マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

あすか夢販売所の商品に民俗を味わう

2017年02月23日 09時11分20秒 | 明日香村へ
トイレ休憩も兼ねて農作物販売所に立ち寄る。

そこはふんだんに盛られた採りたて野菜がいっぱいある。

でっかいトウガンはいつも驚くが買っては帰れない。

なんで、こんなに大きなものを買ってどうするのという言葉に返答が・・・つまる。

それはともかく最近のお気に入りが棚にあった。

食べられるホオズキである。

殻の中にあるホオズキはとっても美味しいフルーツ。

そう思う。

初めて口にしたのは天理市庵治町のゴウシンサン取材のときだ。

ヤド家の奥さんが参拝に来られていた婦人たちにご馳走をしていた。

あんたらも食べてやと云われて口にした。

とっても美味しいのである。

今まで味わったことのない味覚はまさにフルーツスイート。

独特の甘さに惚れこんだ。

婦人が教えてくださった作り方。

実成を食べるホオズキは放っておく。

放置でいいのだ。

そのうちに干からびる。

カラカラになれば枝から落ちる。

食べごろであるが、冷蔵庫などで冷やしておけばさらに美味しくなる。

そう話してくれた実成のホオズキを探していたが、一般的なスーパーでは売っていない。

地産地消の昨今。

そのようなお店であれば売っているかも・・・と思っていたら、アタリにあった「あすか夢販売所」の商品棚。



売り文句のPOPに「スイーツの素材として注目の集まる食用ほおづき。フルーティーな独特の香りと味から、ジャムやパン、アイスクリーム、ケーキなどに利用されるようになってきています」とある。

間違いなくそうなっているように思えた食用ホオズキの商品名はキャンデイランタン。

「マンゴーのような味と香り」シールを貼っていた。

パックに詰めた莢付き食用ホオズキの個数はわからないが、税抜き価格の180円で売っていた。

隣に置いてあるケースは試供品。

食べてもらって味覚を感じてもらう。

莢の中身は青みがある実である。

一粒、一粒の莢をとってあるからすぐさま食べられる。

天理の庵治町でもらった食用ホオズキの色合いと同じだ。

庵治町の食用ホオズキはやや黄みがかった色であるが、一粒口にしたあすか夢販売所のキャンデイランタンも美味しい。

味に変わりはないようだ。

販売所の商品棚にはいろんなものが売っている。

ついつい手が伸びる地産地消の作物。

スーパーと同じようにカートがある。

白菜、キャベツにダイコンは重たい。

これなら便利なカートにどんどん積み込む人もいる。

あすか夢販売所で買った商品は手造りの小麦餅。

民俗を取材しているものにとっては「さなぶり餅」の呼び名で書いてあればなお嬉しい。

尤も買ったのは民俗を同行取材している写真家のKさんである。

奈良県だけでなく近畿、北陸、信州までも取材しているKさんは行き先々にある道の駅で収穫しているそうだ。

そういえば、ここあすか夢販売所に手作りカンピョウも売っていた。

販売者の名前があるシール。

そこに書いてあった大字名がある。

その地で栽培している生産者。

ぜひとも伺ってみたいものだ。

それはともかくよばれた手造りの小麦餅の味である。



小麦餅は出来あがったばかりではなく、やや時間が経過していたのだろう。

餅はパックの底面にへばりついているから取り外すのに難儀する。

一口食べた。

食感は堅めだ。

がっつり噛んで食べる。

跳ね返るまではいかないが、そこそこの歯ごたえがある。

ぷーんと口のなかで広がった小麦の香り。

塗したキナコの味が馴染んでいる。

小麦粉の味はこういうものか。

決して不味くはない。

キナコの甘さもあるが、餅に甘さがあるのでは・・と思うぐらいだ。

(H28. 7.23 SB932SH撮影)
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下平田の歴史を語る建造物を探訪

2017年02月22日 08時33分35秒 | 明日香村へ
カンピョウ栽培している男性が指をさした先にある建物は「みかん蔵」である。

「みかん蔵」とはなんぞえ、である。

屋根の上に突きだすようにある構造がある。

なんとなく煙出しのような構造のように思えたそれは風通し。

蔵の内部は五つの部屋に細分化されている。

それぞれの室内にある煙出し、ではなく、風通し。

赤い屋根は赤い瓦で葺いている。

傷みはそれほどでもなく美観である「みかん蔵」は個人所有。

もう一カ所のみかん蔵は今でも現役。

I家が所有するみかん蔵は12月に収穫して5月ころまで収納、管理しているそうだ。

このみかん蔵の外観を拝見して、ここだったのかと思いだした。

この年の10月29日から県立民俗博物館で展示される「私がとらえた大和の民俗 ―住―」のひとつの事例として紹介される。

とらえたのはカメラマンのSさん。

蔵の内部の作業風景など三枚組で紹介されるのだ。

予め聞いていたので理解しやすかったのが嬉しい。

それはともかく下平田の歴史を残す史跡もある。

それらも拝見しておけば耳無地蔵尊の背景もわかるかも知れないと思って足を伸ばす。

この日は暑い夏のカンカン照り。

歩いているだけで汗が流れ落ちる。

なんど拭っても汗はとまらないが、次を目指す。

この日の夕方に始まる地蔵まつりの主会場は耳無地蔵尊が建つ処である。

お供えをするのは耳無地蔵尊の右隣にある不動明王である。

地蔵まつりの祭場はもう一つある。

耳無地蔵尊より高取川沿いに向かって南にいけばあるという榎木龍神を探してみた。

熱気が道路から湧き上がってくるように感じるこの日は夏真っ盛り。

歩くのも疲れる。



それほど遠くないところであるが、すぐ近くでもない処に「榎龍神」の文字を書いた提灯を立てていた。

石や樹木で囲まれた地にこれもまた「榎龍神」の文字がある石碑である。

ここは車の往来が激しい国道169号線。

昔はもっと狭かったと話す道路は随分前のようだ。

榎龍神のかつての地はここではなかったという。



そのときの話しぶりでは拡張工事だったのかよくわからないが、高取川の川縁にあった榎を切ったら祟りがあると云われて、現在の信号がある処にあった榎龍神はここへ移したという。

