吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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神道大祓祝詞 一万遍詠唱記念

2023-11-02 22:27:13 | 神霊界考察
いつものように風呂につかりながら
パウチされた大祓祝詞を見ながら詠唱していたら
脳裏に一万遍と閃いた。
大祓祝詞はかれこれ35年以上詠唱しているが
電卓で週に6回程度の詠唱回数で計算してみると
一万遍というのもあながち外れてはいない気がする。
もっとも自宅での毎日の参拝時にいつも祝詞を上げている訳ではない。
一番多いのは風呂につかりながら大祓祝詞を複数回詠唱し
我が身を祓い清めている数が詠唱の過半数ということになる。

大祓祝詞は近年差別用語廃止の流れで
中抜き短縮版の詠唱が普通らしいが
経験上はっきり言って古の教えに習うのが好ましいと判断している。

ああ、幼少時のちびくろサンボやカルピスのマーク
隻眼隻手の丹下左膳や座頭市の失敗シーンが懐かしい。

西側先進国が変な路地に迷い込んでいるうちに
BRICSはイスラム圏と手を組んでしまい
エネルギー問題でも完全に日本は後手後手となっている。
どんなに高尚なモラルを説いても頓珍漢である。
★正義の金と戦争★って建前は崩れないのが笑えるではないか。
日本が世界の貯金箱にされているうちに
国民は先進国最低の賃金となってしまったのに
まだハゲタカの狙い撃ちに抵抗出来ないとは
情けない限りである。

吉田一氣の国防祈願はこれからも継続するが
日本国の大祓祈願もぼちぼち検討中である。
ただ大災害に間に合うかどうかも正直分からない。

さてそれはそうと大祓祝詞についての私見をいくらか伝えておきたい。
まず大祓祝詞での登場人物・御神霊・神については
以下のように記載がある。

①皇親(すめむつ)神漏岐命 神漏美命
 皇親=天皇の血統で皇祖のこと
②我皇御孫命= 天照大神の御孫(みま)=天津彦彦火瓊瓊杵命
③八百萬の神等≒天津神・国津神 
④荒振神達=高天原に帰属しない神々
⑤天之益人等=数が増して栄える人民
⑥祓戸四柱の大神

ここで大祓祝詞の主人公となるのは⑥祓戸四柱の大神となる。

佐久那太理(音がする急流)を司る瀬織津姫という神
水戸(みなと)=潮流の女神で塩と潮を司る速秋津姫という神
海原の風(航海に必要な風)を司るのが気吹戸主という神
根の国底の国を司る大地母神が速佐須良姫という神

この四柱の神の連係プレーによって罪穢れが祓われるのだが
大祓祝詞ではわざわざ神と念を押していることに注意が必要である。

取り敢えずのところ神は何かを司る存在と見なしても良い。
例えば水の女神に関していえば

峰の雨を司どるのが高龗神(たかおがみ),
谷の雨を司どるのが闇龗神(くらおがみ,「くら」は「谷」を意味している)
佐久那太理(音がする急流)を司るのが瀬織津姫神
雫=滴=霝の磐を穿つ音のする波紋を司るのが少彦名神
井戸の飲水を司るのが罔象女神(みつはのめのかみ)=水波能売神

ここで司るといっているが、天照大神を太陽を司る神とすぐに決めつけてはいけない。
古事記では大物主は海を照らしてやってきたとあるが、
海照も天照も太陽か月だろうと安易に判定すると
天照と海照の違いが特に無くなるので
その判断は早急だと思う。
※太陽や月は海でも天でも照らすという意味において

従って天照は天よりの恵みの事で海照は海よりの恵みの事と
考えれば良いのではないかと感じている。
ここで初めて天の恵みとは太陽の恵みで
海の恵みとは生命の恵みであると判断出来る訳である。

御神霊に祈るには事別けて祈る事が大切で
これが祈りの要となるが
つまり智慧が必要ということである。
作用の理解度が試されるのである。
子供の祈りが真摯であっても叶わないという原因はここにある。

例えば「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
という百人一首があるが、
この歌のイメージで祈るなら瀬織津姫神への祈願でピッタリあうと私は判断する。
そこには強い感応があるからである。
この歌での谷川は例えであり瀬織津姫神は水の女神であるから
恋愛の神様じゃないとだめじゃないかと杓子定規に考える必要は無い。
筆者は少彦名神信仰者でいろんなことを祈願しているが
遠回りであっても導かれているという実感が強い。

しかし天の恵みを祭る神社でここは封印された瀬織津姫がいるなどと
物知り顔に言い手前勝手に祈るのは疑問符がつく。
せめて命と尊と神は区別した方が良い。
つまり御神霊と神とは違うということである。

