マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

S&B町中華シーズニング台湾肉そぼろをつくる

2024年09月21日 07時26分25秒 | あれこれインスタント
百均ダイソーに売っていたS&B町中華シーズニングシリーズ。

これこそ私が求めていた台湾まぜそばにぴったし合うシーズニング味。

町中華・名店の裏メニュー。

なんと町中華探検隊公認のシーズニング



尤も、私の知る範囲では、町中華探検隊はまったく存じていない。

どこの誰兵衛か、まったくわからない探検隊。

あくまで推定であるが、探検隊の所属はS&B社にあるのでは?。

つまりは商品開発者たち。

それとも、味のアドバイザーか・・・

まぁ、あちこち、どこの都市を彷徨ったのか、わからないが、えー味を見つけてきたのだろう。

ただ、S&B町中華シーズニング台湾肉そぼろの商品パッケージには愛知名古屋の「八剱ROCK人生餃子」が監修、とある。

S&B町中華シーズニング台湾肉そぼろのつくり方は、簡単なようだ

具材は、しょっちゅう買ってくる常備食材は、切り落とし豚肉か、それとも細切れ豚肉か。



なければ、豚肉薄切りスライス。

いずれも国産豚は、家人の希望。

海外さんは安くてもまったく受け付けない国産豚肉一辺倒。

買って、いきなり使うのではなく、冷凍庫に収めて固くする。

豚肉も、牛肉も包丁を入れて刻みしたい場合は、固まらせてから。

包丁の刃が入れやすいくらい。



冷凍庫から取り出し、適当な時間経過に包丁を入れて刻む。

鰺のなめろう的なたたき刻みで十分。



細かい肉や粗い肉。

混ざっておれば、食感も嬉しい。

S&B町中華シーズニング台湾肉そぼろに粗目に包丁を入れた豚肉。

その相方に相応しいニラ。

刻みの具合は、一定の長さではなく、短いのんやら、やや長めのもんも。

フライパンにエクストラバージンオイルを少し落として火をかける。

パチパチ爆ぜるころに豚肉を投入。



赤身がとれたところで、ニラを入れる。

炒めて、炒めて、適当なところで、一旦は火を止める。

仕様どおりの、水50mlをたらして、よく混ぜる。

水分が飛んでからかける町中華シーズニング台湾肉そぼろ。

再び、フライパンに中火を入れてじゅうじゅう炒め。

それだけの調理で、できあがる町中華シーズニング台湾肉そぼろ

香りともに味もパンチ力がある町中華シーズニング台湾肉そぼろ。

つくりたては、ついしたくなるつまみ食い。

主たる使い道は、台湾まぜそばであるが、インスタントな塩ラーメンに入れたら旨いよね。

ニラたっぷり、山盛りした上に台湾肉そぼろかけて食べる。

えー味なら、インスタントな乾麺焼きそばにもぴったしの台湾焼きそばも・・

つくりおきしておけば、今日の料理でなく、明日の料理にでも使いたくなる美味しい香り。



ベースは、それでいいが、気分を替えてガーリックパウダーをふりかけが効果的。

コチュジャンや豆板醬も入れる場合もある。

場合によっては、カレー粉もえー具合。

これらは、主役の味を殺さないくらいの少量でいい。

何にプラスして、どう組み合わせていただくか。

バリエーションは数多いように思える。

(R4. 2.24 SB805SH 撮影)

大淀町大岩・展示切替えに拝見した春を迎えるコト八日の写真展

2024年09月20日 07時56分36秒 | しゃしん(平日喫茶きまぐれや展示編)
今年の梅の開花は遅かったように思える。

待ち焦がれた春を彩る梅の花が美しい、と感じるようになったのは、3月初旬。

平坦でなく、里山の地。

今年も写真展開催のお世話になった大淀町・大岩。



展示会場の平日喫茶モーニングだけのきまぐれやからほんの近くに咲いていた白梅。

桜が咲くまでに感じていたい春の訪れ・・・・

いつも薪割りで忙しく動き回る喫茶きまぐれやの旦那。

その薪を積んだ横の樹。



ぷっくら膨らんできた蕾の山茱萸(さんしゅゅ)。

1週間も経てば黄色の花色に染まるだろう。

2月の写真展は、私のテーマ写真展。

奈良・大和の年中行事から選んだ、「火」をテーマ


そして、今日は3月の写真展を開催される川島朱実さんがとらえた民俗行事の写真展

テーマは長野県松本市・上田市・茅野市に伝わる「コト八日」

主な取材地は滋賀県や京都府の民俗行事であるが、遠くは、長野県にも足を運んで貴重な映像を撮影してきた。

奈良を中心に取材活動してきたが、「コト八日」は聞きはじめ。

それが、なんと奈良県南部、大淀町・大岩に営業されている平日喫茶モーニングだけのきまぐれやを会場に写真展をされる。

そのテーマを、生写真で拝見できる。

そんなありがたい日がやってくるとは・・・

会場に到着。



早速の作業は、私の作品を下して撤収・搬出。

到着時間は午前11時半。

川島さんの作品を掲げる前に満たしたいお昼の食事。

ワンコインで食事ができる喫茶きまぐれや特製の日替わり「スペシャルモーニング」。



本日は、たまごサンド。

真っ先に呑みほすめちゃ旨のポタージュスープ。

野菜サラダにジューシーなトマト。



この日も、当店でお逢いした常連さんのHさん。

おしゃべりが愉しいから、時間を忘れる。

食事を終えたら、設営作業。

どれほどの枚数になるのか、またその「コト八日」をどう伝えるのか、興味津々。



展示してからでない、とまったくわからない、予想のつかない「コト八日」作品。

展示にお手伝いしようにも、どこにどう手をつけていいのやら・・

「コト」の内容がわからなくとも、ソレが何を意味するのか、少しでも理解したく、「コト」を起こっている状態、状況を視覚で追い詰めてみよう。







3枚並びの「コト」は、関西でいう地蔵盆のように思えたが、どうも違う。

石仏に際する「コト」なんだろうか。

写真にみる食べ物は小豆飯か。

小豆は赤飯にも通ずる魔除け。

それを石仏に塗りたくる。

子どもたちを守ってくれるように、とするまじないか。

ただ、奈良県の東部。

須山の子ども涅槃講に見られるから、共通する習俗
もあるようだ。



あるシーンでは、子どもたちが石仏の前に収める御供。



その御供は、彩色した甘いお菓子のようにも見える。

お重にまだあるか、ここだけではなく、他にもあるように思える御供。

「コト」は供養なのか。



ガラリと変化した幼児が引っ張るカタカタか。

木製の運搬くるまに藁で象ったツクリモノ。



幼い表情に、引く意味にナニを思ったのか・・



藁でつくったウマのツクリモノを小屋根に放り投げる。

そうか、幼児が引いていたツクリモノはワラウマだったのか。

それにしてもワラウマは何?関西にあるような、亥の子行事さも似たりであるが、ワラウマではない

ちなみに展示に写真や壁に、横いち、水平に走った緑色光。

この灯りは、展示作品のすべてが水平になっているか、確かめるためのレーザーポインタ水平器


象徴的なワラウマは巨大化した地域がある。



「コト」は、”貧乏神送り”だが、周りにいる立ち姿の人たちは、大人の男たち。

数珠繰りしているもように、これもまた「コト」供養か。



いや、いや、夜ともなれば、火を点けて燃やす”貧乏神送り”の”風邪送り”。



悪病は、家から、或いは地域から追い出せか・・・



また、大きな、大きな草鞋のようなツクリモノ吊るす「八日念仏」もあれば「ヌカエブシ」も・・。



食べ物の「糠を燻す」疫病退散のまじないか。

燻すことによって、疫病を受け入れない習俗。

そう、嫌がる匂いも「コト」であろう。

正月を中心に、12月8日は「コトハジメ」。2月8日を「コトオサメ」。

また、農耕儀礼を中心にするなら、2月8日を「コトハジメ」とし、12月8日を「コトオサメ」とする地域もあるようだ。

いずれにしても、8日を中心にコトがはじまり、コトをおさめる東日本。

北陸や中部地方に見られる地域さまざま。

多様に行われる小祭行事らしい。



なお、ネット探しに見つかった長野県伊那谷のコト八日(12月8日、2月8日)習俗も参考にしておきたい。

そうそう、今日は3月3日のひな祭り。

お土産に、ともらってきたひし餅。



一般的にいわれている、三色のひし餅。

謂れに、上段の桃色は魔除け、中断の白色は清浄。

若しくは子孫繁栄。下段の緑色は健康を意味するらしい。

これもまた「コト」であるかもしれない・・・

(R4. 3. 3 SB805SH 撮影)

