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2001「地域の活力を生かした住まいづくり」基調講演=住み手と作り手の合意形成が基本

2017年07月10日 | studywork

2001「地域の活力を生かした住まいづくり」 宮代ロータリークラブ・建築士会杉戸支部公開シンポジウム

 2001年9月、埼玉県宮代ロータリークラブ・建築士会杉戸支部主催による公開シンポジウムが開催された。テーマは「地域の活力を生かした住まいづくり」で、パネルディスカッションに先立つ基調講演をおおせつかった。そもそも、かつての住まいづくりは地域に古くから住んでいる棟梁に任せることが一般で、棟梁の方も台風が来たといっては様子を見に来てくれ、改築改修などの小さな工事もきちんと手がけてくれるなど、親子代々のつきあいが続いた。ときには棟梁から古いしきたりを学び、逆に、棟梁に新しいデザインを指南するなど、住み手・作り手のものづくり意識は高かったように思える。それが、近年はずいぶんとさまがわりした。棟梁の古い考えがいやだ、お茶出しが面倒、どんな住まいになるか分からない、・・・、ということで、次第にハウスメーカーに頼んで家づくりをするようになってきた。このまま進むと地域に伝承されてきた棟梁とその技術はどうなるか、この辺がシンポジウムの発端のようである。

 開催趣旨の概要を転載する。「生活習慣の変化、消費構造の変化など、社会構造の変化が急速に進んでいます。それにともない、地域の時代といわれながらも、地域で代々営んできた商店や個人事業者、職人に元気がありません。地域社会の構築には、これらの人々の情熱あふれるエネルギーが欠かせません。いろいろな立場から、住む人も働く人も、技術者も手を合わせ、力を合わせることで本当の地域社会が実現されていきます。そこで今回は、建築の職人さんに焦点をあわせ、地域での仕事や活躍の場を話題に地域の活力を取り戻すにはどうすべきかについて話しあいたいと考えております。」  シンポジウムは、宮代ロータリークラブ・職業奉仕委員会委員長の開会の辞で始まり、宮代ロータリークラブ会長の点鐘、主催者挨拶、宮代町長と埼玉建築士会長の祝辞、点鐘と続き、2時から基調講演、3時からパネルデスカッション、閉会は4時半過ぎになった。 

 あらかじめ趣旨の概略を聞いていたものの、改めて「地域の活力を生かしたすまいづくり」の題を考えるうちに、住まいづくりに地域の活力を生かすとは一体どんな場面になるのだろうか、次第に悩み始めてしまった。個人的に考えをめぐらすのであれば、さまざまな状況、さまざまな道筋を想定していろいろに考えることができるが、基調講演では限られた時間で、聴衆の方々を確実な着陸点におろさなければならない。どこを飛び立ち、どこを通って、どこに着陸するか、考えれば考えるほど難しい題である。「地域の活力を生かした住まいづくり」とは「地域の活力」を生かした「住まいづくり」であり、つまり「地域」の「活力」を「住まいづくり」にどう生かすかが議論の焦点である。・・・・・悩みに悩んだ結果、「地域」「活力」「住まいづくり」について私の見解を述べ、パネルデスカッションのなかで「地域の活力を生かした住まいづくり」について答えを探すことにしようと考えた。司会担当の旧知のT氏に連絡したところそれでよいとのことで、次のような基調講演となった。

 地域とは、毎日の生活を積み重ねている舞台のことである。舞台は背景があり、道具立てがあって構成され、主役が登場して演技がなされる。背景とは、宮代に置き換えれば、遠くの秩父の山並みとそこを源とする荒川流域、あるいは、はるか赤城の山並みに発する利根川流域である。舞台は、これら流域の上に設定され、先人は土地の成り立ちを生かして、低い土地を稲作地に、高い土地を居住地にしてきた。屋敷は、北西から吹きつける季節風をよけるため屋敷林を構え、日当たりにいい南に鑑賞の花木を植え、農作業の場にした。宮代の住まいの形は、背景と舞台の構成から生まれた形であり、いわば地域の文化の表現である。

 稲作を生業とする先人は、住む続けていくための仕組みとして、助け合いを基本とする五人組や雷電講や念仏講を組織した。その片鱗はいまも新築や出産、病気や葬儀のさいの助け合いとして続く。地域とは、環境の成り立ち、住みあう仲間、住まいの形が不即不離に結びつき、文化をなしている土地の状態のことなのである。

