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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流
FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm
記載途中 高千穂の峯の逆矛詳細写真 No521
2019-07-31 14:13:34
|
神霊界考察
高千穂の峯の逆矛の詳細写真を添付しておく。
この写真は朝一で出発し誰もいない中を撮影しようとして
早朝8時に撮影したものであるが
反対側からの登山口である霧島東神社から宮司が登ってこられた。
月に一度は登られてここで祈られているようである。
類似する長江流域の星堆遺跡の青銅像についても添付しておく
これには頭に三つの立纓がある。
逆矛の三本の刀は近代において作り直されたらしいが
もとは三つの立纓であったのかもしれない。
ちなみに歴代天皇も正装姿では立纓が特徴的である。
記載途中
コメント (23)
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23 コメント
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逆鉾
(
さくら
)
2019-08-01 07:58:40
高千穂の峯の逆鉾写真を有難うございます。
登るのに、往きは2時間かかると言われましたので、
8時に現場に到着予測でしたら、早朝6時前には登り始めないといけません。古宮址のパーキングは24時間開放なのでしょうね。新燃岳もすぐそこに見えます。
火山の噴石除けの洞窟みたいなのも何か所かありました。
それも、霧島東神社といえば、逆鉾のレプリカがありました。霧島東神社からも登山できるのですね。
そちらからは、獣道のような感じがします。
レプリカは、頭に三本の纓がないのです。
高千穂の峯の逆鉾の顔によく似ていますが、もっと
ごくごく薄い感じです。
多分、被雷鉾だったのかと思っています。
あの石鉾に目がけて雷が落ちるのだろうとか、、
想像していました。
成分は何で出来ていたのだろう。鉄分を含む石で出来ていたのではないかなと思います。
天孫降臨の証ですが降臨というよりも、始まりの仕掛けであり、シンボルになるのかな。
高千穂の峯も三星堆遺跡の像も鼻が高いのです。
眼も耳も鼻もきっと、何もかも強調されてデフォルメされているとは思います。
実物をそのまま、そっくり写し取るよりも特徴のある部分を強調するとよりよくその物実が実物性を帯びてきます。
古代の西洋人の可能性も考えられますね。
仏像の下地は、西洋のものが入り込んでるのです。
渡来ということで、その可能性は大きいでしょう。
霧島神宮で「九面鉾」というお守りを買いました。
https://magazineworld.jp/brutus/miyagemon/miyagemon-194/
東、日向の方向に懸けています。
逆矛を建てた古代の人への敬意をこめて飾っています。
返信する
流し雛
(
さくら
)
2019-08-01 08:48:49
連投すみません。
書き忘れていました。
この立纓三本の写真を見たときに、「流し雛」神事をさせていただいたことを思い出しました。
あの時に、手造りでひな人形・達磨を創っていまして、、
イメージでは、地蔵のような、スクナビコナさんで着物に目を沢山書くことと姫ダルマの神功皇后だったのですが、、
どうしてもどうしても、地蔵のスクナビコナさんの顔が決まらなくて、、、
最後、宮崎の弥五郎どんのイメージで、頭に三本の鉾を冠させて、やっと、決まった!!と成りました。
立纓三本で弥五郎どんでした。
イソタケ、イタケル、天児屋命は名前がごっちゃになったと感じます。
返信する
思いつくままに
(
さくら
)
2019-08-02 09:29:27
逆鉾の写真は韓国宇豆峯神社の祭神である、
冠輪大明神の事でないのかと思うのです。
三星堆の画像は、王冠をかぶっているのですが、その王冠は、私には、タコと鳥の冠羽の合体のように思えるのです。
それで、手が輪を描いているのです。
沢山の偶然が重なり、「くぼて」という存在、名前を知りました。
「窪手」と書くようで、神に供える器、「ひらか」と同じだと思うのです。
元々は、手のひらでくぼみを作って、水を飲む仕草からこの名前と、器が出来たのでしょう。
手が輪で、何か持っていたのか??
