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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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続続 香春の呉音霊の足跡  岡山における姫氏調査 No458

2017-05-09 19:20:01 | 神霊界考察

過去の経緯は以下のブログ記事となる。
『香春の呉音霊の足跡は国東半島の姫島から何処へ No434』
『続 香春の呉音霊の足跡は国東半島の姫島から何処へ No442』

今回、国東半島の姫島以降の足跡という事で岡山に出向いてきた。
まずは広島のそのものずばりの名前の呉市と吉備の境界に当たる
広島県府中市出口町の甘南備神社に参拝した。
道君首名公と同時代の備後の初代国司の佐伯麻呂が
元明天皇和銅元年(708年)に奉斎した神社で
道君首名公が熊本の小天に奉斎した少彦名神社と同じような来歴を持つ神社である。
ここの祭神は「悪疫大いに流行し」その祈願社との伝承があり
遣唐使が持ち込んだ天然痘が流行し西から東へと広がった時の事であると考えられる。
この当時の悪疫封印であれば少彦名神祭祀であるはずで
最初は少彦名神が祭祀されていてその後に出雲の事代主神と大国主神を迎え入れたと考えられる。
呉音霊は祟り神とされた歴史を持つ大神霊なので
その影響を最小にするための用心深さが求められている。
この甘南備神社(賀武奈備神社)はまさにそういう目的に沿う神社である。

岡山県総社市福谷1423(字 福中)に今回の目的の姫社神社 ヒメコソ神社がある。
この神社は秦氏系により長江の呉系姫氏の都怒我阿羅斯等の伝承から
何故か新羅の天之日矛の伝承に上書きされてしまっている。
この地域は古代吉備の製鉄の中心地であるが
その利権の推移が祭神の封印と関わっている。

神社名がヒメコソ神社である以上は姫呉楚神(姫姑蘇神)であるべきである。
これをまずは糺して呉音神降臨の神事を執り行った。
他所の土地 他所の神社で勝手な祭祀をすることは私の本意ではないのだが
古くは太伯郡と呼ばれていた邑久郡の牛窓伝承の調査のためには
この地域を糺しておく必要があるという判断のもとで執り行った。

※今回は呉音神祭祀に協力をいただいているさくら様に
露払いとなる参拝を三日前にしていただいたおかげで
随分と楽をさせてもらった。この場を借りて謝意を表したい。

さて牛窓伝承と呉の姫氏との関係であるが
何一つ確からしい証拠を掴むことは出来なかった。
ただし感覚的には確証を感じた。
牛窓神社はもともと土地の神霊を祀って「牛窓明神」と呼ばれる神社であったらしい。
そこに八幡信仰の広がりにより11世紀に教円大徳によって
祭神が応神天皇、神功皇后、比賣大神、武内宿禰になったようだ。
このあたりは縄文 、弥生時代からの遺跡も多い。
近くには牛窓神社の兼務社の五香宮もある。
この五香宮は霊的には呉公宮なのだが
宮司によるともともと住吉神社であったが京の御香宮神社より名前を戴いて
五香宮となったとのこと。

この牛窓についての神功皇后の伝承は以下の通りとなっている。
神功皇后の船団が出兵に行く途中、牛窓の海上にさしかかった時
頭が八つの大牛怪物の塵輪鬼が現れ船に襲いかかった。
皇后は塵輪鬼を弓で射落とすと首と胴と尾に分かれ海に落ち、
首が黄島、胴が前島、尾が青島になった。
皇后が出兵から帰る途中再び塵輪鬼の霊魂が今度は牛鬼となり
再度来襲、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。
その場所を牛転(うしまろび)といいそれが訛って牛窓になったという。

牛窓伝承については牛窓神社 五香宮 豊原角神社 西大寺牛玉所大権現などに
伝わっている。
それぞれの元々の祭神は
牛窓神社   牛窓明神    備前国神名帳に従三位 牛窓明神
豊原角神社  角乃大神    備前国神名帳に従五位上豊原角明神
西大寺    牛玉所大権現