日清食品・ラーメン有名店コラボ鍋つゆの千里眼監修濃厚にんにく豚骨スープ①つくりの野菜盛り盛りラーメンが美味い❣

2024年09月19日 07時51分27秒 | カンタンオリジナル
先月の2月27日、買物に出かけたスーパーセンタートライアル大和小泉店。

入口入ったところの棚にいっぱい積んであった鍋スープ。

これだ。こんなのを待っていたんだ。

疑いもなく買ってきた3品とも。

日清食品から販売仕立てのラーメン有名店コラボ鍋つゆ。

「ますたに監修 濃厚 背脂鶏ガラ醤油」「ラーメン有名店コラボ鍋つゆ 篝 (かがり) 監修 濃厚 鶏白湯 (とりぱいたん)」「ラーメン有名店コラボ鍋つゆ 千里眼監修 濃厚 にんにく豚骨醤油」の3品
は、前年、夏に全国発売された。

発売当時のことは存置しない。

テレビで宣伝、ばかばか流していたら記憶に残るかもしれないが・・。

3品の鍋スープは、有名ラーメン店の「ますたに」、「篝 (かがり)」、「千里眼」が監修し、つくりあげた鍋スープ。

タイトル通りの鍋が推奨。

しかし、まぁーなんですわ。

鍋スープであっても、基本、有名ラーメン店が監修したスープなら、ストレートに生麺で食べたいものだ。

残り物の生中華麺があった。

藤本食品の生麺は3玉で88円売り。

しこしこ麺が気に入っている。

また、新たに挑戦した(※いうほどでもないが)S&Bの町中華味でつくった台湾ミンチがある。



これもちょっと残していた。

キャベツもニラも、豚バラ肉も残り物。

2枚残っていた豚チャーシューもある。

新品はもやしと、つい先日に買っておいた市販製品のメンマくらいなものだ。

これらを準備して皿に盛った。

皿ごと電子レンジでチンした時短調理。

1分強のチンで済む。

出演者一同が揃ったところで調理にかかる。

フライパンは、ついさっきまで町中華味の台湾ミンチに使っていた油まみれのフライパン。



ここまで準備した具材でわかる鍋スープの素は千里眼監修濃厚にんにく豚骨スープ。

かつて、フアミリーマートに売っていた千里眼監修濃厚マシマシニンニク醤油ラーメンを食べたことがある。

にんにく増し増しのラーメンがむっちゃ旨かった。

同じ千里眼が監修しているんだから味に大きな差ないだろう。

醤油か豚骨かの違い。

同等でなくともにんにく増し増しなら、わが家にあるどっさり系のおろしにんにくチューブがある。

こてこての液体スープを使用済みのフライパンに落とす。

コテコテ脂だけに袋からしぼりだすのに力が要る。

箸で挟んだ小袋。

ぐぐっ、ぐーっとしぼりだす。

向きを何度も替えてしぼりだし。

そこに水を180cc。

中火で温めてから豚バラ肉、キャベツ、ニラを投入しぐつぐつ煮る。

それと同時に開始した生麺・沸騰したところに投入。

およそ1分半から2分間も茹でた生麺は湯切りしておく。



先にラーメン鉢に入れるのは野菜、豚バラ煮込みの鍋スープ。

麺をあとから入れたら具材が見えなくなった。

慌てひっくり返す。

表に連れ戻した具材。

チャーシューにメンマを並べる。

チンしたもやしを山盛り。

そこへぼとぼと落としたチューブ入りのおろしにんにく。

にんにくの香りに千里眼監修濃厚にんにく豚骨スープも混じる。

それだけで飯でも食えそうな、えー香り。



頂点に盛った町中華味の台湾ミンチ。

そう、これで完成だ。

ざざっと混ぜて食べた一口目。

ががーん、ときた衝撃の味。

旨味がどかーん、と口内にあふれ出す。

二口、三口、四口、五口・・・・もう、誰も箸を停めてはくれないむっちゃ旨い味。

我が家が専門店になったような気分に陥る。

日清食品が販売したラーメン有名店コラボ鍋つゆ。

千里眼監修濃厚にんにく豚骨スープで作った
野菜盛り盛りラーメンが美味い❣。



ほんまに旨い、極上の味。

スープが少ないのでは、と思っていたが、なんのなんの・・・・

にんにく味に包み込まれた濃いーーぃ味の千里眼監修濃厚にんにく豚骨。

半分以下になったところでぱらぱら振った胡椒。

味にパンチがついたラーメン。

ますます箸が停まってくれない。

千里眼監修濃厚にんにく豚骨スープは小袋が2袋ある。

それ以上に食べたいと思って買ったもう一品。

これで3食は愉しませてくれる。

(R4. 2.27 SB805SH 撮影)
(R4. 3. 2 SB805SH 撮影)

精華町菱田・春日神社のハリマトと呼ぶ弓始式

2024年09月18日 07時57分22秒 | もっと遠くへ(京都編)
2年がかり、ようやく目にする京都府相楽郡精華町・菱田に鎮座する春日神社にて行われるハリマトと呼ぶ弓始式。

たまたまヒットしたネット情報にあった気になる民俗行事。

キーワードは「弓始式」。

京都府精華町が掲載していた菱田に鎮座する春日神社の年中行事。

毎年の正月10日にしている
、とあった。

実施時間は午前9時のようだが、会場だけでも足を運んでおけば、なんとかなるだろう、と出かけた令和2年の1月10日。

境内の様相から、終わっていた
、と判断した。

ただ、終わってはいるが、その行事の祭具では、と推定した残欠があった。

はっきり認識できたのは、正月を迎えた門松に見慣れぬカタチの藁づと。

簾型と思えるしめ縄に、おみくじらしきモノ。

さらには割った竹に、竹籤のような細く加工したモノ。

帰宅してから再度、見直した精華町が掲載した春日神社の「弓始式」。

式典は、午前9時より、とあった。

あらためて出直すことにした菱田のハリマトと呼ぶ弓始式。

再訪した菱田の春日神社。

いきなり訪れても、代表者へのご挨拶が後になっては、と思って年末大晦日に立ち寄った。

大晦日であれば、神社役員に出逢えるかも・・・。

期待どおりに出逢えるのか、また、正月迎えに砂撒き調査も兼ねて足を運んだ午後2時


ここ菱田には砂モチとか砂撒き習俗はないようだ。

代わりではないが、門松の真上に設えていたしめ縄に気になる。

中央にシダ、ユズリハ、橙?などが見られる。

しめ縄の房では、と思えた七・五・三の垂れがあった。

並びは七・三・五であるが、基本的な七・五・三の本数を垂らしていた。

しめ縄は、まだまだ青々している、美しい姿だ。

なるほど・・・

令和2年の1月10日にはじめて菱田入りしたその日に見た残欠にあった。

残欠は、このしめ縄の部分であった。

謎は解けたが、ハリマトと呼ぶ弓始式は、直接携わる関係者からお話を伺いたい、と思って尋ねた二人の宮守さん。

午後3時からはじめる、という年越えの大祓え神事の前にしておく御供上げを終えた二人に伺ったが、明快な回答には繋がらなかった。

聞き取りが塩梅できていないから、あらためて、年明けの正月三日にも訪れた菱田の春日神社

鳥居前の高札に掲示していた社寺総代会のメッセージは、大晦日までは実施の運びとしていたが、コロナ禍対策に新型「コロナウイルス感染拡大防止のため、1月10日(月)のとんどは中止します! 社寺総代会」で、あった。

伺えば、住民に罹患者がでた、という。

罹患者が一人でも発症となれば、リスクがある。

とんど焼き行事に多数の人が集まるのは、まん延防止に繋がらない、と元日に役員たちが協議され、とんど焼きは中止の判断をされた。

やむを得ない決断であるが、10日に予定しているハリマトと呼ぶ弓始式の判断は・・・宮守さんから明快な回答もなく・・

とんど焼きに続く、コロナ禍対策の決断は、社寺総代の回答を求めるしかない。

宮守さんの話によれば「10日辺りに行われる予定の弓始式の実施有無は、そのころにまた判断するが、その日より前に行われる7日の七草粥はしている」・・・と、ありがたく承った七草粥行事の取材に光明が見えた。

