マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

木津川市・れすとらんやましろの日替わりBランチ

2016年05月29日 08時12分19秒 | 食事が主な周辺をお散歩
京都府立山城郷土資料館企画展でたっぷり時間を過ごした。

丁度の昼どき。

午後1時頃までには帰宅するつもりで家を出た。

民俗行事をしっかり堪能した二人は久しぶり。

昼飯はどこにするかということになった。

近くにはれすとらんやましろがある。

JR木津駅より西側。

国道24号線沿いにある食事処であるが、そこを度々利用する写友人は定食は高めだという。

それなら場は少し離れるが国境食堂でも、と云って出発した。

直後に電話がかかった。

停車してプッシュするかーさんからの電話にこれこれかくかくしかじかで食事を摂って帰ると伝えた。

で、車を走らせる国道24号線。

この日は土曜。

やや安めの日替わり定食があると判って駐車した。

ドアを開けて入店する。

テーブルはけっこうな人で埋まっている。

土曜日は家族連れが多そうだ。

メニューは入口付近に書いてあった日替わりBランチ。

11時から14時までのタイムサービスなのだろうか、730円とある。

税抜き、或は税込なのか、そこには何も書いていないが、とにかくそれを注文する。

写友人に話す入院・手術の状況。

別の写友人のNさんから伝えられて知ったが、病に伏しているというから見舞いは遠慮した。

それでいいのである。

普段でない姿をみることは不要。

喋ることもままならない状態では見舞いの相手をすることもできない。

迷惑をかけるだけだ。そう思って、私の方からも連絡を取らなかった。

そうこうしているうちにランチが運ばれた。



一目見るなり、あーやはり。

術後の食事療法は塩分禁物。

一日あたりの塩分摂取の限度量は6gだ。

特に漬物はご法度。

定食やランチにつきものの漬物。

くちにすることはできない。

味噌汁もそうだ。

味噌でなく出汁で煮た汁椀なら食べられるが、味噌汁はだめだ。

主食・副食はどうなんだろうか。

小エビのフリッターにグリルドチキンはキャベツ、トマト、サラダスパゲテイや半切れのゆで玉子が添えてある。

ドレッシングの味は好みのほうだ。

グリルドチキンはやや脂がのっている。

おそらく塩・胡椒をしているようだが、塩含有量は判らない。

あっても少々だろう。

小エビのフリッターも塩を振っているように思えた。

味は美味しい。

副食は生姜醤油に漬けた焼きナスにイカ焼きだ。

これくらいの醤油は問題ない、と思う。

生姜、山葵、辛子は特に問題視されない。

香辛料は食事療法の禁物には入っていないのがありがたい。

それはともかくやましろのランチは美味しくてご飯が進君だった。

ここで一時間も話し込んだ。

出ようとしたら160円アップでコーヒが付くことに気が付いた。

ときすでに遅しである。

(H27. 8.29 SB932SH撮影)
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京都府立山城郷土資料館企画展の踊る!南山城−おかげ踊り・花踊り・精霊踊り−

