吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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熊本霊ライン夏至ラインの調査 神園山篇

2023-11-21 11:57:27 | 神霊界考察
熊本霊ラインとは御坊山を起点とした祭祀のためのラインであるが
加藤清正公が作り変える前には古代よりの夏至のラインだったものと考えている。
この熊本霊ラインについては以下を参照にしていただきたいが
このHPは現在FC2の手抜きにより残念なことに開くまでに数分かかるようになっている。
『熊本霊ライン目次と履歴』

このブログの過去記事『熊本霊ライン祭祀10年を経て No360』2013-10-20

まず御坊山から観る夏至の方位角であるが
以下HP『太陽の高度と方位角(JavaScriptによる簡易版)』を参考にして計算した。

この計算によると御坊山の夏至の方位角は62度となる。

以前のHP記事『熊本霊ライン数値関係』で以下のように記載している。
「マピオンから日本(東京)規格の緯度経度を求めると 

御坊山
130 38 40.973
32 46 22.253
万日山
130 40 55.545
32 47 24.658
花岡山
130 41 16.509
32 47 35.282
となるようです。

これを御坊山基点で霊ラインの方位を計算して見ると
60.8度が霊ラインの角度となる。

熊本霊ラインの中継地と判断する阿蘇の国造神社について
以前より国造神社は熊本霊ラインの線上と考えてはいるが
現実的には完全には線上には乗っていない。
131 7 35
32 59 10
となり御坊山からの角度は62.06度となる。
つまり霊ライン線上はこの神社のさらに山側となっており
ここから約900m北方向ということになる。
ここに何かがあるかもしれないと思っている。
機会があれば是非調査してみたい。」添付終わり
この文章作成時には理解できていなかったが
この国造神社の62度というのは御坊山から観た夏至の方位角と一致している。

角度については『球面三角法による方位計算』というソフトを利用させていただいた。

 熊本霊ラインと夏至ライン

青いラインが御坊山基点熊本霊ラインであり赤いラインが夏至の水平線上日の出方位角である。

ちなみに御坊山ではなく花岡山から夏至の日に見た太陽の写真を添付しておく。
この写真は2006年6月21日の夏至の日の早朝に花岡山から日の出方向を撮影したもの。
雲が多く一瞬しか太陽を拝めなかった。時刻は5:27になっている。
左下に熊本城の天守閣が確認できる。向こうの山は託麻三山で左端が神園山となる。
この写真の天守閣や櫓は熊本大地震前のものとなる。



参考までに熊本霊ラインについての過去に作成した地図を添付しておく
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei.jpg
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei02.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/0c/6057305d38eff1a795d7a52a8427200e.jpg
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei03.jpg

さて今回ある方の依頼で神園山と小山山と戸島山の託麻三山を調査してきた。
今まで夏至のラインについてはとりあえず筆者の祭祀の範囲外だと考えており
未調査のままであったが
この夏至のライン上に阿蘇国造神社があることもあり調査の必要性は感じていた。
御坊山には小島阿蘇神社があるが国造神社と同様にナマズを祀っている。
当然神園山にも同じ血統の一族の痕跡が残っていてもおかしくはない。


今回そういうわけで託麻三山を第一回目として調査してきた。

 赤いライン上中央の山が神園山



まず託麻三山には弘法大師空訪問の伝承がある。
空海が唐より帰国して京に入るまでの大宰府での空白の3年間の間に
中央構造線の西端の調査で熊本市に来たことは間違いないと考えるが
だとすると託麻三山は眺望するに絶好の山である。

 
 白くポツンと見える花岡山仏舎利塔方向への夏至ライン

空海伝承
  

この託麻三山で特質すべき神社としては
小山諏訪神社と戸島神社がある。
戸島神社は以前は熊野神社であったようだ。
小山諏訪神社は明らかに金峰山系の池辺寺方面≒妙観山 権現山
あるいは石神山を意識した参道方向(西向き)と社殿となっている。

  

参道からそれた左側に花岡山の仏舎利も見えているが
夏至ラインとこの参道の向きは関係なさそうである。
島原の普賢岳や七面山との関係も考慮すべきかもしれない。

 