そして再び、7日に訪れた菱田の七草粥行事

その日に、宮守さんが伝えてくれた「ハリマトについては、常に座の代表。つまり、上位者である社寺総代の許可を得ない、と・・・」

「宮守さんたちが勝手な判断で、取材許可を伝えることはない。社寺総代に伺いをたて、許可、承諾を受けるには・・」と、話していたときに来られた代表の社寺総代のYさん。

“ハリマト”を充てる漢字は“張的”。

かつては“貼的”の呼び名時代もあったそうだ。

現在は、本座に真座の両座が年交替に“ハリマト”の道具を作る。

神事のはじめに弓を射るのは二人の宮守さん。

“ハリマト”に、とんど行事を終えて、次の宮守さんに引き継ぐことになる、と話してくれた。

その後に来られた本座の一老・Aさんが、詳しく話してくれた「とうびょう」の件。

充てる漢字は「祷俵」と書いて「とうびょう」と呼ぶそうだ。

稲藁でつくる「とうびょう」。

太さは5cmほど。

5段に括って、一番上を五つ割くカタチにするらしい。

“ハリマト”の儀式は、黒的に矢を射る所作。

奈良ではその多くをケイチンとかの呼び名がある、つまり年の初めに、村の安寧を願い、悪霊を退治、村外に追い出す弓を射る儀式である。

的の”オニ”。

漢字で書く”鬼”の的であったり、二重、三重、五重など、各地の決まり通りに描く円形は黒的。

年初にあたり、いずれも矢を打ち、農事に禍をもたらす悪霊を退散させ、村の安寧、無病息災や五穀豊穣を願う年頭行事である。

弓打ち所作に、特別なことはないように思えたが、気になるのが「とうびょう」である。

「とうびょう」そのものの存在は、実際に拝見するまで、たぶんにわからない祭具であろう。

そもそも「とうびょう」の読みが、これまで調査してきた奈良県内の行事では当てはまるモノがない。

充てる漢字でもわかればいいのだが・・

いずれにしても、その「とうびょう」に括り付けるのは、洗米を包んだオヒネリ。

豊作を願う印しが「とうびょう」。

Aさんは、その「とうびょう」を春に立てる、という。

そう、春といえば苗代つくり。

今も手動式機械でモミオトシをしている、というAさん。

苗代に立てる「とうびょう」の在り方は、水戸口(※一般的には水口)まつり。

奈良県内に見るいわゆる御田祭に祈祷する松苗のような役目か。

話を聞いて、是非とも取材させて欲しい、と願ったら承諾してくださった。

“ハリマト”と呼ぶ弓始式に、苗代に立てる「とうびょう」の取材も承諾してくださったご両人に感謝するばかり、だ。

ここに至る経緯。

長々、書き留めたご縁のつながりに、ようやく拝見する菱田・春日神社の”ハリマト”と呼ぶ弓始式。

この年、令和4年は、コロナ禍に決断したとんど焼きの中止にしたが、”ハリマト”は実施だ。

午前9時、社寺総代から、本座・真座の氏子たちが参集され、9時半より、予め今年当番の本座がつくった矢に黒的を据えていく。

射る弓は、かつては毎年において、その都度、つくってきた弓であるが、現在は市販の弓をあてることにした。

例年に使い廻しの弓を用いて、「ハリマト(※発音に“はりまとう”もあるようだ)」を行う。



神饌所に宮守さんが、予め準備していた「ハリマト」。

確かに二重に黒く描いた円形の的。

手前に並べているのは、これよりはじめられる「ハリマト」に供える神饌・御供。

お神酒に洗い米。

スルメ一枚に塩など。

左側に寄せた一升の蒸しご飯。

一杷の藁をのせた蒸しご飯。



手こねで山のようなカタチに高盛りした。

このカタチは、奈良県の山添村桐山のマツリに拝見した「御白御供/おしらごく」と呼ぶモッソにほぼ同じに見えた。

ただ、藁の本数は多く12本。

その姿は、まるで白うさぎ


桐山から近い隣村の山添村の室津も同じく蒸し飯のモッソ

地域が、まったく違えども、ほぼ同型の蒸し飯は、いずれも神さんに奉る神饌・御供の在り方である。



この日の神事ごとに供えていた末社の御供を下げた。



神社境内に据えて「ハリマト」を支える薦俵。

実は、据える位置は常に一定ではなく、その年の恵方に向ける。



そう、一般的にわかる節分の恵方巻き。

縁起がいい、とされるアキの方角や、という人もおられる。

恵方はネットでもわかるし、気象予報士が、テレビで伝える天気予報に教えてくださることもある。

今年は、2022年。

方角は北北西。

実は、恵方の方角は、「東北東」「西南西」「南南東」「北北西」の4方角だけのようだ。

詳しくは、ネットで
・・・

その方角通りに据えた「ハリマト」。

大きく、大きな薦俵は2枚。

幅にゆとりを設けた「ハリマト」は、2枚が重なる中央に架けていた。

竿を支える道具は脚立。

精華町が公開している「春日神社の弓始式」の映像を見ればわかるが、当時は3本の竹で組んだウマ(※稲作に収穫した稲干しする道具)に竿を据えていた

その映像をよくよく見れば、竿は葉付きの竹。

長いままの状態で用いた竿であった。



一方、本座の一老・Aさんが、神饌所でつくりだした里芋のカタチづくり。

里芋は海老芋のように見える。

それはともかく、長めの串に挿していく。

大きく、太めの海老芋を支点に据え、上部に空間を取った間に芋挿し。

このままでは、倒れてしまうので、心棒の海老芋を左右から串挿し。

両サイドに、それぞれ1個ずつ。

見事に立った芋串御供。

奈良県内では、見たことのない芋串構造。

そうとうなバランスが要るらしく、簡単にはつくれないようだ。



このカタチから思い起こした、外洋でもこなせる安定した走行ができる両側アウトリガーに帆かけもあるカヌー。

芋串に丸太の生サバ。

蒸し飯も並べた神饌・御供。

お神酒は一升瓶。



「ハリマト」から、対面の位置に据える。

その横には、弓と矢も立てかけた。

午前9時40分ころ。

「春日神社の弓始式」がはじまる。

浄衣を着衣の宮守さんの姿は、烏烏帽子かぶり。

はじめに宮守さんが行なう神事ごと。



手を合わせ、拝し、それから祝詞を奏上される。

そして祓えの儀。



神饌・御供に、「ハリマト」を祓う。

そして弓と矢をもった真座のIさん。



それぞれ5本の矢を射る。

練習もなく、たぶんにいきなりの神事の神矢。

的になんとか打つことはできても、一重の太い黒的にはかすめるくらいか。

射速もそれほど早くない。

いざ、私が打ったとしても、的から外れるだけだろう。



宮守さんの任期は一年。

重要な役に就くのは、その年しかない。

続いて、矢を射る本座のNさん。



真剣な顔つきで、矢を射る。

ひゅっと飛んだ矢が、的の中心に多く当たれば、その年は豊作である、と言い伝えられている。



弓始式に込められた農作の願い。

矢を射るのも、その年の五穀の豊凶に占う予祝(※よしゅく)行事の「ハリマト」願い。



町が広がり、稲作地は少なくなった、としても豊作の予祝に、いい結果が出れば嬉しいものだ。

ちなみに、菱田に暮らす農家さんは40戸にもなるそうだ。

宮守たちが矢を打った次は、社寺総代ら神社役員に交代する。



矢を射るカタが決まったように打つ社寺総代たち。



射者の様相を見に来られた氏子に交じって歴史、文化を案内、解説しているボランティアガイドらも見守る弓始式。

菱田の五穀の豊凶を占う行事は年明けの正月10日。

今年も、コロナ禍であるが、弓始式は実行に移された。

春日神社の年中行事を支える方たちに「太夫」と呼ばれている人もいる。

ちなみに、菱田にもトーヤ制度があるらしく、充てる漢字は「当夜」。

充てる漢字は、奈良県内に事例のない「当夜」。

地域によって、充てる漢字文化はさまざま、ということだが、後述する、かつて吉川章一氏が執筆した「豊凶を神矢で占う弓始式」によれば、「当屋」であった。

この年は、コロナ禍中だけに、大勢ではなく遠慮しながら拝見している立ち姿の見物人たちは数えるほどだ。



真剣に弓を引く本座の一老・Aさん。

弓の構え方が違うな、と思ったAさんの立ち姿。



相当な体験者であろう。

何度も拍手が起こる「ハリマト」。

ど真ん中はなくとも、的に当たったからこそ拍手が送られる。

神社役員の次は、地域の人たちにもバトンタッチ。

弓を引く女性。

そのカタチが素晴らしい。



周りに見ていた人たちも称賛するカタチが綺麗、と。

たぶんに和弓若しくは洋弓の体験者であろう。

矢の飛び先は、的を撃ち抜いたことだろう。

一通り、終わったらしく、間が開いたのか・・・肩をポンと叩かれた。

振り向けば、そこにおられたAさん。

「カメラもっておくから、弓矢を引いていいから」、と云ってくれた。

まさかの、地域参加を要請されて、弓を引く。

その私の姿をとらえたAさん。

私のイチガンカメラを手にしてシャッターを押していた。

撮った姿をファインダーで見た。



精一杯の演技。

矢は飛んだが、的までは届かなかった。

もう、一矢といわれて、もう一本・・・

私自ら選んだ一枚。

表情が決った一枚は、Aさんがとらえた射者の一枚。

令和4年2月23日からはじまった奈良県立民俗博物館・古民家写真展。

ほぼ11年続けてきた県立民俗博物館の事業。

最後になった第10回目の「私がとらえた大和の民俗」の図録に掲載
させてもらった。

