吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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蘇我氏と鳥 No122

2010-05-16 11:48:10 | 日記
以前 蘇我氏は日月星の三光信仰があり
ツキヒーホシと鳴く三光鳥と呼ばれる鳥がいて
この三光鳥が斑鳩とも呼ばれるから
蘇我氏の地に斑鳩という名前を付けたと論じた。
さて蘇我氏がらみでは
一須賀古墳群がある大阪府南河内郡河南町に
一須賀神社(一志賀 壱須何)がある。
蘇我の枕詞は真菅でスゲ スガであるが
このイスカがやはり鳥名で言うと
「交喙=イスカ」ではないかと感じている。
このイスカから飛鳥が導き出せる可能性もある。
しかし吾須賀(吾菅)という可能性も大きいと思う。

続く

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蘇我氏と聖徳太子 (すずたま)
2015-10-29 20:30:20
思いつきですが、イルカの名は、イカルのアナグラムではないかと思ったことがあります。ほかにもいろいろな意味を含ませて彼に被せた命名なのでしょうが。

私が蘇我氏と聖徳太子に思い入れが深いのを見ていた例の我が家のプチ巫女(長女)が、ある夜突然思いついて電話してきて、私の父の先祖は蘇我入鹿に関係が深いと告げたことがあります。
彼女によれば、入鹿は偉大なる蘇我馬子と聖徳太子の意志を継ぎたかったが、潰された、と。
また「聖徳太子とはアイコンである」と不思議なことを言っていました。
アイコンの意味が全くわからず、数日後に私なりに次第に理解したことは、馬子は日本国の真の建国と発展のために、日本が受け入れるべき新しい外来思想(仏教とかキリスト教とか弥勒信仰とか、「イデア」的なギリシャ哲学的思考とか?)を、稀有なる一個人厩戸皇子独りに被せた・・・うまく言えませんが、厩戸皇子イコールそのまま聖徳太子ではなく、多数の人物(日羅とかも含めて)とその業績、馬子自身の思想などがそこに被せられるのですが、将来にわたって「聖徳太子という大きな一つの働き」としてこのクニに機能するための、「聖徳太子という名のアイコン」(やはりこれ以外にふさわしい表現が思い浮かばない)に、彼を仕立て、育て上げたと。したがって馬子こそ聖徳太子の生みの親であり、それは彼の思想と願いの結晶であったわけですが、「聖徳太子はいなかった」などというのはとんでもない間違いで、イエスキリストを連想させる名をもつ厩戸皇子とは、聖徳太子の名を被せられるにふさわしい類まれなる魂と破格なエネルギーの持ち主として、いわば聖徳太子の「核」として、間違いなくこの世に生きたのです。
(長女のいうことはなかなか面白いので、本当は古代史のイロイロを聞きたいのですが、彼女が自認するようにいわゆる憑依体質=アブナイ人なので、言い換えれば軸が弱いので、いろいろの段階のものが掛かってきたり邪魔したりするため異常に疲れるらしく、突然怒り出したりとか恐いこともおきるため、よほどタイミングが合わないとうまく聞き出せず、出来れば彼女も避けておきたいようです。彼女自身は巫女体質を自ら封印して平凡な良妻賢母に徹しています。)

日・月・星の多様な民族がこの日本で和することが、聖徳太子によって象徴・体現されるところの蘇我氏の理想だったわけですが、日のクニ・日本神界がそれを受け入れることはよほど難しかったのであろうかと理解しています。また月系・蘇我氏を潰した勢力は、外国、特に唐に対して、日のクニであることを体裁として強調しなければならない事情があったかもしれません。
同時に月や星の民の神々と、列島の先住縄文神との葛藤もあったのでしょう。
長女は縄文的神々の怨恨のようなものについて、「旧い神々が静かに役割を終えて“土台”となっていくのは自然な歴史の流れであるはずだった。“土台”とは未来への肥やしとなっていく大切なものなのだが、そこへと後退していく神々に対して、やり方がまずかった、酷過ぎた」と言っていますが。
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「吾菅」について。 (すずたま)
2015-10-29 20:32:47
私の住む菅(スゲ)地区は、やはり縁あって住んでいるのだと思うこの頃ですが、蘇我氏と菅(スゲ)との縁は、即ち蘇我氏と茅萱(チガヤ)との縁であると実感しはじめました。
これは谷戸に生える茅萱の根につく褐鉄鋼を採集する夜刀神を信奉する先住民を、渡来蘇我氏が婚姻などによりゆるやかな支配下に置いたという縁です。
これは日本ではクシイナダヒメとスサノオの婚姻により、スサノオがアシナヅチ・テナヅチ一家に婿入りしたことが象徴すると思います。これは出雲の佐田で実際に起きたことで、稲田という地区がスサノオを祀る須佐神社のすぐ南にあります。「佐田=狭田」で細々と初期の製鉄と稲作をしていた一家は、たたら製鉄を持ち込んだオロチ族(大陸系産鉄族?稲田に隣接して大呂という地区がある)に苦しめられていた。オロチ族は生贄を製鉄の神に捧げるような酷い方法を行っていたのかもしれない。オロチ族を征伐し一家を救って稲田の姫の家に入り、狭田は須佐と名を替えた。つまりアシナヅチ一家の信奉するサダのカミ(佐田大神)はスサノオに「名を奪われた」。佐田大神は、調べてみると出雲では不可解極まる封印の歴史があります。
私が蘇我氏に縁があるとすれば、後裔としては当然サダの神の民にも血縁があるということになります。
その神様が佐田に挨拶に来いと言ったのは、名を奪うという私の父系先祖の封印に対するけじめをつけろという促しでしょうか。そうすると、オロチ族の怨みはまた別のことになります。読めてくるものが私としては予感されますが、今急いで考察するのは控えます。
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