マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ちゃんちゃん祭還幸

2014年10月08日 07時16分06秒 | 天理市へ
お旅所の儀式はほとんど撮らずのこの日。17時ころに還幸のお渡りが始まった。

一歩先に陣取りしていたカメラマンらは名場面を見逃すまいと並んでいた。



その場からショートカットする。

バス停がある付近の信号は押しボタン。

その地は大字中山の小字馬場脇だ。

国道を渡って西の街道を目指す。

上街道を還幸していた行列に追いついた。



丁度、神輿や神馬が通っているときだった。

その地からお渡りの後続についていった。

そのとき突然現れた二人の白装束。

御供箱をオーコで担いでいる。



二人は大字成願寺の人足。

噂で聞いていた成願寺の人足は還幸の際に大字成願寺から後続につくのである。

お旅所に向かう神幸祭にはついていかずに還幸の神事に際して供をする。

御供箱に納めているのは宵宮祭の前日に搗いた「牛の舌餅」である。

何十枚もの餅を納めているから、そうとうな重さである。

肩に重さがのしかかることから、数十メートル担いでは交替して後続につく。

重い御供箱は手に青竹の杖で支えながら歩く。



御供箱には「寛永貮拾壹年(1644) 大和大明神 卯月朔日成願寺村」が書かれていた。

持っていた青竹は杖だと思っていたが、そうではなく停止する際に、御供箱を固定する道具であった。

大和神社に着いた御供箱担ぎは奉納されるまで多少の時間がある。



その際に青竹で御供箱をバランスよく支えて固定したのである。

「牛の舌餅」を納めた御供箱ごと拝殿に上げられた。



そうして高杯に盛っていた。

それは還幸祭の神事の際に供えられるのである。

御供箱をオーコで担いで還る様相を拝見したのは私にとって福音の遭遇であった。



還幸神事を終えて御供下げされた「牛の舌餅」は各大字に配れられるが、すべてではないようだ。

大字兵庫では受け取った「牛の舌餅」を普段着姿の二人の男性に手渡した。



話しによればかつて馬に乗った勅使が泊った特定家だそうだ。

今では天理市長が馬に跨っているが、かつては勅使。

いつの時代に替ったのか判らない。史料によれば天皇(おそらく勅使)が大和神社の神事を見にきたときに付き添った華族、公家が宿泊した両家だったようだ。

最後に奉納される龍の口舞、翁の舞いを終えて太鼓がドンドン打たれて終ったあとも残っていた成願寺の人たち。



翁の舞いに撒かれた樫の葉が散らばっていた。

(H26. 4. 1 EOS40D撮影)


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