知人の写真家さんが、行事取材先で撮影してくれるケースはあっても、行事の取材先の方に撮ってもらうのは、初めての体験。

記念の姿が図録に遺されたこともあって、写真展が終わってからの後日。

訪れた菱田の、A家の苗代水戸口まつり取材の際に、記念の一冊をもらっていただいた。

ところで、見学に来られていたボランテイア活動のお一人が取材中に見せてくださった行事の解説シート。

一枚に、これは、なんと・・・

撮影日は、記載していないが、菱田の弓始式の様相がわかる写真に驚き。



撮影者は「松村茂」氏、とあった写真一枚。

所有していたボランティアの方の話によれば、30年前の弓始式写真である。

この写真は、山城資料館所蔵の図録に見つかったコピー情報であるが、貴重な情報を含んでいる。

写真を見せてくださったNPO法人精華町ふるさと案内人の会、S理事長に感謝である。

宮守さんたちが弓を引く姿の後方にあった春日神社のしめ縄。

特徴あるしめ縄は、簾型。

前年の大晦日参拝に訪れたときに拝見したしめ縄とは、まったく異なる様式。

藁を垂らした七・五・三のしめ縄から、考えられる簾型しめ縄。

かつてがそうであれば、しめ縄は簡略化したのでは、と推定していた。

決め手はなく、推論には達しなかったが、私の思考はほぼ当たっていた。

また、弓は手造りではなく、一般の市販品。

本日、使用した弓と同じかどうか不明だが、ずいぶん前に切り替えていたことがわかった。

ただ、矢はわかり難い。

見学者たちに、また氏子にも伝わるよう、解説をはじめたAさん。



30年前まで、つくって配布していたかつての「とうびょう」を、会場に持ち込み、話された。

ずっと、自宅で保管、保存してきた「とうびょう」は、最後の見本に、と持参したが、今年限りになる。

なんでも、この春の苗代つくりの際に、撮影記録用に使用する、と伝えられた。

毎年の5月3日の午前中。ご自宅前でモミオトシをする。

苗箱に落とした籾。

苗代に移した育苗の苗箱。

すべての苗箱を終えた、その際に置く「とうびょう」。

立てるのではなく、水平に置いて、イロバナ立て。

そうして豊作を願う、と話してくれた。

かつては40戸の農家さんに配られていた「とうびょう」。

昨年の秋に収穫した稲藁からつくっていた。

その役目は、二人の宮守さん。

コンバインにかけず、手刈りの稲藁。

稲藁の風合い、色合いを保つため、おそらく陰干しをしていたであろう。

藁屑や埃を払って、飛ばす。

無駄毛のような、シビも取り、綺麗にした藁を数本束ねる。

藁束は5本。さらにまとめて直径が5cmくらいになるようカタチづくり、間隔をとって藁で括る。

その箇所は、要所、要所の5カ所。

ばらけないように括る箇所も決めていた「とうびょう」つくり。

このカタチは、前年の大晦日に拝見したしめ縄と、まったく同じでは、と思った次第

先端部分は、五ツ割。

その付近に差し込んでいた椿の葉。

常緑の葉であり、なかなか落ちない葉。

豊作を願う印しであったろう。

農家さんであれば、稲藁を軟柔らかくするのに、横槌を用いて藁打ちはできるが、例えば事務職などサラリーマンなら、そんな体験がない。

宮守さんが二人とも農家さんでない場合は、さて、となる。

大昔しは事務職よりもたぶんに農家さんが多かった時代は、対応できていたが・・

時代とともに暮らしや生活文化も変化が起きた。

これまでは、佳しであっても、今の時代にも可能なように、それこそ日本全国の暮らし方同様に、変容するとともに行事のあり方を替えざるを得なかった、のではと思料する。

大方、30年ほど前までは、そのような「とうびょう」を、毎年にわたり、毎回つくっていた農家戸数の40束。

行事に祭具なども大変革してきた菱田の「ハリマト」と呼ぶ弓始式。

これよりはじめる作業は、旧「とうびょう」から変革した稲藁から竹製に・・・

何人もの人たちが、五穀豊穣を願った弓矢打ちを終え、見学者たちが会場から離れてからはじめた解体作業。

悪霊を追い払った「ハリマト」も、役目を終えたら解体される。

丹念につくられた「ハリマト」を裏返して見た。

一定の幅に割った竹。

外枠に4本。

内部の横に6本。

縦にも6本を入れて組んだ。

表に貼った紙は相当数の枚数。

頑丈なつくりで作り込んだ「ハリマト」に矢が突き抜けた痕跡が何か所もあった。



解体は、結わえて括っていた紐切り。

ばりばり剥がして解体した竹組み。



その竹は、新「とうびょう」の芯棒に使用する。

骨組の竹を再利用してつくる竹箆製の「とうびょう」。

節目を入れて、等間隔に切断。



縦の切断は、カマを入れ、先端だけを割く。

一方、神饌所に上がった宮守さん。



剥がした的を、挟みで切りはじめた宮守の真座のIさん。

ビリビリ破るのではなく、白と黒色部分が半々程度になるよう、より分け。



的の黒い部分に神饌・御供した洗い米を包んだオヒネリ。



五穀豊穣の印は、先を割った竹箆に挟んで仕上げる。



現在は少なくなったが、その昔は40本。

黒い的にオヒネリした洗い米は、五穀豊穣の願いに通じる。

藁で作っていた旧「とうびょう」よりも、簡便なカタチになっても、願いは通じる、ということだ。

今年の竹箆製の「とうびょう」の本数は26本。



本来なら、春の苗代の水口に立て、イロバナを添えて健全な育苗を願う新「とうびょう」であるが、苗代をしなくとも、野菜畑に立てたいという希望者も多い、という。

下げた神饌・御供した生さば、海老芋串は、これより直会によばれるのだが、今年もコロナ禍では、集まりは密を避け、会食も中断した。

「ハリマト」と呼ぶ弓始式を終えて、本来なら下げた御供の鯖は七輪で起こした炭火で焼いて食べる焼きサバに調理。

また芋串も同様に炭火焼き調理。

蒸米とともに箸を使わず手づかみで口にする直会であるが、2年続きの中止を決断された。

ちなみに、NPO法人精華町ふるさと案内人の会、S理事長が、見せてくださった「春日神社の弓始式」。

その記事に記載していた参考;『精華町の史跡と民俗』の「豊凶を神矢で占う弓始式」;吉川章一氏、とあった。

執筆に数年後。ネット調べに『精華町の史跡と民俗』の「豊凶を神矢で占う弓始式」がみつかった。

精華町HPに『精華町の史跡と民俗』デジタル版公開した、とある。

「昭和58年より、平成10年度までの13年間。精華町史編纂事業において、『精華町史』史料篇および本文篇にさきがけて発行した参考資料版の一冊です。町民の方たちから原稿を募集し、昭和63年3月に初版本を刊行。平成8年4月に増刷した第三版をもとに、デジタル版を構成しました」。

その記録は、町民が暮らしの記憶を辿った「精華町の史跡や年中行事、大正・昭和の暮らしや民俗について、祖先からの伝承や自らの体験を交えて、町民みずから書き残した貴重な記録」、とあった。

後世に伝える素晴らしい事業、だと思う。

但し書きに「執筆者による文章そのものが、貴重な歴史的な証言・記録となっているが、明らかな誤字などを修正するだけに留めています。行事の内容などについては、現在では休止・変更され、現状とは異なる場合もあります。閲覧にあたってはこの点にご留意」と、あるが、当時、吉川章一氏が執筆された報告は実に詳しい

当時の在り方が目に浮かぶように蘇る。

掲載している写真に和服姿の男性もおられる。

これこそ民俗誌。

貴重な映像も含めて、後世に伝えるべき事項が多い。

「とうびょう」を充てていた漢字は「祷俵」。

実は、執筆者の吉川章一氏は、充てる漢字に疑問をもっていた。

が、後ろに続く「古来五穀の容器として、藁製の俵が一般的だった。五穀の豊穣を祷る思いを、その俵に込め”とうびょう”と名付け、稲藁を用いて五穀を表現する形をつくったもの」、といわれる。

確かに藁を編んでつくった米俵がそのことに匹敵するのだが・・・一部、竹製の飯籠や飯櫃などもある

農耕地であれば、間違いなく稲藁はあるが、稲作が困難な山間、山岳地など山仕事が主な土地での材は、カヤとかシュロである。

保管・保存食料は、米だけでなく五穀に根菜、芋・・

地理的、物理的な生活環境の違いによって暮らしの在り方は異なるが、全国圧倒的に稲作が多いのも確か、である。

吉川章一氏が、疑問をもっていたのはこのようなことでは、と思ったが、もっと違った視点で思考されていたのかもしれない。

ちなみに、京都を主に年中行事を撮影、ブログに公開している沙都氏の報告に、翌年の令和5年に行われた菱田の弓始式を掲載している。

式典を終え、竹箆の新「とうびょう」をこしらえた。

今年も連続した直会も中止した菱田のハリマトと呼ぶ弓始式。

一段落の時間帯にほっと一息された。



本日の斎行になにかとお世話になり、この場を借りて厚く御礼申し上げる。



こうして、氏子たちも参拝される菱田の春日神社。



三日前の七日に行われた七草粥行事取材のおりに伺った春日神社の社殿も美しく輝いていた。

平成30年2月発行の『精華町文化財宝典』に掲載された菱田の春日神社。



ふるさとデジタルアーカイブ「せいか舎」に、詳しく公開しており、斗栱(ときょう)のあいだにある蟇股(かえるまた)は、この時代の基準的な作例として紹介しているが、鬼瓦の意匠に着目した。