その信号がある地を右折れすれば川を跨ぐ橋がある。

橋の名は「豊年橋」。

道路拡張に伴って高取川も移動した。

拡張することによって西へ移動したのであろう。

豊年橋を渡ってさらに西に行けば大字の越(えつ)にでるが、その手前に建っていた道標に灯籠。



それに大きな石板がある。

道標は「えかう山えち」と読むのだろうか。

刻印文字はわからないが、建之年代がわかる。

「寛政八年丙辰(1796)九月橋成」である。

灯籠は天照大神宮。「

文化元年甲子(1804)十一月」に建之された。

榎龍神石碑にもっとも関係するのが左隣に建つ大きな石碑である。

それには「昭和三十二年十月建之 ほうねん橋の碑」とある。

その石碑の右下に「寛政八年丙辰(1796)」の年号が見られる。

何がいいたいか、である。

実はこの日に提灯を立てていた「榎龍神」の石碑は寛政八年に高取川に架かっていた石橋だったのだ。

この日に再確認にした昭和29年から始まった道路拡張工事にともなう流路変更工事。

橋も新しくなって「豊年橋」が現在の端であるが、かつての橋は石橋の「ほうねん橋」である。

その石橋を半分に割って一つは榎龍神に。

もう一片が昭和34年に架け替え記念に石碑として残されたのである。

豊年橋を渡って西に向かえば越に出る。

旧阪合村になるその方角を示す道標に「阪合村」の刻印があることも付記しておく。

榎龍神さんにある榎の木はご神木。

今は小枝になったがこれでもれっきとした枝分かれの榎木。

不動寺は78年前に建てたことを示す石碑にあった発起人は24人。

ずらりと並ぶ発起人名である。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)
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下平田のカンピョウ干しから広がる話題