  活力とは、生命力を生み出すエネルギーのことであり、中国では気と表す。元気の気であり、気を失うと病気になる。気は陰と陽の相反する気質が互いに引き合い、かつ反発しあい発生すると考えられている。磁石のプラスとマイナスをイメージすると分かりやすい。同じプラスかマイナスを近づけると引き合い、異なったプラスとマイナスは反発する。適度に近づけると、運動を起こす。つまり活力が発生する。もし、どちらかの力が大きすぎれば運動の中心は偏心し、一方が吸収されるか、飛び散らされてしまう。

 地域の暮らしのなかに置き換えれば、古くから蓄積されてきた伝統の様式と未来を予感させる新しいスタイルになろう。伝統の技と新しい技術、古くからのしきたりと自由なライフスタイル、あるいは表、公、ハレと裏、プライバシー、ケの対比に置き換えることもできる。この二つの性質は、互いに相反しながらも、両者が組み合わさることでバランスのとれた躍動が発生する。古いものだけでは統一のとれた重みがあるが、息苦しく、発展が生まれにくい。いつも新しいものがあふれていると、斬新で変化に富むが、焦点が定まらず落ち着きが生まれにくい。
 伝統は長い歴史の成果であり、その過程で取捨選択、切磋琢磨が行われてきており、その意義を引き継ぐべきであろう。そのうえで、創造的な新しい挑戦を積極的に取り入れていく姿勢をもつことが、活力につながっていく。単調になりがちな毎日の暮らしに活力を与える仕組みとして先人が考えたハレの日である人生儀礼や年中行事もその一例にあげることができる。

 住まいとは家族が安息するところであり、家族が暮らしを通して共に成長しあうところである。であるから、住まいづくりとは安息の場、成長の場づくりのことである。安息とはもちろん家族が安らげることであるが、ただ癒されるだけではなく、明日に向かう意欲が蓄積されねばならないし、成長するとは子どもが大きくなることだけではなく、家族が日々、知的にも心的にも成長していくことである。お年寄りのふるまいが自然を尊び社会を敬う心を育て、子どもたちの自由闊達な発想と行動が大人の考えを刺激し、ときには忘れていた素朴な心を取り戻してくれることも少なくない。
 ところで、当然ながら家族は成長とともに変化し、社会も発展変化していく。一方の住まいは一度建てたらなかなか変えることができない。では、ジーと耐え続けるか? それではかえってストレスが生まれ本来の安息も成長も得られない。かといって、生活や社会の変化にあわせ建て替えたり、住み替えていくか? これでは家計が成り立たない。正攻法は、変化を予測した住まい、変化にあわせて変えられる住まいを建てることである。
 家族の生活のスタイルや安息・成長・変化までも見通すには、プロの目が必要である。同時に、住み手と作り手が住まいについてよく話し合い、合意をつくることが欠かせない。地域の環境や伝承されてきている文化、社会の発展や技術の進歩、家族の成長と家族観の変化などをよく理解し、十分受け止められる住まいづくりを目指さなければならない。住まいはカタログから選ぶような商品ではないし、家を求める人は決して消費者ではない。
 以上が基調講演の骨子である。

 引き続き、T氏の司会によるパネルデスカッションに移り、最後に、私がまとめを兼ねて次のアドバイスをし、閉会になった。
①生活が変化し、技術も進歩する。住まいは家族や時代とともに成長を続けるようつくられなければならない。
②作り手はいい仕事を心がける、住み手が自慢できる住まいをつくる。伝統技術や頑固だけでは駄目、常に向上心が欠かせない。
③ 棟梁や設計者、工務店は定期的に住まい診断(健康診断)を行い、適切な維持管理(健康管理)を指導し、必要に応じリフォーム(治療・治癒)をすすめる。
④棟梁や設計者、工務店は気軽に相談できる窓口を用意するとともに、専門家同士で連携して技術交換を行い、住まいづくり、まちづくりのレベルを高める。
⑤まちは住まいの集合である、心地よいまちは町並みを意識した質の高い住まいによってつくられる。町並みをリードする住まいづくりを目指す。
⑥住まいは安全で健康でなければならない、それは地域との共生、地球環境との共生の上に成り立つ。住み手とともに地域・地球を視野に入れた住まいづくりを目指す。

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