アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#864 中学生時代②

2011年11月24日 | 昔の思い出
4月に入学式がありました。
ボクたちの小学校出身者は皆,大変おとなしかったのですが、漁師マチから来た生徒は活発でした。
すぐに仲良くなって、その漁師マチまでよく遊びに行ったものです。
3kmほど離れたその漁師マチまで、砂利道を自転車で行くのですがなんら苦にもなりませんでした。

その漁師マチ、大きな船を持っている人は一人もいなかったと思います。
なにせ、その何年か前にようやく港ができたばかりです。
沿岸の漁とコンブを採って生計を立てていました。
特にコンブ漁は良質なミツイシコンブが採れることから、生計に大きなウエイトを占めていたのでしょう。
採取時には家族総出で作業にあたります。
実際は海でコンブを採る人は権利を持った大人一人が小船を操り、海底をハコメガネで覗き棒を入れてねじり取ります。
コンブで小船が一杯になると砂浜に寄り、コンブを降ろします。

ボクは親しかった級友の家に行き、一回だけ昆布採りを手伝ったことがあります。
砂浜で家族が総出で父親の乗った小船を待っていて、船が浜に着くとすぐに小船からコンブを降ろします。
空になった小船は直ちにコンブの漁場に戻ります。
コンブ漁ができるのは、ほんの数時間です。
その間にどれだけのコンブを採ることができるかが勝負なのです。
また、コンブ漁は夏の一時期、ほんの数日のときがあるくらい少ないのです。
限りあるコンブを再生可能な量だけ採るルールは厳格に守られていました。

浜に揚げられたコンブを皆で干し場に引きずっていき、1本ずつ丁寧に並べます。
コンブって乾燥したものは軽いのですが、生のものは重いのです。
実質2,3時間ですが、結構重労働でした。

当時、漁師の子供はコンブ漁があるときは午前中休みでした。
そんな決まりがあるのかは知りませんが、きっと黙認していたのでしょう。

また、一度だけ別の漁師の息子(同級生)の家の船に乗せてもらったことがあります。
沖にある刺し網を揚げに行くのに同乗したのです。
刺し網のあるところへ着くと、船のエンジンを切り網揚げをします。
小さな船なので、波の動きが直接船に伝わります。
エンジンを止めて10分もすると船酔いで吐いてしまいました。

網揚げを手伝うようなことを言って乗ったのですが、とんだ迷惑をかけてしまいました。
漁師とその息子(ボクの同級生)は、ボクの醜態を当然予測していたようでした。
ボクはそれ以来、海で小さな船、例えば釣り船さえ乗ったことがないのです。すっかり懲りたのです。

続きます。





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