2017年02月21日 07時39分50秒 | 明日香村へ
明日香村平田の地蔵まつりを拝見したく訪問した。

場所は大字平田の下平田。

大字平田は上に上平田。

国道169号線に近い方が下平田になる。

みみなおし地蔵尊があるのは、その国道169号線沿いである。

早朝に集まった村の人らは揃って作業をしていた。

会所とも思える建物や地蔵尊も綺麗にする。

数時間もかけて清掃されたら境内もすっかり美しくなった。

午後は地蔵まつりの設営であるが、その場にいた男性がおられたのでお声をかけた。

その人は家が隣にあるから留守番をしているという。

この日の行事についてざっと教えてくださる男性は自宅でカンピョウ干しをしていると云う。

カンピョウはユウガオの実。畑で栽培しているからついておいでと云われて案内される。

畑はどこにあるかと云えば国道を越えてまだ先のところである。

その先の畑は近鉄電車の線路を越えたところにある。

うちの畑やからついておいでと云われて後を追いかける。

その場は雑草も生い茂る地。

カボチャもあればカンピョウもだ。

カボチャは葉っぱも花も実も知っているが、カンピョウは未だかって実物を拝見したことがない。

カボチャではない大きな葉がある。



そこに咲いていた大きな白い花がある。

それがカンピョウ・・・ではなくユウガオである。

ユウガオの花は夕方に咲いて翌朝に萎む。

案内された時間帯は午前11時半。

ほとんどの花が萎れていたが、ほんの少しだけマシな花があった。

葉っぱと花の形を撮っておけば今後の役に立つ。

カンピョウを干している地が判れば栽培している畑を探す。

それがわかるようになれば今後に役立つ。



そう思って撮らせてもらった。

さて、ユウガオの実である。

生い茂ったユウガオの葉っぱで畑地が見えない。

そこら辺りにずっしりした実があるかもわからんから探してやといわれて付近を探し回る。



覆っていた葉をどかせると中から出てきたユウガオの実はでかい。

我が手で測った長さはおよそ35cm。

いちばん太っている部分の幅は直径20cm。

重さは計測器がないからわからないが、そうとうな重さに違いない。



ご主人はユウガオの実を抱えて持ち帰るが、ヘタは切取っているようだ。

ところである。

ユウガオの花には雌雄があるという。

花が咲いても実にならないのは雄。



カンピョウになる実は雌花であるという。

それも探して辺りを・・・。

あった。

なるほど、授精した雌花は徐々に膨らんでぴっとしたこういう形になる。

下部は実であるが、上部は萎れた花部分。

やがては消えて下部の実が成長する。

そうなると思うが、今回はここまでだ。



親切丁寧にわざわざ畑まで出向いて案内してくれた男性は畑にいっぱい育っていたツルクサをカマで刈った。

特に新葉が美味しいツルクサはこうして摘み取る。

これを2、3分茹でてマヨネーズ和えで食べる。

これがほんまに美味しいのである。

男性は自宅に戻って干す道具を見せてくださる。

大きな銀杏が植生する崖山。

そのすぐ傍に立てているカンピョウ干しの道具はそうとうな長さだ。

上部を見上げてみれば滑車。



そこに布紐を架けた水平棒がある。

垂直に立てた支柱は木製。

水平にしている平行棒も木製であるが、布を巻き付けている。

こうしておかないと干したカンピョウが木材にくっついて剥がれなくなるのだ。

天理市の庵治町で拝見した水平棒は稲藁でくるんでいた。

材は違うが、これもくっつき防止である。

今年は4回も干したというから豊作なんであろう。

ちなみにこのカンピョウ干し道具には名前がない。

どこで聞いてもそういうことだ。

さて、あれほど大きくなったユウガオの実はどのようにして細く剥いていくのだろうか。

それには道具が要る。



一つはナタのような大きな刃をもつ包丁である。

もう一つはご主人が作ったハンドメイドのカミソリである。

画面でわかると思うが、小刀を木製の道具に括り付けている。

その大きさ、刃の長さは手に馴染んで使いやすいように加工している。

始めに使う道具は包丁だ。

ラグビーボールのような形のユウガオの実を幅数センチに輪切りにする。

その幅は感覚的でいい。

厚さが数センチの円盤ができる。

何枚かに輪切りする。

ヘタは不要なので切り落とす。

円盤は皮付き。

その皮を剥ぐのが自家製のカミソリである。

皮を剥いでいけば真っ白な肌をみせるユウガオの実。

これを厚さが均等になるようにカミソリで剥いていく。

タネがある中心部までは剥かない。

その手前ぐらいで終える。

長くなったひも状の姿になればカンピョウである。

そろっとそれを水平棒に架ける。

何本も、何本も剥いては架ける。

手間がかかる作業は水平棒を揚げて終わる。

紐を引っ張れば滑車がくるくる回って水平棒が揚がっていく。

青空に広がる白いカンピョウはまるで夏の簾。

美しい姿をみせてくれる。

ご主人が動いた。

何をするかといえば、ギンナンの殻割りだ。

家にある銀杏は毎年のようにおやつを落としてくれる。

ポタポタ落ちるギンナンの実を拾って干しておく。

はっきりいってギンナンの実の匂いは独特で臭い。

実の廻りのぬるぬるしている部分が臭いから作業は手袋が必須。

それも臭気が漏れないような手袋である。

水で流して綺麗にしたら干す。

保存は新聞紙に包んで冷蔵庫。

カラカラに乾いたら炒らなければならない。

電子レンジでチンして食べているというご家族。

性能にもよるが3~5分。

弾ける音が数回聞こえたら出来上がり。



ペンチでも構わないから殻を割って黄色い実を食べる。

乙な味に惚れるが割れていない殻はどうもアカンようだ

(H28. 7.23 EOS40D撮影)
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飛鳥弥勒探しにひび割れ土用干しをみる

2017年02月20日 09時45分56秒 | 明日香村へ
今年の土用入りは7月19日。

それから数週間後にはカラカラ天気。

暑い盛りの真夏に干す民俗がある。

一つは衣服や書籍の土用干し。

いわゆる虫干しであるが食用の土用干しは梅干しである。

もう一つは稲作に欠かせない田の土用干しであるが、「土用干し」をネットで検索すれば圧倒的に引っかかるのが「梅干し」である。

田の土用干しはメジャーではない、ということだが、私にとっては農作における大事なことだと思っている。

水耕栽培に欠かせない田の土用干し。

この時期になればついつい稲穂がすくすく育っている水田を見て回る。

水田に水はつきものだが、カラカラに乾いているところはあるのか、ないのか。

明日香村にある弥勒石を探しにやってきた地である。

なんと、ここにあったのだ。



水田の水は堰を外して溜まっていた水を流す。

日照りが強い日が続けば乾くのも早い。

曇天どころか雨でも降れば田はなかなか乾かない。

何日もかけて田の天日干し。

カラカラに乾けばひび割れが発生する。

割れた文様は複雑。

この形が面白い。

割れた状態が写真的によくなければ他を探す。

あっちこっちの田んぼを見て回る。

畦地に入るのは田主の許可がいる。

たまたま近くにおられた田主さんに断って撮らせてもらった。

ここまでくるのに水を抜いてから一週間、いや十日もかかると云う。

探しているのは弥勒さんの行事日である。

土用干しのひび割れを拝見した田主は大字岡の人。

弥勒石がある在所は岡であるが、行事をしているのは大字飛鳥の人たちだという。

この場で大字飛鳥の人を探すのは難しい。

稲穂の水田がこの辺り一面にあるが、人の姿がまったく見えない。

仕方がないと諦めて近くにあった農小屋を目指す。



そこにあった干しもの。

カンピョウでもなく、水田でもなく、豆である。

農小屋の処に枝からもぎ取った豆がある。



カラカラに乾いて莢から豆が飛び出していた。

そんな状態の豆を撮っていたら単車で人がやってきた。

その男性は大字飛鳥。

ここら辺りは岡と飛鳥の境界線になるようだ。

ご主人曰くこの豆はトラマメ(虎豆)だという。

トラマメは蔓性のインゲンマメ。

文様の入り具合が虎に似ているからその名がついたそうだ。



莢から飛び出したトラマメはやや粗い網目のトーシでゴミなどを落とす。

綺麗に選別して煮豆にするという。

ちなみに農小屋の庇に置いてあった豆は昨年に採取した大豆で品種はツルマメ。

豆を取った残りの枝は焚き付けにする。

いろいろ教えてもらうご主人は大字の飛鳥。

弥勒さんの行事もしている役員さんだった。

おかげさんで農家二人の出会いがあったことから旧暦8月5日に行われている弥勒さんの行事日と時間などがわかった。

ありがたいことである。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)
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山田のカンピョウ干し