持つとすれば、長い棒状のものになります。
吹き流し、宝棒、、これは八代の鎮宅霊符神の童子たちになります。
しかし、実際何か持っている画像は見当たりませんでしたので、ここは、「輪手」という形状だと仮定しておきます。
千本釈迦堂にて、六観音と
「傅大士」書写をまわす、、転法輪を発見した人、こちらは鎮宅霊符神の図と同義だしていますが、ここにも後々関係するでしょう。
三星堆の王冠ですが、
口の大きなタコに見えて、タコの神話を探し、タコは吸盤が脱皮するという事を知ります。
早吸日女神社は、タコが神使いです。
「吸う」という字が、丸い吸盤を表していると、八つめウナギの事なども示唆しているのかと思っていました。
鳥の冠羽
http://karapaia.com/archives/52169485.html
私は「サクナダクダリ」の際にゴイサギが偶々現れましたので、
https://torinote.net/%E5%86%A0%E7%BE%BD%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%80%81%E3%83%9B%E3%82%B7%E3%82%B4%E3%82%A4/
タコの神話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95
タコの物語は他にも色々とありますが、頭足動物であり、
冠輪動物の事を思い出します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A0%E8%BC%AA%E5%8B%95%E7%89%A9
逆鉾は冠輪の上に三本の鉾があります。
上手く、繋がりません。
タコの吸盤が脱皮という事も、気になりました。
蟹の甲羅も脱皮します。
この脱皮は、よみがえりであり、死と生の再生の象徴とされているからです。
蚕も脱皮するのです。
脱皮動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E7%9A%AE%E5%8B%95%E7%89%A9
ここから、デオキシリボ核酸とか、18SリボソームRNA遺伝子とかぐねぐねの遺伝子情報の図を調べたりしていました。
返信する
なぜか摩多羅神の立纓も
(
すずたま
)
2019-08-03 08:49:48
広隆寺の牛祭で牛に乗る摩多羅神の被る烏帽子の立纓は3本。
https://trakl.exblog.jp/iv/detail/?s=17395714&i=201204%2F07%2F03%2Ff0071303_850947.jpg
(元記事はこちら。
http://www.kingchin.jp/1_J.html
)
例の摩多羅神の絵でも同様。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%91%A9%E5%A4%9A%E7%BE%85%E7%A5%9E#mode%3Ddetail%26index%3D9%26st%3D0
ふと思い出す「園城寺新羅善神堂の本尊、新羅明神座僧」。
https://ameblo.jp/taishi6764/image-12001464745-13296819306.html
三星堆の青銅像の頭部の口を開けた穴は、何かが折れたあとのようにも見えますが?
返信する
続き
(
すずたま
)
2019-08-03 09:42:58
なんでこちらの記事に摩多羅神のことを書きこんでしまっているかの意味もわからないまま、「皇円大菩薩の心願」のコメントの続きをこちらに移動したのですが・・・個人的には逆鉾の高い鼻(三星堆では鼻は強調されない)と、摩多羅神の気妙なお面の高い鼻が気になります。私の中の秦氏の血ですかね。呉の姫氏には国栖系の古い秦氏も合流したと思いますから。でも8、9世紀以降の秦氏は要注意ですね。
四天王寺は姫「呉・楚」、および摩多12音としてのオリジナル摩多羅神、および本当の聖徳太子+河勝、および「荒稜」が本来意味するもの、などが、要注意秦氏によって封印されている・・・?と、いまのところ、おそるおそる考えています。
ポイントは牛王尊(呉王尊)ですね。
それと、ヘンなところにばかり目が行きますが、明治天皇の立纓の点々の数も気になるのです(;'∀')3×7+1で22、私個人の懸念の22なものですから。
返信する
Unknown
(
小川
)
2019-08-03 22:53:00
最近、わかったことがある。
天皇の力はわかった。
もともと、神武とは知り合いだが、
なんらかの血の系統が
天皇だと理解した。
天皇陛下自体理解してない、
だから、ウマシマジの魂に
、いるのだろう。
天皇家の血ではなく、
その秘義。
門外不出と言われている。
斎宮。
蘇我。
なるほど、
藤原の一族が探すはずだ。
物部氏の系統の
婚姻関係ならわかる。
対立した概念で、
考えるから混乱する。
だが、探しても、
得られないだろう。
天皇家の力を、
神界が当てにした結果だろう。
知性の高い男ですら、
古代の秘義を当てにしている。
だから、あの女の力は、
私は、継続しないほうと
確信した。
私を誰だと思っている。
あの男の近所の息子である。
だから、…、私を選んだのだろう。
うおおおお、
ニギハヤヒきゅん🌟。
お前は、
まさか、自分が特別な人間だと自負しているのか?
導かれるのは多い、
だが、試練を受けるものは少ない。
イエスきゅん🌟の啓示は、
理解した。
覚えておきたまえ。
私を一体誰だと思っている。
返信する
吉田一氣
(
聖数22は富士ですね
)
2019-08-04 02:50:39
明治天皇の立纓の模様の数が22というところに気づくのは
なかなかいい着眼点だと思います。
もちろん適当な数ではありませんね。
22というのは富士 不二を意味すると思います。
また生命の樹の22の小径(パス)でもあり特別な数字です。
私はブレスレットの珠数を22にしています。
ラッキー数といわれる7+7+7の21より22は守備力が安定していると思っています。
あと立纓三本とか三本の鉾は呉音神降臨の神籬だと思います。
返信する
陰陽統合の22
(
すずたま
)
2019-08-04 07:10:13
点々の配列も意味ありそうに思えます。
上から三角形を辿っていくと、一番下に点を一つ置くことによって反転し、逆三角形を上に辿っていくかたちになり、上下の巡り(陰陽の巡り)を感じると同時に、上下の1によって、全体が安定して見えます。
22が特別な数というのは、以前からこのブログコメントでも五月蠅(うるさ)く主張させていただいたので、恐縮ですが・・・
「統合(ククリ)の22」を象徴とする方が青海(巨大な内海だった)ほとりの青海高原に文明があった頃にお生まれになった。そのながれを、周~呉が受け継いだと考えています。(ちなみに拙ブログ「月のひかり。」後半にて22のメッセージのことを書いています)
現在の天皇家は、異系のルーツが混じりつつ、統合の願いを非常な困難のうちに保ってきた、と判断します。(次の代のとき、安定が訪れるのでは?)
