マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下市栃原の波比売神社

2016年07月26日 08時21分29秒 | 下市町へ
大宇陀本郷、吉野町、大淀町、そして下市町を走っていた。

何年か前に見かけたような景観が現われる。

旧西吉野の北部は柿の産地。

なだらかな山々にたわわに稔った柿の実がいっぱいだ。

柿の葉が紅葉しつつあるが、この日は曇天。

美しさは求められない。

標識にあった栃原地区。

そうだここは枝垂れ桜を撮ったことがある地区だ。

久しぶり、というか何年ぶり・・か、である。

そこから少し走ったら三叉路。

角地に大きな鳥居が建っている。

停車して神社名を確かめる

。栃原の波比売(はひめ)神社だった。

昔もここを通ったかも知れないが、思いだした景観とは違うような気がした。

ある情報によれば同神社には宮座があるらしい。

調べてみれば下市町指定文化財の宮座行事のようだ。

10月1日のようだが、今では日程が替わっているかもしれない。

時間があれば集落を訪れて聞取りをしたかったが、先を急ぐ。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
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新住地区丸尾垣内の巨大な藁積み

2016年07月25日 09時28分18秒 | 下市町へ
大宇陀本郷を離れて旧西吉野村に向かう。

五條市経由で行けば遠回り。

時間のロスはどれぐらいか判らないが、カーナビゲーションが示す案内通りのコースを走る。

宇陀市、吉野町、大淀町、そして下市町だ。

吉野川に架かる橋を渡って丘山の方に向かって進んでいく。

ここら辺りは大字新住(あたらすみ)。

丘下に見える集落で行われたオカリヤ立て神事を思いだす。

看板に新住区丸尾垣内の標識があった。

そうなんだ。ここも新住地区内なのだ。

地区はそうとうな広さであると思った。

そこから数キロメートル足らずの地。

右手に巨大な藁積みが二つ。

大きなものだけに勝手に目に飛び込む。

思わずブレーキをかけて道路際に一旦停止。

後方に車がついていればそうはしない。

パッシングライトをしながら停止する。このときは後方につく車はなかった。

安全を確かめて車を降りる。

巨大な高さの藁積みは3層、それとも4層積み。



私自身、奈良県内では見たことがない巨大なものだ。

テレビとかで拝見する東北辺りにこれと同じようなものがあったと思うのだが・・。

重さもそうとうな量であろう。

円形であればまるで古代の藁葺き家か。

そう思ったが入る口も窓もない。

手刈りした稲藁を積んでいる光景に圧倒される。

これほどの高さを確保するには数人の力が要る作業だと思った。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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かつて牛頭天王社と呼ばれた大宇陀本郷の八阪神社

2016年07月24日 11時30分22秒 | 宇陀市大宇陀へ
平成22年のことだ。

9月12日は十二薬師。

同月15日は薬師さんの数珠繰りをしていると写友人が聞いていた大宇陀本郷。

枝垂れ桜で名高い本郷の地は幾度か訪れた宿泊地がある。

椿寿荘である。

家族揃って泊まった椿寿荘の食事はとても美味しかった。

高齢のおふくろは柔らかくしてあるから食べやすいと云っていた。

食事の場はカラオケ会場にもなる。

食事を済ませて他に泊り客がいないことを良いことにカラオケ三昧したことがある。

あれから20年以上も経った椿寿荘は今もあるらしいが、その場を通り過ぎて山の方に向かう。

たしかここら辺りから山の方に登っていった記憶があるが道はすっかり忘れて不安が漂う。

集落手前に石で造った祭壇がある。

何かを祀っているのだろうと思って停車した。

右側に立つ石漂がある。

彫られた文字は「おご乃明神」。

付近に人影が見られず話は聞けていない。

その場より数メートル右も三叉路。

異なる石漂があった。

刻印に「嘉永酉年」がある。

おそらく嘉永二年(1849)に建てたと思われる石漂は「右・・云々」とある。

判読は難しい。

ひとっ子一人いない、その場を下って人影を探す。

右手にあった民家に数人の男性が居られた。

地元に住む人なら道辺寺垣内への行先道を教えてくれるであろうと思われた。

たしかにその通り。

ここら辺りは四垣内。

道辺寺垣内は山の上の方にある集落。

ここは西にあたるらしい。

山近くに建つ寺は薬師寺。

四垣内の代表者ぐらいしか登らないという寺だ。

その辺かどうか判らないが山の神の行事があれば・・・と云えば、それを知っているのはYさんぐらいだけだという。

そのYさんは入院療養中の身であるらしい。

どうやら5年前に具合が悪くなったようだと話す。

道辺寺垣内のすべてではないが山の仕事を主にしているという。

山の仕事人でないと存知さいない山の神行事。

村の行事や風習を知る人はYさんしかいない。

5年前にYさんが話していた山の神行事。

場所は不明だが、竹筒と藁ジャコのカケゴ掛けをしていると話していた。

療養中の身であるYさんが居らっしゃることを知っただけでもうれしく思った。

山へ向かう道を教えてもらって駆け上がる。

急カーブに急坂道。

おそるおそる駆け上がる。

なんとなくここは来たことがあるようだと思った村の景観。

ふっと不安になった。

怖くなったのだ。

Uターンして戻った処に住居表示があったが、Yさんの名前はない。

もっと上のようだが、この日は諦めて道を下った。



するとカーナビゲーションに寺名が表示された薬師寺とは違う名の寺だ。

そこに向かおうと思ってハンドルをきった。

ふっと現れた大きな石塔。

刻印に「太神宮」がある。

一方の辺にもあった刻印は「三太郷村中」だ。

ここら辺りは三太郷の呼び名があるらしい。

その地に鎮座する神社は八阪神社。

神社下に生えるクマザサらしき太い葉の笹がある。



その場に林立するかのように立てている割り竹がある。

何を意味するかの、不思議な光景だ。

鳥居脇に「天保二年辛卯(1831)三月吉日」の刻印文字がある常夜燈が建つ。

すぐ傍には月・日をあしらい、「庚申」の文字がある庚申さんがある。



格子戸から覗いてみた。

急な階段を登る。

2段構えの階段だ。

本殿に上がる階段下にも石灯籠が建っていた。

それには「牛頭天王社」の文字がある。

おそらくは江戸時代まではそう呼ばれていたのであろう。



もう一つの灯籠に「下本郷村」や「文化十二年乙亥(1815)六月」の刻印が見られる。

すべてが江戸末期の年号であった。

もう少しゆっくり調査したいと思ったが雨が降り始めた。

仕方なく先を急いだ。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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経食道心エコー図検査の3時間前にパンを食す