2017年02月19日 09時55分16秒 | 桜井市へ
風景写真家のYさんが今では少なくなったカンピョウ干しの情景をFBで紹介していた。

その映像を見た私はここだと思った。

Yさんがとらえた映像に交通標識の「止まれ」がある。

電柱に取り付けられた赤地の逆三角形。

白抜き文字の「止まれ」がある映像でわかった桜井市山田の地である。

この日の午前9時。

明日香村に向かう道すがらに拝見したかった当地のカンピョウ干しは幾たびか撮らせてもらっている。

ご主人は近くに住むFさん。

平成26年4月6日に行われた東茶ノ前垣内の旧暦閏年の「モウシアゲ」を取材させてもらった代表者である。

Fさんとはその行事以前から存知している。

それが夏の風物詩でもあるカンピョウ干しである。

平成26年の6月、7月に取材させてもらったF家の在り方をブログで公開させてもらった。

干してあることから在居されているに違いないが、挨拶をと思うが、先を急がねばならないのでご無礼した。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)
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高樋町春日神社の木鼻紋様色柄

2017年02月18日 09時45分31秒 | 奈良市へ
高樋町の宮総代から電話があった。

今年は造営の年。

この月の29日に一時的に仮住まいされている春日神社の神さんは本殿御遷座祭の夜に戻られる。

それまでは本殿を塗り替えている。

塗替えに、さて、困ったことがある。

あの部分にあった色付けが何色でどういう彩色であったか記録がないから相談にのってほしいというお願いだ。

これまで高樋町の神社行事を取材させてもらったことはあるが、本殿の彩色のすべてを細かく見たことがない。

見たことがないから細部はなおさら撮ってもいない。

さて、困ったのは私だ。

しかも、宮総代が云われる彩色部分がどこだかわからない。

相談に架けてきた電話の声を手さぐりに調べてみた。

それはもしかとすれば本殿前にある支えの柱ではないだろうか。

両端に突き出した部分である。

そこは四角いままのものもあればお寺本堂でよく見る「象」がある。

長いお鼻をもつ象さんの顔である。

細かい彫刻をしたものもあれば断面的にしたものもある。

彫刻はそれぞれ。

彩色もさまざまな形のそれは何という名称であるのか。

ネットを駆使して当てもなく探してみた結果である。

二つ目に神社様式をさがしてみる。

あっちもこっちも出てくる、出てくるありがたい情報に助かる。

本殿前にある建物構造は鳥居である。

垂木は支えである。

頭貫(ぬき)と呼ばれる水平材の両端は柱を突き抜けて飛び出している。

木材そのものの形の場合もあるが、彫刻などを施して彩色した装飾。

これらの形態は別として木の端にあることから木端(きばな)の呼び名がある。

いつしか充てる漢字は「木鼻(きばな)」になった。

それは装飾のなかに象の鼻を象った象鼻や獅子、獏などである。

いずれも動物の鼻が突き出るような恰好から、それを木で造った鼻ということで「木鼻」になったのであろう。

わかりやすく解説してくださるネットに感謝する。

宮総代や今ちょうどに彩色している大工さんに説明するには資料がいる。

そのうちの一部をプリントアウト。

もうひとつは鮮明ではないが、平成27年3月1日に取材した春日神社のハルマツリに撮った写真があった。

シキジが下げる松苗の後方に建つのが本殿。

木鼻部分の映像を拡大して持っていった。

神社に着けば職人さんが作業をしていた。

親方は宮総代と話をして近隣村にある春日神社を探したそうだ。

そこにあった木鼻を拝見して参考にする。

その映像はスマホに撮っていた。

さすがの棟梁である。

春日大社まで出かけて調べたというが・・・。

それはともかく高樋の春日神社の木鼻はそれらの情報とわずかに残っていた木鼻の彩色から想定しながら塗ったという。

私がもってきた昨年の写真と見比べても遜色ない。

間違ってはいなかった棟梁の見立てに拍手する。

念のためというか、後学のために旧五カ谷村にある近隣村の春日神社の状態も見ておこうと云った宮総代とともに車を走らせる。

一カ所は神社行事の取材はできていないが鎮座する神社が春日神社であることを認知している隣村の中畑である。

もう一カ所は五カ谷村でなく天理市になるが岩屋の春日神社である。

両社の状態を実見することで高樋町の在り方が理解できる、ということだ。



この映像は中畑町に鎮座する春日神社である。

様式は高畑とまったく違う。

柱、垂木のすべてが真っ白。

木鼻は象の形でもないような可愛さがある紋様である。

二つ目の映像は天理市岩屋に鎮座する春日神社である。

所在地は存知していないが神社下にある建物は入室したことがある。

その建物は融通念仏宗派の本願寺。

勤めている僧侶は室生下笠間にある春覚寺の住職も務めているSさんだ。

平成17年6月18日に撮らせてもらった虫送りの写真をさしあげようと思って訪ねた。

本堂庫裡で長話になったことを覚えている。

そのS住職とは今年の虫送りにもお会いした。

それはともかく岩屋の春日神社である。



本殿の塗りが真新しい。

近年において造営されたのであろう。

当社にも明確な形の木鼻があった。

なんとなく高樋に似ている雲形渦巻き模様であるが彩色は異なる。

こうして三社を見ればわかるように同じ様式ではなかったわけだ。

奈良県には春日神社が各地にある。

それらのすべてかどうかわからないが春日大社の払い下げ。

つまり今年がそうであるが、20年おきに行われる春日大社の式年造替は社殿を建て替える。

古い社殿は地方に建つ社殿に移築された。

その年代は記録されているのか存知しないが、写真家のKさんはそれを撮り続けていると話していた。

ちなみに春日神社調査に立ち寄った岩屋に旧暦閏年に行われる庚申さんの塔婆があったことに気づく。



これも記録と思って撮っておいた塔婆に願文がある。

ひとつは「奉修南無地蔵尊広大慈思 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」。

もう一つは「奉修南無青面金剛童子菩提 天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」である。

三つめは「奉修南無愛□権現広大慈思・・・天下和順日月清明風雨以時災痛不起五穀成就」だった。

3本それぞれ慈悲する本尊が異なるが願いは同じである。

奉った日があれば特定できるのだが・・。

追って調べてみたい岩屋の閏庚申行事である。

(H28. 7.21 EOS40D撮影)
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ならまちの西光院