2016年05月28日 08時50分30秒 | メモしとこっ!
入院中、封書が自宅に届いた。

京都府立山城郷土資料館のA学芸員からの送りもの。

彼が担当する企画展示のタイトルは「躍る!南山城−おかげ踊り・花踊り・精霊踊り−」だ。

ほとんどが戦前に中断されて以来、途絶えた地域の行事もあれば、復活した行事もある。

その展示に加茂町岩船におかげ踊りがあると写友人のKさんより聞いていた。

何年か前にA学芸員が調査をして映像を記録していたと話していた。

学芸員の講演が8月1日と記されていたが手術の翌日。

とてもじゃないが聴講できない。

企画展は8月30日まで。

おそらくは退院していることだろうと思って案内状を保管していた。

案の定というか無事に退院もできてやや遠出も可能となった。

企画展は南山城地区。

奈良市を越えればそこが山城になる。

木津川市内の山城町・加茂町・上狛に和束町、笠置町、城陽市寺田、井手町、南山城村など広範囲に亘る。

だいたいの位置関係は車を走らせたこともありある程度は認知している。

展示物を通して現在の行事を知る。

見てから現地を訪れる。

それもありだと思って退院2週間後のこの日を選んだ。

午前中いっぱい拝観して午後には帰宅する予定で車を走らせる。

何度も来ている京都府立山城郷土資料館。

国道から入口を登って行こうとしたら右側になにやら看板があった。

ぱっと見いだったが、目に入ったのは入館無料の文字看板だ。

この日が該当するのか、入館の際に確かめてみたい。

車を走らせて資料館の駐車場に着く。

さくら祭りがある。そこで躍っている映像。見る限りではあるが、どことなくイベント的に行われたように思えた

いつもなら数台が停まっているだけなのにこの日は満車。

こんなことは始めてだ。

病み上がりの身、階段をのそりのそり登って駐車場を見ていた。

そのときだ。どこか見覚えのあるパジェロが登ってきた。

ナンバープレートは存じている写友人の愛車だ。

階段で待つことにした。

手を振って合図すれば驚いていた。

特に申し合わせたわけでもないのに二人は合流したのだ。

企画展資料を受け取って入館料を支払おうとすれば本日無料。

京都府の主な施設は節電キャンペーン。

7月8日から9月30日まではクールスポット期間中につき入館料不要の無料開放を実施していた。

節電施設は無料もあれば割引設定もある。

サービス品もある。

施設独自の対応である。

資料館は無料であるが、企画展室などは冷房もあるし電灯も点いている。

まさにクールスポットである。

明日までは夏休み期間中。

大勢の子供たちが入館されて宿題の課題解決にあたっているそうだ。

この日のA学芸員は仕事休み。

ところがだ、同館にはボランティアガイドによる無料解説もある。

展示物を見る、読むだけよりも解説を聞くほうが学習できてずっといい。

お願いしたのは言うまでもない。

案内人のガイドさんが順を追った展示物に沿って話される。

企画展のサブタイトルはおかげ踊り・花踊り・精霊踊り。

冒頭に「踊り」と「舞」は違う。

「踊りは足を揚げる」が「舞」にはそれがないすり足。

それが違いだという。

簡単にいえば、要するに「踊り」は跳躍運動であるが、「舞」は旋回運動なのだが、動きだけでは違いは語れない。

場、旋律、振りなどにも大きな違いがある。

今回の展示は「踊り」。

どちらかといえば神振り踊りである。

冒頭にも書いたがほとんどが中断され、僅かな地区で復活伝承されてきた。

その様相を展示しているが、主だったものはかつての様相をあらわす絵馬だった。

奈良県内においてもおかげ踊りなどの踊りの様相を表現した絵馬がたくさんある。

その踊り絵を拝見して違いを知るのも学習だ。

最初に拝見したのは笠置町の切山(きりやま)。

明治5年の花踊り図絵馬がある。

切山では雨乞いの願掛けに氏神さんの八幡宮へ「ヒヤケ踊り」を奉納していた。

願いが叶って雨が降る。

満願の願解きに躍った「花踊り」を奉納した。

大太鼓、紙垂振り、団扇、背中に飾ったシナイなどなど多数の男性が躍る姿は帽子を被った武将らしき人もおれば裃姿や奴のような人も。

明治5年は江戸時代最後の慶應を終えて5年後。

まだまだ江戸時代文化の様相が残っているのだろうか。

ちなみに切山は木材を伐りだしていた地域。

山を伐るのは木を伐るということだ。

同じ漢字を充てていた奈良県内の地名に山添村桐山がある。

今では桐山の漢字を充てているが、かつては笠置町の切山と同じ切山だった。

その証拠は永正十一年造りの湯釜に「切山」の刻印文字で確認できる。

山添の切山は石切場があったことから「切山」だった。

参考までに付記しておく。

中央に配置した場には白むく姿に躍る再現人形がある。

お盆のときに行われる精霊(しょうらい)踊りは山城町の上狛(かみこま)だ。

地区の自治会ごとに集まる集団は揃って新盆の家の庭(たぶんにカド)で躍るという。

一部の地域では唱えていた念仏をオープンリールのテープに収録されていた。

そのことを伝える昭和56年1月17日付けの新聞記事も展示していた。

34年前の新聞記事も大切な記録だ。

懐かしいオープンリールテープ、私も3〜40年前のものがある。

テープデッキは壊れて回転することがなくなったオープンリールテープ。

たとえ機械があったとしてもテープ自身がくっついて読み取ることはできないだろう。

当時、苦心して記録された音声は物理的なテープだけが残った。

今回の展示には個人所有物も展示されている。

展示物のなかには太鼓踊唄写本などがある。

ところが原本が見つからない。

写本は原本より転記されたもの。

原本はどこへ行ったのか。

個人所有物は代替わりで消滅することが多々ある。

私が調査した範囲内の聞取りで判ったことは家屋の建て替えだ。

旧家には保存していた蔵もあった。

建替えによって新しくなった家屋に相応しくない残されていた過去の物品は、重要性は関係なく不要と判断されて消滅するのである。

解説される展示物を食い入るように拝見する。

明治六年の湧出宮の居籠祭(いごもりまつり)。

加茂大野のかっこ踊りも興味深い。

お茶栽培で名高い和束におかげ踊りがある。

昭和大典に躍ったあとの記念写真。

昭和3年の旧白栖村のおかげ踊りだ。

旧白栖村は皇室領。

藩領どころではない鼻高々の皇室領だという。

大典記念に撮られた集合写真は旧白栖村の他、精華町東畑・北稲八間もある。

加茂町の高田にはおかげ踊りの絵馬がある。

加茂町高田は大正五年。

昭和3年の大典3枚ある。

天皇大典はどこの村とも記念事業が行われたようやに聞く。

私が聞いたのは奈良県大和郡山市額田部町だ。

当時の写真を見せてもらったことがある。

城陽市寺田の水度神社。

文政十三年(1830)に奉納されたおかげ踊り絵馬がある。

同町の中での天満神社にも奉納されたおかげ踊り絵馬があるが、これは江戸末期の慶応三年(1867)だ。

写友人が教えてくださっていた加茂町岩船のおかげ踊りがある。

岩船は当尾(とうの)の里。

随分昔に自転車で来たことがある。

奈良市内を抜けてからは登りばかりの道。

途中で何度も休憩したことがある。

巡拝できる石仏がある。

ここへくれば訪れたい浄瑠璃寺や岩船寺がる。

いずれも訪れたが境内社は存じていなかった。

岩船寺に鎮座する境内社は白山神社。

