Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ツルバミ~YUKIDOKE Vol.2 感想文その2!

2009-05-01 22:30:34 | book
ntmymさん編集の同人誌「ツルバミ」
感想文第2弾でございます~
順不同で書いてみます。

ちなみに第1弾はこちら

***

●「木いちごの虫」百代紅葉

フィンランドのアンデルセンと呼ばれているサカリアス・トペリウスの童話を人形劇化したものだそうです。トペリウスという名を初めて聞きました。人形劇用の脚本という体裁なので、内容はいたってシンプル。子供たちの短い会話を中心に物語の幹だけが綴られる。童話というのはそのようにしてコンセプト一発勝負なところがあり、それだけにコツンと心に当たったりずっと残ったりする。そういうものだから劇化しても本質を損なうことがのだろうなあ。
百代さんのすごいところは、今回は解説を本文の前においているところですね。しかも作品のあらましに大胆に触れてしまってもいますが、それが人形劇となるに当たっての制約や条件についてのお話とうまくからまって、そのあとに本文を読むときに、単なる言葉ではなくて、人形がしゃべり動くイメージをあたえることに成功してしまっています。この解説文があるから本文を生き生きとイメージできるんですね。きっと巧まずしてこういう構成になったのではと推測しますが、それは人形劇を人に見せるという立場で、お客さん=読者はどのように見るだろうかと、相手の対場に立って考えた結果なのでしょう。人に見せるということは、どんなことであれ真剣な「思いやり」を生みますね。
そういうことがすっとできるのは、百代さん、大人だなあと思います。
解説の文章も大人の文章で、安心して読むことが出来ました。

よいですね^^

あと夏鳥さんによる扉絵が郷愁をさそいます。樹と土の匂いのする夕暮れ。。



●「ミモザ」夏鳥

その夏鳥さん(かな?)の小説です。小説というのはすごく難しいのだなと思いました。もちろん自分では書いたことはないのですが、「ミモザ」を読んでいるうちに、なにやら自分で書いているような気がしてきて、困窮しました。ああ難しい。
昔々、谷川俊太郎と大岡信が「散文詩」という季刊?誌を出していたのですが、「散文詩」という言葉あるいは概念を思い起こしました。散文と詩とはよく別物に扱われると思うのだけれど、ワタシは結構同じものなのかもしれないなと思うときがあります。小説もきっと詩と同じように、それは一語一語が意味のある唯一無二のものであるような言葉を選び見つけ出す作業なのではないでしょうか。良い小説は詩的である、というとき、それはイメージ/記号/ステレオタイプとしての「詩らしさ」をもっているとかいうことではなくて、言葉の存立の仕方が詩作と変わらないということを意味するのだと思います。
小説を読んで困惑するのは、状況を説明しようとするあまりか、言葉にとつぜん魂を感じなくなることがあるときでしょうか。それは小説ではなくて、解説文やト書きのような言葉なのでしょう。解説文にならんとする誘惑に抗って、あくまで詩としての言葉が状況を浮かび上がらせるように書くこと。そういうことが小説には求められているのだと、そんなことを考えました。



●「秘密」沢さくら

ということでは、沢さんの「秘密」は、題材やモチーフやディテールはある面安直というか拙いところも多いのかもしれないですが、「秘密」がこのようにして永遠の秘密となったのだということに向かって、一見関連のない事柄を振り返るようにしながらそっと近づいていく、その手つきにちょっとした感動を得ることができました。解説文に陥る寸前でとどまった言葉たちという感じです。

正直冒頭の「最初の夜をともにした男」とかの記述にやや辟易としないでもなく、続く幼少期の性的トラウマや思春期の容姿が良すぎることのコンプレックス(逆コンプレックス!)などなど、都度素材にはちょっとありきたりな気がしたのも事実ですが、最後のお葬式の場面で一気に状況が収束したのをみて、ああ、実際にこういう半生はあるんだろうな、と、ステレオタイプを越えた正直なリアルを感じることができました。
洗練されるとさらにステキな言葉になっていくだろうなと思います。



●「山田ゆたか、OL、24歳、カレシなし。」ねこきむち

前作YUKIDOKEでもそうだったんですが、この方の作品については、もう求めるものが違うのだと思わざるを得ず(笑)。ラノベというものには一切触れたことがないワタシですがそのワタシが想像するラノベ的なものとはこういうものだなあという気がいたします。間違っているでしょうか?(多分間違っているでしょう。)

