yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2015 2度目のグエル公園へ、ガウディはオロット火山の石を用い、ヤシの生長をイメージして擁壁を築く

2017年07月21日 | 旅行

スペインを行く51 2015年ツアー13日目+1994年ツアー2日目 グエル公園
 2015年11月1日・日曜、・・略・・ グラシア通りPasseig de graciaでガウディのカサ・バトリョが見えた(写真)。少し先には伊東豊雄がデザインした商業ビル、向こうの角にはガウディのカサ・ミラが建っている。・・略・・ 今日の午後と明日の午前の自由時間にじっくり見ることができそうである。
 ディアゴナル通りAvinguda Diagonalを抜け、北に向かって上る。カサ・ミラあたりから1.2kmほどの傾斜地にグエル公園Parc Guellがある(図、上・中ほどがグエル公園)。
 グエル公園も1994年ツアーの2日目に見学した。・・略・・ 全世界から押し寄せる観光客への対処から観光客は予約制で時間厳守になったそうだ・・地元市民はパスで入園できるらしい・・。一定の質を確保するためには有料化+予約制は避けられないと思う。
 エウゼビ・グエル(1846-1918、グエルはカスティーリャ語でカタルーニャ語ではエウゼビ・グエイ、海外ではグエルが知られる)は地元の実業家、資産家で、政治家でもあり、文化活動にも力を入れた。20代後半のアントニオ・ガウディ(1852-1926、カスティーリャ語でカタルーニャ語ではアントニ・ガウディ)の才能を認めて親交を結ぶとともに、生涯の後援者となり、グエル公園、コロニア・グエル教会、グエル別邸、グエル邸などのデザインを依頼した。グエルの功績に対し、当時のスペイン国王アルフォンソ13世(1186-1941)はグエル伯の称号を授けたほど、グエルの活躍はめざましかったようだ。

 アントニ・ガウディAntoni Gaudi(カタルーニャ語、カスティーリャ語ではアントニオ・ガウディ、1852-1926)を復習する。ガウディはカタルーニャの銀細工職人の家に生まれた。親のつくった銀細工品を見ていて空間力が芽生えたという説があり、小さいころリウマチにかかり自由に動けなかったことで観察力が養われたという説もある。20代に入ってバルセロナで建築を学び、並行して建築事務所でも働いたそうだ。ここで実践の技術を取得したのかも知れない。
 1878年に建築士の資格を取り、パリ万国博覧会に出展する手袋店のためショーケースをデザインした。これが、エウセビオ・グエル=エウゼビ・グエイの目に止まり、以後、グエルはガウディを生涯支援し、グエル邸やグエル公園となった住宅地開発などの設計を依頼した。昔読んだ本の記憶では、ガウディは必ずしも敬虔なカトリック教徒ではなかったが、サグラダ・ファミリアの設計を受けたあと、教会に頻繁に通い、司祭の話に耳を傾け、繰り返し聖書に目を通し、それがサグラダ・ファミリアの設計に結集されたそうだ。

 グエル公園でもガウディの自然に即したデザインが表れているが、ガウディは「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と考えていて、自然環境をよく観察するとともに、模型によって力学的な安定を確かめていた。形のユニークさも自然の観察と力学的な安定に裏打ちされているので、リズミカルであり、バランスがとれていて、親しみを覚える。 
 ・・略・・
 話を戻して、19世紀の産業革命以後、バルセロナは産業が振興し、市街が拡大した。新市街は碁盤目状の都市計画が実施され、ブルジョアが台頭して邸宅を建て始めた。
 グエルは裕福層のための新興住宅地の計画をガウディに依頼する。それがグエル公園の位置する斜面地で、碁盤目状の都市計画のさらに北になる。
 ガウディとグエルは自然と芸術に囲まれて暮らせる画期的な住宅地を目ざし、1900年から建造が始まった。15万㎡の敷地に、60戸の分譲住宅と共同施設が予定されていた。しかし、その当時のバルセロナでは工業化を目指していて、自然と芸術に囲まれて暮らすという価値観が理解されなかった。複雑な分譲条件や旧市街、新市街からの交通の不便なども重なった。3棟が?完成した(2015年のメモ、1994年メモでは2棟完成し、グエルとガウディが買い取った)が、ほかに買い手が見つからず、1914年に工事は中断する。グエル没後、遺産は市に寄付され(または市が買い上げ)、未完の住宅地は公園として整備され、1922年に一般公開された。バルセロナ市民のみならず世界中から大勢が訪れる名所となり、1984年に世界遺産に登録された。

 バルセロナ市街は南東側が海、北西側が丘陵地で、グエル公園は丘陵地の中腹といった立地で、南東側の市街に向かって傾斜している(前々頁地図参照)。私たちは北側のゲートから入場した(写真1994)。2015年ツアーの印象では道路が拡幅され、駐車場も拡張して広々としていた。
 もともと丘陵地が樹木で覆われていたのであろうが、ガウディは植生にあった植樹を励行したらしい。グエルも賛成しただろうし、没後、寄贈された市が緑地整備を進めたであろうから、緑豊かな公園になっている(次頁上写真、北側から南斜面を見下ろす)。分譲住宅地として完成していれば、住んでいる人々は豊かな自然を満喫できたはずだ。
 ゲートから西に進むと、さっそく奇妙な風景に出くわす(中写真1994)。だいぶ前に読んだガウディの設計手法に、ガウディは自然の地形に従い、構築物には地の素材を用いることを原則にした、と書いてあった。
 写真は土留めを兼ねた通路で、上部は住宅地に住む人の駐車場予定地らしく、斜面を切り土して下には通路を設けている(下写真)。切り土した場合、石垣を積むのが一般であろう。ガウディも切り土で出た石を用いながら、擁壁も石柱も野積みとした。

 バルセロナの北西のジロナ県にかつて噴火したオロット火山Olotがあり、堅い火山岩が手に入るそうだ。あるいはバルセロナにも吹き飛んできたのかも知れない。擁壁や石柱の石はオロット火山の石で、情熱のたぎるような荒さを表している。
 傾斜地に重力が加われば、重力は外側へ押し出す斜めの力となる。斜めの力を支えるには、斜めの柱が適している。ガウディは構想を実現させるため、模型を作って検証したそうだ。だから外側の柱は斜めに傾いている。理にかなった構造である。
 加えて、中写真の柱の上部がロートを逆さまにした形になっている。これはヤシの成長のイメージといわれるが、人工構築物を自然環境に馴染ませるためのアイデアともいえる。ガウディの発想はとどまることを知らないようだ。続く

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