2016年07月23日 23時11分43秒 | むびょうそくさい
前日は心エコー検査。

ゼリー状のものを身体に塗って超音波器具で状態を検査する。

特に苦痛もない検査である。

この日の検査は苦痛そのものの経食道心エコー図検査。

7月31日に心臓手術をした。

その一週間前の24日に実施された。

とにかく苦しいカメラの飲み込み。

苦痛で辛いとしか言いようのない検査である。

この日の午前中は送迎の仕事がある。

検査が始まる時間は午後2時45分。

それまでに受付を済ませておかねばならない。

経食道心エコー図検査は食道にカメラを挿入して検査をする。

胃カメラと同じようなもので口内にしびれ薬が用いられる。

ということは食事をどうするか、である。

検査予定について書かれたシートがある。

それには検査の3時間前に飲食を済ませておくとある。

送迎の仕事が終えるのは、だいたいが午後1時ころ。

それから昼食すれば検査に引っかかる。

仕事中ではあるが、食事を摂らなければ腹が減る。

お腹がグウグウ云いだす。

というよりも、経食道心エコー図検査後の2時間は飲食できない。

となれば夕方近くになる。

お腹が減れば検査に対応する体力も維持できない。

そう思ってパンを送迎車に持ち込んだ。

食べる場所は車内だ。

別に車外でもいいのだが・・外は冷たい風が吹いて寒い。

金剛山も鳥見山も今年初の冠雪。

寒さが身に染みる。

毎度、僅かな時間が発生する送迎の合間。

いわゆる待機のときである。

都合、停車して送迎時間を調整する。

さぁて、食べるか。

二つのおかずパンは前日の帰り道に立ち寄ったビッグ・エクストラ天理店内にあるパン屋さん(パン工場)で買っておいた。

ビッグ・エクストラは度々出かける我が家の食材購入店。

安くて美味しいものがいっぱいある。

特に野菜の値段がすごい。

もっとすごいのはコロッケだ。

肉味、カレー味、すき焼き味、カボチャ味などなど十種類ほどのコロッケすべてが税抜き37円。

一度、食べてみたいと思って買ったコロッケ。

これといった特徴はないが、コロッケに違いない味だ。

それはともかく出入り口付近にあるパン屋さんは未だ買ったことがない。

この日が初めてだ。

いろんな菓子パンが並んでいる。

が、私の目当ては100円パン。

だいたいが150円前後に菓子パンには目がいかない。

商品棚を見渡してみれば、あった。

この日の100円サービスパンは3種類。

どれにするか迷うこともない。

選んだのは大きな菓子パン二つ。

一つはマーガリン、もう一つがシュガーだ。

一日寝かせて持ち込んだ菓子パンは11時に食べた。

時間はそれほどなく噛みしめる余裕もなく口に放り込む。な

んせ大きい菓子パンがなかなか減らない。

それどころが水分補給を要する、と思ったが、ミルクの持ち合わせがない。

いつも持参するペットボトルのお茶を飲んで胃袋に詰め込む。

味はどうかといえば、パンそのもの。

中心部に僅かな味がするだけだった。

午後1時過ぎに仕事を終えてかーさんが同乗する。

目指すは天理の病院だ。

受付を済ませた時間は丁度の一時間前。

ごたがいが最近の身体状況を伝えておく。

きっちり一時間後の午後2時45分。

検査医師の呼び出しがあった。

見慣れた待合室は入院中にときどき検査した部屋だった。

この奥にある部屋が恐怖の検査部屋。

始めにしびれ薬をもってきた。

ゼリー状の柔らかい液体がスポイドから口に入れられる。

ぽっとスマートに入れられたしびれ薬はブルーベリーのような味がする。

ごっくんと喉は通さない状態で5分間待つ。

しびれ薬が効いてきた。

では、お部屋に入りくださいと案内される。

カッターシャツは着たままで横になる。

徐々に思いだしてきた恐怖のカメラ飲み込み。

それを口から入れる前にまたもやしびれ薬の投入だ。

大きな口を開けて喉に落としたスポイド液。

数か月前にした状況を鮮明に思いだした。

心臓側を下にして横になる。唾液、よだれが出ても飲み込まない。

受け皿を口元に添えるだけだ。

硬めのマウスピースは口、というよりも歯でがっちり嵌める。

胃カメラのような器具が目の前に現れる。

マウスピースに入れたカメラは喉元まで到達する。

「ごっくんしてください」と云われるが喉が動かない。

何度か「ごっくん」するも、喉が開かないのだ。

開かない場合はカメラを戻される。

何度かのトライに「ごっくん」の声に合わせて「ごっくん」と心に念じれば喉の奥に入っていった。

胸の中心部辺りだろうか、カメラがあることが判る。

痛みも感じる。

しびれ薬は喉だけである。

だから判るカメラの動き。

動くたびに吐き気をもよおす。

「ぐぇ、ぐぇ」というか「おぇ、おぇ」というか・・・堪らず嗚咽がでる。

何回か繰り返すうちに落ち着く。

画面を視ていた医師が告げる。

もう少し下、もう少し上・・・。

カメラはその都度動く。

動けば嗚咽の連続だ。

よだれは出ぱなっし。

鼻汁も出ぱなっし。

涙も出ぱなっし。

ビショビショのビチョビチョ塗れだ。

カメラが上下、左右に動かしたときは何度も嗚咽。

頭のなかで数えていた1、2、3、4、5・・・。

100まで行ったら1から数えなおし。

一体どれくらいの時間が経過しているのだろうか。

検査は上手く行っていますと云われても何時終わるのか、である。

苦しい状況が長く続けば続くほど辛いのだ。

終わりますの言葉を聞いたとたんに力が抜ける。

実際に身体から抜けたのはカメラであるが・・・。

起き上った診察ベッドのよだれ受け敷きシーツはビショビショ。

ビチョビチョの顔は集めのテイッシュペーパーで拭きとる。

何枚も使う。

口の中は検査が終わっても唾液がでてくる。

これは飲み込むわけにはいかない。

うぇっと流しに垂らして流す。

検査時間はきっちり30分間。

入院中は50分もかかった。

そのときはまだ手術前。

心臓下に横になるのはもっと辛かった呼吸困難。

息を吸い込むことができなかった。

今は手術をしたからそういう辛い症状はない。

違いがあるのはそれだけだ。

入院中の主治医だった循環器医師も途中で立ち会ったそうだ。

今回の検査では特に異常は認められない。

血塊も見られなかったそうだ。

ただ、2週間後になったカテーテル処置は実際にやってみて異常をしめす電気信号回路が多数ある場合もあるらしい。

その時の処置時間は4、5時間にもなると伝えられた。

患部麻酔をすると思うが長時間の処置は眠っていたい。

検査を終えて1時間は唾液を飲み込んではならない。

水は飲まないし、嗽もしない。

しびれ薬が切れるのは喉に投入してから1時間後である。

それまでずっと我慢の子である。

それが過ぎてから飲む飲料水。

違和感はなかった。

しばらくすれば、ぼやーっとしていた頭、

身体もすっきりした。

その後の数時間は辛かった検査さえも忘れていた。

(H27.11.27 SB932SH撮影)
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心臓リハビリ終えたら心臓エコー

2016年07月23日 23時06分52秒 | むびょうそくさい
2週間前の診療で決まったカテーテル処置の方向性。

12月に入った2週目に入院・処置が行われる。

処置をする際の決め手になる検査はこの日が1回目。

明日の検査はもっと詳しい。

なんせ胃カメラのような器具を飲み込んで心臓を看るのである。

今日の検査日は予め決めていた心臓リハビリに合された。

リハビリが終わって直ちに該当するフロアに向かうのである。

それまではいつもの通りの心臓リハビリケーション。

場所は5階にある。

退院してから今回のリハビリで6回目になる。

慣れたものだ。

リハビリは3週間おきぐらいが丁度いいと思っている。

リハビリ当日に予約しておく次回の日程。

リハビリ療法士はそれに対して特に問題視はしない。

一か月間では間が空きすぎる。

2週間間隔では早すぎる、という考えは私の判断だ。

5階についたらすぐさま問診票に書く。

血圧、体重に問診。

そして次回の予約だ。

私の場合は、問診票にない項目も記載している。

それは脈拍数値である。

この日の心臓エコー検査もそれに係る。

入院・処置は脈拍異常を処置するのである。

提出しておけば何かと参考になるかも知れないと思って毎回記入している。

上半身の衣服や下着を捲り上げて携行心電図を身体にセットする。

始めに行われる準備体操前の脈拍は100拍。

しばらくして落ち着けば85~88拍ぐらいまでになるが、準備体操やスクワットをすれば元の木阿弥の脈拍数値。

根本的な治療は12月に入った2週目に期待する。

そして、いつもの自転車エルゴメーターのペダル漕ぎ。

血圧計を腕に装着して開始する。

動きだした血圧計が測った数値は113-73。

特に問題はみられないが脈拍は103拍。

何とかならんもんだろか。

今回のワークは40。

前回もそうだった。

57辺りの回転数を維持しながらペダルを漕ぐ。

最初の出足はややキツいと感じたが、数分も経たないうちに落ち着いた。

感じる値は「楽」である。

リハビリを終えて向かった先は4階。

受付を済ませて十数分後に呼び出し。

検査室に案内される。

この日の検査は心臓超音波検査。

略して心エコーだ。

身体に装着した器具は何度も体験している。

もしかとして造影カテーテルと思っていたが、そうではなかったので一安心。

心もち余裕がある。

医師が身体にあてる超音波検出器具。

撫でるように心臓辺りを検査する。

十数分過ぎたころだったか、医師が発した言葉。

「勢いよく鼻をすすってください」と云う。

鼻をすする行為は、老若男女問わず、誰でもしている。

呼吸がしにくい人では無理があるかもしれないが、健全な人であれば力をいれなくとも、すすることができる。

検査を終えた医師にすする目的を教えてもらった。

すする行為は血管を膨らませる。

膨らませることで血管の状態が見やすくなる、ということだ。

一つ、賢くなったと思った検査時間は20分。

これまでの検査の中ではイチバンの早さだった。

明日の検査は口内に麻酔薬を投入する。

胃カメラのような器具を心臓まで詰めていく。

とにかく喉を通らなければ検査にならない。

これが辛いのである。

麻酔薬の効き目が切れるのはおよそ1時間後。

遅い人であれば2時間後には復帰するそうだ。

(H27.11.26 SB932SH撮影)
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心房粗動アブレーション処置入院通告