立纓三本は呉音神降臨の神籬、それで三星堆は呉音神が創ったのであり、摩多羅神とも関わるわけですね。3096
返信する
天皇の背負う北斗七星
(
すずたま
)
2019-08-04 09:18:06
さらにその22を眺めると・・・
縦にみると、左右の7と真ん中の8として、目に入ってきます。
左右の7は、鏡像としての北斗七星??
水を注ぐ柄杓と、水を掬う柄杓??
なんとなく天子少彦名を感じてしまいました?
幕末の孝明天皇の礼服
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E8%A1%A3%E8%A3%85%E3%81%AE%E5%8C%97%E6%96%97%E4%B8%83%E6%98%9F#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0
あくまで北斗七星であり、天の大帝としての北極星は特に描かれてないことに、私はこだわってしまっています。
中国の皇帝の思想とは別のものを感じるのですが・・・?
考え過ぎ・・・?
返信する
補
(
すずたま
)
2019-08-04 09:31:29
目的の画像にリンクできなかったので。
wikiの「袞衣(こんえ)」に孝明天皇礼服の画像があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%9E%E8%A1%A3
返信する
8の神様
(
すずたま
)
2019-08-05 20:21:48
この22の点々は見れば見るほどによくできているように思えます。
三角の連続は、菱形の連続にも見えますし、それもまたエネルギーの巡りを表現して見えます。
真ん中の縦の8をじっと見つめてしまいました。
8の神様・・・
縦の3本という見方は逆鉾の3本にも繋がるようでもあり。(逆鉾が近代に現在のかたちにされたとすると、天皇の立纓が高々とした垂直の一本であることとも関係あるのだろうか?)
返信する
8の神はミズの神
(
すずたま
)
2019-08-06 07:55:27
「偶像崇拝の是非 No454」でさくら様の書かれた水の波紋のイメージがこころにひろがり、「はち神」から8の神様、と勝手に浮かんだのでした。それが畏怖をよぶ存在であることも・・・こちらの勝手な恣意でありますので、よけいなことを書くとお邪魔になるとおもいます。連投すみませんでした、これで終わります。
返信する
Unknown
(
小川
)
2019-08-08 22:39:58
万物は、数字でできている。
宇宙は、12進歩で表らしている。
この神が、教えたいことは、
…。
なるほど、神武か…。
いや、…、いい勉強にはなった。
歴史は、あまり、興味はない。
ピタゴラスか…。
この、わたしを一体誰だと思っている。
返信する
22は夫婦の事
(
さくら
)
2019-08-11 16:23:37
22という数字の意味は、個人的に「不二」であり、「夫婦・陰陽」のことだと思っています。
石上神宮の鎮魂祭。11月22日。
大嘗祭。
毎年11月に、天皇が行う収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀であるが、当初は「大嘗祭」とはこの新嘗祭の別名であった。
伊勢神宮に参拝する際には
二見興玉神社に参拝するのが良いようです。
海で禊なのかしらと思います。
夫婦岩があるのです。
蛙の置物が沢山あり、2016年2月1日、2日に行きました。その時は、一日餅を買えたら良いなと思っていました。宿の人に聞きますと、やはり早朝から並ばないといけないと知り、諦めて違う和菓子を何種類か買いに行きました。
偶々宿が、二見興玉神社のほぼ横に位置する場所で徒歩2分ぐらいで行けるのです。せっかくなので、修学旅行以来の興玉神社参拝です。
二見興玉神社に行くと、最初に目についたのが「八大龍王神」という文字でした。
それで、「八大」さんどこに祀られているのか、気になりながら蛙の置物が所せましとあり、なんで蛙?とそこも気になっていました。
縁結びなのに、カエル?
蛙は蛙でも、信楽焼きの蛙の形になります。
今、ネットで確認しますと奥に龍宮社があるのです。
八大龍王神は??