奈良県内外に見たこともある社殿の鬼瓦意匠に三つ並びの宝珠(※おそらく如意宝珠を表現する三弁宝珠)が見られる。



カタチから、ごーさんこと牛玉宝印を思い起こす三弁宝珠である。

撮っていた立ち位置。

社殿横に建てられた奈良・大和の春日大社の御間形(おあいがた)石灯籠と同型の灯籠がある。



しかも、である。

南北朝・吉野時代の古式ゆかしいことから、旧重要美術品に指定されている


このことから、菱田は鎌倉時代から室町時代に栄えた、と伺えるそうだ。

(R4. 1.10 EOS7D/SB805SH 撮影)

最近のおつまみ、といえばぬれイカ天でしょ

2024年09月17日 07時36分59秒 | あれこれテイクアウト
岐阜県が所在地の山栄食品が製造販売しているぬれイカ天が、めっちゃ旨い

業務スーパーに売っていた特価品。

今月限りだ、と思っていたが、翌月も特価売りのぬれイカ天

もう一品は、スーパーサンデイに見つけた広島県が所在地のスグル食品が製造販売するぬれイカ天味も旨い

甘醤油に漬けた味のイカ天揚げって、ほんま、美味い。

いずれも、お安い価格なうえに、味、食感がたまらんくらい旨い。

お昼と、夜飯の間に、口が寂しい時間帯につまみたい旨いか。

ぬれせんべいも旨いが、ぬれイカ天もめちゃ旨い。

どこのスーパーにでもあるやろ、と思ったら大間違い。

ほんま、売っているスーパーがないんだよな。

(R4. 3. 2 SB805SH 撮影)