2016年07月23日 22時55分56秒 | むびょうそくさい
11月5日の受診の際に預けられたお手紙。

宛先は天理よろづ病院の循環器内科の医師である。

医師は特定されていないので決まった日に行くでもない。

が、だ。

脈拍数が異常に高い数値。

ワーフアリン錠剤で抑えているものの、鼓動も高い異常状態はいつまでも放置するものではない。

診察時間は平日の月曜から金曜まで。

受付時間は朝8時半から11時までだ。

先週は送迎の仕事や四十九日法要など多用であった。

16日も仕事がある。

行くならこの日と決めていた火曜日はフリー。

なにも朝8時半から行くこともない。

慌てず騒がずのゆっくり時間に起床して外来病棟に向かった。

いつも通りに診察券を挿入する自動受付機。

いつもなら予約診断なのですぐに発行される。

予約でもないこの日は画面に向かって循環器内科を選択する。

受付シートが発行されて総合受付へ。

指定されるフロアーの診療受付に提出すれば「今日は何ですか」と尋ねられる。

血管外科医師より受け取った封書を渡して診察に来たと伝える。

まずは血圧計で測ってくださいと指示が出た。

受付付近の待合室は診察を受ける人で溢れていた。

血圧計はどこにあると思って辺りを見渡す。

あった場所の前に座っていた男性と目が合った。

なぜに、ここで・・・。

行事取材で度々お世話になっている大塩のYさんだ。

受付を済ませた私を発見して視線を送っていたという。

男性の隣に座っているのは奥さん。

何度かお会いしているのですぐに判った。

ここに来たのは診療。

冠動脈が細くなって流れが悪くなった奥さんは同病院でステント治療を受けた。

薬剤を服用して現在に至っている。

期間を開けて診察、というわけだ。

筋肉が衰え身体の動きも芳しくない。

歩くにも体力的に難しくなってきたという婦人の送り迎え。

男性は前年まで宮総代を務めていた。

歳はいったが、いたって元気。

奥さんを乗せて走る運転手をしていると話す。

私は・・といえばこういう状態。

夏場に突然の発症で入院、手術、退院、リハビリをしてきた。

何年か前から男性にお願いしていたブトクスベ。

連絡できる身体ではなくなったと話せば、来年・・ということになった。

それはそれで、身体状況を理解された男性が云った。

これまでは若かった、無理がとおり身体だった、

無理してきたから心臓が堪らんと云いだして破裂した。

無理が利かん身体になった以上は、体力の衰えもあり、無理したらアカン、不摂生をせずに、動ける範囲で・・と、言葉で気遣ってくれた。

男性は帰宅した夕方にも電話をくれた。

気遣いされる男性が云った。

奥さんの入院日が決まったという。

早めに決まった入院日に安堵したと話していたことを付記しておく。

話し込んで忘れかけた血圧測定。

この日の数値は最高が132で、最低が88。

普通であるが、脈拍は99拍。

回転数はまったく落ち着かない。

ご夫婦は呼び出しを受けて診察室に入った。

それからしばらくして受付に呼び戻された。

診察前には検査があるというのだ。4

本の採血、胸部立位の正面レントゲン撮影、心殿図の3セットメニューはいつもと同じだ。

心電図待ちに行列ができていた。

ドア傍に立ててあった看板に「只今、15分待ちです」と表示していた。

この日の検査は午前中。

人でいっぱい。

午後ではそのような情景を見たことがない。

検査技師曰く、今日は突然の申し込み患者さんが多かったという。

すべての検査が終わった時間は10時50分。

受付が9時10分だったから1時間40分もかかった。

循環器内科の受付を済ませて呼び出しを待つ。

待合室の席は満席だ。

入れ替わり立ち代わりの入室、診療、次回の案内に渡された別途書類に書き込む人もおられる。

診察は3番。

ドアを開けて入室すれば若い医師が座っていた。

お手紙をもってきた経緯にこれまでの状況を伝える。

医師が云うには心房と心室が流れる血液。

心臓が動くということは電気信号の発信がある。

それを受けた回路が働く。

それがおかしくなって不整脈を発生させているそうだ。

脈拍が高いのはその関係性。

就寝中が一番感じる症状は、いわゆる心房粗動。

右心房と心室間における粗動を解決するには電気ショックの手当てもあるが、再発する可能性が高い。

治すには電極カテーテルアブレーションの処置を要する。

心臓僧帽弁リカバリー手術をした際にはメイズ処置を行っている。

今回の発症はそれと違う箇所に発症し、電気回路がおかしくなっている可能性が高いというのだ。

処置をするには入院を要するということで日程が決まった。

3週間後の12月8日だ。

翌日の9日はカテーテルアブレーションの処置が行われる。

退院はその週末。

土曜か日曜辺りになるらしい。

あくまで順調にいっての話しだけに何かが起これば約束は果たせない。

入院は処置だけだ。

その前にしておかなければならない心エコーと造影を伴う経食道心エコーの両検査。

これも日程が決まった。

来週になる26日、27日の両日。

経食道心エコー検査は万が一におけるカテーテルアブレーション処置対応だ。

想定する発症欠陥位置が違う場合がある。

カテーテルアブレーション処置をしている際に発見されたら手遅れ。

複雑な処置を未然に防ぐ事前に確認する検査である。

検査、入院、処置が決まれば入院手続き。

待ったなしに、引き続いて同フロアーにある入院受付所で手続きを進める。

保証人や家族説明者も記載する「入院誓約書」、「病気、検査、治療の説明と同意、および家族への病状説明の同意書」、「実費徴収に関する同意書」の書類は事前記入して入院時に持ってくる。

それより先に申請しなくてはならないのが「入院される患者・家族の方へ」シートだ。

患者本人以外の連絡先を2カ所、今までにかかっていた病気やケガ、来院・入院に至った経緯、入院目的の理解、アレルギーの有無など多数の項目記入。

この内容は退院後の期間が長期に亘って開いたとか、他の病院より移転したとか、新たな病気の場合だと思った。

入院、手術、退院、リハビリ、通院診察などは同じ病院で診察を受けているのだから不要では・・と伝えた。

そういえばそうですと答える看護師。

血管外科から循環器内科から移っただけですべての診療結果はコンピュータ内部にある。

患者番号で照合すればすべての状況が判るのだ。

一行の余地あり、である。

会計・支払い処理など、すべてを終えて病院を出たら雨が降っていた。

駐車場までは若干の距離を歩かねばならない。

傘は必要としなかった午前中の診察。

時間はとうに過ぎて午後1時。

傘は持っていない。

急ぎ足になればふくらはぎがだるくなる。

坂道をのぼるときもそうである。

車についてしばらくは心臓を休める。

払った追加の駐車料金は200円だった。

2時間オーバーだったのだ。

帰宅してから数時間後。

同病院から電話が架かった。

本日、診察された医師が特別なことを伝えたいという。

それは何か。

正確な採血結果が得られたというのである。

診察時もある程度話されていた貧血数値。

症状に目まいはないが、検査結果に出ているという。

本日は間に合わなかった鉄分補給の薬剤服用。

薬は一般の市販薬でも構わないという。

「鉄」の文字があるサプリメントであれば問題はない。

それを買って入院日まで継続服用をしてもらいたいという。

了解して出かけた近くのドラッグストア。

薬剤師に伝えて商品棚の製品を選ぶ。

そうそう、薬剤師に伝えておかなくてはならないワーファリン錠剤。

量はともかく鉄分摂取量が多ければ出血を伴う可能性がある。

薬剤師と相談して決めた鉄分補給剤は味が甘くて美味しいグミタイプ。



これに決めた。

(H27.11.17 SB932SH撮影)
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決まったカテーテル処置の方向性