ここで10月のマツリにおかげ踊りを奉納される。

最近の記録写真で動画もある。

再興された踊りはシデや幣を振る姿もある。

記録日は平成24年10月16日の火曜日。

平日なので固定日であるかも知れない。

復活現存しているおかげ踊りは岩船以外に、神社舞殿周囲を囲むように躍る城陽市富野荒見田・荒見神社や桜が咲く井出町のさくら祭りがある。

そこで躍っている映像。

見る限りではあるが、どことなくイベント的に行われたように思えた。

井出町多賀のおかげ踊り絵図はユニークな巻物様式。

稀にこういう様式を拝見することがある。

伊勢のおかげ参りに「ええじゃないか」がある。

日本全国爆発的に発生した「ええじゃないか」。

京都市の「中」には当時躍られた「豊年踊り」がある。

化粧をして乱舞する姿を描いた豊年踊りに躍動感を見た宇治田原町内の民家で発見されたそうだ。

城陽市歴史民俗資料館寄託の文政十二年・十三年に奉納された豊年踊りもある。

なかには文字を書いた日記がある。

日記といえども躍る姿を彩色豊かに表現したものある。

線画で描いた踊り図もある。

じっくり見ればでかい顔の人がいた。

キツネ面を被る人もいる。

もしかとすればだが、でかい顔の人はでかい顔の面だったかも知れない。

田山の花踊りは聞いたことがある。

たしか奈良市の月ヶ瀬からすぐ近くだと聞いていたが未だ現地入りはしていない。

田山は南山城村。

月ヶ瀬人口湖の東部山間になる。

11月3日に行われる花踊りは諏訪神社に奉納される。

集合・出発地は旧田山小学校グラウンド。

そこから神社に向けて行列行進するそうだ。

花踊りは記録した動画もあった。

踊りや衣装・シナイ飾りを見ていてなんとなく奈良市大柳生や月ヶ瀬石打の太鼓踊りを思い出す。

石打は大正13年に途絶えたが、昭和63に復活。

同じように田山の花踊りも大正13年の奉納を最後に途絶え昭和38年に復興、保存会を立ち上げた。

太鼓に乗った子供が雨乞い願掛けを口上するのも石打と同じ。

行列に棒(ハライ棒)のようなものを持つのも同じ。

天狗・ひょっとこも。

復活した石打の太鼓踊りは大柳生から習ったようやに聞くが、様式を見る限り田山を見習ったと思われるのだ。

田山にしか見れらない特徴的なものといえば、顔を金箔の笠で覆った黒い紋付衣装を着る「唄付け」だ。

踊り子の傍について貝吹きをする修験の人たち(神夫知か)。

案内ガイドの話しによれば踊り子の指導者であるようだ。

展示会場をぐるりと回って上狛の精霊踊りに辿り着く。

ひときわ目立つ白装束も展示してある。

大きな太鼓もあるし打ち鉦もある。

躍る姿を表現したイラストがある。

イラストの主はよろずでざいんの中川未子さん。

どこかでお会いしたような名前が気にかかる。

しばらくして思いだした。

この年の3月31日、4月1日の両日。

天理市のちゃんちゃん祭りだ。

大字成願寺の北垣内で調査されていたイラストレータだった。

特徴ある描き方で思いだした。

精霊踊りはナモデ踊り、ジンヤク踊りがあるようだ。

上狛は環濠集落。

8月14日、新盆のタナマツリは地区の人たちが新盆の家を訪問して供養の踊りを披露する精霊踊りをする。

家中に入ることなくカドで躍るように思えた。

振りは小さいが、次の新盆家に向かう道中でも躍っている映像があった。

上狛は泉、野日代(のびだい)、小仲小路(こなしょうじ)、五つ郷(角・城・御堂・磯・殿前垣内?か)、林からなる。

かつては隣村椿井の椿井南、椿井北、神童子(じんどうじ)、北河原や平尾の北平尾、東平尾、大平尾および鹿背山にもあった精霊踊り。

神童子、椿井は大正期、上狛は昭和21年、平尾は昭和28年に発生した南山城水害を最後に途絶えた。

ただ五つ郷だけは踊りを復活されて現在に至っている。

当時の精霊踊りは踊り子のカンコ打ち、シンボウ打ち、音頭取り、太鼓打ち、鉦叩き、シカ持ち、ガワなどで構成されていたが、奈良県内でみられる念仏は踊りでもなく六斎鉦を打ちならし念仏を唱える様式だ。

違いがあることが判った上狛の精霊踊り。

できる限り拝見したいものだ。

ガイドが最後に案内した場。

昭和初期から30年代にかけて製造された製茶機械が保存されている。

製茶製造に活躍した機械を通じて製法が理解できる仕組みだ。

これもまたガイトがなければただたんに見て回るだけ。

熱心に解説してくださりこの場を借りて御礼申し上げる。

なお、この日の満杯駐車場の理由は古文書手習い教室の参加者だった。

毎回、参加人数が多くなっているそうで、レベルが高い人もおれば初心者も。

そのようなことで、レベルを分けた二グループに分けたそうだ。

(H27. 8.29 SB932SH撮影)
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回転寿司ととぎん郡山本店の得盛ランチセットB

2016年05月27日 08時55分31秒 | 食事が主な周辺をお散歩
送迎をしている患者さんが美味しいと話していた。

それを思いだした病院からの帰り道。

回転寿司ととぎんは出前もしてくれるので助かるとも云っていた。

週に3べんも通る送迎の道。

新鮮なネタとも思えるような看板に魅せられてこの日はここにした。

場所はといえば大和郡山市の横田町。

国道24号線と25号線がぶち当たる交差点の東角にある。

目指していたのは下三橋のはま寿司だったが、食後の買い物ルートから考えてととぎんにした。

入口付近に立て看板があった。

お得な昼の定食が税抜き780円より、とある。

美味そうに見えたのでこれにした。

ドアを開けたらガラーンとした場に出る。

ととぎんはそこからさらにドアを開けなければならない。

定食なので席はカウンターでなくテーブル席とした。

メニューから選んだお品は得盛ランチセットB。

10貫+中巻2貫に小鉢が付く。

さらにはうどんか、赤だしか、茶碗蒸しのいずれかも付いている。

かーさんは茶碗蒸しを選んだが私はうどんだ。

うどんの選択肢は二つ。

温か冷たいものか、である。

この日は暑い。

汗はかきたくないので冷たいうどんを選んだ。

うどんは何も言わなければミニサイズ。

価格は同じで「大」量も頼める。

たっぷり食べたい方は是非注文してほしい。

始めに配膳されたのはにぎり寿司。

回転台向こう側から職人さんが手渡してくれる。

その他は店員さんが運ぶ。



まず始めに箸をつけたのは冷たいうどん。

しっかりした麺はコシがある。

あるというよりも、しっかりとした麺は歯ごたえたまらん強烈さ。

出汁も美味い。

で、にぎり寿司といえば、ネタがやや乾燥気味。

すべてではないが最初に口に入れたネタがそう感じた。

ワサビは入っているがどこか物足りない。

流れるレーンからワサビを手に取ってプラスする。

一貫、二貫、三貫・・・・。

食べても、食べても旨みを感じない。

何かが足りない。

シャリが寿司飯になっていないと思うのだ。

ネタの旨さもどうかしていて、新鮮味を感じない。

量的には満足したがネタ的には不満が残る。

ただ、嬉しいのはクレジットカード支払いができるということだ。

(H27. 8.28 SB932SH撮影)
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得得天理別所店のミックス丼ランチ