結局わからないままに、宿の女将さんに夕食時に
「お伊勢参りに来られたのですか?」と聞かれ、
・私 「いや、八大龍王神詣りの予定なんですが、それで、朝熊山の八大龍王神には明日行く予定ですが、この二実興玉神社にも何か、八大龍王と書かれた看板を見ました。あの横の山のとこに祀られているのでしょうか?」
・女将 「八大龍王神は、私も朝熊山しか知りません。あと、龍神が浮き出ているお寺はあります。」
・私「あっ、そのお寺確か松尾観音寺はこの宿に来る前に行きました。明日は、朝熊山に行く予定です。この二見興玉に八大龍王さんいるのでしょう。どこですか?もしかして、あの横の山の小さな鳥居かなぁ・・」
あの時、周辺の山ばかり見ていました。八大龍王神は山の天辺にいると思っていたのです。
でも、二見の海と空。きれいで美しい空と雲と波の陰影を見た事を思い出しました。
伊勢で八大龍王神を探していたことを、22玉の立纓の明治天皇像を観て思い出しました。
龍宮社がありますので、そこが八大龍王神でしょう。
奥の方に歩いて行って、洞窟のような感じの海沿いの小さな神社に行った覚えがあります。工事中だったかで、その龍宮社より先は途中で引き返した覚えもあります。
翌日、朝熊山の八大龍王神に行き、そこで、また神秘体験をするのです。その後、伊勢内宮に行き、友人が、わざわざ家まで持って来てくれた「伊勢神宮」のお守りがありました。
菱形六角形のお守りでした。
その後友人は、出雲大社の素鵞社同様伊勢神宮でも不思議な時空がゆがんだ感覚の体験を話してくれました。
返信する
纓
(
さくら
)
2019-08-13 21:04:55
纓と言う字が気になっていました。
糸へんに嬰なんですね。
この字は、「桜・櫻」の古い漢字であり、首にこぶができたり、貝を繋げた首飾りから、赤いネックレスを着けた女の人の意味になり。ここから、櫻はユスラ梅の実。
言霊学では「御 頸 珠 みくびたま は
天照大御神が、頸くびにまいた玉のこと」
ならば、桜=櫻の→嬰とは
御 頸 珠 のことだと思います。
纓とは、日本独自の冠の付属品の1つ。冠の縁を2分して額のほうを磯 (いそ) ,後方を海 (うみ) といい,海に挿し入れて垂らす細長い布
冠の装飾具。冠の後部にさしてたらすもの。平安中期までは2枚の羅(ら)をたらし,燕尾(えんび)といったが,のち両側にクジラのひげを入れて羅を張った1枚の堅いものになった。天皇は直立した立纓(りゅうえい),臣下は垂纓(すいえい),武官は巻いてとめた巻纓(けんえい),六位以下はクジラのひげを2本たわめてさしただけの細纓(ほそえい)を用いた。
これが後世の冠の祖となったもので,当時の形態を知るものに法隆寺伝来聖徳太子の像がある
嬰とは
・生まれたばかりの子
音楽用語
① 邦楽で、五声中の一音を一律、すなわち半音だけ高くしたもの。通常、嬰商、嬰羽の二つがある。
② 洋楽で、ある音符に対して半音高いことを示す語。
厳島管絃祭の期日に関する陰陽五行思想からの考察
=岡山大学大学院社会文化学研究科 曽我様の論文=
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/47188/20160528090044285761/hss_032_087_103.pdf#search=%2722%E7%8E%89+%E5%A4%A9%E7%9A%87+%E5%AC%B0+%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA+%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%27
返信する
未来の二つの顔
(
さくら
)
2019-09-03 07:27:00
高千穂の峯の天の逆鉾は、「顔」と思われる模様が、ヤヌス神同様、両面になっています。
ヤヌス神とは
ローマ神話の出入り口と扉の守護神。前と後ろに反対向きの2つの顔を持つのが特徴の双面神。物事の内と外を同時に見ることができた神。表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。一年の終わりと始まりの境界に位置し、1月を司る神である。
入り口の神でもあるため、物事の始まりの神でもあった。1月の守護神であるのは、1月が入り口であり、年の始まりでもあったためである。それから来て、過去と未来の間に立つという説明もする。その役割は、日本の年神によく似ているが、直接の関連性はない。
門守り神という事で、
気比神宮 角鹿神社
坐摩神社行宮
韓国宇豆峯神社善神王
五所明神社善神王
※ここは、大分県佐伯市の神社ですが、元々私の近所の祠に感応があり、その祠の名前「五所明」を探していて、こちらに遭遇し、門守り神が居たと記憶していました。今、久しぶりに調べ直しますと、善神王だったみたいです(-.-)
http://blog.livedoor.jp/gunchan1972/archives/51328529.html
http://www.komainu.org/ooita/saikisi/GoshoUsutubo/gosho.html
あの時は、そのまま熊野の五所王子との関連を調べたと思います。
念のため張り付けておきます。
http://www.mikumano.net/keyword/12shogongen.html
返信する
三大奇石
(
さくら
)
2019-09-03 10:25:36
上記コメントの門守り神で私に顕れ調査済み神社、一つ記載漏れがありました。
・祖母神社 阿蘇高森町
事代主様のブログより
https://ameblo.jp/indiaindia-27/entry-12136363151.html
以前夢うつつで三星堆遺跡の像は立て笛だという事を思いついたのですが、
風で音が鳴る。唄を歌う。自然音。
それは、紀州無人島友ヶ島の流しびなの時に、手作り竹笛、つまり龍笛として、三叉矛の弥五郎どん、神功皇后と共に、船に乗せました。