2016年07月23日 06時41分13秒 | むびょうそくさい
退院してから通算4回目の診察日。

診察カードを挿入して受付。

検査項目がズラズラ書かれたシートをもって総合受付を済ませてそれぞれの診察を受ける窓口に向かう。

この日も同じく4回に行く。

受付の始めは血液検査。

いつもなら1枚の番号シートが渡されるが、今回は2枚もある。

もう1枚は手術に施された血液製剤の検査である。

それがあるからこの日の血液瓶は6本になった。

続いて胸部レントゲン。

正面と左側面の2枚だ。

このころの時間帯は12時半。

お腹がぐうぐう言い出した。

元気な証拠である。

食事はまだ待て、だ。

受付窓口が替わって逆方向。

ここへくればいつも面食らう。

どの方角に居てるのか、判らなくなる迷い道に入り込む。

三つめの心電図を終えてようやく買っておいた弁当が食べられる

前回から3週間後の検査とリハビリ運動。

体重は68.2kg辺りをウロウロしている。

落ち着いた感である。

食後の運動も兼ねた心臓リハビリは5階。

受付30分前でもほぼ満員の該当者が来られていた。

リハビリ運動の定員は8人。

退院直後の人も居れば私のように何回目かの人もいる。

受付前にしておく血圧測定は106-73。脈拍は102だ。

血圧は落ち着きを取り戻したが、問題は脈拍だ。

毎朝、起床の度に計測する血圧と脈拍。

ほぼ毎日のように不整脈を示すハートマークも出現する。

当院に来て測定しても少なからずや出現する不整脈である。

リハビリ運動の始めはいつもの通りの準備体操。

携帯型心電図を装着する。

モニター画面に出る8人の状況。

脈拍数値はいつもの通りのトップ数値を維持する104拍。

若干の動きがあるが、だいたいが104~106拍間。

体操の中には初めて経験するものがあった。

スクワットの一例である。

割合感じたキツ目のスクワット時の脈拍は104~105拍。

変化はないが、高めの維持継続だ。

軸足を一本。右足を上げて10回。

左足をあげて10回。

腰が痛くなるスクワットだった。

そうこうして自転車エルゴメーターのペダル漕ぎに移る。

血圧計を装着してペダルを漕ぐ。

ワーク10が始めのペダル漕ぎ。3

0秒ほどでぐっと上がったワークは40。

一気にガツンとペダルに反応する重さを感じるが、数回転もすれば慣れて感じなくなる。

血圧は96-67。脈拍は107拍だ。

しばらくの数分間。

自動的に動きだす血圧計。

血圧は108-70で脈拍は105拍だ。

ペダル回転数はだいたいが51~53拍辺り。

しんどくもないが、ラクでもない。

その中間ぐらいだ。

漕いでから20分後の血圧は91-62。脈拍は106拍だ。

試しにとリハビリ療法士が伝えたワークは45。

ガツンとくるし、汗がじんわり吹きだした。

ワークが45になったからではなく、この日の気温で汗ばんだとリハビリ療法士や内科医師がいう。

25分間のペダル漕ぎはどちらかといえばしんどさがない。

自宅周辺を30分弱かけて歩くほうがしんどい。

しんどいのは登りの坂道があるからだ。

腰は痛くなるしふくらはぎなどがダルくなる。

自転車エルゴメーターには坂道がない。

しんどさが違うのだ。

脈拍状態を看ていたK循環器内科医師が云った。

寝ていても、起きていても、運動をしていても変わらない脈拍数。

数値が100代拍を維持している状態は一度リセットした方がいいという。

主治医と相談されて早めの対応が要ると伝えられた。

リハビリ運動を終えたら心臓外科診察に移る。

三つの検査結果が出ているはずだ。

受付を済ませて診察室にある血圧測定器で測る。

血圧は106―63。

実に安定している血圧だが、脈拍は104拍。

なんとかせねば、である。

検査結果を看るM心臓外科医師。

脈拍の状況に変化が見られない。

この状態であればワーファリン服用の停止はできない。

ただ、脈拍数が100拍以上の人はまあまあ居るらしい。

生活に支障はないと云えば特にない人も居れば、ある人も居る。

どう処置するかは医師の診断だという。

心臓にドンの衝撃を与える療法があるが、そのまま何も発症しない人も居れば、再び戻って脈拍異常になる人も居る。

復活するおそれはまあまああるらしいが、その場合の心臓カテーテルの効き目はどうかという。

心臓カテーテルはある部位を焼くということ。

手術の際にもその手当はされたが、どうやら私は復活したようなのだ。

始めに入院したS外科医師に相談される医師。

電話でやり取りして数分後。

当院で処置をすることになった。

循環器科のなかには不整脈科というのがあるらしい。

アブレーションを起こしている心臓。

つまり、心臓における指示命令系統回路の一部がおかしくなっているらしい。

ビジネスでいえば、社長命令を受けた部長が課長に指示をする。

課長は係長に命令する。

そういう組織の指示命令系統がおかしくなっているというのだ。

おかしくなった心臓回路の一本をカテーテルで焼く。

その処置をいつするかである。

循環器内科宛の紹介状を入れたと思われる手紙を預かった。

預かった手紙は自らの意思で当院受付をして循環器医師の診断を仰ぐということだ。

方向性は決まった。

受診は平日の月曜から金曜まで。

受付・診察時間は朝8時半から11時までだ。

早くにお願いしたいが、来週は仕事に家の用事が重なっている。

特に急ぐこともないと云われていたので翌々週を目標にする。

ちなみにこの日の血液製剤の検査結果は・・と尋ねたらHIVは特に問題はみられないと伝える。

HIV以外の検査結果は外部委託している関係上、一週間後になるそうだ。

次の診断日は1カ月後。

次回も血液検査をするが、循環器内科の診察・処置によって変化がある可能性が高い。



それはともかく3カ月間も胸を締め続けてきた胸帯だ。

手術後の身体を看ることもなく、外して良いえある。

苦しい毎日からやっと解放される。

こんなうれしいことはないが、創跡はくっきりはっきりと残る。



今後の方向性も決まったこの日の診察は開放感に浸りたい。

そう思いながら診察終了の受付を済ませて会計処理。

会計番号がモニターで表示される。

振られた番号をしっかり見つめて間違いないと思ってクレジット自動支払機の列に並ぶ。

支払機は東に3台。

西に2台がある。

いつも並ぶのは西の2台だった。

この日はそこへ行くまでもなく東の3台に並ぶ。

順番が廻って機械に診察カードを挿入する。

数秒後に戻ってくる診察カード。

画面には受付できないと表示がある。

あれぇ、である。

もしかとしたら裏面挿入と思って再度挿入するが、またしても返される。

表にして挿入。

それもこれも同じように受付できないと機械に突き返される。

もしかとして自動支払機の端末がおかしくなったのでは、と思って西の2台に並ぶ。

ここでも同じように突き返される。

端末機の問題ではなく診察券に問題ありと判断して総合受付で相談する。

かくかくしかじかこういう具合になると状況を総合受付窓口担当者に伝える。

会計番号は処理できる番号になっているから支払機で処理できる。

その番号に不信をもった担当者は待ってくださいと云って奥へ向かった。

しばらくして戻ってきて伝えた言葉は「渡したいものがあるので、本来の会計窓口の3番に行ってください」という。

それってどういうことなのか。

渡したいものっていうのは何だ。

会計窓口へ行けというのはどういうこと。

何個かのクエッションマークが頭の中に湧き出る。

私は診察券がおかしいと窓口に伝えた答えがこうなのだ。

あっちへウロウロ、こっちへウロウロさせる。

しかも渡したいものがあるってどういうことよ、である。

システムがおかしいでしょと訴える。

渡したいものがあるなら、最初に受け付ける総合窓口で渡すのが本来でしょ。

会計を済ませてから行ったり、来たりさせるのはおかしなシステム。

患者に不快感をもたせるシステムは上司へ伝えて早急に改善すべきと訴えた。

訴えてもすぐにはならんだろう。

何事なのか、渡したいものは何か・・。

そうして会計窓口に向かった。

順番待ちをする。

会計番号シートを提示する。

診察券を渡す。

担当者はそれを確認して渡したいものがあると云って奥にあった書類を持ってきた。

提示された書類は前回処置したときの会計伝票。

担当者曰く月末に会計処理をした際に心電図計測について二重支払いになっていたことが発見されたので差額を返金するというのだ。

それが渡したいものであった。

今回の支払い分から二重に支払った金額を差っ引いた金額にするという。

それはよく判るが、伝える方法がおかしいと思うのである。

何がおかしいか。

本人が会計処理をするまで判らないということだ。

今回の「ように会計処理をして2度、3度の廻り道をしてやっと辿り着く渡しものの授受。

おかしいのはそこだ。

総合窓口担当者にもお願いした事項を伝える。

上司に報告して早急に運用を替えることである。

駐車場を出る。

料金支払いは予想を超えて100円増し。

そんな細かいことは云わないが、通院することを前提に考えた渡し運用は破たんを起こす。

それは支払ってその後は当院に来ない患者さんだ。

二重支払いの返戻金はどう対応するのだろうか。

誰が考えても判ると思う。

電話連絡ではなくお詫びと手数をかける文書を親展文書で送付することだ。

(H27.11. 5 SB932SH撮影)
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山陽マルナカのあおもり十和田のバラ焼き弁当

2016年07月22日 10時55分46秒 | あれこれテイクアウト
この日は「あおもりフェア」があるとチラシに写真入りで紹介していた山陽マルナカ。

場所は富雄南のイオンタウンのマックスバリュー店。

家から車で2分ほど、近すぎて、なにかと買い物に行く機会が増えている。

「あおもり」フェアに載っていた弁当を食べたくなった。

この日は昼食を済ませてすぐに出かけなくてはならない。

ぱっぱと食べられる料理が丁度いい。

値段も丁度いい弁当は「あおもり十和田のバラ焼き弁当」。

税抜き価格で498円だ。

地域ごとの食べ物フェアはス-パーの目玉商品。

現地など旅に出かけなくとも味わえる。

たしか、十和田のバラ焼きはB級グルメで賞をとったと思うのだが・・・。

お目当ての弁当は店内売り場の弁当売り場に並んでいた。

フェアと云えば現地産だが、青森から直送されたような雰囲気はない。

店内で調理しているように思えた。

弁当に貼ってあった商品表示を見たら間違いない。

店舗調理の弁当だったのだ。

同店舗で弁当を買うことは滅多にない。

価格帯と料理を考えて購入するのだがワンコインで美味そうな商品はあることはあるが、これだというのが少ない。

お高い弁当で買う気も起らない。

ところがあおもりフェアに出てきた弁当は税抜きではあるがワンコインで買える。

ついでに買った商品とともに持ち帰って弁当を広げる。

レンジでチーン。

温めたほうが美味しいと思われてチーンした。

蓋を開けたらほのかに香るタレ焼きのバラ肉。

タマネギもたっぷりのっている。

一口食べた。

美味しいのである。

バラ牛肉はメキシコ産。

やや硬めだ。

牛肉よりも多いタマネギはシャキシャキ感がすごい。

味はタレもいいのだろう、美味しくて箸が止まらない。

同じ商品を食べた次男が云った。

「デーリシャス」の台詞が物語る。

添えつけのおかずは卵焼きにキンピラゴボウ。

卵焼きはやや出汁巻きに近い甘い味。

ごま油が決めてのキンピラゴボウ。

しば漬物もついて税抜き499円。

お買い得弁当に満腹した。

(H27.11.26 SB932SH撮影)
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我が家のかき揚げうどん