2017年02月17日 08時31分36秒 | 奈良市へ
防火バケツがどこまであるのか歩いていた。

ふと見上げたらバラの花を象った門が見つかった。

門でもそうだが瓦を積んでいる塀は大和の民家にそこそこあることを知っている。

これまで拝見した形に桃の実やはとぽっぽ。

もちろんといえばアレだが、鍾馗さんだ大黒さんもある。

ならまちの一角におお猿さんもあるが、バラの花びらを見たのは初めてだ。

その寺には先客の客人がおられた。

何かについて尋ねているようだ。

お相手されていたのは婦人の僧侶。

ご朱印を書いていたようだった。

話を終えた婦人の僧侶に瓦製のバラの花のことについて尋ねてみた。

なんでも瓦の職工人が勝手にしやはったという飾り門であった。



ここの寺は紫雲山西光院。

門を潜ったところに立て看板がある。

同寺にある弘法大師座像は裸。

10年に一度は新しく作られた衣で着せ替える。

全身裸形像は鎌倉時代の中期から後期にかけての作。

珍しい木造裸形坐像は昭和63年に奈良市の文化財に指定されていると書いてあった。

僧侶の話しによれば十年に一度は衣替えをするらしい。

かつては5年おきであったが、現在は10年サイクル。

昨年の平成27年にされたので次回は平成37年。

とはいっても作り替える費用は高額。

そのときの賄い費用はべらぼうになるようだから直前に訪ねなければならないだろう。

そのときがくれば、であるが、衣替えは4月20日(大師入定前夜の逮夜)に法要、厳行すると話すが、撮影は一切許可されていない。

なお、毎年の4月20日から月までは、廿日大師の名で呼ばれている本尊弘法大師座像をご開帳されているようだ。

この月、23日の地蔵まつりに同寺本堂で近所寄合の人たちによって数珠繰りをしているという。

この場合の撮影は申し出があれば特別に許可しているが、弘法大師座像など一切の仏像が写り込まないようにということだった。

(H28. 7.21 EOS40D撮影)
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思考した「住」テーマに選んだ消防がある町

2017年02月16日 09時41分10秒 | 奈良市へ
前日は長時間に亘る6回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。

