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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

安物買いの銭失い

2009-10-11 23:13:21 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」、29日目は、『や』
江戸カルタでは、「安物買いの銭失い」となり、文字通りどなたにも経験のある例えではないかと思います。驚異の13連休も今日を含め、あと二日。ようやく普段通りの生活が送れるような状態に成りました。普通、忌引き休暇は7日間、この間に各公共機関の届け出行為や簡単な後片付けを行うものなのでしょうが、4日仏(我が在所では、3日目に友引が入った場合、3日目の葬儀と4日目の葬儀は行わない風習があるのです。)となってしまった結果、葬儀は、5日目となり、初七日と簡単な後片付けを行っても、平日に済ませなければならない用向きが行えず、また、告別式後の弔問に訪れてくれる方々は、古老の大事な関係者(老齢のため、告別式などの公の場を遠慮する方々なので)であるため、長男の私でなければ、その関係や今後の契約事など伝えきることが出来ないと判断し、長期間の休暇申請となったものです。案の定、高齢のため足が不自由になり、人前に出たくなかったなどという理由から、初七日を終えた後に、数名の弔問客がありました。
           
私も含め、両親が大変お世話になった老夫婦は、同居する若夫婦に気兼ねし、弔問に来れなかったとか…。人様の家庭内のことまで、とやかく申し上げるものではありませんが、同居率の高い山形県にあって、世間様の状況が垣間見えたことでした。いつ来るか判らない人を待つということは、中々退屈なもの、そんな中、友人の『貧乏父さん』を電話で呼び出し、ブログ談義となった次第ですが、「昆虫画像が素晴らしい。」とか、「あのコスプレ画像は、実写なのか?」とか、製作者心をくすぐるような褒め言葉を頂き、私、夢屋は有頂天。
しかし、この2週間、カメラどころではなかったため、撮り貯めたはずの画像もあとわずか…。こうしては居られないと思いながら、畑に出ても、アマガエルたちの姿はめっきり少なくなってしまいました。
お題の「安物買いの銭失い」でありますが、さすがに、我が家の古老は、夢屋中興の祖として祀らなければ気が済まない。ちょっと、冷やかし半分、仏具屋さんを覗いたのですが…。「ん~。仏壇もそんなに高い物じゃないですなぁ…。」などと、お金持ちの振りをしながら眺めて参りました。「過ぎたるは、猶及ばざるが如し」の格言を思い出しながら、懐勘定をしている私がそこにありました。トホホ。
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臭いものに蓋をする

2009-10-10 23:45:30 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は、28日目…『く』
江戸カルタでは、「臭いものに蓋をする」であります。
醜聞や悪事を一時しのぎに隠そうとすることの意でありますが、最近犯した私の悪事とは…。ん~。天地神明にかけて悪事は働いておりませんが、考えるに、嫌がるカエルにコスプレを施し、ひとり悦に入っていたことは、カエル側からすれば、迷惑千万、悪行非道の者との責めを受けても仕方がないことかもしれません。
昨日は、相続や保険、各種届出行為の下準備をし、古老の遺品を片付けておりましたが、自分の心の内を吐露したくなり、友人の『貧乏父さん』に電話をかけました。『貧乏父さん』は、先月までU-Carディーラーに契約社員として、その辣腕を奮っておりましたが、不況の影響で、今月から浪人暮らし。ハローワークに行っていなければ自宅にいるのでは…お茶に誘うとメタボダイエットに取り組む彼は、愛用の自転車で我が家に駆け付けて来てくれたのであります。
自転車であれば、お茶にこだわることはない。早速、冷蔵庫のビールを取り出し、柿ピーと漬物のつまみで、故人の思い出や葬式の内情、ブログの内容など語っている内に夕刻を迎えてしまいました。彼のダイエット計画は、本日午後のカロリーベースで、さらに深刻な課題を抱えることとなってしまったものと反省しております。
           