2016年05月27日 08時48分28秒 | 食事が主な周辺をお散歩
診察受付は13時過ぎ。

その時間に合わせて自宅を出る。

昼どきの食事はどこにするか。

それは決まっていた。

天理別所店の得得だ。

7月31日、手術の日は自宅へ戻ることなく天理の在所で宿泊したかーさんとおふくろ。

病院、宿泊所間にある食事処はほぼ中間地点。

徒歩距離はそれほどでもない。

両人ともうどんは大好きだ。

そう思って晩食を頼んだ。

美味しい料理だったと二人は喜んでいた。

それならばと思って立ち寄った得得。

メニューは度々訪れる大和郡山フォレオタウン筒井店と同じだ。

なーんだと云いそうになるが、この日は特別。

普段は食べることもないメニューを選ぶ。

私が注文したのは税抜き750円のミックス丼ランチ。

ミックスとはエビ天とトンカツが乗っているからだ。

ミックスというよりもツインである。

麺は選ぶことができる。

躊躇することなくぶっかけうどん、である。

かーさんは細うどんを盛ったざるうどんに天ぷら盛り。

1090円の税抜き価格だ。

中途半端な値段設定がオモシロイ。

しばらく待って配膳された。



先に箸が行くのはぶっかけうどんだ。

ワカメに刻みネギ。

天かすもあればワサビも付いている。

喉越しよろしいつるつるうどんはさっぱりして美味しい。

出汁はたぶんにカツオ。

醤油っぽくないのが嬉しい。

ひとくち、ふたくち食べて丼に移る。

甘くもなく辛くもない丁度いい味加減。

トンカツは三元豚。

歯ごたえよろしく、噛んだら旨みがジュワ、である。

天ぷらは丼にしているのでサクサク感はない。

とじタマゴにネギを入れた丼は美味しいのである。

箸が止まらない。

食べよけあるのでなかなか減らない。

今度、注文するときはご飯の量を半分にしてもらおう。

香物は食べられない。

不味いのではなく漬物を食べることができないのだ。

1日辺りの塩分摂取は6g以内に制限されている。

尤もうどんにはたっぷりの塩分でこねられているので仕方はないが・・。

他の食事で補うしかない。

ちなみに単品のぶっかけうどんは売っていない。

細ざるうどんもない。

客の要望は天に通じるだろうか。

(H27. 8.25 SB932SH撮影)
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退院後初の外来診察