テーマの“住”に難儀しているカメラマンが半数。

この日は2回目になる打合せ。

自分自身のテーマに写真を明確に示したのは私の他にSさん、Nさん、Mさん、Mさん。

2テーマから絞り込みをかけるのはUさんやNさん。

テーマが決まらないから、まだ写真は提示できない。

松井さんは欠席だが絞り込んできた。

写真3点は決まったがテーマタイトルがまだなMさん。

3点を選んでテーマタイトルを決めようとするMさん。

欠席されたSさんも苦しんでいるようだ。

みなは生みの苦しみに悩まされているようだ。

人それぞれ、さまざまな思いでテーマをどうするかに悩まれている。

私と云えば紆余曲折。

今回のテーマは「火廼要慎(ひのようじん)」に決めたが、ここまでくるにはそうとう悩んだものである。

前年の12月打ち上げに決まった6回目のテーマ。

どこへも行けない身体だった自宅療養中は考える時間がたっぷりあった。

たぶんに“住”が決定されることだろうと家で吉報を待っていたら、その通りになった。

そのころに描いていたテーマは神さまが住まいするオカリヤを揚げていた。

式年造替で建替え工事される期間は別のところでお住まいになる。

仮屋である。

造替だけでなくマツリにおいて一時的にお旅所に向かわれる場合もある。

そのときは一時的に作ったオカリヤに移られる。

また、神さんを収めたヤカタの場合もある。

ヤカタは次のトウヤ家に移るような場合もある。

廻り地蔵さんはそういう形態である。

神さんは神棚に納められる場合もある。

一時的であろうが、神さんが住まいする処に違いはない。

神さまがあれば、仏さまの事例もある。

とはいっても仏像ではなく、先祖さんだ。亡くなられたら墓に移る。

移る場合にチョーローソクの道しるべというような風習がある。

仏さんの草鞋や指標ともなる卒塔婆もあれば迎えの六地蔵もある。

被写体はさまざま。

仏さんは動く。

盆ともなればオショウライサンとなって下りて来る。

迎えは線香とか藁松明。

先祖さんを迎えたら仏壇におられるということになる。

では、そのときの先祖さんは墓地にいないのか・・・、である。

迎えた家は仏壇の前にそれこそ先祖さんを示した位牌を並べる。

県内でよくみられるお盆の在り方に仏さんの住まいを・・と考えてみた。

それとは別にオクドサンとも呼ばれている竃もどうかと考えてみた。

住まいに火がなければ食事はできない。

そう思って揚げてみたこれまで撮った写真。

田原の里の現役のオクドサンに室生下笠間で撮らせてもらったこれまた現役のオクドサン。

旧月ヶ瀬村の動態保存されている菊家茅葺家も考えてみたが、どうもしっくりいかない。

写真を並べてみてもインパクトを感じないのだ。

ふっと頭をよぎったのは「火」である。

山間などで度々目にした旧家の茅葺民家。

茅葺でなくとも屋根の下あたりにある「水」の文字装飾。

火事にならないような祈りの建造物。

取材した宇陀の佐倉にあったコイノボリ柱跡撮影のときに話してくれた堂辻の婦人。

棟上げの際に納めた棟木の材料はミズキの木だったという。

火事にならないように「水」に願いをかけたミズキの木だそうだ。

重伝建に揚げられていなくとも県内各地の家々にみられる「うだつ」がある。

類焼を避けるためにも煙が隣家にいかないように構造化された「うだつ」を充てる漢字に「卯建」とか「宇立」がある。

これらを紹介した写真を並べてみてもこれまたインパクトがない。

ないというより上手く表現ができないのが断念の理由だ。

住まいする建物の構造的なものを民俗的主観からどのような映像を描くか・・。

「火」で思い起こすのは火事そのもの。

起こしてもならないし、類焼被害もかなわん。

もしもの万が一に少しでもタシになるのが損害保険の火災保険。

おふくろは長年に亘って販売していた外務員だった。

我が家も借家の場合は家財保険に加入していた。

自宅を建てたときになって初めて掛けた保険金は火災保険。

保険なんて必要ないという声を聞くことはあるが・・・起こしてしまえばたいへんなことになると思った私は絶対に必要である決断して掛けていた。

保険を掛けることによって戒めていたのである。

火災保険で思いだした生まれ故郷の住まい。

市営住宅は戦後に建った戦時被災者用の住宅地。

一階建ての木造住宅で暮らしていた。

一段上がったコンクリートの土間。

右手に居間。

左手が炊事場だった。

そこに貼ってあった「火の用心」。

大阪市消防署が発行したと思っている火と避けのお札は自治会が各戸に配っていた。

開け閉めする玄関の真上には逆さまに書いた「十二月十二日」のお札があった。

おばあちゃんが書いて貼っていたお札は泥棒避け。

どちらも家を守ってくれる護符である。

そうだ、これがある。

県内の伝統行事の取材に家の在り方と云うか、風習といえようかの祈りのお札がある。

このような家を守るお札は建屋の内部。

たいがいのモノは玄関の真上。

尤も「十二月十二日」のお札は窓やドアのすべてに貼って泥棒が入ってこないようにおく。

そこには米寿祝いのテガタ(手形版)もある家がある。

そういう家は表玄関に飾っているのは同じく米寿祝いの飯杓子。

どちらも祝いの印の飾り物家を守るものでもない。

泥棒除けではないが、悪魔というか鬼が入ってこないように挿しておく鬼(災)避けヒイラギイワシも形態もある。

守り、祈るお札などは他にもありそうだが「火の用心」に着目した。

「水」の飾りや「うだつ」も火の用心。

「うだつ」から思いだした土蔵。

火事になっても土蔵に置いてあったものは焼けずに済んだという話は度々耳にする火防の土蔵である。

外から開けることしかできない厚み密閉性のある扉で入室するがこれもまた写真にし難い。

火災保険も写真で表現するには難しいから外す。

考えてみれば愛宕さんのお札があった。

愛宕さんは京都の愛宕神社。

愛宕さんに参って拝受してきた護符がある。

村の行事に愛宕さんなど神社や寺に代参をしてお札をもらって帰って村に配る地域は多い。

火伏の神さんのお札が家々どころか集落全体を守る祈りの札。

場合によっては村の辻に愛宕さんの石塔を立ててオヒカリを灯す廻り当番を設けている村もある。

愛宕さんの行事で名高い橿原市八木町の愛宕祭がある。

かつて町内で火事が発生した。

それからは愛宕さんを地区38カ所に亘って祭っている。

八木町では祠(神社)に提灯を掲げ、神饌などを供えて「阿太古祀符火迺要慎」と書かれたお札や愛宕大神の掛け軸を祀っている。

中世以来、戦火に巻き込まれてきた八木は、火事に見舞われないように火防(ひぶせ)の神さんとして崇められてきた京都の愛宕さんを信仰してきた。

近世江戸時代は火事が多くなり、町家・庶民に信仰が広まった。

奈良県下には愛宕さんを信仰する愛宕講がある。

それは数軒規模ではなく地域ぐるみとして行われている。

1軒の家から発生した火事は風に煽られて類焼、そして大火となれば町を焼き尽くす。

そんな被害を受けたくないから愛宕さんにすがった、ということである。

県内の行事に出かける町や村には消防団がある。

火消しの人たちが活躍することもない地域でありたいが・・・。

消防団の倉庫には必ずといっていいほど火の用心のお札に火消し道具がある。

ついつい拝見してしまう消防団の倉庫。

お札に示された文字は何であるか、である。

奈良市消防署もあれば愛宕さん発行の護符もある。

それらは村の代参がもらってきたものもあれば自治会経由で配られたものがある。

お札はいつまでも貼っておくことはない。

神社や寺で拝受したお札は年に一度のトンドで燃やして焼納める。

貼ったままにしておく家は圧倒的に多いが、祈祷札を含めて纏めて保管する箱がある。

玄関などに設置した災避け札もあれば、そういったお札を纏めて入れる箱がある。