以前、玉置神社のコメントにて、神功皇后が祀られていると書いていますが、その人ではなくて、「風の神」が祀られていたと思ったのですが、、今調べますとそのような記載はなく、、勘違いでした。
しかし、大日堂で役小角さんが祀られていることを思い出しました。
玉石社が事前調査では、何か凄いらしいのに、よくわからなかったですし、当時の唯一の収穫は大日堂社の役小角神変大菩薩だったと思います。
何故に、玉置神社で、白山神?という事も不思議に思った記憶があります。
久しぶりに玉置神社のウィキを読みますと、「宝冠の森」と「乳」が気にかかりました。
それで、葛城天神社に天の神の始祖として、「国常立命」が祀られているようです。
境内は「天神の森」と称せられ、古代祭祈の遺跡で、加茂(鴨)氏の祖加茂建角身命の神跡とも伝えられ、「鴨山」とも呼ばれています。
三大奇石についてですが、、
天の逆鉾、生石神社の石の宝物殿、宮城塩竈神社。
このうちの塩竈神社の摂社御釜神社にて、藤と牛と塩が出てきましたので、書き残しておきます。
=日本伝承大鑑様より抜粋=
牛石藤鞭社があり、和賀佐彦という神が7歳の童子に変じて、背に塩を載せた牛を引いていたが、それが石と化したとされる。今でも境内の池の中にその石が沈められており、見ることができるという。またその童子が藤の枝を鞭にしていたが、それを立てかけておくと枝葉が伸びて藤の花が咲いたと言われる。
同じ名前の和歌山塩竈神社、そこは玉津島神社のすぐそばであり、鏡山の麓にあります。
向いは、紀三井寺になります。近くに東照宮もありました。
塩竈神社の祭神は、塩槌翁尊です。
玉津島神社に丹生都姫の伝承があったので、記載しておきます。
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は神功(じんぐう)皇后です。皇后が海外出兵された際、玉津島の神(稚日女尊)が非常な霊威をあらわされたため、皇后は稚日女尊を篤く崇拝されました。戦勝また航海安全の御恩に報い、稚日女尊の御分霊を今の和歌山県かつらぎ町天野の地に丹生都比売神としてお鎮めしました。後に皇后ご自身も、卯の年、卯の月に玉津島社に合祀されました。
返信する
傘ね虹と善神王
(
さくら
)
2019-09-13 23:41:35
22玉→伊勢の二見興玉夫婦岩→八大龍王神・かえる→月神神話→観月(中秋の名月)の為、ススキと団子をお供えします。
ススキを探しに、近くの三ツ池と弓月王と言われる古墳近くの場所に出向きました。何となく、三ツ池にススキが生えているのではないかと思ったからです。
家をでて、池に向かっている最中に小雨が降り出します。
西の空には、夕日が輝いています。東の空を見ますと、
大きな半円の地上から立ち上る虹が見えます。よく見ますと、二重虹になっています。
その虹をみながら、池に着きます。ススキを探します。
大きな二重虹が池に掛かって、誰もいない、静寂、風がそよぎ、小雨が降っています。幻想的で、池の翠色の水がたおやかな感じを醸し出しています。
ススキは見つかりました。環境整備の為周りの道は、綺麗に刈られていたのですが、唯一、一株だけ池のほとりにありました。
久しぶりに観た二重虹を、ネット検索しますと、人生の好転、幸せの予兆、吉兆のサイン、陰陽の統合=調和の象徴。良いように考えておきます(*'▽')
以前、二重虹を見たのは、松尾大社の前の桂川でした。
善神王の事を調べていました。
宇佐神宮発刊の写真集(以下「神宮写真集」という)に、“奥山御許山図”なる古図(右の図)が載っている。
そこには、左上に3基の磐座、その左右に若宮・武内の巨岩、前に善神王の巨岩一対、左下に講堂・鐘堂、右下に観音堂が見える。これら講堂・鐘堂などが正覚寺あるいはその関係坊舎であろう。
それで、善神王と武内・若宮が一緒になって、門守り神となっているのでしょう。元は別個ですね。確かに姫氏隠しの気配も感じます。
高良大菩薩、阿蘇大明神、
あと、安心院の佐田神社と出雲の佐太神社の関係も気になるところです。
返信する
吉田一氣
(
さくら様への返信
)
2019-09-14 04:11:10
本日の中秋の名月は自宅でビールを片手に鑑賞しました。
今年も昨年と同じで見始めて30分でおぼろ雲が集まり
龍神の形象が現れてすぐに雲は消えていき
再び元の満月となりました。
来年はさくらさまを見習い
私もお供え物を準備して鑑賞したいと思います。
返信する
石山秋月
(
さくら
)
2019-09-15 11:53:06
返信有難うございます。
>自宅でビールを片手に満月(中秋)を鑑賞(干渉)で、朧雲から龍神の形象が顕れたお話しですね。
妙なことに、この文の中に私が勝手に読み取る継承が沢山ありますので、無難なものを
少しここに、残しておきます。
偶々、角大師の記事を書かれましたので、私はあちらに琵琶湖の比良明神のコメントを残しましたが、角大師は祟るという意味が解っていますので、、とても、楽しみに心待ちにしています。
祟るのは、角大師だけではありませんよね。
偶然、インスタ写真でみたものに、反応して出かけた石山寺でしたので、何も事前調査はしなかったのですが、あちらで偶々買った石餅におみくじが添付されていまして、そのおみくじは開運招福お守りですので、縁起物(熊手と小判・大黒・恵比須・招き猫・小槌・無事かえる・銭亀・だるま・軍配うちわ・六瓢箪・お多福・鶯鳥)のうち一体が納められています。
因みに、私は小槌でした。(^^)/
35番で大吉ですが、「考」と書かれていまして、
「勢いも大事だが、計画的に物事を考える冷静さも持ち合わせよ 例え時間がかかっても良い結果に繋がる」
頭の痛いお言葉でした(≧▽≦)
石山寺訪問も、何も考えずに勢いだけで行きました。
秋月祭 石餅
石山寺の寺名の起こりにもなった硅灰石。
明治中ごろまでに、力が宿り石のように固い絆が結ばれるようにと祈念し食した「石餅」があったと寺僧より聞き及び、この度百年の年月を経てその想いを込めて「石餅」は復元されました。