意外に旨いニューヤマザキデイリーストア院内店売りの粉もんまんぷく3点盛り

2024年09月16日 07時45分19秒 | あれこれテイクアウト
コロナ禍、しかもオミクロン株まん延時代に入院は受け入れえくれるのだろうか。

いくら何度も・・・。

かれこれ数年間に5回も入院、退院をし続けてきたおふくろ。

こんどこそは無理かもしれない。

諦めは5%しかないが・・・・。

かーさんと二人並んで点滴室に待っているワケにはいかないお腹の空き具合。

こらえきれないほどのすきっ腹状態に思わず、飯食いに地下併設の院内コンビニに行ってくる、と申し出た。

私は、まだお腹が減ってないから、というかーさんに甘えて先に下りた午後1時20分。

院内コンビニ・ニューヤマザキデイリーストアにある惣菜コーナーに目を下ろした棚にあった。

たこ焼きが3個。

焼きそばを盛ったところにのせたお好み焼き。

大阪名物と、でもいいそうな粉もんまんぷく3点盛り
が498円。

生まれも育ちも大阪人。

今じゃ奈良県人であるが、代表的な粉もんで育った私には目が離せない商品だ。

この手の商品は、一律に旨いワケではない。

いちばんのアカンさ加減は油で決まる。

例えば、スーパーで売っている焼きそば弁当。

ほんまに不味い。

油のないパサパサ焼きそばなんてもんは喰えたものではない。

お好み焼きなんてカッチコチなのに堂々と売るスーパーに閉口、嫌気にうんざりすること多し、だ。

ソースの味も薄味。

大阪人の好みはこってこてソース。

マヨネーズもないお好み焼きなんて、お好み焼きではない。

そう断じてもいい、と思っていたが、ニューヤマザキデイリーストアの粉もんまんぷく3点盛りは凄かった



とにかく美味い粉もん3点。

粉もんまんぷく3点

むっちゅり旨い、ヤマザキデイリーストアの粉もんたこ焼き。

口の中に拡がる旨味ソースに絡んだたこ焼き。

蛸の存在がなくとも旨い。

焼きそばなんてすべりがよろしい。

パッサパサは喉が詰まる。

ところがニューヤマザキデイリーストアの焼きそばは違った。

見た目はもひとつだけど、むっちゃ旨いのである。

さて3点目のお好み焼きは・・・

とろっとするお好み焼き。

ほわっとした感じのお好み焼きなんて、初めてだ。

焼き加減が上手いんだろう。

そして味の決め手はこてこてソース。

別途添え付けのソースは甘タレの泥ソース。

もう少し辛めでも良かったのでは、と思うが、ニューヤマザキデイリーストアの粉もんまんぷく3点盛りは、もう一度食べたくなる味。

味替えに紅生姜もお役に立っているようだ。

キャベツ、豚肉などの具材の量は物足りないが、コスパから佳しと、しよう。

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

緊急入院対応に感謝

2024年09月15日 07時47分41秒 | むびょうそくさい(おかん編)
3月1日の午前5時40分。

起床に先立ち、起きていたおふくろを優先。

さらにかーさんも続いてやっと私。

深夜にたいへんやったけど、どうと聞けばありがとう、もう大丈夫だと、いう。

それからもぐっすり寝たおふくろは朝の9時半に起きて、もう起きるといってトイレ行き。

どうも長すぎるので大丈夫かと声をかけたら便が、チョビチョビでているようで‥‥

あまりにも長いんで声をかけたら、おきられへん‼️。

トイレの扉を開けたら床に座り込んでいた。

手すりを両脇に設置していたが、うまくつかめなかってストンと座り込んでいた。

かーさんに助けを求めて2人がかり。

いったん便器の蓋に座らせて、両脇を抱えて救助。

足腰に力がはいらないようで、抱えながら老人車のハンドルを掴ませるのだが、親指はどうしても握らない。

ここで自力歩行は無理、と判断しなんとかいつも座っている座椅子を動かした。

午前10時半、椅子座らせ、検温したら38.8度。

かーさんが額に手をあてた感触では、えっと思うくらい熱くはない。

手が冷たい。

血圧135ー63。

心拍数が77に、立てない状態に救急するしかない。

救急車が到着した午前11時の検温は38.4度。

二人の救急隊員がかりに、両脇支えてストレッチャ移乗し。

下肢脱力歩行障害判断に当初は青藍病院行きを伝えたが、主治医がいる田北病院に指示。

到着時点の体温は38.7度。

コロナ感染症検査結果が陰性に、ほっとするが、数日間はちょっと心配も。

救急隊員の問診にふらついてバランスを崩したかも、と伝えていたから頭のMRI検査。

終えたそのころに吐き気のもよおし。

吐き気止め薬も点滴注入。



正午時間の12時20分。

吐き気があるのでCT検査も実施に入る。

ストレッチャ移動しただけも嘔吐したが、なんとか検査は終えた。

午後12時50分、医師の診断結果は異常なく。

おふくろの身体が動けないからなんとかならないでしょうか、に回答は個室も埋まっている満室状態ですから・・

肺炎など、発熱症状がある患者さんは、他の病院でも受け入れない、とニュースが伝えている。

おふくろの検査結果では、炎症もない。

発熱の原因がわからなければ、受け入れがたい。

いったい、どうしたらいいんじゃ。

午後1時50分、院内コンビニでまんぷく3点盛り。

食べていたときのかーさんからの朗報は入院させてくれはるって・・・

嬉しい対応に涙声。

ほんまに良かったなぁ。

点滴が終わるころ、圧迫骨折の疑いもあるので胸部ならびに腹部検査。

尤も、腰部のMRI検査後に病室移動は午後2時20分。

東館208号に本日入院日に限り、1人だけは入室できた。

それを聞き、東館向かう。

あれぇっ、前回の退院に、差し上げたあじさい写真。



休憩、或いは患者さんとの談話に、癒しの花に感じてくれたら、とナースステーションに提供したあじさい写真。

そう、この写真はおふくろが、令和3年の6月24日の退院日まで、病室に飾っていた写真。

私が撮った我が家の南庭に咲いているあじさい。

このあじさい以外にも、さまざまな庭に咲く花を写真立てに飾った。

ときおり入れ替えしていた庭の花の写真。

おふくろはもとより看護士さんや介護士さんらも楽しんでくれた写真の花。

役目を終えた写真立てごとナースステーションに提供した一枚が、ここにあった。

嬉しい出会いでもあるが、あれから再び入院したおふくろ。

一旦は、入院申込書とか問診票提出書類があるし、着替えなどもある。

なんせ、おふくろはすべてが2枚。

バッグなどに収納物明細札付けたバッグが四つもある。

再び田北病院に来た時間は午後5時半だった。



なお、入院が決まって病室に向かう際に出会った、川戸リハビリ療法士。

なんでも、3月12日を最後に田北病院を退職し、斑鳩町にある介護施設・訪問介護の職に就く、と伝えてくれた。

面接に髪の毛を短くしたというリハビリ療法士。

以前、入院中にもたいへんお世話になった病院相談員の一ノ瀬さんにも出会う。

田北病院の居心地がいいらしい。

午後3時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに緊急電話をかけた。

おふくろの状況、状態を伝えた。

状態が状態だけに骨折ではなさそうなので一週間様子みて・・

つい先月の26日に再認定介護認定の更新手続きに調査したばかり。

今からなら認定審査会は半ばか月末。

いずれにしても3月末までが要介護3。

介護認定の区分変更(※更新を待たずに認定調査を依頼する手続き)しましょ、と‥

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

真夜中のトイレに危機的ギリセーフ

2024年09月14日 07時51分18秒 | むびょうそくさい(おかん編)
実質時間帯は3月1日の午前2時40分くらいか。

寝室に唸る声がもれる。

かーさんが悲壮めいた声で叫ぶ。

おかぁさんがトイレに倒れてる。

慌てて階段を降りた。

内側に開くトイレが動かない。

隙間から覗いて、すぐ状況がわかった扉側の壁。

顔は天井向き。トイレの土台と壁に挟まれ、肩がすっぽりに、どうにもこうにも動けない。

胴は横たわり足も動けない。

その状態で思い出す事故。

家の前の水路にスッボリはまっていた隣人のおばちゃん。

小林さんが水路にはまった状態。

肩、腕、身体ごとスッボリ。

なんとか肩を上げ上半身だけが座った格好。

膝を曲げ身体を抱えて脱出できた。

おふくろの状態も同じようなもんだが、下半身がトイレの扉を押さえて開きもせん。

少し押しただけで痛いと言うが、そこは無理にでも、なんとかするが、私の身体が室内に入れない。

かーさんは、細いから先になんとか押して入室したものの、身体を起こせない。

足、腰を引っ張る力がはいらない。

そこで私も入室し、なんとか少しずつ身体を挟まれた場から引き出した。

力がはいらない位置だったが、膝を曲げ上半身を起こし、身体を抱えて持ち上げ、便器の蓋に座らせた。

そう、蓋は閉まっていたから用をたす前の段階に倒れたのだろう。

トイレの真上の二階寝ていたかーさんが気づいた異音。

トントンの音が気になり下りていった状況に‥‥

トイレ室内に立てたおふくろ。

精神的に不安定。

立ったまま動けないというのはオムツだ。

便も尿もオムツが受け、外への漏れなし。

下半身がスッポンポンに、寒いが介助しながら廊下歩きは手すりつたいでなんとかベッドに座った。

身体は温い捨てタオルで拭いた。

暖房も入れた寝室ベッドに座り、水分補給。

落ち着きを取り戻したおふくろ。

どこも痛くないという。

小林さん同様に脱出できたが、実はである。

夜中の午前1時にもよおした私。

トイレに明かりがあり、なかからうっ。

いつもの状態に排便気張りだと思った。

待つこと15分。

我慢の限界に屋外に排尿。

スッキリした私は寝込んだ。

こんなことは時おりある。

時間が経てばようを済ませたおふくろは、ベッドにすやすや。

そうしているやろと思っていたが、そうじゃなかった事態にすまんかった、すまんかった・・ごめんよう。

このときの事件は、記憶から忘れないようメモした。

再びおやすみした時間は午前4時半。

今日の午後3回目新型コロナワクチン接種にでかけるかーさん。

問題なく接種できるだろう。

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年2月の介護まとめ

2024年09月13日 07時58分29秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日、おふくろ郡山療養中・・

たまたま元卓球クラブにいた六条に住む女性と出会った。

なんでも、すぐ近くに30人くらい許容する有料老人ホームが開所した、と伝えてくれた。

気になるコロナ・感染症の受け入れは最終的に医師の診断結果に委ねるらしいが。

そんな会話をしていた排便に怒りをぶち上げたかーさん。

云った通りにしないから軟便薬を増やした。

バナナも食べさせた・・ら、飛び散るほどの軟便状態。

なんで、そのことを伝えてくれないのよ。

そんな状態なら薬もバナナも食べさせないと、怒り心頭。

晩飯に赤からラーメン鍋を旨い、旨い食べたおふくろが、夜の10時の洗面後・・・かーさんを、また怒らせてしまった。

ごめんやで、と謝りたい、というが、怒り満々のかーさんは、寝床リビングは消灯に、1階からのられへんから声をあげたが・・出てこない。

謝っといてや、と私にいうが、自分のしでかしたことをなんで私が、かーさんに誤らなあかんねん、と返した。



4日、前日に電話をかけて住宅型有料老人ホームかさね奈良六条。

MRSA(感染症)について質問したら専門の医師が判断するらしい。

ネットによれば、1月21日に開業したようだが、これまで大阪中心に事業拡大した介護事業所。

今回、奈良事業を立ち上げ開業した定員29人のホームに、現在は20人が入居中。

順番に入れるような状況に、問い合わせた感染症判断。

資料送付と云っていたが未着。

家からすぐ近くなので自転車で出かけて入手した資料。

同封の利用申込書にかかりつけ医の名前を書いてもらったら、かさね奈良六条の担当医師が直接かかりつけ医に状態を確認するようだ。



7日、午前10時半から11時10分。

昨日の日曜版リクルートチラシに介護士など、パートタイマーも求めていた1月22日にオープンするかさね奈良六条小規模多機能型居宅介護住宅型有料老人ホーム。

エリアマネージャーのY介護支援専門員・介護福祉士。

なんでも、堺市・光明池郵便局近くの光明センター所属であるが、新規施設のオープン支援するエリアマネジャー。

大正13年生の祖母も入居に至ったのは父・母との口げんかに、とほほに疲れる孫のYさん。

かさね光明センターのホームに入所したらすっきり。

いざかいもなく、おまけに父に手を握ったとか・・・

応対にコロナ陽性者発症(入居者・施設職員)したようだ。

その対応に、他階に隔離。

1階に未感染者とした。

なおも発熱もなく咳き込みもない無症状に2類を外してほしい・・と。

そのため、面談は、今なお一切停止中・・・

一週間後に緩和する方向で調整中に全員のうがい励行。

ショートスティの受け入れは奈良市民に限る。

ハッピーガーデンの入居が決まるまでの入居は受け入れるが、入居にあたってはかさね奈良六条に住民票の異動など、確認し利用申込書を提出した。

20室の入居が決まれば直ちに入居できるが、その前には住民票を予め移しておかなければならない。

そういうことだから住之江の居住地は、すっからかんにしなくてはならない。

ただ、かーさんは3月末に転居したいと伝えていたが・・・

8日、前日に大阪から転送されたおふくろのワクチン接種券。

その確認を待っていた。

高血圧症の薬をもらうついでに訪院した上田診療所の予約最近日は2月28日だったが、金曜日はデイサービスと重なるので翌日の3月1日の火曜日、午後1時半に設定した。

また、かさね奈良六条のK施設長より電話があった。

見学日は、2月16日の午前10時に決まった。

9日、かーさんは、午後3時過ぎより3回目の新型コロナワクチンの接種。

角谷消化器内科医院の、その晩は何ともなかったが、察知して入浴はしなかった。

就寝中の痛みは、前回同様の筋肉痛。

翌日は予定していた卓球クラブは休んだ。

午後6時過ぎ、おふくろが訴える。

後頭部の左側がピリピリする。

左耳の上辺りが、ピリピリ痛むと訴えるが、神経系なのか、ようわからん。

今まで頭が痛いと訴えたことのないおふくろ。

平熱だし、しんどいこともない。

本人曰く、ちょっと寒かった、といってベッドに横なるわ。

いつもの通りに布団を被った午後6時半。

ちと心配だが、カロナール錠を服用したので様子みるしかない。

午後7時半、具合はどう?に返答した。

お腹が減ってきたように思えて起きたおふくろ。

まずトイレ。

揃ったところで晩めし。

スーパーラ・ムーで買ってきた甘酢餡つけの鶏天にぶつぎり生食タコを絶賛した。

パクパク、パクパク・・・

食べる、食べるし、箸がとまらん。

気を良くして食べたおふくろ。

満足しきった午後9時。

再び、痛いと訴えるおふくろ。

おそらく、鎮痛剤の効き目が切れたのだろう。

さらに、1錠服用したカロナール。

洗顔し、午後10時半には寝床入り・・・

ピリピリする痛みは、私もなんどか症状が出たことがある。

原因は、まったく心当たりなし。

しばらくしたら、痛みは消える。

アレは何だったんだろうか。

10日、午後4時半、座っていたおふくろが、訴えは痛くなったので、と要求する。

今日も、カロナール錠を服用し、横になって寝ていた。

私がジムから帰る前にトイレ起き。

トイレから出てきて、再び鎮痛剤を要求するが、ついさっき呑んだばかりよ、とかーさん。

伝えたら、そうかな?とキョトンとしていたらしい。

認知症が酷くなったのか、それとも・・・

で、再び横になった午後6時。

食事時間の午後7時半に声をかけたら、しんどくはない、という。

痛みもないけど、食事はせーへん、と言って再び眠りについた。

おそらく鎮痛剤が効いているのだろう。

午後11時、私ももう横になりたいので、声をかけたら痛くない、という。

トイレに行きたい、というおふくろ。

念のためだが、かーさんが用意してくれたカロナール錠とお茶入り水筒。

万が一、痛くなったら呑みや、というて、トイレから戻ってベッドに横になるまで看ていた。

11日、朝4時過ぎのトイレ終わりに、腰貼りホカロンをしたい、とリビングにトイレ待ちしていた私とばったり。

貼ってあげたら、また横になって寝た。

幸寿苑行きは、今日じゃない、と思っていたが、起床に痛みなく、薬は飲まなかった。

そんなこれで、幸寿苑のデイサービス中も痛くはなかった。

ところが、戻りの車に乗る際だけ、ピッときたらしい。

入浴は、といえば入ったかな?

