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2000.8 中国西北シルクロード8 莫高窟=千仏洞/反弾琵琶を思い出し、謎の17窟へ

2020年09月29日 | 旅行

世界の旅・中国を行く>  2000.8 中国西北少数民族を訪ねる=シルクロードを行く 8 /莫高窟 61窟・57窟・45窟・329窟・16-17窟

61窟 五台山図
 入場口近くまで戻り、61窟に入る。四角い石窟で天井は船底のように四方に下がる伏斗形で、千仏、蓮、龍の図で埋め尽くされている(写真、web転載)。
 見どころは西奥の壁に描かれた横幅およそ13m、高さは4mを超える山西省五台山の大壁画である。五台山は文殊菩薩の聖地とされるため、文殊堂とも呼ばれる。絵には五台山の聖跡や故事、巡礼者が具象的に描かれている(写真、web転載)。
 吐蕃の支配から漢族の武将が河西を奪回した五代時代(907~)、節度使となった曹氏の子が壁画を完成させたらしい。本土の五台山文殊菩薩への熱い思いがあったのではないだろうか。
 ほかに釈迦の生涯や法華経変相、弥勒変相などの変相図、曹氏らが供養する図が描かれている。

57特別窟 菩薩画
 61窟の北、入場口の向かいあたりの57窟も別途有料だが、当時180元≒2400円/人と158窟の3倍だった。貴重な遺産の修復、維持、保存、管理のために使用されるのであろうが、懐が心配になる。
 方形の小さな石窟で、天井は四方に下がる伏斗形である。天井と、壁の余白は千仏で埋め尽くされている。
 正面西の壁龕の中央に釈迦の座像、釈迦の左右に迦葉カショウと阿難アナンの立像、菩薩像が安置されているが、塑像は後世の修復だそうだ。

 高額別途料金の見どころは、南壁の樹下説法図である(写真、web転載)。初唐(618~)の作で、晩唐(848~)に手が加えられたらしい。中央の沙羅双樹の下で説法する釈迦如来は顔、身体が変色して黒ずんでいる。釈迦ではなく阿弥陀如来とする説もある。顔かたちが判然としないから変色だと思うが、インド人釈迦=シッダールタのイメージかも知れない。
 釈迦如来?阿弥陀如来?の左に迦葉、右に阿難、迦葉の前に観音菩薩、阿難の前に勢至菩薩、まわりに弟子?菩薩?が描かれている。肌色が多いが、右の勢至菩薩と周りの何人かは褐色である。そのどれも目鼻立ち、顔つきはくっきりしている。顔料の影響で黒ずんだのであろうか、それともインド人、西域の民族のイメージであろうか。

 釈迦、迦葉の左の観音菩薩は、ふっくらとした体つき、顔は色白でわずかに紅がさし、伏し目で口元が微笑えんでいて、貴婦人のように見える(写真、web転載)。
 莫高窟最高の美しい菩薩といわれ、絵はがきなどに採用されているそうだ。
 菩薩たちが身につけている金色の装飾具も色は鮮やかで、細やかに表現されている。金粉を漆で固め、盛り上げて描く技法で、唐時代の特徴だそうだ。
 西の壁龕の右上には釈迦の母・摩耶夫人が夢に見た白象に乗った釈迦の故事、左上にはシッダールタが白馬に乗って出家する故事が描かれている。摩耶夫人、釈迦=シッダールタの故事は教科書でも習った記憶がある。

45特別窟 7尊像
 入場口から100mほど北の45窟も特別窟で別途有料である・・料金のメモを忘れた、60元≒800円/人かな?・・。
 57窟に似た小さな方形である。伏斗形天井は千仏で埋められ、中央の天蓋は蓮と龍が描かれている。
 この窟の見どころは、西の壁龕の深い凹みに安置された、中央の釈迦座像、釈迦の左右の迦葉、阿難の立像、その左右の観音菩薩立像、その左右の金剛天王立像の7尊像である(写真、web転載)。
 盛唐時代(712~)の作で、色彩も顔かたちも明瞭で、表情が豊かである。それぞれの像は動きが異なり、躍動感を感じる。とりわけ菩薩像は身体を少しくねらせていて、ヒンドゥーの神々の体つきを連想させる。
 南壁、北壁には仏教への帰依を表す故事をテーマにした仏画が描かれている。色落ちしているところもあるが、人々の表情、動きも明瞭で、そのころの河西回廊あたりの暮らしぶりがうかがえる。

329窟 飛天画&反弾琵琶
 45窟から北に280mほど先の329窟も小さな方形で、初唐(618~)の石窟だそうだ。
 目を引いたのが真上の伏斗形天井である。蓋状の中央は蓮の周りを4人の飛天が優雅に飛び、蓋状の四方にもそれぞれ3人、あわせて12人の飛天が飛んでいる(写真、web転載)。全体の色調は青で、縁取り、飛天の衣装、揺らめいている布には鮮やかな黄、赤、白、緑などが用いられている。豊かな色彩感覚がうかがえるが、よく見ると飛天の顔かたちは褐色である。
 天蓋の下り勾配は千仏で埋められている。
 西の壁龕には釈迦、弟子、菩薩の7尊の塑像が安置されているが、後世の作だそうだ。