いつまでも、メソメソと暮らしている訳にはいかない。悲しみの渕から『アマ執政』も私を励ましてくれます。『貧乏父さん』と世間話をしながら、「夢屋一座」の裏舞台などご披露いたしました。彼に指摘されて、カエルたちにも表情や特徴があることに初めて気付きました。日本ザルの研究で一般化した個体識別法は、広くサル学や動物生態学で応用されておりますが、画像に収めることばかりに執着し、個々の特徴や体色など、個を見る(観察する)ことがお座なりになっていたようです。
私、夢屋の代理で登場願った『涙君』は、確かに涙の部分を「お絵かき」しておりますが、原画をご覧いただくとこうなります。
           
頬を伝う水色の涙を強化しなくとも、目は潤み、彼の頬の体色は、充分「涙」として通用するような模様となっています。フィールド内では、こうした特徴を捉えながら名前を付け、行動を観察していくのですが、我が家の決して広くない畑の中には相当数のアマガエルが生息しておりますので、全識別は無理な話ですけれどもね。
彼らが提供してくれる表情やポーズは、すべて偶然の産物であり、私の心の動きが、それに意味付けをしているに過ぎません。彼らの鳴き声もまた、7種類程度の鳴き分けがあると言われていますが、絶対音感に恵まれていない夢屋の耳には、まだ、その声を聞き分けるに至っておりません。
小学6年生の夏休みの自由研究で、「トノサマガエル」の行動…胃袋返しや条件反射などを発表したことがありますが、約40年の時を経て、また、カエルの行動に興味が惹かれ始めるとは、それこそ夢にも思わなかったことです。
彼らの行動を解き明かしたところで、世の中の進歩に何ら影響を与えるものではありませんが、生き物から何かを学び取ろうとする志は、まだ、私の心から消え去ってはいなかったようです。
ただし、世の中のお母さんたちへ…こうした子どもを育てると現代社会では、ドロップアウトしてしまう可能性がありますので、くれぐれもご注意を^^;
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鬼に金棒

2009-10-09 22:37:00 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は27日目…『お』
「江戸カルタ」では、皆様ご存じ『鬼に金棒』でございます。
今日から妻も職場復帰であります。私はと言えば、忌引休暇7日と年次有給休暇3日を無理にお願いし、10連休…いや、この週末に始まる3連休を入れて、13連休であります。
「13連休??? どんな職場なんじゃ?」と言われてしまいそうですが、上司や部下に恵まれ、携帯とパソコンがあれば何とかなるものです。職場には迷惑をかけておりますが、あまりにも急な古老の死によって、平日に用を済ませなければならない問題も抱えており、無理を承知でお願いしたものであります。
さて、お題に戻りましょう。「鬼に金棒」
ただでさえ強い鬼に、鉄杖という、さらなる強さが加わることの例えでありますが、一体「強さ」とはどういうものなのでしょう。
私がお付き合いしている先輩に、早くに妻を亡くし、まだ幼い子どもを育て上げた男がおります。まだ、下の子どもが就学前に妻を亡くし、間もなく父を亡くし、苦労の末、子どもたちを育て上げると、今度は母親が安心したのか認知症となり…。悲劇の小説にでも成りそうな人生ですが、彼の口からは、一度も弱音と言う物を聞いたことがありません。彼の父親と我が家の古老は同級生なものですから、常々「彼は強い人だねぇ…」などと、私と古老は話をしていたものです。
           
最近、『草魂』などという言葉を色紙に書かれる方もおりますが、「オオバコ」の様に、人に踏まれるような場所でないと他の植物に負けてしまう種もあります。「ぺんぺん草も生えないような場所…」などという表現もあり、総じて雑草(それぞれに名前がありますが…)は、根強い物の代表の様に思われがちです。
しかし、この一年、田畑に出てみますと、雑草にも季節感があり、また、背丈によって、その場所の優先種が違ってくるという、知識としては実に当り前のことに改めて気付きました。
総てに強い訳ではない。条件によっては強い要素も持っているが、弱い一面も併せ持っている。生きる(種の保存)ということに貪欲ではあるが、条件が整わなければ、決して出しゃばることもない。人は、か弱い…されども、強い。弱さを支えてくれる弱い人間がいて、また強くなれる。そんな気にさせられる感傷的な秋であります。
巻頭画像は、『ホコリタケ』…目玉親父にも見えますが、見ようによっては子どもを抱きかかえる「お地蔵さん」のような気もします。
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喉元過ぎれば…