ということで(どういうことだ?)まったくもってありえないきっかけで一つ屋根の下で暮らし始める4人ですが、じゃあ何が起きるかというと、それなりにいろいろ起きるのですが、それがなんだというと、なんでもない。いわゆるドラマというもの=成長、発展、変質、崩壊、というものを一切回避して成り立つ世界というものに、なんともあっけらかんとした驚きをおぼえました。
ふと「事実は小説より奇なり」という言葉が浮かんできました。この設定でいいので、もう少し実際の世界で起きるであろう事柄(大きいこともささいなことも)を選んで配置していくと、実は意外と奇想天外な物語になるのではないかと思いました。「OLさんが実は一番収入が低い」とかいうディテールなんかはいい感じです。ありえなさそうでほんとにありそうな話です。そう考えていくとこのまま結構軽いノリで長編にしてみたりするともっと面白いのかもしれない。

それから、同人誌即売会で500とか1000とか売れるんですか?son*imaのCD1000枚を売るのには異常な苦労が必要なようなんですけど・・・世の中何事にもコツがあるってことでしょうか;;ぜひコツを教えてください>ねこきむちさん



●「コロッケ哀史」梶谷友美

ちょっと村上春樹風なところがある短編。というか、短編における村上春樹がこの世界に接近することがあるという感じ?
ある繁盛スーパーのコロッケ売り場をめぐる情景を描き続けるだけなのだが、言外に思わぬダークな世界との接続点が匂わされ、そこに関わる人たちの人生それぞれにいつのまにか思いを馳せてしまう。字数以上のことが語られる小説。それはまた長編になりうる種をもっているということでもありましょうか。

●「冷蔵庫」梶谷友美

タイトルの引き出し方がいいですね。深夜における冷蔵庫は昼間のそれとは違って意外なほど存在感があり(ぶ~んていってるからね)そのことにふと気づく人ってけっこう多いですよね~?そういう共通感覚をふっと取り出して、夢うつつを行き来する主人公をちょっと冷たい現実側に引きつないでいる感じでしょうか。
欲を言うと、最後のオチはもしかしたら不要なのかも。もしくは、「帰らない」ことを、言葉にしないで感じさせるようになっていると一層よかったのかもしれません。

●「深山幻想」梶谷友美
梶谷さんの中ではこれが一番好きでした。お墓参りというのは特に事件がなくてもなにやら印象的なもんですが、そこに子供の様子やカマキリのことなど小さなことを絡めて、「事件がなくてもなにやら印象的」の本質をつかんでいますね。お墓に眠るお父さんが決していい人じゃなかったというところもいいですね。惜しむでもなく鞭打つでもなく、時のなかで風化する生の記憶。いいですね。

***

なんかだんだん文章が短くなってきたような^^;
あと二つ~

***

●「ヱビスビールのほほゑみ」烏合

烏合という号がいいですね。よく考えますね~。
韻文や定型詩の書ける方をワタシはとにかく尊敬するのですが、言葉がうまくはまったときに定型であることによってもたらされる力は、なにやらターボエンジンを得た車のような推進力がありますね。ということでは今作での烏合さんは、エンジンふかしながらスタート直前という印象を持ちました。表面的には「サラダ記念日」以前と以降で分類されてしまいがちな定型詩の世界ですが(もっともわたしは「シンジケート」前後説をとりますが)、烏合さんはそうしたこととはほとんど関係なく伝統的な言葉や季節感を受け継ぎつつ、新しい、というか今の言葉を呼吸するものが作る定型詩の姿を求めているようです。言葉愛を感じます。
「かに!かに!~」というのが好きでした。ちょっと意外でしょ?「お布団の海に」じゃなくて「お布団の海の模様に」というところがすばらしいと思うんですよね。模様にくるまれて眠るという感じ。