2016年05月26日 11時29分09秒 | むびょうそくさい
退院してから2週間後。

初回診察に病院へ向かう。

午前中は外来棟奥の駐車場が満杯。

溢れた車は入場待ちの行列になっていた。

警備の案内で少し離れた場に指定駐車場を教えてもらって方角を替えた。

路地駐車の半分以上が空いていた。

そこから歩いても数百メートル。

歩行速度はまだまだ。

かーさんに着いていくのが精いっぱいだ。

1階で診察券を入れて本日の診察を受付で確認する。

案内された検査フロアーは4階。

総合検査受付を済ませてから診察前検査の採血をする。

採血量は4本分。

いろいろな検査に使うのだろう。

同フロアーで胸部レントゲンの撮影もある。

撮影士は私の顔を覚えている。

入院時はそれほど検査があったということだ。

レントゲンは入院時と同じで正面と横面撮影。

検査が終わったのは、受付を済ませてから20分。

診察は2階になる。

検査結果が出て医師の診察。

予定時間はこれより1時間20分後。

お昼近くになる。

心臓血管外科診療室の前で座って呼び出しを待つ。

1診と2診の診断時間が表示されていたが、途中で2診だけになった。

1診を担当する医師の都合があったのかどうかは存知しない。

呼び出しがあった。

診察券は受付の女性職員に手渡す。

診察券は首紐が付いたカードケースに入れて戻される。

診察券を表示することで患者入れ違いの誤診察を避けているのだろう。

待合室に置いてあった血圧計で測ってみる。

実に2週間ぶりだ。

血圧は112−75。

脈拍数は79。

特に問題がない範囲内だ。

実は数日前から足の浮腫みが出ていた。

気にはなるが、特に問題はないという診察のM医師。

血液検査の結果によれば、まったく異状が認められないという。

ワーファリンの服用量を若干下げてみようという。

次の診断は4週間後。

本日いただくワーファリンの量は2.5mg。

1mgも減ったが、3カ月間は継続だ。

肺の水溜まり具合は極、極、僅かになった。

その関係であろう、最近は咳・痰が極端に少なくなっている。

ちなみに肺の水溜まり具合はどれくらいか。

それはレントゲン結果を比較することで判る。

退院直前に撮った画像と、この日撮影した画像を見比べる。

ほとんどが消えていることがよく判る。

随分と減ってもう少しのように見えた水溜まり。

来月の診察が楽しみになる。

開腹切断した肋骨・脊柱がくっつき始めるのは術後の3カ月後。

長い期間である。

現在はまだくっついていない。

何も手当をしなければ、骨が広がる状態にある。

広がりを抑止するのが胸帯。

切断カ所の上部、つまり喉仏した10cm以上に亘って痛みがある。

痛みといってもズキズキするものではないが、痛みを感じなくなるのはいつになるだろうか。

外科手術を受けた患者は一様にそう云うらしい。

骨は手術の際にリングのようなものを巻き付けて離れないようにしている。

そのリングは胸部レントゲンでは鮮明な画像化できないようだ。

次回の検査で消えていることを祈りたい。

術後の状況は特に問題も見られないので、仕事に就けるかどうか医師の診断を仰いだ。

仕事は患者さんの送迎。

車を走らせ、停めてドアの開け閉めは多いが、力仕事はない。

そういう仕事ですが、どうでしょうかと恐る恐る尋ねた

。結果は就いて良し、である。

走る、力を入れるなど心臓に負担をかけることは避けて行動してくださいという。

尤も、ご自身がいちばん身体の状態を把握しているので無理のないような範囲内で就く日を判断してくださいと云う。

ありがたいお言葉である。

ちなみに不整脈の状態については今回の診察に入っていない。

血液検査においても支障のない範囲内であるが、次回の診察に心エコーおよび心電図をプラスしてみようということになった。

入院期間中および今回の診察結果については前入院先のT病院のS外科医師にデータを送るようだ。

現病院の診察は術後の状況を把握するため、1年後まで続けられるが、もしかとすれば前入院先と現病院と併用診察になるかもしれないという。

診察を終えて気になっていたことを尋ねる。

入院中は幾度もレントゲン撮影をしてきたが、放射線のことが気がかりだった。

医師の答えは昔のレントゲン撮影は直接撮影。

今の時代は間接撮影なので、放射性物質は気にする必要がないという。

昔に云われていたレントゲンは半年に1回ぐらいやで、というのは頭から消さなくてはならない。

ただ、CTエコー検査は月1回程度という基準があるそうだ。

帰宅してから思いだした。

感じる心臓の現況を伝えておきたかった。

それは何か。

お風呂では肩まで浸かることができないのだ。

胸下まで浸かった段階で息苦しいというか、心臓が圧迫されるような感覚はいつ解消されるのか、である。

もう一つは仰向けができないことだ。

左右どちらも横向きは難なく呼吸ができる。

ところが仰向きになれば圧迫されているようで呼吸がしにくいのである。

これらも3カ月待たなければならないのか。

今後の診療で明らかになるだろう。

(H27. 8.28 記)
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退院後初の心臓リハビリ運動

2016年05月26日 08時53分55秒 | むびょうそくさい
この日は退院後における初回のリハビリ運動。

退院後の毎日のリハビリはどうしてきたか、である。

毎日の2回。

午前中に1回、午後は夕方に1回。

それぞれ自宅周辺の街を歩く。

てくてく歩きだから時間はかかる。

およそ1周を20分かけて歩く。

歩行リハビリにうってつけなのが坂道だ。

周辺は段丘差がある。

ときには緩やかに、ある場所は足も鈍足に落ち込む急な坂道。

病院の廊下は水平で歩きやすいが、段丘差があるほうが、足の筋肉トレーニングにもなる。

合計40分の歩行距離は2.5km。

携帯電話の歩数計なので誤差はたぶんにあるが、ある程度の目安になる。

当初はリハビリ施設まではバス・電車・徒歩で行くつもりだった。

退院時に外科医師が伝えた留意事項。

不整脈があるので車利用は避けたほうが望ましいと云われていた。

というのも術後すぐに心不全不整脈が発症しめまいを感じたことだ。

もしや運転中にめまいを生じたら、である。

それに克服するにはいきなり運転するのではなく、徐々に距離を伸ばすことである。

数分で着ける近くのスーパーマーケットで買い物をするとか、用事を作って運転するとか、機会を増やすことである。

1回目は確かに不安だった。

2回目は少し落ち着くも左右確認に首を曲げると同時に上半身もある程度は曲げなくてはならない。

これが苦しいのである。

安全運転はいつもだが、一か月以上も離れていた運転感覚を取り戻すには短い距離を運転する回数を増やさなければならない。

ノロノロ運転の距離は伸びて20分間。

往復で40分間。

何回かこなすうちに慣れてきたのである。

横で乗っていたかーさんも安心できるようになっていた。

開腹手術の傷口は車が揺れるたびにシートベルトが擦れて痛みを生じるが、徐々に感じ方が減少してきた。

片道30分、入院していた病院の外来棟を目指して走る。

早めに家を出て早く着く。

外来病棟奥にある駐車場。

降りた1階。

外来棟に繋がる道だ。

棟に入った瞬間、なぜか歩きが鈍くなる。

かーさんが早くに見える。

おっつくこともできない。

これが私の現状なのだと認識する。

エレベータは4階までだ。

リハビリ室は5階。

階段を登らざるを得ない。

これがまた一歩、一歩の登り方。

足があがらなくなった。

自宅周辺の坂道運動をしてきたが、階段はそれ以上に負担をかける。

リハビリ室受付前の椅子に座って呼吸を整える。

ゆったりした時間を設けて整える。

待つこと30分。

午後の心臓リハビリ受付が始まった。

施設にある血圧測定器で測る。

測った血圧は朝に測った体重も問診票に記入して提出する。

心電図モニターを装着して席に座る。

準備運動・ウオーミングアップ運動で調子を整えて自転車エルゴメーターに乗る。

始めのワークは10からだ。

回転数はほぼ60でペダル漕ぎ。

脈拍・心拍数は74から76辺り。

運動時には上がって86だ。

運動時の血圧は109−73。

申し分ない値に満足する。

ペダル漕ぎは25分間。

入院時よりも5分間伸びている。

ワークは徐々に上げられて15、25、35。

疲れも苦しさもまったく感じない「楽」である。

リハビリ療法士のGさんは力強さを感じるという。

おそらくは自宅周辺を毎日2.5kmも歩いている成果であろう。

2週間後の次回はワークを35および40ぐらいに引き上げたい。

毎週水曜日は運動の負荷検査がある。

一度、測定したほうが望ましいと云われるが、本日もまだ不整脈がみられる。

正常な状態にしてから負荷測定することが望ましいとたまたまおられた担当のK循環器内科医師のアドバイスもあって次回のリハビリ時に判定しようということになった。

準備運動やペダル漕ぎを見られたリハビリ療法士と循環器内科医師。

早い段階で体力を戻している。

他の患者さんと比較すればとても早いほうだという。

クールダウン整理運動をしてこの日のリハビリを終えた。

(H27. 8.25 SB932SH撮影)
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地蔵さんはどこへ行く

2016年05月25日 08時48分37秒 | 移設道路工事
退院してからは自主的なリハビリ運動が欠かせない。

一日二回。午前中の涼しい時間帯に1回目の歩行リハビリ。

だいたいが20数分。距離にして1.3kmぐらいだ。

2回目の歩行リハビリは夕方近い時間帯。

お日さんがやや落ちて日陰ができる時間帯に歩く。

これもまた、20数分間で1.3kmの距離。合計して2.6km。

実際は若干のコース変更があるのでだいたいが2.5mぐらいになる。

リハビリは日課。

どれぐらい筋肉が戻ってくるか、である。

24日はコースを替えてみた。

団地道路を抜けてバス通りに出たら景観が変わっていた。

左手角には小屋があった。

入院中だったか判らないがある時点で壊されたのであろう。

ここは道路拡張にかかる部分。

右手はすいぶん前に整備されており侵入されないよう金網で囲われている。

道路向こう側の家屋は一部が壊されて工事関係者の宿舎になっている。

その左手には樹木がある。

樹木下にあるのは主水山地蔵尊。

地蔵尊の祠もある。

その右手が拡張された区域。

工事中につきブルーシートが敷かれていた。

それから2日後の26日。

朝の歩行リハビリをしていた。

この日もずっと下って24日と同じ場所に出た。

なんとなく雰囲気が違う。

何が違うかと云えば、樹木だ。

伐採されて影もない。

当然ながら主水山地蔵尊は祠ごと消えていた。

どこへ行ったのか地蔵さん、である。



6月初旬に始まった県立奈良病院移設建築に伴う石木−城線都市計画道路付け替え工事は9月30日まで続く。

変容の記録も要るだろう。

(H27. 8.24、26 SB932SH撮影)
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退院祝いに斑鳩幸前山久の鶏天セットざるうどん