着替えしているから入ったんでしょうょ。

うーん、認知が進んでいるような・・気配を感じる。

夜9時半過ぎ、かーさんが尋ねた。

どうもピリピリでもなく、ここらあたり、と云った箇所は肩。

肩こりしてるんでは、と思うから湿布貼って、とお願いしとる。

午後10時過ぎ。

後頭部の痛みは、治まったが、今度は前頭部が痛い、と訴える。

今夜も、カロナール錠の要求に、寝る前に呑んでもらった。

15日、便意をもよおす回数が増えつつある。

昨日は幸寿苑で、もよおし。

おむつを交換してもらった。

晩にももよおし。

今日も数回のもよおしに、食事の量とか内容も気にしつつ食事を摂ってもらうが、煩雑になる前に服用したいラッパのマークで有名な大幸薬品セイロガン糖衣錠をウエルシアで買ってきた。

午後10時半。

トイレも洗顔も済ませてベッドに。

そのときに話し出した今朝のこと。

午前5時だったのか、6時だったのか、記憶にないが、トイレに行こうとして起き上がった。

そのときだ。

以前もあったベッドに敷いていた毛布に滑って畳床に・・・

座り込んで、さてどうするか。

毛布も掛け布団も、下にずり落ちたそこに座ってもうた。

なんとかせな、と手すりに支えた建具に、なんとか立てたようだ。

そやからちゃん、とベッドにお尻をむけたか?

お尻の位置が、深く入ってなかった。

ちょいのりくらいの腰かけ。

これが甘かったようなことを話すが、ようまぁ独りでなんとかできたんやな。

16日、かさね奈良六条のK施設長。



施設見学は午前10時から11時15分。

食堂インテリアは、最新のカフェ或いは、レストランのようだ。

入所施設の今は、こういうレベルまできてるんだ、と感心した。

機械浴はすべてが自動。

職員一人が就いて入浴介助。

個室にはトイレがなく、できるかぎり食堂などに行ってもらうために、廊下には、2室のトイレも完備した。

最新型の非常時コールは、無線呼び。

認知症患者さんなどが、自由に出入りしないようセキュリテイはガチガチ。



ある意味、至れり尽くせり感がある。

晩食を食べ終わってからおふくろが訴える左脇下が切れたような痛さ。

身体を見たかーさん、特に炎症、赤みまったくなし。

先日にも発症した左耳のピリピリも同じ神経系統によるものと判断したら、安心したもようだが・・

18日、今日は、確定申告生前整理に出かけた。

23日、寒がりになったおふくろ。

いつも靴下は2枚履き。

当然左右にそれぞれの左足、右足に分かれるが、それがなんと・・・

左も右も右足に履いた2枚履きの靴下。

施設入居に認知症検査結果が間違いない。

午前10時、住宅型居住老人ホームウエルライフあかりに受付相談。

M精神健康福祉士からお話を伺う。

いむら系列のウエルライフ。

過去、はじめて要介護認定を受け、お世話になったウエルケア悠・ケアマネージャーのFさん情報がある。

施設から、例えば田北病院に通院は可能。

住居異動は老人ホームに移すことも可能だし、我が家に同居世帯主住所にするのも可能。

およそ20万円の費用になる。

コロナ禍が縮小した場合は、家族さんが外出させることは可能。

介護付きホームであれば23万円。

外出は不可。

医療情報コピーを提出し、医師の診断待ち。

26日の電話は、医師判断不受理だった。

午後2時、チャームやまとこおりやまを訪問したが、コロナ感染者が発症した関係で、予定していた見学は中止になった。

午後2時15分、ここも訪問しよう、お願いした大和園りおんの見学。

施設半分は、他地区から訪問するディサービスを受けて、リハビリ運動中だった。

24日、深夜2時におかしい動作。雰囲気がどうもおかしい。濡れているような、と感じたおふくろ。

失禁ではないが、夜尿症みたいなものか?

気づいたら、こうなっていたらしく、おむつパンツも下着も履き替えた、という。

起床時に、かーさんに伝えた尿もれ。

したか、してないかの認識がないのなら、これも認知症や、と・・・

大阪市認定事務センターより届いた介護書類。

要介護・要支援認定申請を受理し、仮の介護保険暫定被保険者証が届いた。

大阪市から委託先の調査員を手配し、調査日の決定伺いをします・・と連絡があった。

26日、大阪市委託再認可調査に居宅介護支援事業所のN調査員から連絡があったのは二日前。

この日の午後2時に、来訪することになった。

この件については、大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんが手配、調査員を委託していた。

つまりは、本来なら居住地の大阪・住之江の調査員であるが、再認定に申請した大阪市介護支援センターが、療養地の奈良県ということで委託された事業所。

大和小泉の居宅介護支援事業所、「想花(そうか)」の担当者のNさんが来てくださった。

調査員が我が家に来訪されて身体状況などヒヤリング。

実際の動きなど、実態を確かめた午後3時。

場は、ディサービスを受けている幸寿苑に移動され、調査するそうだ。

また、通院している主治医にも面談され、再認定意見をもらうようだ。

2件の調査結果がそろってから、月1回月末ころに行われる再認定会議を踏まえて、介護認定が決定される。

28日、今日の最高気温は、今年最高の14.6度。

ジャンパーが、不要な温かさ。

日和の風もなく穏やかな日だった。

この日も、施設の見学。

藤村病院系のサビース付高齢者住宅(サ高住)おだやか。

午前10時に伺った。

施設長はY氏。相談応対に入居。

昨今、悩ませている喀痰検査に感染疑いのMRSA・・・

当施設は、内科が主な藤村医院の系列施設。

病院長の判断は、午後に伺うので結果はすぐにわかる、と云ってくれた。

電話は午後4時15分、結果がオーライにほっとした。



施設長が案内した部屋は、決まった入居者であるが、まだ入居していないことから、部屋を見学させてもらった。

管理者コールSWは別途購入らしい。

西の窓から見える大和の郡山城の枝垂れ桜が見える、特等席のえー部屋。

数年後には踏切を渡るトンネル工事を終え、開通したら全景が見え、眼下は金魚養魚池。

食事を摂る量は少ないらしく、例えば朝食を抜く人も。

聞いてみれば、嗜好の具合で“てんやもん(※店屋物)”とか、コンビニに食を求める人も。

近くの弁当販売にすたこら出かける人もおられる、みなが自由な施設。

常時、図書館に詰めている学びの人もおられる。

ディサービスに、藤村病院の施設に行く人もいるから昼間の食堂は7~9人。

少ないほうだ、という。

食堂で食べる人もおれば、室内に籠って食べる人も。

ほとんどの入居者は仏壇も持ち込んでいる。

室内に入れてはいけないのは火がでる道具。

蝋燭、線香、マッチなどなど・・・

ホットカーペットの持ち込みも可能。

浴室は拝見できなかったが、全体通して施設長の人柄もあり”おだやか”な雰囲気だと思った。

ディサービスから戻ってきたおふくろ。

幸寿苑での出来事である。

急にもよおしてトイレに入ったが、半分出た、と・・・

まだ、出るかも、と男性のケアワーカーさん?が、見かねてかどうかわからないが、お尻を両手で力を入れ絞ったら、しばらくしたら出たようだ。

かーさんは、明日のコロナワクチン接種の3回目。

排便が、停まっていたので便秘ストレスによって体調異常にならんかな、と心配していたがほっとしたようだ。

(R4. 2.16、28 SB805SH 撮影)

