よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

サタデーウォーク「三瀦町・クリークの郷を歩く」(福岡県久留米市~三瀦郡大木町)

2022-09-13 13:13:54 | ふくおかウォーキング協会

9/10(土)のふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「三瀦町・クリークの郷を歩く」でした。

集合場所は、西鉄大善寺駅、参加者29名。

久留米で間違えやすい地名が、善道寺町と大善寺町。善道寺町には、浄土宗大本山「善導寺」があり、JR久大線の駅名も善導寺です。

大善寺は、西鉄天神大牟田線の駅で特急も停車します。ですが、大善寺というお寺が見つかりません。調べてみると、大善寺の玉垂宮は、長い間寺院と神社が一体的に祀られた典型的な

神仏習合の神社でしたが、明治2年(1869年)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、大善寺は廃止され、玉垂宮のみ残り、現在に至っています。

大善寺というのは、玉垂宮のことだったのですね。

大善寺駅前には、鬼夜(おにや)で松明を掲げる人のモニュメントがあります。

鬼夜とは、毎年1月7日の夜に大善寺玉垂宮で行われる追儺の祭事で、大6本が松明6本が境内を巡る火祭りである。1994年重要無形民俗文化財に指定。日本三大火祭りとされることも。

勅命を受けた玉垂命(藤大臣)が肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を368年仁徳天皇56年)1月7日の夜、松明をかざして討ち取りその首を焼き払った故事が祭りの起源とされる。

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今日歩く「三瀦(みずま)町」は、現在久留米市に合併していますが、合併する前は、三瀦郡三瀦町でした。旧三瀦郡(特に三瀦郡大木町)は、かつてから日本屈指のクリーク地帯で、

町の総面積の約14%を掘(クリーク)が占めています。町全域に縦横無尽に張り巡らされており、その歴史は荘園時代にまで遡るほどです。堀は用水のためだけではなく、

かつて湿地だったこの地に、生活や農業用地を確保するために土を掘り上げて作られた、先人による農耕文化です。

このコース本来は、今年2月のコースでしたが、コロナで中止の為、9月のサタデーウォークに組み入れられました。下見も昨年12月3日に終わっていたのですが、忘れていたところが

ありましたので、今年7月20日に個人でもう一回下見をしました。(写真は、下見に行った時の写真も掲載しています)

  

9:30ウォーキング開始。コースは、大善寺駅スタート~水沼の里~玉満玉垂宮~クリーク親水公園~高良玉垂宮~石丸山クリーク公園~西鉄大溝駅ゴールの約10km。

 

コンビニから田園地帯に入ります。

 

県道84号線。ここは、道路幅が狭く、おまけに歩道がありませんので一列歩行します。

 

西鉄の踏切手前から左折します。

  

三瀦体育館の手前を左折します。しばらく行くと、「水沼の里2000年記念の森公園」があります。ここで休憩。

 

「水沼の里2000年記念の森公園」は、もともと某大学の建設用地でしたが、大学は建設されず、町(当時の三瀦町)が買い上げ、おりしも20世紀末でしたので、水沼の里2000年記念の

森公園として整備しました。「豊かな樹林地の形成、ゆとりの空間の提供、ふれあいの場の形成、こどものあそび空間の提供」を目的として、平成13年に完成した公園です。
公園の敷地面積は、およそ62,000平方メートルあり、公園内は、四季を通して楽しめる62種類の樹木(約1,500本)と43種類の地被類等を植栽しています。
公園のメインスペースでもある「大芝生広場」は、敷地面積がおよそ14,000平方メートルあり、毎年11月に開催される「みづま祭」をはじめ、多くのイベントに利用されています。
また、「ふれあい広場」には、遊具が充実しており、夏場は水遊びができる噴水(ジャブジャブ池)が上がるので、特に小さいお子様連れのご家族には大変人気の公園です。

 

休憩後再スタート。徳泉寺、玉満玉垂宮を通っていきます。

  

生岩入口の信号の所には、「大犬塚六地蔵」があります。室町時代中期の作だそうです。

 

生岩から生津に向かい、途中天神橋から右折します。(本来のコースは、生津から県道706号線に向かうルート)

ここには、クリーク親水公園があります。

 

 

 

福光交差点から左折。十間橋から右折し山の井川沿いに歩きます。

 

 

大福橋を渡りしばらく歩くと久留米絣の「松枝玉記」の実家があります。

久留米絣を家業とする松枝家は、福岡県三潴(みづま)郡大木町で1870年(明治3年)頃、松枝光次という人が初代として絣を作り始めました。

その後二代目の栄、三代目の玉記、玉記の孫の哲哉、その息子の崇弘、というように現在まで久留米絣は作られ続けています。

三代目の松枝玉記(1905~1989)は、旧制八女中学卒業後、家業の絣織りを始めました。

黒に近い濃紺地に、伝統的な幾何学模様が中心だった久留米絣にやわらかい色を取り入れたり、精巧な絵絣を創出しました。

庶民の日常着だった久留米絣を、芸術の域にまで高めた人です。1957年に重要無形文化財技術保持者となり、1959年には、技術保持者の代表者となりました。

 

高良玉垂命神社で休憩。高良玉垂命神社の鳥居は「明神鳥居」で天明9年(1789)に建立されたそうです。

 

高良玉垂命神社からゴールまでは約2kmです。今日は暑いので皆さんちょっとバテ気味です。

石丸山公園入口信号から西鉄の踏切を越え「クリークの里石丸山公園」に入ります。

大木町はクリークで知られる(平安時代にはクリークが現在の町面積の約15%を占めていた)地域であることから、その農耕文化の遺産を後世に伝えるために整備された公園です

広場には滑り台やブランコなどの遊具などが設置されているほか、クリークを住みかとする動植物を保護すべく、自然観察園として利用されています。

敷地内にはクリーク資料館もあり、かつて使用された農具などを展示しています。

  

 

11:40 ゴールの西鉄大溝駅に到着しました。

 

 

 

 

 


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