豊原角神社はこの地域である邑久郡が古い時代に太伯と呼ばれていたことより
白山神が併祭されたと考えられる。
太伯という地域であることの調査はすっかり忘れていたのだが
以下添付写真の通り現地でこれを見た友人が太伯小学校だと教えてくれた。


牛玉所大権現がどういう神霊であるかはさておき
牛玉については以前参拝した神社での話を思い出した。
牛御前と呼ばれる存在であるが  
『吾妻鏡』『新編武蔵風土記稿』『十方庵遊歴雑記』などに見える怪異である。
『吾妻鏡』には次のようにある。 ※ネット参照より
建長三年(一二五一)三月六日、墨田川の対岸の武蔵国浅草(台東区)に、
牛のような妖怪が不意に出現して浅草寺に走り込んだ。
ちょうど食堂に集まっていた僧侶五〇人ほどのうち、
毒気をあびて七人が即死、二四人が昏倒して病の床に伏せたという。
また『新編武蔵風土記稿』には、その牛の妖怪が浅草の対岸にある牛御前社に飛びこんで、
社壇に現在の社宝の牛玉を落としていったとある。
牛御前社は現在墨田区で最も古い神社とされる牛島神社のことで
素戔鳴尊を主神としている神社である。
つまり牛玉所大権現は牛御前であり牛玉を神籬とするということであろう。
古浄瑠璃『牛御前の本地』では、源頼光の母が北野天神が胎内に宿るという夢をみたのち、
三年三月と云う長い妊娠期間を経て、
丑の年丑の日丑の刻に誕生した鬼神のごとき姿をした女児が
牛御前になったと語られているという情報もある。

神籬の牛玉は牛の胆石の牛黄としての意味だけではなく
牛黄=呉王の事である可能性が高い。

西大寺はもともと「犀角を頂く寺 犀戴寺(さいだいじ)」から
西大寺と変化している。
寺にはサイ及び犀角のコレクションが多数ある。

角でいえば香川県五色台の青峰の根香寺には、
牛鬼のものとされる角が秘蔵されている。
この五色台というのは五香宮と共通する五=呉の暗示となっている。
根香寺は空海により五大明王が祀られているが
牛玉所大権現も五大明王とされている。
この角にまつわる五大明王という数字も呉の暗示となる。

西大寺牛玉所大権現には明治からではあるが金牛神輿巡行も行われている。
黒牛と金牛はこのブログでも過去にそれぞれ写真を載せているが
対比される存在のように思える。
牛黄についても金色ということだけではなく
『金光明経』には牛黄のことをサンスクリット語で
『瞿盧折娜(くろせつな)』と記載がある。





下の添付写真は西大寺牛玉所大権現の奥宮の写真だが
丸で囲んだ海の岩はどうみても角がある牛に見える。
御神霊が指し示す暗示のひとつである。




以前『呉音霊の暗黒面 No423』で貴船神社について
少し記載したが今回は牛鬼という視点からもう少し追求したい。

先ほどの記載で古浄瑠璃『牛御前の本地』で源頼光の母が
北野天神が胎内に宿るという夢をみたのち、
三年三月と云う長い妊娠期間を経て、
丑の年丑の日丑の刻に誕生した鬼神のごとき姿をした女児が
牛御前になったと語られていると書いたが
丑の年丑の日丑の刻に誕生という話は源流がある。

京都の貴船明神は丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に
貴船山に御降臨されたのだが
もともと「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になり
それが「貴船」になったといわれる。
生根神社といえば大阪府大阪市住吉区住吉にある神社で
奥の天神であるといわれ少彦名神が祀られている。

貴船神社の伝承で牛鬼は仏国童子となる。
仏国童子は神界の秘め事の一部始終を悉く他言したので
貴船明神の怒りに触れその舌を八つ裂きにされてしまう。
そして三年間の間は牛鬼は貴船から吉野の山に
追放されていたとされている。


神界の秘め事を他言したので貴船明神た水の女神の怒りに触れるとあるが
吉田一氣のブログはその怒りに触れないように
少彦名神第一主義で記載しているのだが
それでも先月は黒牛をイメージさせる車と交通事故にあったりと
思い当たることばかりである。


