マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原石田の頭屋座

2017年06月03日 11時10分05秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
山添村大西の取材を終えて直行する宇陀市榛原の石田。

この日は六柱(むつばしら)神社の頭宿座が営まれる。

頭宿座は頭屋座とも呼ばれている頭屋行事。

一年間にも亘って家で迎えていた氏神さんの分霊はこの日を最後に次の頭屋家に遷される。

毎日にお酒や洗い米を供えて手を合わせて拝んでいた石田の神さん。

頭屋家で一年間を過ごした神さんを祭ったヤカタはこの日の午前中に還る。

還る場所は六柱神社の社務所である。

着いたときはすでに祭壇を組んだ場に遷されていた。

洗米に塩、水。



一尾の丸サバ、キャベツ、シイタケ、シメジ、ダイコン、ズイキイモ、クリ、カキ、ミカンにバナナやお菓子。

下段に結び昆布にスルメ、ジャコもある神饌御供を並べていた。

燈明を灯して氏子一同は正座されて座る。

21戸からなる大字石田であるが18人も参列された。

この日の行事には神職の出仕はない。

村の人たちによって営まれる行事である。



神事は一同揃って2礼2拍手に1礼で終える。

祝詞もなく玉串もない。

心経を唱えることもなく、神式に則り終えた拝礼は僅か25秒。

あっという間に終えたら、祭壇を奥の床の間に移動して場に長机を並べる。

席は上座に頭屋。自治会長、氏子総代も並ぶ。

これより始まるのは村の連絡事項。

配布された資料はこの日の「頭宿座」がタイトルになっている主題である。

「秋冷の候、みなさま方におかれましては、益々のご健勝のこととお慶び申し上げます。本日は石田六柱神社の頭宿座にお参りいただきまして、誠にありがとうございます。当年度はUさまに一年間、「氏神様」をお祭りいただき、垣内のみなさま方、前後の方々にはいろいろとお手伝いをしていただきありがとうございました。」と謝辞を述べる自治会長は続けて今年度の頭屋家を務める頭屋を紹介する。

謝辞の次が村の連絡事項である。

協力依頼の事項や防災訓練に協議会、防犯、行政相談などもあるが、一週間後に行われる祭りの宵宮事項もある。

宵宮に供える御供搗きがある。

餅米集めや米洗い。

それから餅搗きであるが、それだけのことを三日間も費やす。

それほど量が多いということだ。

連絡事項を伝えたら直会に移る。

氏子の席にはパック詰め料理を配膳して神酒を注ぐ。



頭屋家の婦人は感謝の声も添えて酒を注ぐ。

そして乾杯してから会食に移る。



それから数分後に下座に移った当年度務めの頭屋がみなさま方のご協力をいただいて無事に務めさせもらったと重ね重ね厚く御礼申し上げるとお礼を述べた。

これまでは座の用立ても祭り費用は頭屋家がもっていた。

今は自治会が負担もちになったという。

謝辞聞いていて、石田の神さんを一年間も祭るのは村の者としての意義があるのだろうと思った。

パック膳には汁椀がつく。



昔はマツタケであったが、今はシイタケ・シメジに豆腐を入れた味噌汁椀である。



酒宴に戻った頭屋は一人、一人に酒を注いで感謝を伝えていた。

直会は実は延々と続く。

終わる時間は午後3時。

そう聞いていた。

閉会されて受け頭屋が動く。

ヤカタに納めた石田の神さん。

一旦は六所神社に遷す。

それから頭屋家に移動する。

頭屋がヤカタを抱えて家に戻る。

後方には氏子が並んでともに頭屋家に向かうと聞いている。

御供にあった結び昆布にスルメは下げて氏子に配られる。

もう一本あったお神酒を注いで廻るときに配られるようだが、いつの時点でそれをされるのか聞きそびれた。

待つ間によばれたヨモギダンゴがある。



手伝いの奥さんが作った自家製のヨモギダンゴは粳米に糯米が半々。

豆粉も入れて練って作った。

お茶に合うようにキナコを塗したという。

しばらくは石田に滞在していたが次の取材先に間に合うためには場を離れるしかない。

夕方近くになるであろうという頭屋渡しの行列は拝見できなかった。

昔は夜になるくらいの時間帯。

朝から飲んで、飲んでのへべれけ状態の酩酊。

酒樽で飲んでいたというから相当な量である。

紋付き袴姿に高下駄を履いて渡っていた。

灯りの点いた提灯をもっていったという話は今でも語り草のようだ。

(H28.10. 9 EOS40D撮影)