アナーキー小池の反体制日記

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#1844 伊福部宗夫(上)

2016年01月18日 | 教育・文化・芸術・スポーツ
伊福部宗夫(いふくべ・むねお)氏をご存知の方はそう多くはないと思います。
伊福部昭(いふくべ・あきら)をご存知の方は結構多いのです。
あの”ゴジラの作曲家”ですもの。
宗夫氏は昭氏のお兄さんです。

ボクは学生のとき、伊福部宗夫教授の講義を受けました。
彼は道路工学の第一人者とされています。(今になって知りましたが)
大学生の頃ほとんど授業に出なかったボクですが、単位取得のための最低出席数をこなすために止むを得ず講義を受けたことがあるのです。(多くは代返に頼りました)
伊福部教授の授業を受けたのもたまたまだったのでしょう。
でも彼の名を覚えているのはその変わった苗字と、講義中に話した内容からなのです。

講義名はきっと道路工学だったのでしょう、今になって思うに。
彼が語ったであろう道路工学についての話は何にも覚えていません。
ただ彼は講義の途中で「北海道の先住民はアイヌであり、アイヌにはアイヌの奥深い文化があり尊重しなければならない」と語ったのでした。
そして彼は、「私の弟はちょっとした作曲家なのです」とも言いました。
伊福部宗夫教授は小柄で穏やかで上品な人だったように記憶しています。
少し名だけ似ている鈴木宗男とは正反対です。

ボクの通っていた大学(北海学園大学)には当時、アイヌ文化史の大家がそろっていたのです。
学長が高倉新一郎です。北海道史・アイヌ文化史の重鎮として知られた学者でした。
講師に更科源蔵もいました。詩人、アイヌ文化研究家として著名な人でした。
更科源蔵はアイヌ民族学の講義を行っていて、ボクも1年生のときに何回か聴きに行ったものです。

・・・
北海道新聞1月12日夕刊の文化面に”「生の岸辺ー伊福部昭の風景(パサージュ)」を刊行して”と題した柴橋伴夫の文章が載っていました。
副題は”宮司、豪族家の悲憤と哲理”となっています。
彼(柴崎)が刊行した同書の説明なのですが、その簡単な説明の中に、ボクが疑問に思っていた伊福部宗夫への疑問も解消されたのです。

もちろん新聞に載った文章の主役は「ゴジラの作曲家」伊福部昭です。
伊福部昭はピアノ・管弦楽・歌曲から筝曲までレンジの広い現代作曲家として世界に名を知られていますが、その他の分野でもいろいろ評価されているのです。
中国思想や神道哲学に精通した「知の人」として
優れた音楽教育者、世界の民族楽器の研究・収集家
300曲を優に超える映画音楽や舞踏音楽の作曲家
などです。

彼(柴崎)はその多面性を伊福部家のルーツから辿(たど)るのです。
伊福部一族は、歴史に翻弄され数奇な運命をたどらされ苦渋を舐(な)めたことにより深い知見を得た、と結論づけたのです。

長くなりましたので、次回に続けます。


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