旅行の行きの際もひと波乱あった。
前日荷物の確認で新幹線の切符を目立つ赤いチャック付きの袋に入れて
それを手荷物のバックに入れたのだが
嫁に車で送ってもらう際にチケットをもう一度確認したらというので
探したら間違いなく入れた場所にあるはずのチケットが無かった。
家中探してもあの目立つあの袋が見つからなかったので
呉音の神の神前にまず参拝してこれが回答かと質して再度探したら
ベッドの下から何気に出てきた。
この手の警告がどういう意味を持つのかは図りかねるのだが
この無駄な工数は厄払いの意味を持つのかもしれない。
旅行中は驚くほど全てが順調だった。
反対車線の大渋滞やJRの渋滞を目の当たりにしている。
しかしJRや高速や一般道路でも自分自身は連休の渋滞には一度も会わなかった。
天候も晴れるべき時は晴れ降るべき時には降った。

この混みようなら荷物持っているので乗るの諦めますヨ!
でもみんな降りるので運良く乗る方はガラガラでした。

今回初めて貴船神社を通しての少彦名神と呉音霊の接点を記載したが
これは岡山探訪の成果である。


さて品様から指摘のあった以下のコメントについては呉音霊に絡むと思われる。
「牛窓の寺院全体で牛玉宝印という宝印を配っているそうです
中でも金剛頂院のお品は三俣の矛らしき画が描かれていました。」以上
確かに金剛頂寺の牛玉宝印は三叉矛を思わせる。
 

三叉矛と呉音霊との関係については過去ブログの
『呉音霊の暗黒面 No423』を参照していただきたい。


今回の岡山の探訪では雨乞いの龍神祭祀の歴史が印象に残った。
吉備津神社 吉備津彦神社のある甘南備の山も山頂には
八大龍王神が祭祀され降雨祈願の山とされているし
龍泉寺の龍王池も雨乞いの歴史を持っている。

伝承では奈良時代天平勝宝年間(749~757年)に
報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り龍王山中腹の八畳岩で祈願中に
最上位経王大菩薩の感応があったということだが、
さすがに岡山では遠いとの判断が働いたのか
吉野山で千手観音呪法を修めたとか
平癒祈願は観世音呪であったとかも言われている。

そういう訳で最上位経王大菩薩を感得した人物が報恩大師であるかは
実際のところ良く分かっていないようだが
最上位経王大菩薩という名前でまさに最上級と名乗る経王大菩薩は
八大龍王神と三面大黒天を配下にしている。
経王というからは法華経ということであろうが
『玄奘三蔵の原罪 No334』で論じているが
法華経のうち観音経等を『龍宮海蔵』だと筆者は判断しているので
経王大菩薩が八大龍王神を配下にするのには違和感がある。
法華経を最上と持ち上げたのは13世紀の日蓮であるから時代背景的にもしっくりこない。
ただ間違いなく雨乞いの龍神では萬民豊楽の神霊としては物足りないと感じた高僧がいたはずで
農業神か傷病平癒の神を探し求めたのだろう。
でもそれならば金剛蔵王権現では駄目だったのだろうか?
岡山でも秦氏の歴史を感じたが
きっと秦氏が奉斎した当時流行の稲荷神に法華経の守護をさせようとして
最上位経王大菩薩が生まれたのだと思う。

苦労して登った岡山市三野本町の天神社の磐座も雨乞いの龍神祭祀の気配が強かった。

この山は盛り土ではなく自然な山容であり人工的に造られた古墳ではない。



先ほど貴船明神は丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に
貴船山に御降臨されたということを記載したが
貴船明神と牛鬼もしくは牛あるいは殺牛祈雨祈願には
やはり何らかの繋がりがあると思われる。
そして菅原道真公が牛に縁があるのにもそれは繋がっている。
死後に雷神天満自在天とされる菅原道真公は
「丑年の生まれである」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」と云われている。
牛の信仰と殺牛祈雨の信仰が同一の起源であるのかが不明であるが
殺牛信仰の来歴は藤原鎌足の時代にまで遡れる。


