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中津平野の奇跡。


 豊前、中津平野。山国川がつくる広大な扇状地の中央に宇佐神宮の祖宮、元宇佐と呼ばれる「薦(こも)神社」が鎮座する。壮麗な朱塗りの社殿が木立の中に佇み、宇佐神宮と同じく、応神天皇と息長帯比売命、そして比売大神を祀る。

 この宮は太古の自然信仰の痕跡をみせる。中世になって社殿が造営されるまでは、境内の古い池が社(やしろ)とされたという。「御澄池(みすみいけ、三角池)」という。御澄池は山国川の古い川跡。今は堰堤が築かれた溜池であるが、古くは、自然の河跡地塘(かせきちとう)であった。伏流水が湧いて、湿性植物が繁茂する神妙な湖沼であったという。社はこの池を内宮、神殿を外宮としている。


 養老3年(720年)隼人の反乱において、朝廷軍と宇佐神軍がこの御澄池に自生する真薦(まこも)を刈って作った「薦枕」を神体とした神輿を奉じて行幸、反乱を鎮めたという。宇佐神宮の行幸会ではこの「薦枕」と香春の古宮八幡神社の「銅鏡」を神体として宇佐神宮まで運ぶ。

 宇佐氏系図にいう御澄霊池の守護、「池守」の伝承は「佐知(さち)彦命」が代々、御澄池の池守を務めたとする。佐知(さち)彦命は宇佐国造の祖、菟狭(うさ)津彦と同一で、薦神社の上手、山国川の畔にある「佐知」の里がその居住の地とされる。伝承はこの社が、古い宇佐氏が奉斎する社であったことを示す。

 そこに辛嶋氏が香春から入っている。辛嶋氏も薦神社の神官を務めたとされる。辛嶋勝姓系図によると辛嶋氏の神は香春を経て、宇佐郡辛国宇豆高島に天降ったとされる。中津平野の東、伊呂波川の谷に入ると正面に稲積山が秀麗な姿をみせる。この稲積山が「宇豆高島」とされ、辛嶋氏はこの山の北麓「末邑」を本拠にしている。


 中津平野の後背、金色川の谷奥にメサ、卓状台地とされる特異な姿をした八面山(659m)が横たわる。急峻な斜面上に平坦な頂きを広げ、山上に二つの池をもつ。薦神社はこの八面山を奥宮とする。八面山は中津の母なる山ともいわれ、古来、霊山とされた。山域には「石舞台」などの磐座が散在し、のちに、神仏習合の八幡大菩薩を顕現させた「法蓮」がこの山を山岳仏教の霊場としている。

 山上の大池は竜神池とも呼ばれ、竜神が祀られる。霊山の山上に竜神が在り、麓に向かって竜脈が流れ、気は龍穴へ向かう。その龍穴が「御澄池」であり、池の真薦(まこも)が霊力をもつ根源。宇佐神宮の古宮は「御許山」とされるが、宇佐の祭祀の原初はこの薦神社にあった。この社には太古の自然信仰が、神道や山岳信仰に移行する過程が見えている。

 この平野の彼方に聳える霊峰、英彦山(日子山)は北部九州の神奈備。山国川がその英彦山を源として、宇佐氏族の「法蓮」が、英彦山を修験三大聖地として興すのも偶然ではない。


 山国川の河口、中津の「闇無浜(くらなしはま)神社」に瀬織津姫神が祀られる。この神は川瀬に在って穢(けが)れを海へと流す神。元は山国川の畔に築かれた中津城の城地に祀られていたという。中津平野には神祇のシステムが配置されて、辛島氏や大神氏以前の中津平野に、古い宇佐氏族による霊域が構築された痕跡。(了)

 

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