2016年05月24日 08時56分04秒 | 食事が主な周辺をお散歩
退院の日に合わせて大阪住之江から電車・バスを乗り継いでやってきたおふくろ。

36日ぶりに我が家で暮らすリハビリに少しずつ表情が明るくなっていた。

この日は次男がカナダよりスカイプ通信。

退院直前にメールしておいた親父の姿をテレビ電話で伝える。

手術痕はテレビ電話で知らせることができる。

痩せ細った親父の身体はまるでじいさん。

入院・手術で筋肉がなくなった上半身中央に手術痕が走る。

あばら骨こと肋骨の中心をなす脊柱は手術の際にソーで半切りしていた。

心臓にある僧帽弁処置するがために切断するのだ。

手術が終われば元の状態に戻される。

とは言ってもソーで切断しているのでくっつけるにはリングのような器具で締めていくらしい。

喉仏からみぞおちまでおよそ20cmは痕跡は誰が見ても認められる。

喉仏辺りはなぜかこんもりと盛り上がっている。

向こう三か月間は胸帯を装着する。

ソーで切断した肋骨は戻したものの広がる可能性がある。

それを支える胸帯である。

そのような姿をスカイプで送った映像に驚く次男。

大事にしてやという。

二日間、我が家に来ていたおふくろは大阪に戻る時間帯はお昼。

退院祝いを兼ねて出かけた斑鳩町幸前にある山久(やまひさ)。

丁度、一年前に入店したことがある食事処だ。

にぎり寿司もうどんも美味しかった同店は何かの折に是非、と思っていた。

かーさんも賛成する美味しいお店。

選んだメニューは鶏天セットのざるうどん。



六貫のにぎり寿司がついている。

デザートにマンゴープリンもついてくる。

このセットで税込1393円。

おふくろはそこまでいらないからと言って単品のざるうどんは税込で580円。

にぎり寿司も少しは食べたいと願って湯引きゲソのにぎり寿司とマグロを注文した。

いずれも一貫。両品とも税込みで170円。

なんとお安いことで。かーさんはにぎり寿司膳に赤出しがついた「しおさい」。



税込で1512円の上等もん。

どちらかと云えば醤油出汁に浸けて食べるざるうどんはとにもかくもコシが強いのだ。

おふくろが注文したざるうどんは見るからに量が多い。

多い、多いと云いながら食べつくした。

お盆も過ぎたが、お寿司のお味も満足した「山久」は家族連れが多かった。

(H27. 8.17 SB932SH撮影)
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古市のセンゲンサン

2016年05月23日 08時40分35秒 | 奈良市へ
昨年に引き続き行事取材に訪れた奈良市古市町。

道路横に建つ仙軒大菩薩堂は6軒で営む仙軒講中の所有物。

この日はセンゲンサンと呼ぶ講中の行事で、夕方近くになれば提灯に灯りが点る。

ローソクではなくお堂下にある民家から電灯線を引き延ばして点けた。

かつてのお堂は北寄りにあったが、崖が崩れて建物は崩壊した。

その後に場所を移転して修繕したのは大正五年二月。

それから60年後の昭和47年7月、堂右手に六畳の部屋を新築したそうだ。

堂内に掲げてあった板書には「浅間堂 浅間講」と書いてあった。

仙軒大菩薩堂は「浅間堂」と呼んでいたようだ。

「浅間」と書いて「センゲン」と呼ぶのであるが、講中は「仙軒講」であるゆえ、本来は「千軒」の漢字で充てるべきだったようだと長老は話す。

古市の「仙軒講(浅間講)」は富士山信仰の富士講でもあるのだが、水行の作法は行われない。

「浅間堂」が東向きに建てられているのは富士山がある方角だ。

遥拝の場であったろうか。

一年に一度、お厨子の扉を開けてご本尊を開帳される。

黒ずんだお厨子を開ければ、真新しい桐製の箱があった。

箱には古い巻きものを納めていたが、広げられないほどに傷んでいることから別の場で管理しているらしい。

昭和63年、奈良市教育委員会刊の『奈良市絵画調査報告書』によれば仙軒講所有の掛図は江戸時代の「不動明王像」、「浅間本地仏図(阿弥陀三尊像)」、浅間本地仏図(孔雀明王像)」など六幅があるそうだ。

