ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「新しい生き方」を求める私たち

2016-01-16 10:10:18 | 今日の聖句
今日の聖句は「エフェソの信徒への手紙」4章25節~32節 です。

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。
むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに
役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、
贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、
一切の悪意と一緒にすてなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを
赦してくださったように、赦し合いなさい。


ここには「新しい生き方」という中見出しがついています。
教会の全員が「新しい生き方」ができているわけではないと思います。私も勿論できていません。
でも、教会は少なくとも聖書に書かれ示されている方向を目指そう!という心を持っている人々の集まりです。
子供からお年寄りまで、老若男女が思いを一つに集まっている場所です。
不思議な空間とも言えますが心休まる平安を与えられる場所です。
苦しみを抱える人、重荷を負って悩む人、絶望して虚しい思いに囚われる人、きっと救いの道を
見いだせることと信じます。
どうぞ勇気を出して教会の扉を押して中にお入りください。

『「エフェソの信徒への手紙」は1:1-3:21の前半部と4:1-6:20の前半部の二つに区分される。
今日の聖句が入っている後半部は、カテキズム伝承、徳・悪徳目録・家庭訓などの倫理的勧告的特徴が顕著である。
本書はパウロ自身が著わしたものではなく、パウロの死後、パウロの名を借りて書かれた手紙であることから
「パウロの名による手紙」(あるいは第2パウロ書簡)として位置づけられる。』
(以上は「聖書事典」からの引用です。)

カテキズムとは・・・・キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説の事で、伝統的には洗礼や
堅信礼といったサクラメントの前に行われる入門教育(catechesis)で用いられる。
文体は問答形式をとることが多い。(ウィキペディア より)


<カワラヒワ>を見ました。
例年は群れで見ることが多いのですが、今年はまだ一羽だけでした。

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