2016年07月22日 10時53分13秒 | だんらん
我が家の昼ご飯の丼は味が大好評のかき揚げ丼。

かき揚げを買うお店は車ですぐ近くの富雄南イオンタウンの山陽マルナカか、近鉄九条駅近くのスーパーサンコーだ。

どちらで買っても美味しいかき揚げ。

ついつい買ってしまっては丼にする。

特に山陽マルナカのかき揚げは筒かき揚げの名前がある。

いつも棚に並んでいるわけではなくタイミング次第。

というよりも店内で揚げているのだ。

いつかは揚げたてと思ってずっとその作業を見ていたことがある。

揚げたてはほくほく。

天ぷらの香りが棚に並べば何人かの客が寄ってくる。

それほど人気の筒かき揚げ。

また買ってしまった。

ときおり新作も出る筒かき揚げ。

今回はゴボウかき揚げ。

シャキシャキ感がいっぱいだろうと思う。

毎回が丼では飽きてくる。

たまには、ということで今回は乾麺うどんでかき揚げうどん。

汁面に浸かったかき揚げの香りはいつもとおり。

アツアツうどん麺とともにいただく。

ニンジンも入っているかき揚げうどんにパラパラと刻みネギを落とす。

箸ですくう。

口にいれる。

これが美味いんだなあ。

麺つゆも美味い。

この味覚はいったいどこからくるのだろうか。

味わった舌と喉が考えた。

かき揚げを揚げた油である。

油っぽさがないのである。

お店に一度、聞いて見たくなった油。

秘密でしょと云われたらどうしよう。

(H27.11.13 SB932SH撮影)
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横田町実六久の豚入り焼きそば

2016年07月22日 10時38分14秒 | 食事が主な周辺をお散歩
患者さんを送迎する道沿いにあるお店。

お好み焼きなど鉄板もの料理が美味しい「実六久(みろく)」。

場所といえば幹線道路から一歩、奥に入った治道小学校前にある。

送迎するたびに懐かしく思う焼きそばの味。

お好み焼きも食べたくて再訪したいが、適度な機会が登場しない。

同店で始めて食べたのは焼きそばだった。

平成25年5月1日だった。

あれから2年半も過ぎた。

味の感覚が忘れそうだ。

週3回はお店の前を通るたびに今日もダメかとため息をついていた。

この日も送迎の仕事。そう思っていた。

この日の午後は桜井市の白木で民俗行事の取材だ。

昼膳の時間はとうに過ぎているが、午後はだいたいがマツリの準備。

注連縄や山の神御供を作りだす。

ある程度の進捗があったほうが良い。

そう、この日はまたとないチャンスだ。

そう思って入店した時間帯は12時55分。

仕事場から桜井へ行く道中にある実六久。

数台の車が停まっていた。

ドアを開けるが食事をしている客はいない。

店舗関係者の車のようだ。

「味が忘れられなくて本日もう一度食べたくて寄りました」と店主に伝えたら喜んでいた。

前回同様に注文した焼きそばは豚肉入り。



他の食べ物も食べたいが、味の保存のために来たのだから、同メニューを選ぶのは当然だ。

ただ、若干の違いを示さなくてはならない。

心臓手術をしてからは塩分摂取量が制限されている。

袋入りの焼きそばには塩分が3g~4gだろうか。

スーパーで売っている品物の栄養成分表を視てガックリする。

お店なら塩分量を相談することができる。

そう思って店主にお願いすれば、当店では麺に塩加減はしていないと云うのだ。

お好み焼きであれば塩分は必須。

量も多いという。

下味に塩を振りかけない焼きそばはどうなんだろうか。

2年半前に食べた味と同じでないような気がした。

注文してからおよそ10分後。

頼んだ焼きそばが大きなテコに盛って鉄板付きテーブルに配膳された。



あぁーー、この香り。

そう、ケズリカツオにアオノリの香りにソースも鼻が吸い込んでいく。

小さなテコに小皿もセットしてくれた。

ひと掬いはテコ盛り。

ところが麺は長い。

盛り方が難しい。

仕方なくお好み焼きと同じようにテコで切断して小皿に盛る。

口に放り込むのは箸だ。

シャキシャキ感んpキャベツとともに香り豊かな焼きそば麺が喉で唸る。

口内いっぱい広がる味は同じように思えた。

塩はなくとも美味しい焼きそばに箸が進む。

進む、進む。

どんどん進む。

なかなか減らない焼きそば。

それよりも麺が冷たくならないのだ。

食べているテーブルは鉄板。

ガスの火を点けて鉄板温度を保っていたのだ。

塩分摂取が難しい身体である。

焼きそばはもう食べられないと思っていたが、そうではなかった。

ダシで食べるのだ。

ここのダシはたぶんに粉末カツオブシ。

これが決めてなんだと思った。

一度、家の料理で確かめてみたい、と思ったキッカケを与えてくれた実六久の焼きそば。

2年半前は税込500円だった。

今回、久しぶりに頼んだ焼きそばは税込600円。

店主曰く、材料費の高騰と消費税アップに対応する価格帯にしたという。

帰宅して2年半前に食べた焼きそば映像を見た。

マヨネーズをかけていたのだ。

しかもだ。味の秘密はもう一つ。

隠し味に天カスを入れていたと書いてあった。

(H27.11. 9 SB932SH撮影)
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スーパーセンターオークワの上海風焼きそば&炒飯セット

2016年07月22日 10時32分20秒 | あれこれテイクアウト
この日はお出かけが忙しくて服用薬剤を失念した。

薬剤といっても困らない1錠の軟便剤だ。

そうは云っても気にかかるが、どうしようもない。

大宇陀から下市、旧西吉野村を駆け巡って五條市。

時間帯も丁度の昼時になった。

午前11時ころからお腹がぐうぐう鳴りだしていたが、思うような食事処は見当たらない。

ワンコイン表示でもあれば飛びつくのだが、見当たらない。

結局はときおり食事に利用するスーパーセンターオークワに駐車する。

食事処の場は変わっていないが、なんとなくメニューが違うような気がする。

店の名前も違うようだ。

以前は「よくばり河童」」と「粉もん処わっぱ蛸」だったけど、どうなんだろうか。

食事をするお客さんで満席だったので断念して、仕方なくオークワ店の弁当売り場に足を運ぶ。

いろんな弁当が売っているし、他店舗と同じ商品も多々あるなか、選んだのは上海風焼きそば&炒飯セットだ。

袋不要でレジ支払いの弁当は税込427円。

袋代は2円なのだ。

オークワの弁当購入は1年ぶり。

いつもそうしている。

貰った割り箸でいただく焼きそば。

麺に絡みついたソースが美味すぎて食が進む。

この商品の謳い文句は「つるっともちもち オイスターソースと中国醤油で仕上げました こだわり麺の上海風焼きそば」とある。

その通りに思った焼きそば喰いが止まらない。

添えつけの紅ショウガを混ぜて食べつくす。

ペロ、ペロの3回で完食した。

この商品はセットもの。

炒飯も箸で食べた。

なんとなくスプーンで食べたらガッツリいくのでは、と思ったからだ。

不味くはないが、コクがない。

味も歯ごたえも感じたのはチャーシュー肉のように思えた豚肉だ。

焼きそばに残った紅ショウガを炒飯に混ぜて食べる。

パラパラ感はほどよいが喉が渇いて詰まる炒飯。

セットにしなかった方がよかったかも、である。

食べ終わってから蓋に貼ってあった食品表示。

Naはなんと2.1gである。

400mgで割れば食塩含有量になる

。計算すれば5gだ。

驚異的な食塩含有量に驚いても戻せない。

一日の食事の最大摂取食塩量は6g。

夜食は困ったことになってしまった。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
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はらぺこ食堂の牛焼き肉弁当を外来棟で食べる

