アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#868 中学生時代④同窓会(上)

2011年11月30日 | 昔の思い出
26日の夜に郷里で中学校時代の同窓会が開かれました。
当日の朝早くに家を出て、途中の苫小牧に寄り親戚や友人に会いました。
そして午後5時から同窓会で、夜中の2時くらいまでおしゃべりをしていました。
また翌日は三石や浦河、様似の親戚宅にお邪魔をしましたので、帰宅したのは夜になってしまいました。
計600kmの長距離ドライブで、いまだ疲労が抜けないでいますが、とっても楽しく懐かしい同窓会でした。

4時半ごろ会場に着いたのですが、すでに大勢が集まっていました。
ぱっと見渡しましたが、見覚えのある顔が見当たりません。何せ45年ぶりに会う人が多かったのです。
中学卒業は15歳です。15歳が60歳になっているのですから、少年少女が老人(失礼)に変わっています。わかるはずがありません。当然ボクのことも大半の人はわからなかったようです。

中学校は3クラスでした。合計120人くらいいました。
そのうち出席は50数名でした。また当時の担任の先生2名も参加してくれました。
この間に亡くなられた方は5名です。亡くなってしまっているのをはじめて聞いた人もいました。
会の最初にこの亡くなった方への黙祷です。昔の元気だった頃の姿を思い出しながら、頭を下げました。

次に幹事さんやら先生方の挨拶です。
新たなことを随分知りました。
ボクたちが1年生の頃,誕生したこの三石第二中学校は10年以上も前に第一中学校と合併して、すでに無くなってしまっている事、旧三石町内の小学校が来春合併をして旧町内に小学校が1校しかなくなる事などを聞き衝撃を受けました。

担任の先生が2名出席をしてくれましたが、内一人がボクの2年生のときの担任でもう一人が3年のときの担任でした。70歳と77歳だそうです。
70歳の先生はボクらが中学校に入学した時に新任したそうで、とっても若く見え、生徒と先生の区別ができないほどです。
その2年の時の担任の先生とお話したのだけど、忘れもしません。夏休みに自転車でキャンプに行ったのです。先生と同級生男子5,6名だったはずです。
襟裳(えりも)岬まで一泊でしたが、片道60kmもあるのですから強行軍です。
当時は国道ですら砂利道でしたし、平坦だと思った国道も結構な上り下りがあるのです。
そしてボクらが乗る自転車は今でいうママチャリで変速機など付いていません。
先生はバイクだったものだから、重いテントなどを皆先生のバイクの荷台で運んでもらいましたが、へとへとになって襟裳岬に着いたものです。
そして帰り様似の幌満川河口のアポイ岳入口でテントを張りました。
その夜アクシデントがあったのです。

続きます。
この記事についてブログを書く
« #867 面白い恋人 | トップ | #869 中学生時代⑤同窓会(中) »

昔の思い出」カテゴリの最新記事