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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

熊本霊ラインと蘇我氏 No351

2013-05-28 11:52:41 | 神霊界考察
筆者のブログは「吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流」という題の通り
熊本霊ラインの影響を報告する目的のために作成した。
最近は全くアクセスもないが
『熊本霊ライン』というホームページがそのベースにある。
ところでこの『熊本霊ライン』を調査して記事を書く際に
なぜかとてもよく蘇我氏が絡んできた。
それで副題としてもいいほど蘇我氏の記事が多い。
ただ熊本霊ラインに直接絡むのは道君首名公や空海や加藤清正公であって
蘇我氏が結びついたことは無かった。
ところが今回日光 酒列 大洗 氷川 鹿島 香取 息栖に祈願参拝に行くので
その前段取りとして熊本霊ラインの起点でもある鯰を祀るという
御坊山小島阿蘇神社に参拝して驚いた。
この神社は古代は海中に浮かぶ島だったのだが
参道となっている階段の左側にあった名前もわからない古い摂社が改築されていた。
なんとその神社名が曽我神社となっていた。
それでそこにある石碑を見てみると石川氏という文字が読み取れる。

もちろん、この曽我神社と直接に蘇我氏が繋がるというわけではない。
現在の祭神は曽我兄弟になっている。
曽我兄弟と言えば謡曲「曽我物」や能「小袖曽我」歌舞伎「寿曽我対面」 などで知られるが
箱根神社の境内には曽我兄弟を祀った曽我神社がある。
鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十朗祐成の霊を慰めるため
「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりだそうだ。
この曽我兄弟の地元の小田原には宗我氏の祖先を祀った宗我神社がある。
宗我も曽我も蘇我氏系ではある。
しかし曽我兄弟は曽我家の養子になったもので
実父は河津三郎祐泰となっている。
この曽我兄弟の話は仇討物語であり仇討の相手は工藤祐経となっている。
従って曽我神社と蘇我氏には血縁的な繋がりは無いことになる。

然しながら御坊山の小島阿蘇神社の摂社の曽我神社が新しく立て替えられ
そこに蘇我氏をイメージさせる石川氏の名前が彫られた石碑があるだけで
自分には十分なメッセージとなった。
武内宿禰の子供の蘇我石川宿禰から蘇我氏は始まり
蘇我倉山田石川麻呂や石川石足など石川の名前が見られ
蘇我安麻呂の後裔の石川氏が蘇我本流となっている。

残念ながら証拠は全くないが
武内宿禰あるいは蘇我石川宿禰と熊本霊ラインには
なんらかの接点があったということだ。

石川氏


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32 コメント

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古代妄想 油獏です。 (あぶらばく)
2013-05-29 00:16:53
吉田一気さま。

興味深いコメント、ありがとうございます。

>健軍神社に祭られているのはタケ一族の神霊だと思っています。

武内宿禰は黒男神社に祀られる黒い神。豊前の八幡古表神社や中津の古要神社の隼人に纏わる住吉、「黒い傀儡子」が重なります。隼人の弥五郎どんの信仰では、隼人の王、弥五郎は隼人域では武内宿弥とも。
 また、神功皇后の三韓征伐においては、「御手長」とされた阿蘇津彦ら、蛮夷の兵を差配して、武内宿弥は殊に狗人の王。が、宇佐神宮においては、神域の外に祀られて忌避されています。

「建」を冠する氏族の系譜は最後に残った謎のひとつです。「健軍」がとても気になります。

「黒と白。」「黒い神の系譜。」「御手長」の話。など参照。
返信する
古代妄想 油獏です。 (あぶらばく)
2013-05-29 22:21:18
「幡(はた)の話。」に関して。

>神功皇后の旗印により日、月、星を神紋としています。この旗印はもともと武内宿禰の旗印ではなかったのかと思っています。また八代の靈符神社では三光が使われていました。

