な単位なのでしょう。
昔、教科書に載っていたと思うんだけど、「椋鳥(ムクドリ)には千羽に一羽の毒がある」という言葉について、寺田寅彦の随筆があるように記憶しています。
ムクドリを獲って食べる人が増えたため、毒などあるわけがないムクドリ千羽当たり一羽に毒のあるものがいるので、獲って食べないように、と諌(いさ)めたものです。
これは百羽に一羽ではだめで、一万羽に一羽でもいけないそうです。
百羽に一羽では、身の回りで起き得る出来事なのに、そんなことあったことがないのを訝(いぶか)れるし、一万羽に一羽では自分に被害が及ぶことの確率がそれこそ"万が一"となり、せっかくの提言が無視されるので、千羽に一羽でなければならないとのことを記していました。
今回調べると、そう言ったのは江戸時代初期の野中兼山という人で、益鳥のムクドリが獲って食べられ数を減らしていることに警鐘を鳴らしたのだそうです。
それを寺田寅彦が、明治か大正か昭和の初期に随筆に取り上げたのを、教科書に載せたのでしょう。
"千"とはなんとも微妙な単位なのです。
昔はとっても大きな意味を持つ数字だったはずです。
千人斬り、千両役者、千摺り、千成トマト・・・
その千の単位、軽んじられていますが、やっと到達した満足感(もちろん自己満足ですが)があるのです。
それぞれ節目のときに述べた記憶がありますが、最初は50回か百回も続けば、って思っていたので、千回なんて予想もしていませんでした。
お役所風に言うと、想定外のことが起こったのです。
千という単位はボクのブログにとってとても大きいものなのですが、単位の大小を見渡すとそれほど大きなものでありません。
この頃は億とか兆とか、ことによると京なんて単位が出始めているのを見ると、千は些少な単位なのでしょう。
昔、教科書に載っていたと思うんだけど、「椋鳥(ムクドリ)には千羽に一羽の毒がある」という言葉について、寺田寅彦の随筆があるように記憶しています。
ムクドリを獲って食べる人が増えたため、毒などあるわけがないムクドリ千羽当たり一羽に毒のあるものがいるので、獲って食べないように、と諌(いさ)めたものです。
これは百羽に一羽ではだめで、一万羽に一羽でもいけないそうです。
百羽に一羽では、身の回りで起き得る出来事なのに、そんなことあったことがないのを訝(いぶか)れるし、一万羽に一羽では自分に被害が及ぶことの確率がそれこそ"万が一"となり、せっかくの提言が無視されるので、千羽に一羽でなければならないとのことを記していました。
今回調べると、そう言ったのは江戸時代初期の野中兼山という人で、益鳥のムクドリが獲って食べられ数を減らしていることに警鐘を鳴らしたのだそうです。
それを寺田寅彦が、明治か大正か昭和の初期に随筆に取り上げたのを、教科書に載せたのでしょう。
"千"とはなんとも微妙な単位なのです。
昔はとっても大きな意味を持つ数字だったはずです。
千人斬り、千両役者、千摺り、千成トマト・・・
その千の単位、軽んじられていますが、やっと到達した満足感(もちろん自己満足ですが)があるのです。