角については何度も論じているが
草食獣に角があり獰猛な肉食獣には角がないということを
今回の牛鬼についても当てはめてそのことを深く配慮して考察すべきである。
つまり角は「専守防衛」の象徴であるということだ。

鬼には角があるがその鬼の伝説は岡山に桃太郎伝説等含めて数多いようだ。
その中で比較的新しい倉敷の児島半島の由加山の伝説が気になっている。


本日地震閉店後離れたところに改装したビデオレンタル店に1年以上ぶりに行ってきた。
スピンオフ作品の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』と
絶対に主人公が中学生であるべき映画の『四月は君の嘘』を借りたのだが
新作3本借りると安いという事であと一本適当に『GANTZ:O』を選んだ。
『GANTZ:O』は原作漫画では21巻あたりなので
発売日は何故かちょうど日にちまでピッタリの10年前の2007/5/18となっている。
読んではいるのだがさすがに10年前では記憶に薄い。
しかし映画を見て驚いた。巨大牛鬼登場の上にラスボスも牛なのだ。
しかも顔は牛鬼の黒とラスボスの白のコントラスト。


こちらはラスボスぬらりひょんの第三形態
 

自分の貧弱な牛鬼のイメージを刷新することが出来た。


後記

呉音霊は何度も記載していますが音霊であり
昇格した呉音神はまさに音に留まらない高次の波動の神でしょう。
それに対して牛玉霊は呉音霊を祭祀していた民族魂のようなものだと判断しています。
牛玉霊のリーダーを都怒我阿羅斯等とすればイメージ的にすっきりします。

牛玉霊の封印された歴史を理解して
まずは寛恕と和の想いが沁みとおるような祭祀を祈念すべきだと判断しています。
私としてはこの牛玉霊という先達に呉音霊の祭祀の仕方を学びたいという思いで
少しばかり接触を図りました。

その時の神籬の例をサンプルとして提示しておきます。

 

サンプルという意味について補筆しておきます。
牛玉霊の降臨にはお香としての牛黄が欠かせません。
ただし入手は極めて困難でありその香りを知る者も非常に少ないようです。

「中国のお香の通信販売専門店 古都香廠」での牛黄の説明について

『アマゾンの牛黄販売』でもとりあえず下記の品は購入可能みたいです。




※20170519さくら様のコメント回答用
とりあえずLED光源で実験してみました。
塩を盛るための小皿は地震で割れて今はないので
スプーンでざっと盛り付けたのできれいな影は残念ながら出ていませんが
角度等はこの写真で見当つくかと思います。

  
