それはともかく厨子の前に供えたお供え。



トマト、ナスビ、キョウリが八個ずつ。

厨子の右横に木造立像仏を安置していた。



いつの時代に誰がどのような経緯で安置されたのか伝わっていない理源大師像である。

そこに供えた白いもの。

講中の家で作って供えた「センゲンダンゴ」である。

これもまた数は八つである。

これまで調べた県内事例に富士講の水行がある。

柄杓で掬った川の水を前方に飛ばす処もあれば頭から注ぐ処もある。

いずれも「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やーっ」と唱えながら水行する。

いわゆる水垢離の作法であるが、お供えの数といい、なぜに八つなのか。

関東にお住いの富士講研究者の方からご享受たまわった。

それは富士山頂にある八つの峰(八葉蓮華)にたとえた神仏の数に基づくようだという。



夕方近くになれば母親らと共に子供がやってくる。

願主に子供の名を書いてご祈祷をしてもらう。



長老は幣をもって「南無仙軒大菩薩」を三唱。

「願くは 願主の 無病息災 学業成就のご加護を垂れ賜わりますよう願い上げ奉る 南無仙軒大菩薩」も三唱する。



唱えたあとは幣を頭に翳して学業成就。

菩薩さんから知恵を授かるということである。

昨年も祈祷してもらった子供たち。

講中外の子供たちも参拝することができる。

今年も一組だった。

以外は講中の孫さんたちだった。



一年、一年お参りをして成長していく幼き子たち。

いずれは大きく育ってお参りもしなくなるだろうな。

祈願も一段落すればお厨子の前に置いていたホラ貝を取りだす長老。

子供に「吹いてみ」といって手渡す。

ホラ貝は山上講の先達が吹いていたもの。

「吹けたら健康になるんやで」と子供に話す長老。



いとも簡単に音を鳴らす子供もおれば、なんぼ吹いても音は出ない子供もいる。



ちなみに、安置していた理源大師木造立像は山上講が寄進したものであった。

仙軒講が代々に亘って保管してきた講箱がある。

黒ずんだ箱は相当古いと思った。



今回訪れた主目的は講箱の調査だ。

もしかとすれば年号が残されていないかと思って講中とともに調べてみた。



上蓋には文字が見られなかったが中蓋にあった。



「寛永七年(1630)□□(庚午と思われる)九月 □ヨコ井村に」の墨書があった。

「ヨコ井村」は古市より500m西南の奈良市横井町と思われる。

この箱は元々横井村にあったものなのか、それとも仙軒講に関係する人物が横井村と関係していたのか判然としない。

講箱内に三つの文書があった。



「元治元子年(1864)三月ヨリ □□豊入金波□帳 当村□講中」。

全件見る時間もなかったので詳しくは判らないが入金帳のようだ。

大正時代より書き記された文書もある。

「大正三年一月八日 仙軒講諸入費勘定帳 仙軒講中」である。



他に「大正五年貳月 仙軒堂移轉修繕見積書」もある。



また、3枚の版木も納めてあった。

一つは「方 鎮供之牘(版) 寶蔵院」だ。



もう一つは「奉轉讀大般若経息災延命処」だ。



大般若経転読法要があったのであろう。

版木はそのときの祈祷札と思われる。

祈祷場はおそらく寶蔵院。

何を鎮供したのか判らない版木である。

もしかとすれば真言宗派であったかも知れないが、寶蔵院はいったいどこにあったのだろう。

版木はもう一枚ある。

「守護処 轉災為福 如意圓□」だ。

守護処はおそらく寶蔵院。

除災を念じたのであろうが、仙軒講との関係性が見えない。

入り混じっている物的証拠の数々。

仙軒講にとって明確な年代は「元治元子年(1864)三月ヨリ」しかない。

(H27. 7. 8 EOS40D撮影)
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古市町平尾池の弁財天社

2016年05月22日 08時44分01秒 | 奈良市へ
奈良市古市町に鎮座する御前原石立命(みさいはらいわたつ)神社がある。

ここより東方500mの平尾池北岸に境外末社の厳島神社がある。

古市ではここを弁財天社と呼んでいる。

その名の通り、石灯篭には「弁天」の文字が刻まれていた。

7月7日の夕刻には当地で弁天さんの行事があると聞いていた。

待てど、暮らせど、どなたも来られない。

翌日にお会いした氏子の話しによればこの日は雨天。

仕方なく御前原石立命神社で行ったという。

雨天でなければ神社に行燈を掲げて水利組合による行事が行われる。

御供は宮座のトーヤ(当屋)が供えるらしい。

弁天社向かい、里道を挟んだ処に「平尾池之碑」がある。



奈良県刊の『歴史から学ぶ奈良県の水害史』によれば伊賀上野地震によって決壊した平尾池。池普請のことが書いてあるそうだ。

嘉永七年(1854)6月15日に発生した伊賀上野地震はマブニチュード7.3だったようだ。

奈良市・大和郡山市ではM6.0(想定)。

甚大な被害があった。

古市奉行所の倒壊で役人の半数が亡くなった。

300戸もあった在所古市は民家も倒壊。

残ったのは15戸。

池の決壊で土石流が発生。

家や人が流された。

長年の研究で、在地の震度はM7.0の規模になると伝える。

ほとんどの文字が判読できなかった碑文に「干」の文字があった。

干害用のため池でもあるようだ。

2月11日に御前原石立命神社でオンダ祭が行われる。

所作の際に唄われる千秋万歳楽の第四番に「井手あげ、日もよし、ござれ井手こそあけましよ、はれめんと。三ぞうやり水、古市田、永井田、辰ノ市田迄、水こそあまりますれば、はれめんと」の詞章がある。

平尾池の池水は古市町、永井町、東九条町(辰ノ市)が利用していたのだ。

(H27. 7. 7 EOS40D撮影)
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萱森のヤブカンゾウ

2016年05月21日 08時32分38秒 | 自然観察会
小夫嵩方の天照皇大神社下にノカンゾウらしき花が咲いていた。

咲いている地は入ることはできないので遠目で拝見していた。

小夫嵩方より足を伸ばして萱森へ行く。

「タメトモユリ」がもしかとすれば咲いているかも、と思っての足伸ばし。

だが、この日も咲いていなかった。

十日後の7月14日、畑の住民から電話があった。

「タメトモユリ」が咲いたというが、入院中の身。

病院から抜け出すことはできない。

8月末まで咲いているとも云われたが、今年はなんとも・・・。

電話の主は自宅前にも「タメトモユリ」があると話していた。

花はまだまだだったが、隣にヤブカンゾウが染まっていた。

(H27. 7. 5 EOS40D撮影)
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小夫嵩方天照皇大神社六月座

2016年05月20日 09時18分53秒 | 桜井市へ
桜井市小夫嵩方に祭り当屋がある。

10月初めに天照皇大神社の分霊を遷したヤカタを当屋家で祀る。

10月末には神社に戻られる。

当屋が施主となり秋のマツリまでに行う行事がある。

六月座である。

『桜井市史 民俗編』によれば、当屋はソラマメ、フキを大重箱に盛って神社に供えたとある。

下げた御供は参集した氏子がいただいた。

随分前のことである。

今ではソラマメやフキ盛りは見られないが御供は施主負担で揃えられる。

六月座を始める前に御供を献饌する氏子総代ら。

本社や小社の山王神社・琴平神社、社務所に掲げる天照皇大神宮・豊受大神宮のご神号にも供える。



三方に載せた人形(ひとがた)が拝殿前に置いてあった。

氏子の話しによれば予め配られた人形に息を吹きかけて穢れを移したという。

家族全員が息を吹きかけた人形はこの日に神社へ持ち込んだ。

六月座は夏越の祓も兼ねている村行事。

神職は人形を祓戸社に奉って幣で祓った。

半年間の罪や穢れを流し、後半の半年を平穏無事に暮らせるよう祈願したという。

昔は川に流した穢れの人形。

今では翌年のトンドの火で焚き上げるようだ。

祓えの儀、お神酒の口開け、夏越の祝詞を奏上される。



次は氏子一同も揃って奏上する大祓詞。

一巻を奏上する。

右手にあるお供えは小社の御供。

本社の御供とは若干の違いがある。

かつてはビワの実やスルメもあったが、ビワが実る時期とズレが生じたことから何時でも買えるバナナに替えたそうだ。

(H27. 7. 5 EOS40D撮影)
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膨れ上がるFacebookに対応処置