●「白さと無数の円および楕円」入江ほとり

さてさて。ワタシは定型詩や韻文に強く引かれながらも、そのいずれもなしえずにいわゆる現代詩に属する(属さざるを得ない)詩作を、思えばかれこれ30年は続けているだろうか。そしてその30年の間に、作風は変わりこそすれ、自ら満足いく出来であるといえる作品は、皆無、である。皆無。では人の作品はどうかといえば・・・やはりこれぞという詩作にめぐりあうことはまれである。宮沢賢治詩集というのを読破したが、これぞというのは2篇ほどしかなかった^^;寺山修二は主に短歌を読んだがこれも似たり寄ったり。ひととき平田俊子や谷川俊太郎の一時期の作品にちょっと酔った。鮎川信夫、田村隆一、吉岡実、天沢退二郎、鈴木志郎康、吉増剛造etc.etc.・・全滅である。
これは、自分に詩を解する力がないのか、自分に詩作の才がないのか、はたまた詩作というものはかくも困難なものなのか、いまだに判然としない。きっとそのすべてなのだろう。

詩を読むコツは、とことん言葉に寄り添うこと、その情景にひたすら身を置いてみることだと思うので、「白さと無数の円および楕円」にひたすら寄り添って何度も読み直してみる。前半はなんとかわかるのだ。しかし後半召喚される「音楽」のあたりからどうもわからなくなる。前半から導かれる形でカタルシスが仕組まれているようにもみえるのだが、それはあまりに唐突である。
「ほんとうの言葉を探す人」が本当の言葉をみつけたとき、時は忘れられ音楽が鳴り響く。そのようなユートピアは海へ漕ぎ出す半島の上に幻視するしかない、そういう仮初の狂騒なのだろうか。そこでは詩は終われない。まだまだこの先へと歩き続けなければならない。そのような思いでこの詩を読み終える。すっかりドームの埋まる世界の住人になったが、どこへも行けないままだ。。。。

*****

ノトマユミさんの作品については前に書きました。
付け加えるならば、マンガの最初のほうにある、子供が石ころ?をころんと蹴飛ばすと、その石がコマをまたがってころころとさりげなく転がっていくところが好きです。
もっと好きなところもあるんですけどね。

*****

う~む
作品を書くのも大変だけれど、感想をまとめるのも大変なのだなあ。いつも何事も「ま、いいか」と適当に書き散らしているので、真面目に取り組むということがどんどん苦手になってきているような気がする。これではいかん!と思いながらも無責任な放言の場としてココを使うことでストレスを解放している面もあるだろう。

なにを言ってるかというと、ココの放言は気にせずに、同人の皆様、変わらず創作の高み目指してがんばってくださいね~ということでございます。
ワタシも満足のいく作品ができた日には寄稿させていただくやもしれませんことよ?ほ~ほほほ^o^/



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4 コメント

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ありがとうございます♪ (ntmym)
2009-05-02 06:00:49
manimaniさん、丁寧な感想を書いていただき、どうもありがとうございました! 私にとっても、同人の方々にとっても、たいへんな励みになります(^^) 次回もがんばるぞー!って気持ちになりますね♪

>ワタシも満足のいく作品ができた日には寄稿させていただくやもしれません

おお、それはぜひぜひ! じんわりゆっくり進行するyukidokeを、今後ともどうぞよろしくお願いします~☆
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むむ (manimani)
2009-05-02 22:12:33
☆ntmymさま☆
なんだか勝手な事を書き散らしてしまったかもしれません^^;
がんばるぞーになってくれたら幸いですが。

寄稿は何年先になることやら、さらに30年後くらいでしょうかね(笑)
返信する
どもども (piaa)
2009-05-03 00:56:35
私は夏鳥さんの「ミモザ」結構好きなんです。あのレトロな雰囲気を描き出す腕前はたいしたものだと思います。ひそかに「蜥蜴と薔薇」シリーズと呼んで次作にも期待しています。

で「ツルバミ」ですが、正直残念ながらほとんどの方の作品が、「YUKIDOKE」に収録された作品よりもやや力が落ちた印象を受けました。(ノトさんのマンガだけは変わらぬクオリティの高さですが…)次回作に期待します。

ええっと…ラノベを舐めてはいけません。早速「涼宮ハルヒの憂鬱」でも読んでみて下さい。下手なSFよりクオリティ高いかもしれません。
子供相手でもこの程度は書けないと作家になんてなれないと思い知らされます。
返信する
どもども (manimani)
2009-05-03 10:53:36
☆piaaさま☆
あら、ワタシはYUKIDOKEよりもみんな力んでない分よくなったなあなんて思ってたんですがね^^;
いろいろですねえ

で、ラノベをなめるつもりはまったくありません。ちょっと表現に問題があったかもしれませんが。
どんな世界にも奥行きはあるものですからね。ただワタシが知らないというだけでございます~

ではでは
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