その由緒で、中秋の名月、秋月祭にて再び、ご本尊に奉納させていただいております。
かつて紫式部が湖面に映え15夜の月を眺め「源氏物語」の構想を練ったと伝わる石山寺。
=石山秋月=
近江八景と言われる石山秋月
http://www.netmuseum.co.jp/kinshachi/kin1-6.html
元は
中国湖南省の瀟水と湘水の合流点付近にある、八つの佳景とされるもの。すなわち平沙落雁、遠浦帰帆、山市晴嵐、江天暮雪、洞庭秋月、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、漁村夕照の八景。北宋の宋迪(そうてき)がこれを描いて、八幅の画としたところからいう。日本でも、近江八景など、これにならって選ばれた名勝がある。瀟湘の八景。
返信する
儺の国の星 拾遺
(
さくら
)
2019-09-19 20:32:04
私も、未読で「儺の国の星 拾遺」を持っているのです。
其処に、天の逆鉾は「天葉槌神」と書いてあります(-_-;)
なんだ、、、答えが載っている。
それで、ひもろぎ逍遥さんはテキストとして使っているのでしょう。
天葉槌神?調べますと、、最初に実物で、古址から見たときの感想があっていたのだ分かりました(-_-;)
ここのコメントに私が書いたことは、、、正確に言うと、間違いになりますね。
しかし、自分の感覚を信じながら、辿り着くことに意味があり、その実に辿り着くまでが、源流にふれたいという願いになりますので、私にとっては文章での回答はあまり意味を為さない・・・
という事にしておきましょう。。
しかし、なんとも言えない残念な気持ちではあります。もっと、謙虚になるようにという御達しだと思っておきます。
返信する
天道虫
(
はいせ
)
2019-10-06 16:30:10
こちらの逆矛写真の6枚目(でいいのかな?)に天道虫が写っていますね。星が七つなのか、九つなのか。九つのようにも見えます。吉田様にくっついて一緒に登頂されたのでしょうかね。
先日、埼玉の妻沼聖天に参詣。こちらのご本尊は錫杖の頭部分に御正体があり、聖天さんなので顔は2つ。何だか高千穂の峯の逆矛みたいだなと思っていました。
妻沼聖天は補修後国宝に認定されていますが、日光の建築様式を取り入れつつ、時代がくだったことでの進化が見られることが認定理由の1つだとか。柱に描かれた文様を1つ逆向きにすることや彫刻の猿に1つだけ子猿を抱えたものを加えることとかで、「完璧にしないことで可能性を残す」ということを随処に意識しているそうです。
もしかしたら龍の逆鱗もそういう発想なのかもしれないですね。龍の鱗が八十一燐にはさくらさま感得の龍宮曼荼羅も関係しているような気もします。そうすると41か81かはやはり81ということになりますか。
吉田様は瀬織津姫と関連付けたい方向性なのかと思っていましたが、誤解でしたか。
瀬織津姫と関連があると言われる桜ヶ池や大井川やそのはじまりの山に行っても私には瀬織津姫ってよくわからないのですが。
九州のククリ姫に関係する水神は湧き出る水の泉の神のような気もしています。ギリシア神話では泉の神は海神ポセイドンですね。もともとは大地の神でもありますからワダツミ神=ヤマツミ神と通じるところがあります。
背振山の上に曙や黄昏時に金星が光っているのが見えたのでしょうか?そうすると仰ぎ見た場所はどこになるのでしょう?
1/9の菊池電車脱線の日に霧島六所権現巡りをしました。高千穂河原の古宮址が起点です。当日、スムーズに事が運び、ご褒美的に白鳥神社まで連れて行かれましたが、白鳥がクグイで九九が暗示されてたとすると複雑な心境です。
記事と関係ないコメントですみません。
天道虫から世界の金星神がヨミガエリするのは、太陽よりも長い間、天空に輝くからかなと思ったからなのでした。
返信する
八面大王と波水度大神
(
はいせ
)
2021-10-13 14:52:31
東北、関東で大きな地震が起こっているので、巻き込まれないうちに、行く行く詐欺解消の意味も込めて、埼玉県比企郡の二宮山にご参拝です。
埼玉県比企郡は父方祖父の出生地でもあります。まあ、何かあってもじーちゃんが守ってくれるだろうとの予測のもとにレッツゴーです。
二宮山には伊古神社(奥宮)があり、興味深い縁起となっています。以下、Wikipediaより抜粋。
仁賢天皇年間(449年~460年)に、蘇我石川宿禰の子孫が二宮山の頂上に創建したと伝わる。祭神は気長足姫命、大鞆和気命、武内宿禰の三神。本来の祭神は、社名にあるとおり速御玉比売命といわれる。
埼玉神社庁の情報では、この一帯では、農業用水として数多くの溜池が造られているが、日照りの続く年は、二宮山上で雨乞いを行う。雨乞いの時は、村人が伊古乃速御玉比売神社(里宮)に集まり、生きた「やまかがし」を入れた長さ五メートル余りの藁の蛇を作る。この蛇は、笛や太鼓の囃子で送り出され、伊古堰と新沼に入り、大いに揉む。次いで二宮山頂に登り、山上の松の古木に蛇を縛りつける。蛇は、天に昇って竜となり雨を降らせる。
とのことです。江戸時代には淡洲明神と呼ばれ、ここから近隣に分霊されているようです。
また、当地は『和名抄』に載る比企郡渭後郷に比定される。読みは、水辺を表す「沼乃之利(ぬのしり)」とされる。この名残として式内社である当社は、社名に伊古(渭後)を冠している。
なお、この渭後郷の地名については、渡来系氏族壬生吉志と関連があったとする仮説がある。七世紀初頭前後に、比企及び男衾方面に横渟屯倉の管掌者として摂津国難波から入植した壬生吉志は、本拠地である難波の地名を比企の渭後、都家、高生、更に男会の榎津にもたらしたとする。葬制においても、これらの地は、従前の横穴式石室の腹部に膨みをもたせて胴張型に変化し、渡来系氏族の墓地として想定し得る。渭後郷を難波にある地名と関連づける理由は、渭後が「いかしり」とも読めるので、摂津国西成郡に鎮座する式内社座摩神社とかかわりがあるという。とのことです。
壬生は乳部で秩父や丹生部とも関係するのかな~?