 南壁には阿弥陀浄土教変、北壁には弥勒浄土教変が描かれている。鮮やかな色彩で、中央で説法する仏?、その教えを聞く弟子たちが描かれている。この図にも肌色と褐色の人物が入り交じって描かれている。図は建物や街の様子も描き込まれているので、当時の暮らしをうかがうことができる。

 西壁南側上部には釈迦=シッダールタが馬で出家する故事、北側上部には象に乗った摩耶夫人の故事(写真、web転載)が描かれている。教科書的には白馬、白象であるが、壁画の馬、象はもちろん釈迦、摩耶夫人、飛天たちは褐色である。
 変色、退色しやすい顔料が使われたのではないかとの説もあるが、これほど褐色が多いのは、河西では西域との交易、交流が盛んで街中に多様な民族が混在していたから、肌色や褐色は日常の光景だったのではないだろうか。

 壁画に描かれている飛天は優雅に空を舞いながら、楽器を奏で、踊り、歌い、多芸である。
 唐時代、「反弾」と呼ばれた右足を高く上げ、身体を反らして背にした琵琶を奏でる演奏法が流行したらしく、「反弾琵琶」の壁画が敦煌のシンボルといわれた。とりわけ112窟の反弾琵琶が有名で、当時の入場チケットに印刷されていた。大きく身体を反らせたふくよかな女性が、左手で背にした琵琶を持ち、右手で奏でている。まさに壮絶技法である。112窟は見学していないので、帰りに売店で112窟の反弾琵琶の拓本を購入し、以来、部屋に飾ってときおり莫高窟を思い出している(写真)。

16・17窟 井上靖著「敦煌」の舞台
 329窟から北に200m、入場口からおよそ550mに3層楼の16窟がある(写真、web転載)。
 ここに住み着いていた王円録道士が、阿片に火を点けたところ煙が壁のすき間に吸い込まれるのに気づいた。壁を崩すと石窟が現れ、大量の巻物が見つかった。1900年のことである。
 清朝末期で政治も社会も混乱していたころであり、欧米列強が中国に進出していた。世紀の発見を聞きつけ、1905年ロシア、1907年イギリス人スタイン、1908年フランス人ペリオ、1911年日本の大谷隊、1914年に再びロシア、スタインなどが次々と経典、経文などを安価な対価で持ち出した(写真は16窟、web転載、右手前が17窟で、経典などが17窟前に積まれている)。

 井上靖著「敦煌」(book519参照)では、西夏王・李元昊が1036年に沙州=敦煌を攻め落とす直前、主人公の漢人・趙行徳が沙州城内の経典・経文などを莫高窟=千仏洞に隠す展開である。
 16窟は西夏の様式であり西夏も仏教を信仰していたから、17窟は西夏支配後に掘られたという説もある。
 経典、経文類は漢語のほかに西夏語、チベット語など当時の西域の言葉が用いられていて歴史的な価値はあるが、必ずしも貴重な文献、資料ではないとする説もある。
 いろいろ説があるにしても、西夏国が西域を勢力下に置いた1000年ごろの経典・経文・文献・資料であることは事実であり、1900年ごろまで砂の奥に隠され続けてきたのも事実である。そうした事実から、壮大な歴史ロマンを物語化した井上靖氏の構想力は卓越している、と思う。
 16窟は晩唐(848~)に掘削された伏斗形天井であるが、西奥の須弥壇に置かれた塑像は清代作らしい。壁画のうち神将・力士らは晩唐期だが、ほかの絵は西夏時代に描き直されたそうだ。

 前述したが、61窟には吐蕃の支配から河西を奪回した漢族武将・曹氏の子が五台山図を描かせている。その曹氏が河西奪回を都に報告するとき、当時の高僧洪辯和尚の助力を得て都に上り、その結果、曹氏は節度使を任命された。喜んだ曹氏は、862年、洪辯和尚の御影堂として17窟を掘り、洪辯座像が置いたことが後世の研究で分かってきた。
 17窟が発見されたころ、17窟の奥の壁画にはあいだを開けて2本の菩提樹と2人の侍者が描かれていた。あいだが開いているので未完成と思われたが、365窟の洪辯像を壁画の前に置くと、壁画と洪辯像がぴったりと調和した(写真、web転載)。
 壁画と洪辯像で物語が完結する手法だったのである。
 壁画の二人の顔かたちは明瞭で、色合いも鮮やかである。顔立ちや髪の形などから、唐時代の風潮がうかがえる。

 11:00過ぎに見学が終わった。5世紀から15世紀にわたる1000年間もつくられ続けた仏教遺跡、仏教芸術、17窟の世紀の大発見を実体験でき、感動の連続だった。息をつかせぬという言葉があるが、16窟・17窟から外に出たときは思わず深呼吸したほどである。
 駐車場を出てから振り返ると、莫高窟=千仏洞は鳴沙山に埋もれていた(写真)。手前には乾ききった砂の大泉河である。砂しかないここに1000年に渡り石窟を掘り続けた執念に信仰の力を感じる。 (2020.9) 

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