2009-10-08 17:59:38 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」は、26日目を迎え…『の』
タイトルは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であります。
我が家の古老が急逝し8日目、そろそろ普段の生活に戻れなければいけないのですが、遺品の整理や認知症が進行しているおふくろの荷物を整理していると、あっと言う間に一日が経ってしまいます。
この8日間を振り返りますと、地域の人々に慕われた古老の姿を再認識するとともに、普段、無宗派の様な生活をしていながら、一旦、事が起こった場合に、急に仏教徒の顔に戻り、その仕来たりに合わせようなどとするものですから、不案内な内容や祭事に関し、色々な意見・アドバイスが与えられ、結果的に喪主の頭が混乱するという結果に陥ってしまうということに改めて気付きました。
老年人口の増加によって、葬祭産業の業績はウナギ登り。不景気と言われながらも、その勢いは止まるところを知りません。近親者による密葬や友人葬など、しめやかに、あるいは質素に行うことも可能ですが、「人並みの…」などという遺族の見栄が、この業界を支えているような気がします。
           
普段であれば、スラスラと覚えられるような短い喪主の挨拶文さえ頭に入らず、かつてお世話になった方々が弔問に訪れてくれるだけで、古老の人となりを思い出し涙する…『孤高の涙君』の涙も涸れてしまいました。
そうした生活の心の隙間に入り込む葬祭産業とは…
いえいえ、致し方無いことではありますが、本日、訪れた墓石屋さんだけは許せませんでした。
「○×石材の海千山千と申しますが、新聞お悔やみ欄に掲載された方々のお宅を訪問し、ご焼香させていただいております。」
ここまでは、営業マンとしては当然のこと。私もこうした営業は覚悟の上で、新聞お悔やみ欄への掲載を了承した訳であり、日常の健康状態から急逝など思いも寄らないであろう古老の友人にご焼香願いたい一心での掲載したものであります。遺族が軽くあしらえばそれで良いことでありますが…
「我が家には仏具も墓石もありますので結構です。」(夢屋)
「はい、先程、こちら様の墓石も拝見した上で参りました。」(海千)
     …ブチッ… うちの墓石がボロいってかぁ!!!
普段であれば声を張り上げるところですが、古老が使っていた数珠を左腕に巻いておりますので冷静に対応します。
「我が家では、存命中に孝行することを家是とし、世間体を気にして墓石・仏具にお金はかけないことを家訓としておりますので結構です。」(夢屋)
     …古老を知らない君たちに何がわかるのか…
私、夢屋が誕生した年に古老が建立した「高畠石」の墓石なのだ。ようやく、生活が安定してきた時代に古老が苦労して建てたお墓を易々と建て替えることなど出来るものか…。
その家には、その家なりの歴史があり、思い出があるもの。銭金を惜しんでいる訳ではない。事実、古老は墓地用地を寄進していることから、住職より直々に、一等地に無償で移ることを勧められた経過もありますが、現在の位置にすら歴史があり、頑なにお断りした経過もあるのです。
夢屋第四代当主 夢じぃ家訓
「一、親孝行は生きている内に行うべきものであり候こと」
「一、仏具・墓石は弔いの道具にして、弔いの心こそを大事とすべきものであり候こと」
「一、位階・家格が移ろうは世の常、常に品格を磨くを尊ぶべき候こと」
「一、夢屋家宝は、初代夢じぃから受け継がれたもののみとすべき候こと」
まぁ、この四家訓は、子どもたちに伝わったかなぁ…。
古老が亡くなり、古老への『熱い思いが喉元を過ぎた』としても、夢屋の歴史や心は、子どもたちに伝わって欲しいと思うのであります。

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いもの煮えたも…

2009-10-07 05:52:03 | いろはかるた
夢屋いろはカルタも25日目…『ゐ』
「江戸カルタ」では、「いもの煮えたもご存じない。」であります。
この諺は知らないなぁ…そうです、芋は、煮えたのか煮えていないのか、中々判らないもの…転じて、世間知らずな者を嘲る諺であります。
我が家の古老が急逝し、葬儀の一切合切を無事滞りなく済ませることができました。この一週間、地元の風習や仏教徒としてのお勤めなど、凡そ現代では嫌われてしまうような因習を、親類縁者やご近所さんの気持ちとして察しながら、自分自身の中で整理し、短気を起こさず、喪主としての役割を果たすことができました。
さらに、我が家の3人の子どもたちにも、こうした場合の心構えや故人の生き様、父の物の考え方を伝えることが出来たと自負しております。私の喪主としての役割は、あと一度だけ…我が母親の時だけにしたい。決して両親より早く死んでしまうような親不幸はしないでくれと…。
           