事例的には極端に少ない。

トンドで焼くまでのお札の行方を紹介するのも面白いが事例が少なくて会話が発展しないと判断してお蔵入り。

お札は祈り。

次の行為は警告である。

つまりは火の用心カチカチで拍子木を打って地区を廻る自衛である。

暗くなってから拍子木をもった子供たちが地区を巡って火の用心をする。

「マッチ一本火事のもと」大声をかけてふれまわる。

大阪の市営住宅に住んでいた時も年末にみられた自治会の自衛的行為。

全国的な光景であるが、子供ではなく男性が古い太鼓を打ってふれ廻る地域があった。

橿原市の古川町で行われている夜警の様相はインパクトがあると思って決まりの一枚。

警告をしても火事は発生する可能性はゼロとはならない。

万が一、発生したときは何が有効的といえば初期消火である。

街道筋や旧家で見たことがある石造りかコンクリート製の防火用水。

村々では防火用水の池がある。

これらを挙げるのも良いが、ふと思いだしたのが斑鳩町の西里にあった民家一軒ごとに置かれていた火防の防火用水バケツ。

色はもちろん消防車と同じ赤色。

注意を引く色である。

2月4日に訪れたならまちの一角。

奈良市の高御門町にある家の門扉前に置いてあったバケツである。

色はくすんでいたが、元々は目立つ赤色の「消火用」バケツである。

バケツには満々と水を溜めている。

その情景に遭遇して斑鳩町の西里集落の映像が蘇った。

西里の各家では高御門町と同じように門屋前や門扉辺りに消火用バケツが置いてあった。

西里集落の中央には火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。

同地区の総会に決まった人は正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参の仕組みがある。

門屋に置いてあった消防バケツは火事を起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。

どの家も防火バケツを置くようにしたのは愛宕さんとは関係なく、集落の火の用心の決議事項。

バケツ一つで火事を消すのではなく、火事は起こさないという防火の心構えは高御門町にもあった。

住民の話しによればあるお家が起こしたボヤ騒ぎ。

自治会が決議した事項が消防用水バケツの各戸設置である。

ならまちの一角にある高御門町には町歩きをする観光客が多い。

消防バケツはまったく意識もせずに闊歩する。

足元にこういうモノがあると訴えたい写真を撮っていた。

上手くは撮れなかったが前回に数枚を提示したが、カメラマンの目をとらえることはなかった。

そこで思いだしたのが安政五年(1858)の龍吐水

160年前の消防道具はまさに時代を語る民俗でもある。

もう一つは城下町旧家に遺されていた火消しの道具だ。

旧家は甲府から殿さんともに郡山に越してきた武家。

紹介したい写真はどれにするか、である。

龍吐水をとらえた写真は大晦日に家の廻りにぐるりと架ける注連縄張りが主役。

うだつもある家だが脇役になった龍吐水は判り難いので却下。

旧家の火消しの道具がお気に入りだったが、博物館的写真だと指摘されてこれもまた却下。

そんなあれやこれやで撮りなおしに再訪した高御門町。

狙いは雨が止んだ街道をとらえてみたいと思っていたが、梅雨は明けた。

曇り空でもない日なら行くしかない。

とにかく時間がないから打合せの翌朝に走った。

行き交う人々の姿を入れて撮る場所はどこにするか。

初めて訪れたときの印象は強烈だった。

どちらかといえばバケツ中心。

でっかく取り上げて、町を闊歩する観光客狙い。

地元住民の生活感もだしたいと思うが、そんな計算通りに出没するどおりはない。

しかもこの日はごみ収集日。

景観的には悪条件。

そこは避けてバケツが三つも配置できる場所で人を待つ。



ご婦人が歩く。

坂道に自転車を押す男性も行く。

車や単車など荷物を運ぶ様相も撮る。

生活感があれば民俗になる。

消防用水バケツだけの斜視なら生活感は感じない写真になる。

ねばっていかねばと思っていたら日除けパラソルをさしていたご婦人二人が下ってきた。

何枚か、シャッターを切った。

撮った写真はシルエット風。

目の前に歩んできた婦人が着ていた服装は花柄。

さしていたパラソルも花柄。

おそろいですねと声をかけたら若い女性が応えてくれるが、もう一人の女性はわれ関せず。

若い女性曰く、母親なんですという。

お国は中国。

カメラを手にしていた父親とともに奈良の観光。

案内役になったのが娘さん。

なんでも神奈川県の大学で「民俗」を学んでいたそうだ。

消防バケツの話しが判る女性は日本語が堪能。

その都度に両親へ通訳をされる。

いい出会いは寺の前。

そこにあった瓦製のバラの花。

もしかとして牡丹かもと云ったのは日本暦が十数年の娘さん。

ここで別れて撮影位置を換える。

百メートルぐらいしか行き来しなかった街道の民俗を撮っていたが、これといった収穫はなかったがバラの花を象った門が目に入った。

(H28. 7.21 EOS40D撮影)
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矢部のカンピョウ干し

2017年02月15日 08時59分24秒 | 田原本町へ
6月26日に訪れたときはあんばい撮れなかったカンピョウ干し。

壊れた一眼レフカメラも中古品に品替え。

それから晴れ間になかなか遭遇しなかった。

晴れ間になったとしてもカンピョウ干しをするかどうかはわからない。

なぜか急に思い立って矢部に向かって走った。

着いた時間は朝の7時半。

丁度、揚げたばかりの時間だった。



こうして竿を持ち上げていたと見せてくれる当主。

気になっていたのは竿の藁束だ。

滑らないようにと云っていた藁束の効能はもう一つある。

聞いたにも関わらず失念していた。

それを確かめたくなって再訪した。

当主はもう一度話してくれた。



この藁束は干したカンピョウがくっつかないようにする。

竿が竿のままであればへばりついたカンピョウガ剥がれない。

ぺちゃっとくっついて切れてしまう。

乾くとそうなるのである。

藁束を巻いておけば取りやすくなるという優れもの。

巻き寿司を作って里帰りするお嫁さんのお土産にすると話す当主は他家も覗いたらどうだと教えてくださる。

もう一軒は飛鳥川の近く。

堤防の向こうの南側。

U家は今でも滑車でカンピョウを揚げていると話していた。

場所だけでも、と思って探してみる。

白い簾は見つからない。

それが目印。

あればすぐにわかるが・・。

見つかったのは木製の支柱である。



これまで拝見したカンピョウ干しの支柱は3本立て。

ここは珍しく2本立て。

風に煽られて回転はしないタイプである。

上の方には2本とも滑車があった。

そうであればと思って納屋を拝見したら藁束で包んだ竿があった。

崩れないように細い紐で縛っている。

間違いなくここであるが田主は不在。

家がどこにあるのか近隣の人に尋ねて集落に向かう。

表札をみて呼び鈴を押す。

マイク越しに事情を伝えて撮らせてもらったことを事後承諾。

今年は実成りが悪くて準備はしたものの干すに至らないと話す。

たぶんにいつかは干すであろうと思って時期を待つことにした。

その家からすぐ近く。

玄関に掲げてあったお守りは伊勢志摩地方で見られるお守り。



その証拠に「蘇民将来子孫家」の文字がある。

「門」の紋に右が七難即滅で左に七福即生がある「門符」は真新しい綺麗な太めの注連縄に飾っていた。

(H28. 7.20 EOS40D撮影)
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土用入りの土用餅

