アナーキー小池の反体制日記

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#1071 早逝した友 ② N・光夫くん

2012年09月24日 | 昔の思い出
N・光夫くんはこのマチ生まれなのです。
どういうわけか、大学学生寮の僚友です。1学年、20名ほどの小さな学生寮でした。
このマチ生まれは光夫くんただ一人です。(驚いたのだけど、元のボクの職場には、この寮からボクを含めて3名いました。)

光夫くん、寮生時代は目立たない存在でした。
ボクの記憶の中には、ジンギスカンを黙々と最後まで食べていたこと、運動が苦手なのにソフトボールで一所懸命プレーしていたことくらいしかありません。
今思うと、ジンギスカンはこのマチが本場ですから、小さい頃からなじんでおり、たくさん食べられたのかもしれません。
3年生になってからは校舎も変わりましたので、卒業まで何の付き合いもありませんでした。

このマチに就職して間もなく知りました。
彼はこのマチの建設会社N組に勤めていたのです。
経済学科を卒業していますので、建設会社の事務をしていました。
仕事柄、何度も顔を合わせ、話をすることがありました。
生き生きと仕事をしているように見えましたし、僚友の結婚式に光夫くんの運転で網走まで行ったこともあります。

ボクも彼も20代半ば過ぎだったのでしょう、突然彼が遭難したとの報せがあったのです。
近隣の山、南暑寒岳に行くといったまま帰ってこないというのです。
3月か4月だったと思います。
南暑寒岳への登山道入り口駐車場に彼の車がありました。
それほど高い山ではないのですが、積雪がすごく、一般には6月にならなければ登らない山です。(6月,7日でも登山道に雪が残っていました。)

捜索が始まりましたが、見つかりません。
彼の職場の人などと共にボクたちが捜索の手伝いを申し出ましたが、危険なのでと言われ断られました。
ふもとの捜索事務所に2,3日詰めるのが精一杯です。
何日も捜索しましたが、見つけることができず、捜索は断念されました。

その後、2,3月経ってからです。
沢の流水に浸かっている遺体が発見され、葬儀が執り行われました。

・・・
正式には登山による事故死となっています。
しかし妙な噂が囁(ささや)かれていました。
彼が職場で嫌がらせにあっていた、というものです。(今でいうところのパワハラではないでしょうか?)
嫌がられの内容や、嫌がらせをした人の名前も挙がっていました。
また、彼が民青活動をしていたことが嫌がらせの原因の一端だとも言われました。

あの時期に素人が一人であの登山をしたことなど、解せないことがあります。
ボクの頭の中では、単純な事故死では割り切れないものがあります。
いつまでも黙々とジンギスカンを食べている、彼の姿が思い起こされます。

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