令和4年のならみんぱくのひなまつり

2024年09月12日 07時34分26秒 | 民俗を観る
今年も開催された県立民俗博物館の企画展。

2月から3月にかけて展示されるひなまつり。

2月12日(土)よりはじまった展示は「古民家でひなまつり」。

展示会場は県立大和民俗公園内に施設化した古民家。

無料で入場(座敷不可、土間まで)、拝見できる古民家施設。

今年もまた、旧臼井家住宅地。

公園に入ってすぐ左。

古民家建物がすぐ見える。

会期は、先行している関係から、3月6日(日)まで。

閉園時間近くになれば、そのアナウンスがあるから、よく耳を澄ませてね。

一方、大物は県立民俗博物館の本館展示。

「古民家でひなまつり」より、一週間遅らせた2月19日(土)から3月27日(日)までの期間展示。

会場は本館だから、午前9時から午後4時までの展示する「博物館でひなまつり」。

今回は、京都芸術大学が協力している。

授業に民俗文化財の修復実習作業。

長期間に亘った修復期間。

立派な御殿雛は、江戸時代に近畿圏で広がった雛飾り。



京都御所を見立てた御殿に雛人形を飾る。

戦後においては、百貨店や人形店で販売される雛人形は、段飾りが主流を占め、御殿雛は見られなくなった。

展示の御殿雛は、御所市寺内町の豪商の家に江戸末期から明治時代を経て昭和6年まで受け継がれていたもの。

幅約4メートルにもおよぶ大型の御殿雛に圧倒される。

経年劣化が進んだ御殿。

木部の破損やゆがみ、接合部の緩み、襖や障子などに紙の破れなどが見受けられ、修復は、それぞれの素材に応じた修復技術が必要になった、と授業生は語る。

当時、担当した学芸員から、聞いたたいへんな作業


その一部が、ネットに公開されている。

館内入館に観覧料金は、大人が200円に大学生は150円。

なお高校生以下および65歳以上は無料。

現在は、古民家に一部展示。

御殿雛などの大きな展示物は、毎年において収蔵庫より選択し、よりテーマに沿った展示をしてきた。

毎年の展示を愉しみにしている方たちは、実に多い。

かつて私ども民俗を撮るカメラメンが展示してきた「私たちがとらえた大和の民俗」写真展の展示期日をどうするか、検討した結果、入館が多い時季に合わせたこともある。

それが、ひな祭りの期間だった。

今回、最後になった「私たちがとらえた大和の民俗」古民家写真展も、その時季に寄り添うかたちで、展示日を決めた。

まぁ、早い話がひな祭り企画展に便乗したワケであるが・・・

只今、10回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の仕掛中。

令和4年、今月の2月23日(水・祝)から3月27日(日)までの期間。

展示会場は、旧臼井家住宅地から、歩いてすぐ近くの旧荻原家住宅ならびに旧赤土離れ座敷。

古民家活用の写真展は、今回が2回目。拝見された方々も、私たちカメラメンも、古民家展示に助けられた。

風情のある古民家の屋内展示。

おそらく、日本全国において古民家屋内展示したのは県立民俗博物館が初だったろう。

これまで何度も議論した古民家活用。

実行できたのは、本館の耐震工事であった。

本館の工事中は一切すべての展示もできない。

ならば、と決めた古民家活用。

本館工事を終えてリニューアル展示をした県立民俗博物館。

導線を広げ、明るく見やすいようになったリニューアル展示。

これまでの暗いイメージから脱した


ただ、残念なことに、私たち大和のカメラマンが学芸員とともに活動してきた写真展は、今回の第10回をもってラスト展示。

県立民俗博物館の意向によって幕を閉じる


さて、本題は「令和4年のならみんぱくのひなまつり」である。

先にあげた京都芸術大学が協力し、京都御所を見立てた御殿に飾った雛人形。

細かい部分を拝見。



衛視の立ち姿を観るのも、また愉し・・

古風な内裏雛を観るとき、いつも頭の飾りを観てしまう。



どことなくわかりそうな享保雛に古今雛。



私が尤も被写体にしたい麗しき内裏雛。

一つは、江戸時代ものの内裏雛は川西町結崎。

天保七年の作は奈良市の秋篠からもある。

2体を見比べていると、どことなく顔の表情が硬い、柔らかいにわかれる。

作者、或いは工房の違いであろう。

今回の展示にいちばん興味を惹いた雛人形は、陶器製の立ち雛。

京都でつくられたとされる立ち雛であるが、壁に立てることなく、寝かせた状態で展示していた。



手前に並べて展示していた紙製の雛人形は、私が入手してきた五条市南阿田の吉野川流し雛。

行事の一環に地域の婦人たちがつくった流し雛。

いずれも現地で購入した手つくり流し雛
である。

一事例に、県立民俗博物館に寄贈した流し雛が、ここに展示していた。

今回も、また展示企画は横山浩子学芸員。



本日は、新聞記者の来館に、令和4年のならみんぱくのひなまつり取材を受けていた。

ちなみに、私がアップしたFBに、この立ち雛を、画面で観ていた知人のFさんから、「誰の作品ですか?」と、コメントされた。

「上段の立雛ですか?それとも下段の千代松紙でつくった紙雛のことですか?いずれにしても作者はお会いしたことはありません。立雛は京都の立雛作者。作風でネット探しましたがわかりません。紙雛は行事が行われた五條市南阿田に住む婦人たちがつくっていた竹舟とセットした紙雛」、と回答したら、「下に作者名をいれてほしかったです。いずれにしても素晴らしい作品です」と、返答された。

わかるものなら作者名は記載したいが、特に上部に配置した京都の立ち雛。

頭も衣装も陶器製。

手持ちに事例がない。

返答はしてみたが、もやもやが残る。

作者は、おそらく工房集団ではないだろうか。

300年前に造られた仏師が製作したと考えられる伏せ鉦が、後世に残されている。

例えば、「室町住出羽大掾宗味作」とか、「西村左近宗春作」の銘を刻印している打ち鉦である。

民俗史料など手掛かりは持ち合わせていないが、おそらく代表仏師の名を刻印したのでは、と思っている。

世にたくさん見られる(※残されている)鉦は、全国に散らばる。

大量に製作した可能性も否定できない。

あくまで推定であるが、独りコツコツした製作作業でなく役割をわけた集団作業では、と思っている。

横山浩子学芸員の話によれば、展示に回答のできない明治期にしているが、実は江戸期だった、という。

たぶんであるが、時季も、製作場所も不明。

工房集団で造りこんだ立ち雛ではと、推定されている。

工房であれば、作者の名は表に出ない。

実は、展示した立雛は学芸員が、個人的にあるところから買ってきたと話す。

大阪のある文化施設に展示していた京都の立雛の出里は、奈良・橿原の豪商宅にあったそうだ。

ただ、その豪商がどのような手段で入手したかは謎である。

あくまで推定であるが、当時は豪商が大量に買い付けて、なんらかの祝い事に配ったのでは、と・・

大阪の展示でわかった大量にあった、という立雛は同形。

つまり大量生産する工房があったからこそ、それが可能だったことと、配る風習があったことによる立雛の生い立ち・・・だから作者の名はわかりようなく、文書も遺されていない。

つまりは、回答できない江戸時代に生産された陶器製の立ち雛。



気になるものだから、その後に再度調べたネット情報に立ち雛はみつかるのか・・・

ニッポン放送がNEWSONLINEに公開していた「雛人形が江戸時代に立ち姿から座った理由とは?~雛祭りの歴史(1)~」

平成30年の2018年1月19日から3月11日の期間に開催。

「井伊家伝来”砂千代姫のお雛さま”を、ホテル雅叙園東京の”百段雛まつり」に展示。

その一部を紹介しているニッポン放送のNEWSONLINE公開。

お雛さんの姿、形の変遷、文化歴史がわかる。

当展示に立ち雛があったが、横山学芸員は持ち込み展示した立ち雛とは、また違う。

ちなみに、立ち雛は、江戸時代以前からあった、とされるそうだ。

記事にあった立ち雛は和紙でできていた。

頭部は、丸いが、装束部分は扁平。

自立できない紙つくりの立ち雛。

やがて時代はかわり、和紙つくりから布に移った。

以降、装束は豪華になっていく・・

そう、「立ち雛タイプの雛人形は、お雛様のルーツ?座雛と立ち雛との違いと成り立ち」伝えるブログ記事もある。

お雛さまのはじまりは、立ち雛から・・。

「人形(※ひとかた)に成形した立ち雛。紙に神霊の代わりに据え、災いは川に流す」。

つまりは五条市南阿田の吉野川流し雛に相当する


「千代紙で作ったお雛さんを流して罪や穢れを流して祓い清める」。

まさにそうである。

最近、販売されている立ち雛の姿を見てみよう。

京都の木村桜士堂がネット販売している立ち雛は御所立雛。

江戸時代のような風情は消え、現代的な様相。

今の時代に好まれる、どっちかといえばアニメチックかな


山形県の人形の栄光も立ち雛を販売しているが、こちらも現代風

「雛まつりの起源は、上巳の節供という三月のはじめに行われた祓いの行事。紙など簡素な素材で作った人形に、人間の穢れを移し、水に流すなどして処分した。立雛は祓いに用いた形代の人形から発展したと考えられ、その歴史は坐雛よりも遡る」と解説していた京都国立博物館・文化遺産オンラインがヒットした。

横山学芸員が、持ち込み展示した立ち雛に、より近い存在。

右手にある立ち雛が、まさしく同等レベル。

モノクロ画像であるが、カラーの彩りが蘇ってきそうな立ち雛。

文化遺産オンラインに見つかった同等レベルの立ち雛の時代は表記されていない。

似ている立雛に古式立雛を並べて比較。

古式立雛よりも、さらに年代は遡るのでは、と推定した立ち雛の様相に感動、感動である


(R4. 2.19、20 SB805SH 撮影)