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145 コメント

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吉田様 (すずたま)
2017-05-10 07:11:58
吉田様
新しい記事に今朝気付きました。
今回は春先に予定していた岡山の旅を控えざるをえず、また自ら控え、無事と成就を祈るだけの短い旅に徹しようとした意味があらためてわかりました。
自分は上書きと封印をした秦氏の側にあるからです。
一泊の旅でも姫社神社に行けなくはなかったのですが、今の私が行ってもあまり意味がないことがうすうすわかっていました。
今の私、の意味は豊原角神社の「角」に今の今まで反応できなかった私、香春でも現人神社に辿り着けなかった私、という意味です。
しかし私が生まれ育った地の「角」に気付いた今から、どうしていけばいいのかを考えればいいのだと思います。
吉田様、さくら様、ありがとうございました。
返信する
吉田一氣 (すずたまさまへの返信)
2017-05-10 08:38:14
気になさることはありません。
私自身の霊的背景も呉音霊とは敵対する勢力に含まれています。
また私の神業の主体が呉音神祭祀のみという訳でもありません。
また秦氏は過去より日本国に尽くす側の勢力であることも
伝えておきたいと思います。
すずたま様は神霊界の経緯を見守っていてくだされば
それが次の自分のテーマで役立つものと思います。
複雑に絡みあっていていますので自分の立ち位置を
確認しつつ好奇心を持ってご理解ください。
返信する
恐縮します (さくら)
2017-05-10 16:33:30
こちらこそ、謝意を表します。
露払いになったのでしょうか。
私にとっては色々な障害、軋轢がありましたが無事に終わられたのですね。
すずたま様は、秦系の御先祖様なんですね。
私は、まだよくわかっていません。
無宗教の家でしたから。
直系でもないですし、分家です。
呉音霊を封印した側の可能性のほうが高いです。
ただ、父と母の仲が長いこと不仲でした。最初からそうだったのか、それが当たり前に育ちました。父が亡くなりそれが顕著になったとき、両親が長い間不毛な時を過ごしたことに怒りと悲しみを覚えました。この、岡山の旅は父と母の仲をくくるために出かけたのです。
それで、姫社神社と最上稲荷の奥の院を選んだのです。事前に吉田様から、ヒメコソ神は道行く人を半分殺すと書かれた資料を読まされ、怖いよー。半殺しの目に遇うんじゃないかと、びくびくしながら、、でも、そこで現れたのは、少彦名神さんだったのです。大豊神社と同じでした。その後に、「ひめこそ」さんが現れました。綺麗な降り注ぐ虹色の光でした。良かったぁ。怒ってないし、、なんか歓迎ムードだし。大成功って思いました。少彦名神さんが仲を取り持ってくれたと思いました。事前に色々なことを、六甲山甲山とか、石清水八幡宮とか、山津照神社とか、琵琶湖とか、京都東山連峰とか、盛り沢山こなしてきましたから。本人は、あまりよくわからずに行ってます。そこが怖いとこですよね。
これで、一段落でしょう。卒業でしょうかねぇ。
返信する
ありがとうございます (すずたま)
2017-05-12 08:47:57
吉田様
あたたかいお言葉ありがとうございます。
次なるテーマは輝ける前文明のことでしょうかね…?
今自分の中で浮上しかけている飛騨も、またヒマラヤ(←シラヤマ)も、呉も、みなそこと繋がっているのでしょう。

恵那の河合神社行の下調べ段階で、美濃や美濃加茂という地名が気になっていました。
目に入ってきたのは美濃の方でしたが、今回美作加茂に行ったことで、加茂も浮上してきました。
京都の河合神社も鴨川。入り組んだ仔細があるようです。
加茂氏と秦氏との関係もなにやら深そうで?