2016年07月22日 10時26分45秒 | あれこれテイクアウト
3週間ぶりの検査も前回同様の時間帯。

お昼丁度に血液検査に胸部レントゲンや心電図。

院内のレストラン食事は最低でも1000円。

軒並み、定食の価格体は我が家に似つかない。

そう思って今回もはらぺこ食堂で購入して病院に向かう。

メニューはいろいろあるが、迷った挙句の答えは税込350円の牛焼き肉弁当だ。

何年か前も食べた弁当はとても美味しかった。

久しぶりに元気をつけたいと思って選んだ。

待つこと数分。

ナイロン袋に入れられた弁当はほかほかの熱ごはん。

手が火傷するとこまでいかないが・・・。

購入して車を走らせる。

三つの検査を終えた時間は12時45分。

診察ではなく心臓リハビリ時間が始まるまでは30分以上もある。

2階のフロアーテーブルに弁当を広げた。

外はやや黄色くなった銀杏並木。

夕陽にあたる時間帯はもっと映えるだろう。

外の景色をみながら弁当を食べる。

これだけで至福感が味わえる。

弁当の蓋を開ける前から香ってくる焼き肉の味。



食欲をそそる香りでまずはご飯。

と、いうのではない。

タレが浸みこんだ焼き肉をガッツリすくって口に入れる。

ご飯も箸がすすむ。

買ってから丁度1時間。

アツアツご飯も冷めていたが美味いのである。

いつも大盛りのご飯はガッツリいただく。

焼き肉の味は独特感。

なんとなくバターかマーガリンのような味覚に襲われる。

決して不味くはないが、異を唱える人も居るだろう。

添え物は菜っ葉のたいたん。

やや漬物感がある。

もう一つはマメとヒジキの煮込み。

細かく刻んだニンジンもあるオマメサン。

たぶんに家庭料理の匂いがする。

三つめはスパゲテイ。

ドレッシングで和えたスパゲテイは最後に廻した。

とにかく食べ応えに感動するはらぺこ食堂の牛焼き肉弁当。

クセになりそうだ。

昼食を済ませたら忘れてならない薬の服用。

昼間はいつも1錠の軟便薬。

おかげさんで毎夕方になれば腸がぶりぶり。

溜まったガスが心置きなく排出される。

(H27.11. 5 SB932SH撮影)
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欠損破片が見つからないキャノンスピードライト420EX

2016年07月21日 08時53分32秒 | しゃしん
昨日のことだ。

京都府南山城村で行われていた花踊りを撮っているときだった。

旧小学校の校庭に集まってきた踊り子を撮っていた。

装着していたストロボをみればなぜか斜めになっている。

接点部がややこしいことになっているのだ。

ネジを緩めてみる。

接合部が外れる前にガクっと取れた。

何事が起ったのか。

一瞬は面食らったが具合は判った。

接点部が割れていたのである。

欠損した破片はカメラシューに残っていた。

ストロボ接点部に合わせたら合致したが、どうすることもできない欠損ストロボはキャノンスピードライト420EX。

購入した年月日は平成14年の11月18日。

なんと、なんと、である。

13年も使い続けてきた420EXはたまりかねたのか、とうとう接点部の経年劣化を起こしたのだ。

プラスチック製の接合部の欠損で命を絶った。

いつも世話になっているカメラのキタムラ奈良南店に出向く。

こんなんなっちゃったと店員さんに見せる。



修理をすれば1万円はかかるという。

13年も使って、まだ続けるか、である。

13年のストロボ発光数はどれぐらいになるのか回数は記録していない。

発光していたのでまだまだ使えるはずだったが命を絶ったからには仕方ない。

選んだ道は修理でなく中古品。

探してくれた一品は9800円。

綺麗状態らしい。

もっと安価な品はあるのか、ないのか・・・。

あった。

多少キズ有りの一品は7150円。

綺麗さは求めない。

とにかく動作してくれればいいのだ。それでお願いしますと発注した。

手配先はカメラのキタムラつくば店。

同時に発注がかかっておれば競合する。

その場合は電話で伝えると話していた。

それから数日経った9日。電話はなかったが、もしかとすれば入荷していると判断して中白木取材の帰り道に立ち寄った。

別の店員さんに探してもらう。

あった。

入荷していてはいるものの発注製品と同じかどうか確かめられる。

間違いないと判断されて発光テスト。

問題なく動作する。

中白木の取材ではストロボ無し。

餅搗き動作は流れるような恰好で気にいる被写体は少ない。

明日はマツリの本祭。

見逃せない行事にブレブレはしたくない。

そう思って待っていた念願の中古ストロボを手にして一安心する。

ちなみに支払いは半分の3595点は3595円の値引き。

残り金額の3555円はクレジット支払い。

合計7150円のキャノンスピードライト420EXもガンバッテ作動してほしいと祈っている。

(H27.11. 4 EOS40D撮影)
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竜谷・龍谷三輪神社の秋祭り

2016年07月20日 09時17分58秒 | 桜井市へ
一年ぶりに訪れた桜井市の竜谷(りゅうたに)。

この日は龍谷三輪神社の秋祭りだ。

朝は集落付近で伐ってきたススンボ竹で御幣を作る。

鶴紋の日の丸扇を三枚合わせて恰好をつけたら御幣になる。

県内事例に多く見られる日の丸御幣である。

午後ともなればハコヤの木で作った千本杵で三臼の餅を搗く。

一臼目はハンモチ。

醤油に生姜を混ぜて焼いた餅につける。

頭家がもてなす手祝い餅をいただく。

そして△型に象る三合米のオニギリを三つ調製する。

こうした祭り用具が調えば、夕刻まで料理をよばれる社務所で過ごす。

かつて竜谷のマツリは10月27日が宵宮で、28日がマツリだった。

いつしか10月10日の体育の日の祝日に移った。

その後において施行されたハッピーマンデー化によってマツリ日を固定した。

祝日の11月3日であれば判りやすいということでそうなった。

かつては30戸もあった竜谷の集落。

村を離れる家が多くなり20戸。

その後も減り続けた現在の竜谷の戸数は10戸になった。

宵宮はマツリと統合されて一本化することになった。

10年ほど前までは社務所でなく、頭家の家がもてなす接待のヨバレがあった。

ヨバレの場を社務所へ移すとともに、かつての頭屋家を示す「頭屋座中」の提灯吊るしも同じように場を移した。



三輪神社から出仕された二人の神職は竜谷の頭家祭神事を行う。

支度を調えた一行は龍谷三輪神社へ向かってお渡りをする。



街灯もない真っ暗な道中に「オォォォーイ・・ オォォォーイ ・・」の詞を発しながらお渡りをする。

ピント合せがまったくできない闇夜の道中は今年もまた外した。

低く唸るような声で神官が「オォォォーイ・・ オォォォーイ ・・」。

すると、後方についた頭家・氏子らは「オォォォーイ・・ オォォォーイ ・・」と唱和する。

警蹕のように感じる暗闇道中の唱和に身震いする。

龍谷三輪神社に到着した一行は直ちに幣や神饌を供える。

本殿は見られない龍谷三輪神社。

ご神体は背後の神体山である。

神事が始まるころには村の人たちが神社に集まってきた。

かつてはローソクを灯した提灯の明かりだけだったマツリの夜。



ここでは最近流行りのLEDを使用することもない。

階段を踏み外さないように、足元を照らす白熱灯の投光照明によって村人の安全を配慮したが、神事中にショートして投光が消えた。

拝殿に登るのは頭屋や氏子男性だけだ。

婦人たちは上がることもできずに外で見守る。



祝詞奏上、玉串奉奠の次に行われたのは「フリアゲ」神事だ。

これまでトーヤ(頭屋)を勤めたことがない人の名を書いたクジを丸めて三方に載せる。

神官は幣を付けた真榊を静かに下ろす。

麻苧の先に引っかかったアタリクジを引き上げる。

クジを広げて記入された名前を現認する。



大幣のフリアゲ神事は「トーヤ決め」の儀式である。

これを竜谷では、神占の正式名称として「頭人定め」の名がある。

少子化の波をもろに被った竜谷では子供の姿が見えない。

ところが、マツリのときには大勢の外孫たちがやってきて賑やかになる。

「フリアゲ」神事を終えた竜谷のマツリは子供の相撲で締められる。



対象者は幼児から中学生までだ。

かつては村氏子の男の子だけだった。

少子化によって男の子は少なくなった。

相撲ができなくなった時代に女の子も加えるようにした。

それも少なくなったから外氏子(外孫)も入れて存続している。

神前相撲を終えたら拝殿の直会に移る。

酒杯をいただく氏子はカワラケを手にする。

神さんとされる酒桶から酒を注いだカワラケ。



酒を一献する際には、スライス切りの生ダイコンと生ショウガに田楽味噌をつけて口にする。

ミリンに酒、砂糖を加えて作った田楽味噌は自家製。

乙な味わいにお酒が欲しくなる。

(H27.11. 3 EOS40D撮影)
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南山城村・田山の花踊りの類事例を探す