祓戸大神は覡や巫女によって祭祀されてきた永い歴史がある。
時に偉大な祭祀者が御神霊となられた後に
柱(神)と混同し勘違いされる事があるが
礼をわきまえる為にはそこを紐解く智慧が必要とされる。

商業的な利用で瀬織津姫を星神などという人もいるが
それならば天の川を司るのが瀬織津姫となる。
それは無音でありかなり無理筋であろう。

同様に天照男神≒天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
天照女神≒撞賢木厳之御魂天疎向津媛命として
向津媛命を瀬織津姫神として
天照男神が隠されたから瀬織津姫神も隠されたという説を
唱える方もいらっしゃるが
向津媛命が瀬織津姫神を祭祀した可能性は否定できないものの
一般には向津媛命は天照大神を祭祀していたと考えられ
天照大神の神格と瀬織津姫神の神格を同一視するのは
非常に問題がある。

ついでに六甲比命大善神との混同も理解できない。
ホツマツタエもかなり罪作りである。

ただ祓戸四柱の大神が縄文の神に繋がる可能性は十分にある。
確かに縄文の神は封印された歴史を持つ。
この場合であっても祓戸四柱の大神を分離することは
避けるべきである。
瀬織津姫という神と速秋津姫という神と
気吹戸主という神と速佐須良姫という神の
連携プレーを切り離して瀬織津姫のみを特別扱いすることが
神霊界において危険であるという認識を持っていただきたい。
この四柱の連係プレー抜きでは神道は成り立たないのであるから。




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大祓詞
高天原に神留坐(かむづまりま)す 皇親(すめむつ)神漏岐神漏美の命を以て 
八百萬の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議り(かむはかり)に議り賜ひて 
我皇御孫命(あがすめみまのみこと)は 豊葦原の水穂の国を 
安国と平けく知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し奉(まつ)りき
如此(かく)依(よさ)し奉りし国中(くぬち)に荒振神達をば 
神問しに問賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 
語問ひし磐根樹立草(きねたちくさ)の垣葉をも語止めて 天の磐座放ち 
天の八重雲を伊頭の千別(ちわき)に千別て 天降し依し奉りき
如此依し奉りし四方(よも)の国中(くになか)と 大倭日高見の国を安国と定奉りて 
下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知りて 
皇御孫命の美頭(瑞)の御舎(みあらか)仕へ奉て 
天の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠坐(かくりまし)て 
安国と平らけく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に成出でむ 
天之益人等(あめのますひとら)が 過ち犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪事は
天津罪と 畦放(あはなち) 溝埋 樋放 頻蒔(しきまき)
串刺 生剥 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ) 
許々太久(ここだく)の罪を天津罪と法別(のりわけ)て
国津罪と 生膚断(いきはだだち) 死膚断 白人 胡久美(こくみ)
己が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 
畜(けもの)犯せる罪 昆虫(ほうむし)の災 高津神の災 高津鳥の災 
畜仆(けものたふ)し 蟲物為罪(まじものせるつみ) 許々太久の罪出でむ
如此出ば 天津宮事以(もち)て 天津金木を本打切り末打断ちて 
千座の置座(おきくら)に置き足(たら)はして 
天津菅曾(あまつすがそ)を本苅断ち末苅切て 八針に取辟(とりさき)て
天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ 

如此宣ば
天津神は天之磐門を押開きて 
天之八重雲を伊頭の千別(ちわ)きに千別きて聞食(きこしめ)さむ 
国津神は高山の末(すえ)短山(ひきやま)の末に登坐(のぼりま)して 
高山の伊穂理(いほり)短山の伊穂理を撥別(かきわけ)て聞食さむ
如此聞食してば 皇御孫命(すめみまのみこと)の朝廷(みかど)を始めて
天下(あめのした)四方国(よものくに)には罪と云う罪は不在(あらじ)と 
科戸之風の天之八重雲を吹放つ事の如く 
朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧を朝風夕風の吹掃ふ事の如く 
大津辺(おおつべ)に居(お)る大船を
舳解放(へときはなち)艫解(ともとき)放ちて大海原に押放(おしはな)つ事の如く 
彼方(をちかた)の繁木が本を焼鎌の敏鎌(とがま)以て打掃事の如く 
遺(のこ)る罪は不在(あらじ)と 祓へ賜ひ清め賜ふ事を 
高山之末短山之末より 
佐久那太理に落瀧(おちたぎ)つ速川の瀬に坐す
瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 
如此持出往ば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す
速開都比咩と云神 持可可呑てむ 
如此可可呑てば 気吹戸に坐す
気吹戸主と云神 根国底国に気吹放てむ
如此気吹放てば 根国底国に坐す
速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在(あらじ)と 
祓ひ給へ清め給へと申す事の由(よし)を
天津神国津神八百万神等共に聞食せと恐み恐み申(もまを)す



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