山頂には、八大龍神と弥勒菩薩の碑があり、低山ですが見晴らし良く交通の要所であったことが伺えます。近くには鬼鎮神社もあり、なんだか波水度大神の息吹が感じられました。
上記を調べている中で何故か諏訪大社本宮に天の逆鉾があるといった情報に行きつき、安曇野の八面大王と新潟十日町の国宝火焔型土器「雪炎」がでてきたので、引き続き調査していきます。八木が鼻洞窟の近くの温泉も入って来いとのことで、どうつながっていくのか?誠実にやっていこうと思います。
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登るのに、往きは2時間かかると言われましたので、
8時に現場に到着予測でしたら、早朝6時前には登り始めないといけません。古宮址のパーキングは24時間開放なのでしょうね。新燃岳もすぐそこに見えます。
火山の噴石除けの洞窟みたいなのも何か所かありました。
それも、霧島東神社といえば、逆鉾のレプリカがありました。霧島東神社からも登山できるのですね。
そちらからは、獣道のような感じがします。
レプリカは、頭に三本の纓がないのです。
高千穂の峯の逆鉾の顔によく似ていますが、もっと
ごくごく薄い感じです。
多分、被雷鉾だったのかと思っています。
あの石鉾に目がけて雷が落ちるのだろうとか、、
想像していました。
成分は何で出来ていたのだろう。鉄分を含む石で出来ていたのではないかなと思います。
天孫降臨の証ですが降臨というよりも、始まりの仕掛けであり、シンボルになるのかな。
高千穂の峯も三星堆遺跡の像も鼻が高いのです。
眼も耳も鼻もきっと、何もかも強調されてデフォルメされているとは思います。
実物をそのまま、そっくり写し取るよりも特徴のある部分を強調するとよりよくその物実が実物性を帯びてきます。
古代の西洋人の可能性も考えられますね。
仏像の下地は、西洋のものが入り込んでるのです。
渡来ということで、その可能性は大きいでしょう。
霧島神宮で「九面鉾」というお守りを買いました。
https://magazineworld.jp/brutus/miyagemon/miyagemon-194/
東、日向の方向に懸けています。
逆矛を建てた古代の人への敬意をこめて飾っています。
書き忘れていました。
この立纓三本の写真を見たときに、「流し雛」神事をさせていただいたことを思い出しました。
あの時に、手造りでひな人形・達磨を創っていまして、、
イメージでは、地蔵のような、スクナビコナさんで着物に目を沢山書くことと姫ダルマの神功皇后だったのですが、、
どうしてもどうしても、地蔵のスクナビコナさんの顔が決まらなくて、、、
最後、宮崎の弥五郎どんのイメージで、頭に三本の鉾を冠させて、やっと、決まった!!と成りました。
立纓三本で弥五郎どんでした。
イソタケ、イタケル、天児屋命は名前がごっちゃになったと感じます。
冠輪大明神の事でないのかと思うのです。
三星堆の画像は、王冠をかぶっているのですが、その王冠は、私には、タコと鳥の冠羽の合体のように思えるのです。
それで、手が輪を描いているのです。
沢山の偶然が重なり、「くぼて」という存在、名前を知りました。
「窪手」と書くようで、神に供える器、「ひらか」と同じだと思うのです。
元々は、手のひらでくぼみを作って、水を飲む仕草からこの名前と、器が出来たのでしょう。
手が輪で、何か持っていたのか??
