よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

八女福島ぼんぼりまつり(福岡県八女市)

2022-02-22 10:31:42 | ウォーキング

2/20(日)福岡県八女市福島で行われている「八女ぼんぼりまつり」に行ってきました。

ぼんぼり祭りには、約10年前、JR九州ウォーキングで一度だけ歩いたことがありますが、今回自主トレを兼ね、家内と歩いてきました。

八女市中心部の福島町は、古くからの町です。天正15年(1587)豊臣秀吉による九州平定後の「九州国割り」により筑後国に五大名が配置され、上妻郡(現在の八女)は、筑紫広門が領主と

なり、福島に平城の居城を築きました。これが「福島城」の始まりです。

慶長5年(1600)関ケ原の功により田中吉政が筑後一国の領主に封じられ、三男康政の居城として新しく本丸・二の丸を築き、城内に内堀、中堀、外堀の三重の堀を巡らし、堀を深く築地を

高く、矢倉(櫓)を建て防備を堅固にして福島城を拡張構築しました。田中吉政は、転封の過程で居城とした近江国八幡(滋賀県近江八幡市)、三河国岡崎(愛知県岡崎市)、筑後国柳川など

各地の都市設計を行い、今日に残る町並みを数多く残しています。福島にもそのノウハウが生かされ、街道沿いに寺院、神社を移動させて寺町を作ったことや花宗川の開削など産業発展の為の

基礎作りを行い、材木などの産業の要所。、起点をつくったとされています。

元和6年(1620)断絶した田中氏に代わって翌7年、領主に封じられた有馬豊氏が入国しましたが、江戸幕府が慶長20年(1615)制定した一国一城令に従って筑後領内にある福島城は、

破却され、福島町は在方町として再出発し、繫栄しています。(説明文より)

 

まずは、八女伝統工芸館へ。伝統工芸館の前には、日本一の石灯篭があります。高さ10,5m、重量108,8トン。中の空洞にはしゃがまなくても通り抜けできます。

  

この伝統工芸館があるところは、廃止になった「矢部線」筑後福島駅のあった所です。

矢部線は、昭和20年(1945)羽犬塚駅から黒木駅間(19,7km)で開業しましたが、昭和60年(1985)廃止されました。

  

  

八女伝統工芸館では、八女福島仏壇、八女提灯、八女石灯篭、八女手すき和紙、八女矢、八女和コマなどの伝統工芸を紹介しています。

日本一の大型金仏壇は、高さ6,5m、幅3,8m、奥行き2,5m、重量2t。

 

八女のひな人形の特徴は、「箱雛」です。箱雛は、江戸時代後期から昭和の半ばまで八女福島の仏壇店や大工の副業として、注文に応じてつくられたものです。

杉や檜を利用して作った2つの箱に、男雛と女雛を1体ずつ収納したもので、衣装には仏具の布、冠などの金具には提灯の部品を利用するなど八女の文化がこの雛人形に集結しているともいえます。

 

 

 

「ごんたさん」とは、市松人形です。筑後地方では、「ごんたさん」と呼んでいます。雛飾りの出迎え人形として雛飾りの所に立っています。

 

堺屋(旧木下家住宅) 「堺屋」の屋号で酒造業を営んでいた旧木下家住宅。明治41年の建築の豪邸で見事な離れや庭園などが見学できます。(当時八女市内には、17軒の酒造業があったとか)

 

妻側は、富士、鷹、茄子の縁起物が描かれています。

 

家の中に入ってみます。

 

 

床柱は、黒渋柿の木を長年川に浸し柔らかい部分を腐らせ残った堅い芯の部分を使用しています。

お座敷にも、富士、鷹、茄子の縁起物が描かれています。明治時代には、乃木将軍も泊まられたそうです。

   

庭園には、「水琴窟」があり、静かな佇まいにこの水琴窟の音が癒してくれます。

  

堺屋を出て町を歩きます。何か懐かしいブリキ看板が目につきます。水原弘さん、由美かおるさん、大村崑さん、浪花千恵子さん、松山蓉子さん(琴姫七変化)・・・・

  

  

 

 

福島八幡宮は、江戸時代の寛文元年(1661)に福島城のやぐら高台に建立されました。以来今日に至るまで、人々は旧福島城内住民の氏神様として、地域と家庭の永遠の安寧と繁栄を

お祈りされております。 祭神は応神天皇神功皇后武内宿禰の三柱をお祀りしており、江戸時代には特に、主祭神である応神天皇を勝運の神として崇め、武士層からも厚い信仰を集めていたと

言い伝えがあります。 (神社HPより)

本殿は、工事中で仮本殿にてお詣りします。手水舎、本殿などに飾られているお花は、生花です。

  

 

福島八幡宮というと、秋に行われる「八女福島燈籠人形」があります。

福島八幡宮の放生会に、人形の燈籠を奉納したのが「燈籠人形」の始まりです。
明和9年(1772)には、浄瑠璃作者福松藤助(松延甚左衛門)が大坂より帰郷。人形を動かす工夫や当番町制の上演に力を貸して以後、動く人形が登場しました。それが、主役となり現在の

「からくり人形」の基礎ができます。
天保15年(1844)に久留米藩の大倹令(倹約規制)により上演が禁止されていましたが、明治4年(1871)燈籠人形の奉納が復活します。以後、第二次世界大戦による燈籠人形奉納の中止期間を

経て、昭和52年(1977)には「八女福島の燈籠人形」として国の重要無形民俗文化財に指定されます。(八女観光より)

 

  

八女市横町町屋交流館」は、江戸時代に建てられた造り酒屋をそのまま生かして整備された人と文化の交流拠点。当時の風情が未だ健在の館内には月替わりのギャラリーをはじめ、

八女にゆかりのある現代作家の資料室や、日本を代表する窯元・酒井田柿右衛門の作品展示室、地域の交流が行われる「町並み談話室」など、八女市の今と昔が同居する見所満載のスポットです!

 

部屋いっぱいに広がったおひな様には圧倒されます。

 

  

     

二階に上がってみると、昭和時代の福島の写真がありました。

 

横町町家交流館から市役所の方に歩きます。八女市役所の庁舎は現在工事中で令和7年(2025)2月末竣工予定です。

 

おりなす八女の向かい側が八女公園。八女公園には、九州を旅した山頭火の句碑があります。「うしろ姿のしぐれていくか

八女公園の所が「福島城」があった所です。

 

駐車場へ戻る途中にあった「旧寺崎邸」

 

久しぶりに八女を訪れました。白壁通りを歩くと何か心が落ち着きますね。また行ってみたいですね。

この後、耳納トンネルを通って「白壁の町吉井」に向かいます。この分は次回のブログにて。

 

 


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2 コメント

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Unknown (kumasan)
2022-02-22 16:48:16
八女・福島の町中を詳しく見せていただき
有難うございます。昨日も中学校時代の友達と近況交換の電話をしましたが、もう88歳になるので、元気な人はとても少なくなりました。
コロナが落ち着けば、八女の親戚巡りと長崎中華街を予定しています。
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kumasan (よっくん)
2022-02-22 18:25:42
コメント有難うございます。
久しぶりに(10年ぐらい前に行きました)八女福島に行ってきました。
八女も若い人が移住してきて町家を舞台にいろいろ町おこしされているそうです。
市庁舎も新しく工事中ですのであと数年もすれば福島も変わるのではないかと思っています。ホント、福島の町歩きは落ち着けますね。今度ウォーキング協会にこのコースを提案しようかと思っています。
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