4/29昭和の日
この日は、JR九州ウオーキングで「唐津街中歩き」を楽しみました。
8:00前に唐津駅に到着し、8:30の受付を待ちます。マップ番号5番と6番。こんな一桁の番号をもらったのは、久しぶりです。
8:25唐津駅スタート。町田3丁目交差点の手前から左折。ここは、「唐津茶碗通り」と称され、唐津焼を代表する「中里太郎右衛門」の窯元があります。
道路のインターロッキングには、唐津焼の絵柄がプリントされています。
茶碗通りを抜けると町田(ちょうだ)川があります。町田を「ちょうだ」とは、普通は読めませんね。
京町商店街には、唐津の有名な豆腐店「川島豆腐店」があります。朝が早いのでまだ回転していませんでした。
唐津では、今日から「やきもん祭」が開かれています。
旧唐津銀行は、明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店。
その誕生は、東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、唐津近代産業の牽引役であった藩校の同級生「大島小太郎」より依頼を受けたことから始まる。建築家として最盛期を迎えていた辰野は、
永年の夢であった国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中であったため、唐津銀行の設計を愛弟子の「田中実」に委ねた。田中は、師匠の故郷であることに配慮し、
建築全体のデザインには典型的な「辰野式」を採用するとともに、「建築家田中実」として赤レンガ調タイル等を用いた独自のデザインを取り入れた。まさに、辰野と田中の師弟愛から生まれた共作であった。
竣工当時、辰野金吾57歳、田中実27歳。
日本初の建築家として夢へ挑み続け、その生きざまを郷土へ遺すことを最愛の弟子に託した辰野。師匠の故郷を前に、崇高な使命感と強い意志で臨んだ田中。おのおのの情熱から、
旧唐津銀行の美しい建築が生まれたのだ。先人たちの熱き精神と、人間物語を知らずして、もはや唐津は語れない。(旧唐津銀行HPから引用)
旧唐津銀行の地下には、レストラン唐津迎賓館として営業しています。佐賀牛のランチなんかいいでしょうね。
旧唐津銀行の隣には、明治39年(1906)創業の自転車屋さんがあります。初代が唐津藩の刀鍛冶をされていたそうで、明治時代、自転車店を創業されたそうです。
店の前には、招き猫ならぬ「マネキング(招きライオン)」があります。
町田川沿いに歩くと松浦川との合流地点に「城内橋」があります。この橋が、唐津城に続いています。
右手を見ると、鏡山、浮嶽が見えます。
唐津城を廻り、西の浜海岸に出ます。大島、鳥島、高島・・・・・・ 左手に船の形をした建物があります。これは、唐津少年科学館です。
唐津神社に来ました。唐津神社は、鳥居が白いのが特徴です。奈良時代創祀といわれる由緒ある神社。住吉三神と神田宗次公神霊を祀っている。唐津神祭は唐津神社の秋季例大祭で、
一般に「からつくんち」と呼ばれ、16世紀の終わりに始まったと伝えられている。今日は、唐津神社春の大祭で曳山が並んでいます。
9:45 唐津駅へゴール。ゴール後次の目的地に向かうため、すぐ移動しました。
おはようたい。
焼き物の町と言うイメージです。
お城も立派ですね。
明治39年開業の自転車屋さん、自転車がまだ曲芸のような頃からそんなにたっていないのではないでしょうか。
祖母が 自転車乗りの曲芸師~。だったかそんな歌を歌っていましたが。
こういうイベントウォークは知っているはずの町でも新しい発見があってよいですね。
とても興味深いイベントですね。
旧唐津銀行は明治時代の活気溢れる心意気と師弟愛が
生み出した素晴らしい建物です。
大切に保存されつつ、今も活用されているということは建物が生き続いていてロマンがありますね。
唐津の近くの有田では、今、陶器まつりの真っ最中です。
人が多く、近寄れないぐらいです。
この自転車屋さん明治時代というからすごい歴史ですね。明治時代は、まだ庶民の足とはいかなかったでしょうね。
東京駅を設計した「辰野金吾」は、ここ唐津の出身です。
東京駅で有名ですが、佐賀武雄温泉の設計でも有名です。唐津銀行の地下は、レストランになっていますのでいつか、ランチを食べに行こうかなと思ってます。