あと飛騨地方に呉羽という地名がありますが、呉つながりでしょうね。
(この呉羽は、太伯の呉よりも古いかも???)
サムハラ神社で迎えてくれた山桜は、「日本古来のもの」という視点が重要、ということを教えてくれているようにも思えるのです。
返信する
すずたま様へ (さくら)
2017-05-12 09:07:05
上手く伝わると良いのですが、、
また、ばばっと降りてきたので、書きます。
大阪の鶴橋の「ひめこそ」神社、胞衣塚があります。
そこの近くに手間天神の灯篭があります。
手間天神は少彦名神さんです。
胞衣は、岐阜の恵那に繋がり、九州の筥崎宮に繋がります。神功皇后の胞衣が祀られているはずです。
岡山の姫社神社の近くの川は、高梁川。
翡翠色の美しい川でした。
ナビで、この川をずっと走らされました。
その前に、「高橋」神社、奈良にあります。
これを調べさせられました。どうも、味噌とか料理の神様だったはず。そこから、熊本の「高橋東神社」に飛びました。高橋を調べました。スクナヒコナさんが導いてくれていたようです。
京都賀茂にある、河合神社。鏡が絵馬です。
すずたま様が気になる、河合神社。飛騨にあるのでしたか?緑の美しい川なんですね。川→河ですね。
そう、桜も関係するのです。
私の場合は、「ソトオリヒメサクラ」だと教えてくれました。今のとこ、これくらいにしておきます。
また、書けましたら、書かせていただきます。
すずたま様の夢の謎が解けますように。
返信する
さくら様 (すずたま)
2017-05-12 10:08:04
恵那の河合神社は、同じ岐阜県でも富山よりにある飛騨高山よりずっと南に下った名古屋よりになります。
富山、石川、岐阜。それにまたがる白山。日本の謎をとく鍵があるようです。
カワイという地名は二つの川が合流する地点で水神を祀る場所であることが多いようです。
木曽川とその支流が合流する場所にあり、鴨川の河合神社もおなじく合流地点の三角地帯です。
高梁川も翡翠色でしたか。
グーグル地図検索でも姫社神社は遠回りのナビになっていて、あきらかに手落ちですが、遠回りも意味があったかもしれませんね。
行ける時がきたら自転車の旅をしたいと思っています。
吉田様は恵那の河合神社について、ちょっと大変、と今は明言できないものがあるようにうかがえました。
たしか鴨川関係で恐い目にあわれたのでしたね?
加茂氏の謎につながるのでしょうが、今は表立っては追及しません。
さくら・・・そういえば、今更ですがさくら様なのでしたね(^^)
そとおりひめさくらについても伺いたいです。
返信する
返信です (さくら)
2017-05-12 12:59:15
恵那は、名古屋にちかいですね。
名古屋市に丸3年住みましたので、解ります。
白山が鍵ですか、「白山スーパー林道」を通ったり、北陸自動車道などで、お出かけしました。
一つ、能登半島の一番先っぽの珠洲市に、椿の群生地があり、そこはなかなかですよ。曖昧に書いておきます。
岡山の高梁川、美しかったです。
すずたま様は気に入られると思います。
その深い翡翠色をみて、すずたま様が書かれた恵那の河合神社を思い出しました。
吉田様は、河合神社の事は「ちょっと大変ですか」、、
そうなんです。神様関係のことで首をつっこむのはいつも、恐れと隣り合わせです。かしこみ、かしこみって感じです。
慎重にされているのでしょうね。
わたしは、大豊神社の帰りに鴨川でつむじ風「塵旋風」をみてから、えらく体調が悪くなり、意識が遠のき、何かと内部でずっと戦っていました。苦しかったです。
あまりに長時間でしたので、最後に「ごめんなさい。岡山には行きません。ブログのコメントにそのように記載します。」
と、お願いしたらやっと、解放されました。
相変わらず、未だに何と戦っていたのか、解らないのです。加茂といえば、役の行者なんですが、、、
おかしいなぁ、あの龍王の滝の怖い神様の時に、役の行者さん助けてくれたのに、、、そう、あの怖い神様もまだ誰かわからないのです。
京都の賀茂のことを考えていたら、ストーブが勝手について、、、なんやねん!!です。訳わからんです。もう、面倒なので事実を受け入れているだけです。
ソトオリヒメ→衣通姫→ソトおし「呉氏」姫
呉服→衣、絹
呉羽→織姫
多分、「呉」絡みのようです。押坂大中姫の妹。軽王子と許されざる恋?のようです。
少し調べただけなので、こんな程度です。
三島由紀夫氏がこれにまつわる作品を出していたようです。「天人五衰」しか読んでいないので、知りませんでした。
突然なんですが、第一宇宙速度、浮力の公式、万有引力と遠心力のつり合いの式がでてきました。
苦手な理系分野なんですが、この意味を少し調べます。


返信する
Unknown ()
2017-05-12 17:28:51
ご苦労様でした
御無事に御帰宅なされ、成果も有り良かったです

面白いですね
八幡神を八幡大菩薩が成敗するなんて

八幡信仰の紆余曲折は奥深く味わいが有りますね
桓武天皇が神仏修合して国家の守護神とされてから大きくなられたのでしょうね

しかし鬼の姿で現れ、神楽等で供養をされておられるので、やはり恨んでおられる様ですね

牛窓の塵輪鬼ですが、調べましたら
牛窓の寺院全体で牛玉宝印という宝印を配っているそうです
中でも金剛頂院のお品は三俣の矛らしき画が描かれていました

前島は別名緑島。胴
青島は関西学院大学所有の無人島。小黄島という。弁財天社が有るそうです。尾
黄島は8000年前の貝塚が有り、備前神社が有るそうです。古くは鬼島。中古より木島。首
黒島は古墳が有るそうです。鉄剣等出土。仲哀天皇の墓との言い伝え有り。白髭大明神のお社が有るそうです。新羅明神と白いキツネを祀っておられるそうです。