2016年07月19日 08時48分51秒 | もっと遠くへ
三重県内で羯鼓踊りを継承している地域が12例もある。

伊賀市下柘植・愛田地区に伊賀市(旧阿山町の)大江、伊賀市山畑(やはた)がある。

京都南山城より東に向けて15kmから20kmの距離に三カ村が集約している。

一方、そこよりぐっと下がった南方に宮川が流れる。

その流域にある多気郡大台町下三瀬、伊勢市の円座町・佐八町・小股町の共敬・下小股・中小股・東豊浜町の土路、度会郡南伊勢町の道方、度会郡度会町の麻加江だ。

平成21年度に記録された「ふるさと文化再興事業地域伝統文化事業」を参照して整理した。


一に、伊賀市下柘植愛田地区・日置神社の「神事踊(別称宮踊り)」がある。

下柘植は南山城より東方の地。

直線距離で20kmも離れている。

雨乞い願掛け・満願の太鼓踊りで古くから伝わる羯鼓踊りの一種だ。

実施日はかつて7月24日の祇園祭り、現在は4月10日の大祭の午後に行われる。

一時途絶えていたが大正十三年に復活した。

戦中にも中断したが昭和31年に復興するも再び中断。

氏子青年会によって昭和51年に復帰する。

踊り子の構成はかんこ(羯鼓)を胸に背はシナイ姿の踊り子や歌役の「唄」に貝吹きの「貝」だ。

踊り子は薄青地の着物に浅黄地に狩猟文様の栽ち着け袴を履いて山鳥の羽飾りや冠の造花で飾ったオチズイ(かつてはヲチズエ)、締太鼓をつける。

10本の花が広がり垂れ下がるような恰好の花笠のように見えるのがオチズイと呼んでいるのだろう。

「唄」と「貝」は紺の着流しに紺の羽織を着て、菅(すげ)製の妻折れ笠(剣術を志す女性の道中笠で男性用が三度笠)を被る。

扇を上下に振って調子をとることもあれば円を描いて躍ることもある。

笠を被る「唄」は本歌、別に無笠のスケが補助につく。

「貝」はボーボーと単調な音色で法螺貝を吹き鳴らす。

鬼の衣装を着た道化役の鬼は赤熊をつけて面を被り、足は草鞋だ。

「御庭しずめ」、「御庭踊り」、「小祝入り」、「世の中踊り」に平成7年に復活した「順逆踊りと考えられるじゅんやく踊り」の五曲を継承している。


二に、伊賀市大江(旧阿山町)・陽夫多(やぶた)神社(在所は旧阿山町大字馬場)に奉納される「羯鼓(かっこ)踊」がある。

大江も南山城より東方の地。

直線距離で15kmも離れている。

雨乞い願掛け・満願・豊年の太鼓踊りは江戸時代の寛永年間(1624~)に始まったと伝わる。

現在の実施日は4月20日の陽夫多(やぶた)神社・例大祭に行われる奉納踊りであるが、かつては大字大江の氏神こと旧火明(ほあかし)神社の夏祭りだった。

当時は旧暦6月14日の祇園祭に奉納されていた踊りである。

明治41年、火明神社は他地区の神社とともに河合郷の郷社である陽夫多神社に合祀された。

躍る機会を失った結果、長い期間において中断していた。

大正二年、大旱魃に見舞われたことによって、陽夫多神社で雨乞い祈願、満願のときに羯鼓(かっこ)踊りが行われた。

その後、徴兵などで人手が集まらなかった昭和の戦時下に中断したが、出征兵士が戻った昭和22年に奉納するも高度成長期に突入する。

昭和35年、人手不足となり、再び中断。その後の昭和47年に踊り保存会を結成され復活した。

陽夫多神社は千貝、馬田、田中、馬場、川合、円徳院、大江(26戸)、波敷野を氏子圏ととする郷社である。

大江は河合郷の枝郷にあったが、それ以前は大江村であった。

昭和29年、鞆田村と合併した阿山村は、昭和42年に施行された町制によって阿山町となる。

平成16年、平成の大合併によって阿山町は伊賀市に含まれることになった。

踊り子が背に負うオチズイやオノフサ(苧の房の呼び名がある御幣)をマツリ前に大江・観音堂で調製する。

オチズイは2メートル近い長さのヒゴ竹。枝垂れに桜の造花と緑の花を取り付ける。

これを花造りと呼んでいる。

オノフサはオチズイの中心部に立てる白い御幣榊である。

青・赤鬼が手にする団扇はバイと呼ぶバチだ。

踊り子の構成は子供が法螺貝を吹く貝吹き、菅笠を被り三つ紋の浅葱色の着物を着て大太鼓を打つ楽打ち。

頭に山鳥・孔雀・雉・鶏の尾羽の飾り物を挿して、小紋の裁着(たっつけ)袴を履いた羯鼓の踊り子。

団扇で調子をとる歌出しは妻折れ笠(記録映像では三度笠のようだ)を被り、角帯を締めた五つ紋の黒地木綿を羽織る。

道化役の赤鬼・青鬼は大きな団扇を右手、竹製の金棒を左手に赤または紺の襦袢に股引き姿である。

「祠入り(しくいり)」、「お宮踊」、「世の中踊」、「御城踊」、「御殿踊」、「虎松踊」、「信玄踊」、「鐘巻踊」、「小順逆」、「大樹逆」、「四季踊」、「姫子踊」、「所望」、「かえせ」の14曲が伝承されているが、実際は10曲のようだ。