三光は、波多氏の三星紋(三台)同様に、江南、天台山の神仙思想に基づくもの。「神紋の話。」参照http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/9ac0ae233f618b6050228e8d5e3abcf9
日田の日隈、月隈、星隈の三隈も三光の思想。これも狗人、日下部祖族の仕業。そして中津の三光郷には、神功皇后伝承に拘わる古い風水の痕跡。「中津平野の奇跡。」参照http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/087ab9d3c3df819c811d7b41bacba011九州には狗人に由来する三光の思想の痕跡が多くみられます。
八代妙見の根源も江南、天台山の北極星、同じ思想に拘わるようです。確かに、八代には古い風水や神仙思想の痕跡がいっぱいでした。そして、武内宿禰が狗人の匂いぷんぷん。「建」を冠する氏族の系譜とともに、解明を期待したいところです。
返信する
Unknown (虹色巫女)
2013-05-31 11:16:27
ごぶさたいたしております。
蘇我系祖母の50周忌を終えてほっとして 半年 香椎の印鑰神社へ 行ってませんで そろそろ参拝へと思っておりましたら こちらの記事が目に付きました。小島阿蘇神社 メモっておきます。阿蘇と蘇我のつながり 今後楽しみにいたしております。
返信する
はじめまして (涸沼鯰)
2013-06-05 16:42:01
はじめまして吉田様
中央構造線のレイラインと八大龍王神に興味がありこちらのサイトにたどり着きました。
とても興味深く読まさせていただいております。
吉田様のブログの中の記事の「手相の神秘十字星」をみて私も自分の手相を見ましたら両方の手のひらにくっきりあってなんだかうれしくなってしまいました。

今回日光・茨城に参拝のご予定とありましたがいかがでしたでしょうか、茨城は鹿島住友金属などもあり案外九州ご出身の方も多いように感じます。
私は九州と茨城の土地はなにかとても縁があると感じています。いつかは、大分から熊本へ行ってみたいと思っております。そして阿蘇神社や八大龍王関係の社にもぜひ参拝したいとおもいます。

大洗は311の震災の際神磯の沖で巨大な渦をまく現象がおこりこれもなにか神様からのご掲示なのかと不思議に感じておりました。大洗神社へは水戸市内原地区より有賀神社から行幸があり、子供の虫きりで優しい子供を守ってくれる神様がいらっしゃるのですが、その有賀神社の近くの六所神社の御祭神が健磐龍命でした。

 私は大洗の出身で幼少期は家のそばに須賀神社がありそこの主だという大きな青大将がいたのを覚えています。御祭神はスサノヲの尊です。


これからも少しづつ以前に書かれたことも読まさせていただきます。今後のご発展お祈りいたします。
返信する
Unknown (油獏さまへの返信)
2013-06-06 11:56:29
本日関東圏から帰ってきました。
返信が遅れて申し訳ありません。
ところで日田の日隈、月隈、星隈の三隈と隈山墳墓には
是非出かけて調査したいと思っています。
また武内宿禰と句呉の関係にについても
今後も継続的に調べていきたいと思っています。
宜しくご教授お願いします。
返信する
虹色巫女さまへの返信 (吉田一氣)
2013-06-06 12:15:45
今回 法華経寺へも参拝してきました。
この地はなぜか熊本霊ラインとの繋がりを感じさせました。
清正公堂の参拝と東山魁夷のゑびすがそう思わさせたのかもしれません。
「加藤清正が作り上げた熊本霊ライン詳細図と東山魁夷のゑびす No316」で
紹介した霊ライン上の熊本城での東山魁夷の感激ですが
この時の実際の従軍手記のその部分を目にすることが出来ました。
東山魁夷の霊に導かれました。