2016年05月19日 08時49分34秒 | つうしん
FBを利用するにつれ「おすすめ投稿」や「おすすめ動画」が増えていく。

内容といえば受け取りたくもない広告である。

数が増えていけばいくほどリソース不足に陥りパソコンが動作不能。

しかもだ。不要な広告が目に入る。

目につけばしばらく停まる。

不要と判断して流すだけでも時間がかかる。

無駄な時間は費やしたくない。

除去しなければと思って非表示扱いにするが、それぞれの広告ごとに「編集」「非表示」をしなければならない。

対応数が増えていけばリソース不足が解消しつつある。

今後もこまめに対応していきたいと思っている。

映像は平成20年8月23日に撮らせてもらった室生下笠間で拝見したモグラ取りの機械である。

Facebookに出現する私にとっては不要な「おすすめ」。

非表示にしてもあちらこちらから出現する。

出る度に設定する非表示扱い。

減ることもなく増えているのだ。

出現する「おすすめ」は商品とは限らない。

リンクさせてもらったトモダチからもある。

存知しない団体もあれば興味もないニュース情報などなど。

これもまたリソース不足に影響を与える私にとっては不要な情報。

発見しては非表示する。

対応の方法が判ったから見つけては処置をする。

その数はもっと多い。

一日当たりの非表示件数はうなぎ登りで30〜40数にもなる。

処置に要した時間は30分〜1時間。

毎日、それだけの無駄な時間に付き合わなくてはならない。

困ったものだ。

それから数日経っても非表示しなくちゃならない書込みは倍増どころではない。

原因は我にあるのではなくトモダチのトモダチが増幅しているというわけだ。

トモダチが発信する書き込みは非表示をしない。

しかしだ。

トモダチのトモダチは抑制できない範疇にある。

増幅する非表示対象書込みに難儀する。

これこそイタチごっこ。

イタチくんには申しわけないが、モグラ叩きの意味合いを込めて画像はこれにした。

(H27. 7. 5 記)
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素敵なPOPで奈良本販売

2016年05月18日 09時37分17秒 | しゃしん
素敵なPOPを書いてくださったカメラのキタムラ奈良南店。

本屋でもないカメラ店だが、著書の淡交社刊『奈良大和路の年中行事』を販売してくださっている。

感謝、感謝である。

この月に開けているページは7月7日に行われる「金峯山寺蓮華会(蛙飛び行事)」。

季節に応じてページ替えするそうだ。

(H27. 7. 3 SB932SH撮影)
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オモロイ形の桃太郎トマト

2016年05月17日 08時57分29秒 | メモしとこっ!
先月の30日、行事の取材中に携帯電話の呼び出し音が鳴る。

声の主は大和郡山市小林町に住む婦人だ。

その晩に「Hさんが栽培するトマトが面白いものがある」とメール配信があった。

翌日は仕事がある。

都合はつかないが興味が湧くオモロイトマトのお誘いは断る理由がない。

そう思って仕事休みのこの日の午後に訪れた。

「これがそうや」と云って箱から出してくれた。

一つは突き出すような恰好のトマト。

まるで角が生えているようだ。

もう一つは穴がぽっかり開いている。

二つ並べたら・・・、である。

評判になったトマトはご近所の人たちが物珍しさで立ち寄ったそうだ。

オモロイ形の野菜は以前にもあった。

平成25年6月24日のときはカボチャにナスビだった。

ときおり異形な野菜ができるようだ。

今回拝見したトマトの品種は桃太郎トマト。

朝4時に起きてすぐにハウスに向かう夫妻。

手伝いに来てもらっているSさんはそれより早く着いているというから睡眠時間はHさんよりも少ない。

ぐっすり寝つくので身体はしゃんとしているそうだ。

ハウス内は陽が昇るにつれ熱くなる。

少なくとも7時には採りいれ作業を済ませて収穫したトマトを農小屋で選別する。

午後はまったりとした時間を過ごしていたという。

熟れたトマトはマヨネーズをかけて食べているというHさん。

我が家の食べ方と同じだ。

Hさんは杵築神社宮座中の一人。

一老が数週間前に亡くなったことから左座の三老に繰り上がった。

7月の祇園さんは四十九日も過ぎていないので秋のマツリから出仕されるという。

平成25年には前一老だったMさんが亡くなられた。

その後を継いだNさんも亡くなられた。

順繰りにあがって座を務めることになったという。

左座・右座の一老、二老、三老は新福寺で行われるオコナイも役に就く。

先日は新福寺の地鎮祭が行われた。

再建されるのは2年後。

平成27年のオコナイは新築された愛染会館で行われるようだ。

平成25年5月に水口マツリを取材させてもらったH家。

7月20日ぐらいには田の水を抜く。

水がなくなった田は日照りでカンカンになる。

一週間も経てばひび割れ状態が出現する。

これを土用干しという。

すくすく育った稲はカンカラカンになれば負けじと根が張る。

稲が強くなるということだが、砂地の田んぼではひび割れは発生しない。

南の今国府町辺りの田んぼは砂であるが、H家の田んぼは農小屋の北側。

そこは砂土でなく「ネバ土」だと呼ぶドタ。

ひび割れが見られるというから是非伺いたいと思った。

田んぼの話題に移ったときを見計らって直播きをしている農家の話しを出してみた。

その直播き田んぼは知っているという。

田んぼの向かい側にある倉庫は収穫物を収める箱を売っている。

「今までおじいさん、おばあさんがおって買っていた」という。

そこで聞いたというのが直播き田

農家の人からと直接聞いたわけではないが稲が成長してからがたいへんだという。

田んぼに生える雑草刈りが難儀だそうだ。

草取り機は使っているかどうか判らないが生える雑草は除草剤でなんとかしているそうだ。

(H27. 7. 2 SB932SH撮影)

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