※再度精細な調査の必要あり



小山諏訪神社には霜神社が勧請されているが
由緒書きによると祭神は北斗七星もしくは建緒霜凝留命となっている。
後述するように託麻三山には複数の妙見社が今も残っている。
これは水神として祀ったものと考えられるが
阿蘇の勧請元の霜宮神社は健磐龍命によって切り落とされた「鬼八」の首を
暖めるために行われる「火焚神事」が有名であり
祭神は主人公の鬼八 他 大御中主命 高皇産霊命
国狭槌命 (山の神) 岡象女命 (水の神) 軻遇突智命 (火の神)
旬旬逎馳命( 木の神) 金山彦命 (金山の神)
速秋津日売命(水戸の神)垣山姫命 (山の神) となっている。
また霜宮のご神体は7個の石だったことから北斗七星とも言われている。
今のところ祖母山にからむ健男霜凝日子≒建緒霜凝留命は
阿蘇の霜宮神社では祭祀の形跡がない。
ということは小山諏訪神社に祀られる建緒霜凝留命は
特殊な事情があって諏訪系の神社に祀られることになったか
単に霜からの連想で記載されたものと考えられる。

ただ『高千穂と祖母山』の記事で
「健男霜凝日子は謎の神であるが豊玉姫とも繋がるし
健軍神社祭神の健緒組命とも繋がると漠然と感じている」と記載してから半月程度で
再び建緒霜凝留命について調べることになった流れはとても不思議である。
ついでにこの小山諏訪神社で修理したばかりのデジカメが再び壊れてしまった。
前回はシャッターが押せなくなり今回は内部のCMOSの固定ネジが緩んだみたいである。
あまり起こらない故障状況である。
最初単に霜からの連想で記載されたものと安易に判断したのが問題だったかもしれない?
古代祭祀の夏至ラインがらみは関わるとやっかいなことが多いのも事実である。
じっくり腰を落ち着けて解明していきたい。

ちなみに戸島神社の向きは益城町の飯田山の日羅及び白山神社を意識していると思われる。

飯田山については過去ブログ『霝しずくの不思議 No461』
『補遺 『阿蘇の御神霊が未然に食い止めたのか?』 No480』を参考にしていただきたい。
参拝してこの戸島神社は地震除けあるいは阿蘇山大噴火除けの祈願社だと感じた。
以前より記事にしているが熊本大地震と阿蘇山大噴火についてはまだ火種が残っている。
以下は2016年熊本大地震が発生する前とその後の記事となる。
『熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264』
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』
『益城の災難 No437』
『阿蘇神社の御神霊が未然に食い止めたのか? No438』
『中国寧波の天台山国清寺に繋がる熊本の阿蘇火口ライン No500』

もし五つのピークを持つ託麻三山が阿蘇五岳の雛形としての役割を持つとすれば
地震除けあるいは阿蘇山大噴火除けの祈願をこの地で行うべきかもしれない。

話が飛ぶがこの託麻三山周辺には旧石器時代から縄文時代までの石の本遺跡群があり
3万8千年前の世界最古といわれる磨製石器も発掘されている。

【竹田恒泰 世界最古の磨製石器は日本製】 10分14秒参照

石の本遺跡群

不思議なことに三山のうち神園山には神社が無いのであるが
何故であろうか?
夏至のラインで結びつく国造神社には古墳があるが
ここ神園山にも古墳が存在しているような気がする。

三社の妙見社の位置については以下地図参照

「鶴亀の鶴は都怒我阿羅斯等もしくは姫氏あるいは
周の太子である王子喬=太子晋を象徴しているとして
鶴亀の亀の亀に乗る仙人は寧波市から渡来した妙見神だと思われる。」と
過去にブログで記載しているが
この三社の妙見社は阿蘇山大噴火除けの祈願を暗示しているように感じられた。


あと本日気づいたのでまだ未調査ではあるがgoogle地図で神園ドルメンの記載を見つけた。

私が最初に地図を確認した時には見つけられなかったが
調べてみると11月中旬の登録のようである。
ドルメンがあっても不思議でないが非常に興味深い話である。

コメント (27)
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