返信する
涸沼鯰さまへの返信 (吉田一氣)
2013-06-06 12:37:01
はじめまして。
コメントありがとうございます。
今回 中央構造線の端と端を霊的に結び
関東圏への霊的国防の祈願をしてきました。
ところで六所神社の御祭神が健磐龍命とのことですが
水戸で健磐龍命とは珍しいですね。
興味深いです。
武甕槌命が祭られる地でなぜ健磐龍命なのでしょう。
調べてみると十二所神社がそばにあるのですが
これと六所神社は別の神社なのでしょうか?
それから有賀神社というのは
有賀神という言葉から宇賀神という蛇神を連想させますね。
返信する
返信ありがとうございます (涸沼鯰)
2013-06-07 00:50:55
 中央構造線の端と端を霊的に結び 関東圏への霊的国防の祈願の旅、誠にご苦労様でした。御神霊さまの導きで向かわれたのですべてが神仕組みで準備がされていたことだろうと推察いたします。私も陰ながら日本の平和と人々の幸せをお祈りさせていただきます。

 健磐龍命をお祭りする神社の名前の件ですが、確認せずに投稿たいへん失礼いたしました。私の記憶違いで水戸市牛伏町にある「十二所神社」でした。
 こちらの神社はくれふしの里古墳公園の古墳上のすぐそば(古墳を利用しているかもしれません)に祀られた神社です。 牛伏古墳群を中心に整備された公園で、前方後円墳6基、帆立貝形前方後円墳1基、円墳9基で構成されており、ごく狭い範囲に多数の前方後円墳が集中するユニークな古墳群として注目されているそうです。

 九州との関連ですが、柴田弘武著の「東国の古代」崙書房のなかで那珂の国造の初祖建借間命は印波国造と同祖神八井耳命の八世の孫とあり 「古事記」の神八井耳命の条で「意富臣、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三家連、陸奥の石城国造、常道の仲国造(途中省略)の祖なり」とあり意富氏と同族であることがわかります。 その一族はまた北九州の国々の支配者であったこともわかりますが、その北九州火の君の支配下であったと思われる杵嶋岳の一帯で歌われた「杵嶋の唱曲」を、建借間命は霞ヶ浦の船上で七日七夜歌い舞わせた」という伝説があるそうです。
(仲の国は今の茨城県の中央部水戸市を中心に那賀郡、鹿島郡行方郡一帯で茨城の中枢部を占めています。)
 「日本の装飾古墳の90%がオオ氏の根拠地と思われる北九州と東国におけるオオ氏の拠点と考えられる茨城、福島、宮城あたりにのみ集中していることが極めて暗示的でしょう」とも書かれています。

 大洗礒前神社にもおいでになられると書かれておりましたがいかがだったでしょうか。神社の階段を降りた先の鳥居の立っている磯が神磯になります。元旦の朝には初日の出を見ようとたくさんの人で賑わいます。
311の震災の際にはその沖にできた大渦はあとからネットで見てものすごいものでした。(アドレスは大渦の写真です。)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011031403

