アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#865 中学生時代③

2011年11月25日 | 昔の思い出
昨夜、このシリーズの舞台である日高地方で震度5弱の地震があったようです。もともと地震の多発地帯なのですが、タイミングが良すぎます。中学生時代を続けます。

船に乗せてもらった漁師の集落は、蹴舞(けりまい)地区の外れ,川尻(かわじり)と呼ばれていました。2級河川蹴舞川の河口付近に十数軒の漁師が住んでいたように記憶しています。(前回の昆布採りを手伝ったところとは2Kmほど東側に位置するため、東蹴舞とも呼ばれていました。)

この川尻、中学生時代,小学校の同級生仲間3人でキャンプしたことがあります。海岸に突き出た岩(岬?)に洞窟があったのです。ちょっと気味の悪い洞窟でしたので、度胸試しを兼ねたもので1泊だけしました。

この地区(川尻、または東蹴舞)は今,海浜公園としてちょっと知られるようになっています。昔の面影はありません。温泉宿泊施設やオートキャンプ場・海水浴場などがあり、夏場は結構な賑わいを見せています。遊泳場は、北海道開発局が巨費を投じ造成したものです。
実は明日の同窓会はその温泉宿泊施設で行われます。

日高地方は海に面しているのですが、海水浴ができる環境ではありませんでした。
海流は南下する親潮の影響で水温が低く、流れも速いため大変危険です。それでも泳ぐ人がいて、毎年のように水死者が出ていました。ボクも潮干狩りにはいきましたが、せいぜい胸ぐらいの深さのところでした。
後に、北海道の日本海側は北に位置しているのに、海水温が高く海水浴場がたくさんあることを不思議に思ったものです。

水泳はもっぱら、ボクの家のすぐそばを流れていた蹴舞川でした。この川も日高山脈の雪解け水がストレートに降りていますので大変冷たいのですが、唇を紫色にしながら泳いでいました。
海では蹴舞に漁港ができていましたので、港内で泳いだ記憶があります。漁港でしたので油が浮いていましたが、波もなく暖かいのです。当時はどこにも遊泳プールなどありませんので、プールってこんなものなのだろうなって思いました。

中学校に入学して半年後、11月だったと思いますが、中学校の合併がありました。
全国的な流れがあったのでしょうが、三石町は4,5校の中学校が2校に合併されたのです。それはちょうど三石川流域と蹴舞川流域に各1校とに分けられたのです。いつの世も同様ですが、学校の合併は大変なんです。合併の必要性は理解しても、学校の位置をめぐり集落間で綱引きが行われ、収拾がつかなくなります。

この地区も同様に決着がつかないものだから、2つの集落の境界線上に校舎が建ちました。人家のごく少ないところに建ったものだから、中学生のほとんど全員が不便を強いられました。こういう時はじゃんけんをして位置を決めるのが一番いいと思ったものです。

初冬の頃、合併の式典がありました。東中学校と北(?)中学校の合併です。北(?)中学校は歌笛小学校と川上小学校の卒業生の集まりです。

・・・
まだまだ続きますが、今回はこの辺で。
明日は同窓会です。どんな人に会えるのやら、楽しみです。地震は起きてもいいのですが、津波だけは勘弁願いたいものです。何せ会場は太平洋の波打ち際にあります。
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