これから続く四九日、百ヶ日の法要は、地元の家族で執り行うこととして、叔父たちが帰京する日に納骨を終えました。「御血脈」や「墓石の構造」などの知識をご披露し、『おくり人』などと揶揄されながら、後は、『一切皆空』
気づくと墓石の花台の穴から、「アマ執政」が納骨に参列しておりました。まだまだ、ご挨拶回りや家の中の片付けなど、身体の休まる暇もありませんが、少しづつ日常の生活に戻していきたいと思います。
そうですよ…結婚以来、今日からは、妻と初めて二人暮らしになるのですから、甘いスイートホームにしなくては…。
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涙君さよなら

2009-10-02 04:20:30 | いろはかるた

9月30日「夢屋いろはカルタ」も24日目…『う』
「江戸カルタ」では、「嘘から出た真」をお題として、カルタ48枚ようやく折り返しでございます…などと私の日記ブログを更新する予定でありましたが、2日程お休みをいただきました。なぜか、お題が「涙君さよなら」
嘘のような話でありますが、私、夢屋の父「古老」が、29日午後5時57分息を引き取りました。父の死を、ましてや葬儀前の喪主の立場でありながら、ブログなど更新している親不孝息子をお許しください。
我が家の「古老」の死は、突然でした。病気療養中ではありましたが、順調な回復を見せ、退院も近いことと信じて疑っておりませんでした。前日、愛車「ボロクソワーゲン」が故障したことで笑いを提供出来たように、何の心配もないとの思いでありました。
29日夕刻、仕事を終えて個室病室を見舞うと、古老は緩いあぐらをかきながら、前のめりに倒れておりました。これが最期でした。
ここ数日間、老人の病院生活では起こりがちな、認知症の症状が出始めておりましたが、古老の明晰な頭脳は、私の母の介護(グループホームに入所しており、何の心配もないのですが…)と自身の介護で、私、夢屋に負担をかけてしまうことであろうなどと、要らぬ心配をしておりました。
「俺も腹減ったし、今日は帰るぞ…。」(夢屋)
「ああ、お前だけは無理するな。身体に気を付けろ。早く行け。」(古老)
病室のドアに手をかけた私の肩越しにかけた古老最後の言葉であります。
           
リュウマチを起因とする間質性肺炎…この治療に専念しておりましたが、急な心筋梗塞を起こしてしまったようであります。
病棟のスタッフに気付かれることなく私が看取りに来ることを待つように、苦しんだ顔もせず、安らかな顔立ちの最期でありました。
私は子どもの頃から泣き虫で、今でも、テレビドラマで泣けてしまう程の弱虫ですが、私の父は、一度も涙を見せたことがありませんでした。22歳で父(夢屋の祖父)を失い、歳の離れた4人の弟たちを文字通り父親替わりに育てあげ、苦労の連続であったことは容易に想像できますが、涙を見せたことがありません。いや、本当は一度だけ私に涙を見せたことがあります。長年支えてきた勤務先の会社の立て直しを図り、それでも悔い改めない経営者に嫌気がさして辞職したとき、大学生の私を自宅に呼んで、「仕送りが途絶えるかもしれない…済まない、こんな自分が情けない。」と私の前で涙し、卓袱台の布きんで、憚ることなく涙を拭いた父が一度だけ。
私もいつの間にか当時の父と同じ位の年齢になってしまいました。
そんな父を思い出しながら、喪主として、涙を見せずに送ってやりたい。
でも、また泣いてしまうだろうなぁ…オヤジ、あんた格好良すぎるよ…。
俺にも格好つけさせてくれ…だから、今夜は「涙君さよなら」
     http://bunbun.boo.jp/okera/nano/namidakun_sayo.htm
『ダリア』の花言葉は、「華麗」そして、「威厳」だよオヤジ…。

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