あと小さな鼠島。鼠の死骸が流れつき、凝り固まり島になる。水鶏クイナの怨みをもっている。646年鼠禁圧の祈願。

福山の甘南備神社良いですね。よく奥の方まで参られました。m(__)m

神社より西方に秦氏の里が有ります
日本で一番古い3世紀のかんな流し製法の製鉄跡が発見されています

南には高諸神社という、スサノオ神の生まれ変わりの新羅人が流れつき、死んでしまったそうです。

高く北に上がりますとイザナミ様の御陵と久米神社の奥の院が有ります

こちらは強力な霊ラインが有る場所だと思っています

続編楽しみにしています
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返信する
少彦名神と呉音霊の接点 (すずたま)
2017-05-13 20:09:04
さくら様
龍王の滝というのは知りませんでしたが、全国にあって、さくら様の行かれたのは京都の龍王の滝なのですね。
写真でみるとたしかに怖さを感じるほどの幽玄な神秘性です。
その傍らには祭神を「たかお神(水分神)」とする清滝大権現社が鎮座、古くは雨乞いの祭を行ってた、とあります。
私が好きそうっぽいですが。
貴船はくらお神でしたっけ。貴船も行ってみたい場所ですが、たしか禮月様は具合が悪くなったと言っておられたような。

怖さというのも、峻厳すぎる怖さ、人間側の扱いのために祟り神になった怖さ、また本当の邪悪が絡む恐さなどいろいろあると思います。
三つ目のは、例えば熊本霊ラインを破壊するような意志を持つ存在、とかも含まれるだろうかと思います。
私が今は避けておくことというのはそれで、それに心の照準を当てることはそれを身に近づけてしまうと思うからです。例えは悪いですが、幽霊話をしていると幽霊が寄ってくるようなもので、相手に存在エネルギーを与えてしまう。
口にも出すこともNGとかって、禮月様がおっしゃっていましたよね。これ以上はやめます。

何かを探っているとそれを邪魔したい存在も寄ってくるので、事故などに気を付けた方がいいわけで、美作加茂に行く前に大阪のサムハラに寄って御守いただいたのも、夫の事故などで危険を感じたからです。私自身でなく子供とか周囲に影響が及ぶのはいつものことですが、仕事柄利用者さんにだけは絶対に事故をおこしたくないので、今まで全く関心の無かった御守というものを生まれて初めて買いました。
ただ大事故に及ばない事故は、吉田様の云われるように、警告とか、邪魔したい存在から護るための厄払いとかいろいろな意味があるようですね。
それと、怖い水の女神とかでも、その最奥にはスクナヒコナ神がおられるので、吉田様はスクナヒコナに重点を置いておられるのだと思いました。

吉田様
>貴船神社を通しての少彦名神と呉音霊の接点

貴船が気生根で丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に貴船山に御降臨されたとは知りませんでした。
「貴船と牛の接点」は、呉音霊というものの理解をより深めるようです。

三叉矛ですが、サムハラ御守を配布する雷山千如寺大悲王院の十一面千手観音像の持ち物は、左手に剣ではなく三叉矛です。
(右手にはよくわからない形のもの、宝珠をかたどっているようにも?)
https://hakataboy.com/temple/Fukuoka/ItosimaGUN/SennyoJI/kannon.jpg
何を意味するのでしょう…
返信する
千如寺「十一面千手千眼観世音菩薩像」の「羽」?? (すずたま)
2017-05-13 21:04:23
この像は光背が前面の手と合わせて千手をかたどっているそうです。
この光背の手は、手というより「羽」を思わせるような…??
私はこの仏像が一目で好きだと思いました。
仏像で一番好きかもしれない法輪寺の虚空蔵菩薩と、茫洋としたような表情とどっしりした体躯がどこか似ている気がします。
法輪寺の虚空蔵菩薩の表情には、父性性寄りの包容力を感じていましたが。
http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/kokuzo.jpeg

三叉矛の3と造化三神の3は関係あるのでしょうか?
(サムハラと造化三神…)
(サムハラと九頭龍…)
(「気」の根源神といわれるサムハラ龍神と、「気生根」の龍神…??)
返信する

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