 大洗には車塚という古墳があり、やはり仲国造の一族の墳墓だとされています。町の観光情報の説明では「標高約35メートル 独立丘陵上に位置し規模は直径約95メートル、高さ13メートルの段を有する全国で3番目の規模の円墳があり、墳丘には拳大の埴輪や葺石がみとめられます。築造年代は、4世紀代と推定されています」と書かれています。
 また、以前吉田様は成田の麻賀多神社にいかれたと書かれていましたが、「東国の古代」のなかで「国造本紀」によると、印波国造は神八井耳命八世の孫伊都許利命ということになっておりますのでやはりオオ氏同族ということになってきます。印旛沼畔、成田市台方に麻賀多神社という式内社があります。「麻賀多大明神縁起」(1302)によると、伊都許利命八世の孫、広鋤手黒彦が推古天皇のときに稚産霊命を祭祀したものである、ということになっていますが、オオ氏系の神社と考えても良さそうです。この伊都許利命の墓と伝えられる古墳が神社北方にあり高さ7m周囲100mのかなり大きな円墳です。古く文久2年(1862)に発掘されて、中から直刀・金環などが見つかったと伝えられています。その北方龍角寺古墳群もこの一族に関係があるとも言われています。
 この麻賀多神社の摂社には黒来田郎女が祀られていますが、大和岩雄氏はこれを「馬来田郎女とは継体天皇と坂田大跨王との間に生まれた」皇女であり、「この馬来田皇女をなぜオオ氏系の印波国造を祀る神社で合祀しているのか。馬来田国造と印波国造は同系だからである。」
 以前このような内容の本なども読んでおりましたので、九州と茨城のつながりを強く感じていた次第です。
 また岩間町にある高龗神社から旧友部町の小原神社をめぐり有賀神社をまわりくれふしの里を回った際に十二所神社をみつけ、そこの御祭神が健磐龍命だったわけです。名前の中に龍の字を見つけたので強く興味を抱いてあとで阿蘇神社関連の記事を読んだりいたしました。 私は鯰名乗ってますから健磐龍命には真っ二つにされてしまいそうですね。
 鹿島の要石の入口には武甕槌大神に踏みつけれれている鯰のレリーフがありますが、個人的にはあれは鯰ではなく龍であると勝手に思っています。
 ご返信していただいたのが嬉しくてついつい長々かいてしまいました。 それでは吉田様の記事楽しみにしております。
返信する
涸沼鯰さまへの返信 (吉田一氣)
2013-06-07 02:06:33
さらなるご報告ありがとうございます。
今回の熊本霊ラインの西端にあたる小島阿蘇神社は
鯰を守る神社です。
健磐龍命の眷属神が鯰だと言われて大切にされています。
鯰研究をされている秋篠宮殿下も小島阿蘇神社に参拝されています。
それはさておき武甕槌大神に踏みつけれれている
鯰のレリーフについては
私も「鹿島の封印はもはや風前の灯 No330」に
記載していますのでお目を通していただけますと幸いです。
私の友人が作成した陶器ペンダントが霊的イメージです。
もちろん鯰は霊的には龍体ですよ。
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/e6eb97aef8d76ac31701fcb83a648f1f
あと大洗の大渦のことですが
この件の霊的背景については私も以前に啓示を受けていますので
ご報告させていただきます。
天災である地震と天罰である地震 No240
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/9ef919626f84cd2cf514c880b63ed63d
茨城の大洗港で大渦「ナルト」 No241
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/8082d5b09180ed9cfd16edace4f99aeb
弓梓弓と水の女神 断片集④ No175
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/054c1a96b30af272164e1a84880ac4d7
それから麻賀多神社についてですが
ちょうど蘇我氏の封印開封に労力を費やしている際に
嫁が夢の中に出てきた神社が麻賀多神社の写真にそっくりだったというので
参拝しました。
佐倉藩鎮守の麻賀多神社 No007
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/d104a10e25deeaf335f60f7e2f19eae2
で記載しているように
神武天皇─神八井耳命─多氏という系統ではなく
神武天皇─神八井耳命─蘇我氏と言う系統と麻賀多神社が繋がっていることを
証明出来ないかと願っているのです。
神八井耳命の後胤に八耳(豊)系の天皇が輩出された可能性を感じているのです。
厩戸豊聰八耳の聖徳太子や蘇我氏の天皇説に繋がります。
しかしこれは私の妄想なのかもしれません。
ここらあたりのことは
過去の妙見信仰と蘇我氏記載文章のまとめ No143
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/9e5017554ee50f926a438709f71c06d4
に記載しています。
返信する
追記 涸沼鯰さまへの返信 (吉田一氣)
2013-06-07 02:31:13
今ふと感じたのですが
茨城の那珂ではなく福岡の那珂川町の
伏見神社にも鯰が祭られています。
涸沼も鯰で有名だと聞きましたが
不思議と繋がりがあるように感じられました。
返信する

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