持つとすれば、長い棒状のものになります。
吹き流し、宝棒、、これは八代の鎮宅霊符神の童子たちになります。
しかし、実際何か持っている画像は見当たりませんでしたので、ここは、「輪手」という形状だと仮定しておきます。
千本釈迦堂にて、六観音と
「傅大士」書写をまわす、、転法輪を発見した人、こちらは鎮宅霊符神の図と同義だしていますが、ここにも後々関係するでしょう。
三星堆の王冠ですが、
口の大きなタコに見えて、タコの神話を探し、タコは吸盤が脱皮するという事を知ります。
早吸日女神社は、タコが神使いです。
「吸う」という字が、丸い吸盤を表していると、八つめウナギの事なども示唆しているのかと思っていました。
鳥の冠羽
http://karapaia.com/archives/52169485.html
私は「サクナダクダリ」の際にゴイサギが偶々現れましたので、
https://torinote.net/%E5%86%A0%E7%BE%BD%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%80%81%E3%83%9B%E3%82%B7%E3%82%B4%E3%82%A4/
タコの神話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95
タコの物語は他にも色々とありますが、頭足動物であり、
冠輪動物の事を思い出します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A0%E8%BC%AA%E5%8B%95%E7%89%A9
逆鉾は冠輪の上に三本の鉾があります。
上手く、繋がりません。
タコの吸盤が脱皮という事も、気になりました。
蟹の甲羅も脱皮します。
この脱皮は、よみがえりであり、死と生の再生の象徴とされているからです。
蚕も脱皮するのです。
脱皮動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E7%9A%AE%E5%8B%95%E7%89%A9
ここから、デオキシリボ核酸とか、18SリボソームRNA遺伝子とかぐねぐねの遺伝子情報の図を調べたりしていました。
https://trakl.exblog.jp/iv/detail/?s=17395714&i=201204%2F07%2F03%2Ff0071303_850947.jpg
(元記事はこちら。http://www.kingchin.jp/1_J.html)
例の摩多羅神の絵でも同様。https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%91%A9%E5%A4%9A%E7%BE%85%E7%A5%9E#mode%3Ddetail%26index%3D9%26st%3D0
ふと思い出す「園城寺新羅善神堂の本尊、新羅明神座僧」。
https://ameblo.jp/taishi6764/image-12001464745-13296819306.html
三星堆の青銅像の頭部の口を開けた穴は、何かが折れたあとのようにも見えますが?
四天王寺は姫「呉・楚」、および摩多12音としてのオリジナル摩多羅神、および本当の聖徳太子+河勝、および「荒稜」が本来意味するもの、などが、要注意秦氏によって封印されている・・・?と、いまのところ、おそるおそる考えています。
ポイントは牛王尊(呉王尊)ですね。
それと、ヘンなところにばかり目が行きますが、明治天皇の立纓の点々の数も気になるのです(;'∀')3×7+1で22、私個人の懸念の22なものですから。
天皇の力はわかった。
もともと、神武とは知り合いだが、
なんらかの血の系統が
天皇だと理解した。
天皇陛下自体理解してない、
だから、ウマシマジの魂に
、いるのだろう。
天皇家の血ではなく、
その秘義。
門外不出と言われている。
斎宮。
蘇我。
なるほど、
藤原の一族が探すはずだ。
物部氏の系統の
婚姻関係ならわかる。
対立した概念で、
考えるから混乱する。
だが、探しても、
得られないだろう。
天皇家の力を、
神界が当てにした結果だろう。
知性の高い男ですら、
古代の秘義を当てにしている。
だから、あの女の力は、
私は、継続しないほうと
確信した。
私を誰だと思っている。
あの男の近所の息子である。
だから、…、私を選んだのだろう。
うおおおお、
ニギハヤヒきゅん🌟。
お前は、
まさか、自分が特別な人間だと自負しているのか?
導かれるのは多い、
だが、試練を受けるものは少ない。
イエスきゅん🌟の啓示は、
理解した。
覚えておきたまえ。
私を一体誰だと思っている。
なかなかいい着眼点だと思います。
もちろん適当な数ではありませんね。
22というのは富士 不二を意味すると思います。
また生命の樹の22の小径(パス)でもあり特別な数字です。
私はブレスレットの珠数を22にしています。
ラッキー数といわれる7+7+7の21より22は守備力が安定していると思っています。
あと立纓三本とか三本の鉾は呉音神降臨の神籬だと思います。
上から三角形を辿っていくと、一番下に点を一つ置くことによって反転し、逆三角形を上に辿っていくかたちになり、上下の巡り(陰陽の巡り)を感じると同時に、上下の1によって、全体が安定して見えます。
22が特別な数というのは、以前からこのブログコメントでも五月蠅(うるさ)く主張させていただいたので、恐縮ですが・・・
「統合(ククリ)の22」を象徴とする方が青海(巨大な内海だった)ほとりの青海高原に文明があった頃にお生まれになった。そのながれを、周~呉が受け継いだと考えています。(ちなみに拙ブログ「月のひかり。」後半にて22のメッセージのことを書いています)
現在の天皇家は、異系のルーツが混じりつつ、統合の願いを非常な困難のうちに保ってきた、と判断します。(次の代のとき、安定が訪れるのでは?)
立纓三本は呉音神降臨の神籬、それで三星堆は呉音神が創ったのであり、摩多羅神とも関わるわけですね。3096
縦にみると、左右の7と真ん中の8として、目に入ってきます。
左右の7は、鏡像としての北斗七星??
水を注ぐ柄杓と、水を掬う柄杓??
なんとなく天子少彦名を感じてしまいました?
幕末の孝明天皇の礼服
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E8%A1%A3%E8%A3%85%E3%81%AE%E5%8C%97%E6%96%97%E4%B8%83%E6%98%9F#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0
あくまで北斗七星であり、天の大帝としての北極星は特に描かれてないことに、私はこだわってしまっています。
中国の皇帝の思想とは別のものを感じるのですが・・・?
考え過ぎ・・・?
wikiの「袞衣(こんえ)」に孝明天皇礼服の画像があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%9E%E8%A1%A3