三に、伊賀市山畑(やはた)に鎮座する勝手神社に奉納される羯鼓型の神事踊がある。

山畑は南山城より東方の地。直線距離で20kmも離れている。

雨乞い願掛け後の満願返礼の際に躍られた神事踊は、毎年10月の第二日曜の勝手神社の祭礼に奉納している。

神事踊りは、何度も何度も中断の時期があったが、その都度、郷土の熱意によって復興してきた。

昭和10年に保存会組織を立ち上げ、今日まで伝承してきた。

神事踊は勝手神社奉仕団踊子部が作成した『勝手神社祭礼神事踊沿革史が』が詳しいそうだ。

起源は明らかでないが、明治40年までは勝手神社より離れた津島神社境内で旧暦6月13日に奉納されていた。

当時は「祇園祭神事花踊」と呼ばれ、悪疫平癒を願って踊っていた。

津島神社名は奈良県田原本町に鎮座する津島神社と同様にかつては祇園社の呼称があった。

伊賀市山畑も同じ神社名の津島神社。

明治時代の廃仏毀釈などで神社名を換えた経緯があると推測される。

話しを戻そう。

明治41年のことである。

理由は定かでないが、山畑の津島神社は勝手神社に合祀された機に中断となった。

その後の大正二年、大旱魃に見舞われたことによって雨乞いの踊りが行われたが継続することはなかった。

それから十数年後、昭和7年、青年団による復興運動が盛んになったことから、翌年の昭和8年に勝手神社の10月祭礼に躍ることになった。

慣例化されたものの、戦時下は中断する。

やがて、昭和27年に復興し踊りの在り方は崩れることなく現在に至る。

疫病退散に雨乞いのために行う山畑の神事踊りは、かつて笹踊りと花踊りの名称をもつものであった。

他地区の類例より、願掛けは笹竹などをつけて省略的な踊りの笹踊りと願済。

願解或は返礼の踊りとする花踊りであった。

勝手神社拝殿には明治二十六年に寄進奉納された絵馬が残されている。

その図柄によれば、現在の様式と同じようだというから貴重な史料である。

山畑の神事踊りは先に挙げた同市下柘植・愛田地区や旧阿山町の大江にない多くの特徴をもっている。

踊り子装束などに飾る付ける祭り用具は祭礼までに予め作っておく。

9月26日は「花きり」で社務所に関係者が集まって作業をする。

「花きり」は中踊りが背負うオチズイに取り付ける花や葉を作りあげる作業である。

白花に赤花を束ねてコヨリを通して作る。

葉は緑の紙を切って作る。

大太鼓が打つ楽打ちが付けるサイハイと呼ぶ五色幣もハサミを入れて作る。

ジャバラのような白い幣は「鉢の巣」の名がある。

これも中踊りが付ける。

踊り子の構成はハタカキと呼ぶ楽長(がくちょう)と鋲打ち大太鼓を打つ楽太鼓やかんこ打ちの中踊り、立歌いと地歌いの歌出し、地歌い兼任の横笛吹き、棒振りの鬼だ。

お渡りに付随する役もある。

籠馬(かごうま)にチャリと呼ばれる道化役の猿とひょっとこの馬子がつく。

楽長は一文字笠を被り、白着物に黒紋付羽織を着る。

楽太鼓は緋モミの前垂れのついた花笠を被り、腰に五色の御幣をつけて、赤の襦袢に広袖の白着物を黒の角帯で締める。

頭に山鳥、孔雀、雉、鶏などの羽根を取り付け白鉢巻き。

木綿地に唐獅子牡丹を染め出しした着物にウサギ染めの幕をつけた羯鼓を身につける。

両手にバイを持って造花で作ったホロ花を背負う。

蜂の巣やマキチリと呼び名がある緋の幟もつける。

ユニークなのは猿を表現したマルゴチの飾りもぶら下げる。

中踊りでは羯鼓を打つ仕草をするが、実際は打たない。

歌出しの地歌い役は妻折れ笠を被り、白着物に五つ紋の紋付羽織を着る。

一方、立歌い役は緋モミの前垂れのついた花笠を被り、白着物に紋付羽織で右手にもった団扇で踊りを振りつけるようにしながら歌う。

棒振りの鬼は青鬼と赤鬼。

頭に山鳥の毛冠、紺の襦袢に股引姿になる。

10月3日は参籠舎で行われる「花つくり」だ。

割竹は白い布を巻きつける。

「花きり」で作った花と葉をしなやかに曲がる4mほどの割竹に貼り付ける。

それらを終えれば境内に広げてホロ花を乾燥させる。

この日はお渡りに参列する黒と赤の籠馬には五色のタテガミやシュロで作った尻尾もある。

中踊りが背負う28本のホロ花も調製する。

出来上がれば下部を閉じてしなやかさが出るように曲げておく。

山畑には屋敷出、瀬古奥、上出(かんで)、谷出(たんで)、湯屋、湯屋奥、山王、瀬古、奥出、的場東、的場西、子守、中央、同満、宮西の15組がある。

祭り用具を作るのは廻り当番の二組があたる。

さらなる作業がある。

有志の人たちが作る赤い紙の牡丹花だ。

芯花に花びらを一枚、一枚、丹念にノリ付けする。

牡丹花は中踊りが背負うオチズイや楽打ちと立歌いの花笠に挿す。

なお、楽打ちは帯に薬入れの印籠を帯に着けたりするし、笠に緋色の布で顔を覆う「フクメン」もする。

このフクメンは立歌いの花笠にもある。

立歌いの花笠には12本の桜花も取り付ける。

祭り用具ができあがってほぼ2週間後の10月第二土曜日は宵宮。

この日は奉納相撲が手作り土俵の上で行われる。

夜、祈願祭が行われたのちに相撲が始まる。

裸姿の子供たちは白いふんどしをしている。

大正十五年より始まった青年会主催の「奉納角力」は小学生の部と成人の部がある。

成人の部は化粧回しを身につけた中入りや行司、呼び出しらも土俵に上がって角力甚句と力士歌を披露する。

奉納相撲の最後を飾る幣角力がある。

力士に大錦がある。

行司が幣を大錦に差し出すや否や幣を持った大錦が大きな声を掛けながらシコを踏む。

祝いの儀式になるそうだ。

そして、「ようてしゃんの」と声をかけてパン、パン、パン・・パンと手打ちする。

マツリの日は始めにお旅所へ向けてオチズイなどを運び出す。

オチズイの全容は美しいホロ花。

お旅所に持ち込んで立てることから「花あげ」の呼び名がある。

籠馬と猿はお旅所に建つ庚申堂に運ぶ。

お旅所の裏山は春日社跡地。

つまり津島神社があったとされる地であるが牛頭系ではなく春日というのが考えさせる。

お渡りを経て奉納される踊りは「式入踊り」、「御宮踊り」、「神役踊り(大神役・小神役の2曲)」、「津島踊り」の4曲であるが、かつては19曲の踊りがあったそうだ。

なお、神役踊りを終えれば左舞式入と呼ぶ「庭鎮め」の一節もある。


四に、宮川流域のひとつにある三重県多気郡大台町下三瀬(しもみせ)に羯鼓踊りがある。<資料なし>

大台町は名張市より東南の方角。

直線距離は35kmもある処だ。

元和元年(1615年)大阪夏の陣に出陣し討死した三瀬左京祐の供養に由来すると云われている羯鼓踊りである。

三瀬左京祐は出陣にあたって、万一、討死の際は屋敷を地区のものとして、供養して欲しい旨を残したと云い、現存の慶雲寺は三瀬左京祐の屋敷跡と伝えられている。


五に、宮川流域のひとつである三重県多気郡明和町の有爾中(うになか)。

当地では毎年7月14日に近い日曜日に天王踊が行われる。

祭礼の場は宇爾桜神社。

疫病除けの天王祭行事の中で奉納される踊りが天王踊だ。

有爾中の羯鼓踊とも呼んでいる。

天王踊の主役となる踊り子は白馬の尾毛で作った円筒形の「シャグマ」を被って顔を隠し、羯鼓を打ちながら踊る大人に花笠を被って羯鼓を打ちながら踊る高学年の小学生。

綾踊りを演じる綾子と呼ばれる低学年の小学生が務める。

踊りは江戸時代半ばから行われてきたが、明治41年の神社合祀に伴って中断する。

その後は度々復活するも断続的に中断となっていた。

時代は昭和57年に移る。

伝統を絶やすまいと声をあげて当時の有志たちが造営を機会に復興する。

菅を編んで作ったシャグマは腰蓑にする。

竹ひごに紙で作った花を取り付け枝垂れ状にした飾りは「ヤナギ」と呼ぶ。

「ヤナギ」の原点は室町時代末のころから江戸時代にかけて全国的に広まった風流囃子の疫神祓いの造り物の一つにある「傘鉾」とされる。

「ヤナギ」はさらに緋色の円形布も取り付ける。

形から云えば伊賀市山畑(やはた)で行われる神事踊に登場する楽打ちや立歌いが顔を覆う「フクメン」と同型だと思った。

踊り子は皆、「ザイ」と呼ばれる飾り物を腰に挿す。

「ザイ」は形から采配のように思える。

演目は「入込み」を始めに、願済の「流願(立願の名もある)」、「世の中」、「世の中打ち抜き」。踊りが終われば境内に立ててあった「ヤナギ」こと傘鉾の花飾りを奪い合うように引き抜いて持ち帰る。

これを「ヤナギトリ」と呼ぶ。

その後の踊りは「きよまくま」、「三ツ願」、「回りズーデン」とも呼ばれる中踊りの「綾踊り」。休憩を挟んで「流願」で終えるが、このときの大人はシャグマを外して鉢巻き姿になる。


六に、三重県宮川流域にお盆の精霊を供養するカンコ(羯鼓)踊りがある。

下流域のカンコ踊りは菅の腰蓑にシャグマ姿という特異な扮装で踊る地域もあれば、円陣になって普段着で踊る盆踊りのような形態もある。

伊勢市の円座町(松阪より南方30km)・佐八町(松阪より南方18km)・小俣町の共敬(きょうけい)(松阪より南方16km)・下小俣(ホケソ踊り保存会)・中小俣・東豊浜町の土路、度会郡南伊勢町の道方、大台町の下三瀬、度会郡度会町の麻加江(大名行列踊りもある)など流域24カ所で行われている。

これらはお盆に踊る精霊初盆供養の踊りである。

地区によっては六斎鉦を打ち鳴らし「ガンニシクドク・・・念仏を唱えよう・・」などの詞章も入る。

「大踊り」、「念仏踊り」、「精霊踊り」、「大念仏」、「豊後」、「御所踊り」などがある。

昔からしていた念仏踊りに娯楽要素のある風流踊り(室町時代)が加味されたことによるものらしい。


七に、三重県松阪市小阿坂町のかんこ踊りがある。<資料なし>

年中行事として、今から200年前に起こったと伝えられるかんこ踊りは氏神に願礼報賽のために毎年1月14日に近い土曜日(12~18日間の土曜日)に小阿坂町阿射加神社境内に於いて奉納されている。

古来は、豊作の悦びと感謝の気持ちを込めて神に踊りを奉納する他、干害著しいときの雨乞い・諸祈願・慶事等に随時奉納していた。

踊りの内容は、太鼓を掛けた子供や大人の周りを和服姿で団扇を持った女子、その外側には赤采と白采を持った大人が唄・笛・洞貝に合わせて踊る世の中踊りなどがある。


八に、三重県松阪市西野町の西野子踊り(羯鼓型)がある。<資料なし>

いつ頃に始まったのか、定かではないが、言い伝えによれば、室町時代か安土桃山時代からとも考えられている。

明治末期から昭和初期にかけて最も盛大であったが、昭和27年以降、若い衆が少なくなったことから中断した。

その後、昭和54年に保存会を結成し、踊りを復活し、現在に至っている。

和歌山県日高市日高川町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能である。

道成寺に展示してあった「道成寺から発信した郷土芸能の図」の中に、西野の子踊りがあった。

また、子踊りの「鐘巻踊」の歌の中にも安珍清姫悲恋物語が歌われている。

資料の一部によれば大江の羯鼓踊に近い様式をもつ地域は三重県の他、滋賀県にもあると書かれていた。

地区は甲賀市油日・油日神社の太鼓踊りがそうであるらしい。

こうした類事例の現状を調査するには何年もかかることであろう、と思う。

トップの写真は取材させていただいた南山城村・田山の花踊りである。

(H27.11. 3 EOS40D撮影)
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