その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

身から出た錆

2009-10-23 17:12:20 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は41日目、『み』。
江戸カルタでは、「身から出た錆」…自業自得の意であります。日本では、「判官びいき」という言葉があるように弱者に同情的な感情を抱く傾向があり、「身から出た錆」という言葉も己の行いを戒める一方、強者の悪行に対し、強者自らが何らかの形で苦しむことを期待するかのような傾向があるように思えます。
一例を挙げれば、時代の寵児とまで持て囃された「村上某氏」や「堀江某氏」は、被告人として世間に叩かれており、無期懲役の判決を下された「菅家某氏」に対しては、杜撰な裁判体制を大きく批判する報道がなされております。
しかし、オピニョンリーダーとして世論を喚起してきた「マスコミ」の謝罪や反省の弁は一切聞いたことがないような気がするのですが…。
小さな窓から世間を眺めていても、限定された風景しか見ることができませんが、少々窓を広げてみたとしても、所詮一方的に流される情報から正確な事実をつかむなどということは、無理な世の中なのかも知れません。
           
この秋に山で見つけた「どんぐり」で、『弥次郎兵衛』を作ってみました。今夜のおかずは、「どんぐり」だけで育てたという「イベリコ豚」のメンチカツ。「どんぐりだけで…」この辺のくだりの謳い文句が、広告としては眉唾ではなかろうか…などと思いつつ、美味しくいただきました。
子どもの頃「どんぐり」は、戦争ごっこの武器でありましたが、食えないと教え込まれておりますので、きっと苦い(渋い)のだろうという思いで、頭は固まっております。私たちが「カブトムシ」を取るために大切にしていた「クヌギ」の木は、今思うに「コナラ」の木であり、本物の大きく丸い「クヌギ」のどんぐりを拾ってきた友人が、英雄に見えたものでした。
昔はキリで慎重に穴を開けてもらったものですが、今や電気ドリルで難なく心棒用の穴を貫通させることができます。ロウソクの火にかざしながら、竹ひごを曲げていきますが、子どもの頃は、火に近づけ過ぎて良く焼き切ってしまったものです。微妙なバランスを保たせながら『弥次郎兵衛』の完成であります。
『弥次郎兵衛』の台座は、先週土曜日の産業まつりで購入したキャンドルスタンドであります。「養護施設の子どもたちの作品」でありますが、素焼きの色と桜の花びら、形に惚れ込んで買ってしまいました。「養護施設」とわざわざカッコ書きしましたのは、どうも私の深層心理には上からの目線があるようで…「何かを買ってやらなければ」的な気持ちが見え隠れします。こうした上から目線で購入したものは、失礼ながら、最終的にゴミと化してしまいます。したがって、同情的な気持ちを排し、純粋に必要な、商品として価値があると判断したものしか買わないという厳しい目で商品を見るように心掛けておりますが、気持は『弥次郎兵衛』のように微妙なバランスの中で立っていることも事実であります。
純粋にと言いつつ、心の錆が出る瞬間であります。
コメント
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