2017年02月14日 09時14分00秒 | 桜井市へ
四つ辻の処に昔ながらの風情をもつ店屋があることは知っていた。

十日ほど前に通りがかった桜井市箸中から芝へ抜ける旧街道に、である。

そのお店のガラス張り「七月19日 土用入 土用餅」の文字で書いてあった貼り紙があった。

「土用餅」についてはついこの前に聞いた「ハラワタモチ」の名もある。

地域によってはそう呼ぶようで、2カ所、2行事にその名のモチが登場する地域が判った。

ひとつは平成23年7月9日に取材した田原本町多の観音堂行事。

観音講の人たちが朝から作る御供にアンツケモチがあった。

このモチは別名にハラワタモチの名がある。

かつてはシオアンのモチだったというのが興味を惹く。

もう一つは未だ取材ができてない大和高田市の天道御供。

旧町名の元町二丁目・太神宮で行われる行事は土用入りの日。

そこで供えられるモチがハラワタモチとも呼んでいる土用餅であるが、どのようなモチなのか判らないが、やはりシオアンで包んだモチのようだ。

多の観音講が作って食べるハラワタモチは「ハラモチが良くて、腹痛を起こさない予防の意味がある」と話していた。

今年の土用の入りの日は7月19日。

例年であれば7月20日である。

ハゲッショの日もそうだったが、今年は暦の関係で一日早い。

特定の固定日ではなく暦の土用の入りの日に「土用餅」を食べる風習に和菓子屋さんがその餅を販売するのである。

前述したように多の観音講が作って食べるハラワタモチは自家製。

昔はどの地域でも家で作って食べるモチであったようやに、聞く。

ハラワタモチの名ではないが、どうしても食べたくなって街道沿いにあった和菓子屋さんの「北橋清月堂」のドアを開けた。

奥から店主が出てこられたので「どうしても食べたくなった」と告げた。



土用餅は1個が税込の130円。

かーさんと二人で食べる量は数個。

10個入りでは食べきれんと思って5個入りを買った。

店主が云うには、「昔から箸中の住民が買っていく」そうだ。

買っていくといっても毎年注文される予約販売。

予め注文があった個数の土用餅を作って販売している。

注文する家は和菓子屋さんがある下垣内の他、JR桜井線の線路を越えた東側の中垣内や車谷垣内の人たちになるそうだ。

作る餅はそれ以上に作って残りをお店で店頭販売。

売り切れはザラにあるようようやに話すから胸をなでおろす。

土用餅は仕入れたモチゴメで作る。

餡は小豆のこしあん。

しっとりした舌触りで、滑らかに喉を通る。

大きさは手ごろというか、やや小さ目。

波を打っているような感じの作りは味も同じようにと思ったお伊勢さんで有名な赤福餅。

そのような味とよく似ています、と店主は云った。

まさにその通りであった。



家に持ち帰ったらあっというまになくなった。

食べやすくて美味しいと云ったかーさん。

店主が作る土用餅は日持ちしない。

スーパーや最近はコンビニでも売っている土用餅はどちらかといえば数日間の日持ちがする。

後日の土用の丑の日にも通りがかったら「土用餅」の貼り紙がなかった。

まさにその日限りの販売の土用(入りの)餅である。

お盆の8月14日には「どさくさもち」を作って売っているという店主。

お盆に帰省する家族に墓参りをともにする親族らでごったがえす箸中のお盆。

家人はそれほどに忙しい。

忙しい合間をぬって食べることから「どさくさもち」の名がついたのか・・・。

お爺さんの代に和歌山から奈良に移った。

そのときからお店を構えている和菓子屋さんは親父さんの後を継いで云十年。

三代目になるという。

土用餅は食べる「民俗」。

かつて箸中で聞いていたダイジングサン行事を教えてもらう。

和菓子屋と行事の関係はお供えである。

もしかとすればダイジングサンに供える御供にモチがあるのでは、と思ったからだ。

箸中は大きく分けて下垣内、中垣内に車谷垣内の地区に別れている。

和菓子屋さんが建つ地区は下垣内。

その下垣内にダイジングさんがある。

光背に三輪山を配した処に建つ石塔の一つが大神宮。

そこでは7月16日にダイジングサンが行われている。

同月の24日は地蔵さんがある。

忌竹を二本立てて、そこに水平にした竹をもう一本。

時間ともなれば会所に保管していた提灯をぶら下げる。

北橋清月堂が作った餅などの御供を供えてお参りをする。

設営などは当番の班がこれらを担う。

下垣内の組は5班。

5年に一度の廻りになる。

そう話してくれた店主。

地蔵盆は下垣内よりも軒数が多い班、大字芝の方が賑やかになるらしい。

ちなみに箸中は和菓子屋さんがある通り付近、JR桜井線より西側が下垣内。

線路から東側が中垣内。

そこより山麓寄りが車谷垣内になるそうだ。

(H28. 7.19 EOS40D撮影)
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