東海道を桑名宿まで歩きましたが、江戸時代、七里の渡しから船を使って名古屋の宮宿まで行っていました。
然し、天候次第で船が出ない日もあり、船が出ても安全とは言えない場合もありました。船酔いをする人や、犯罪に巻き込まれやすい女性や子供の旅人からも七里の渡しは敬遠され、
七里の渡しの迂回路として盛んに利用されたのが、この佐屋街道です。
佐屋街道(佐屋路)は、尾張初代藩主である徳川義直が開いた道だといわれています。宮宿から佐屋宿まで陸路で6里(約24km)を行き、佐屋宿から桑名宿までは川船による三里の渡しで結ばれ、
宮から桑名まで9里(36km)あり、七里の渡しよりも2里(8km)ほど長くなりました。宿場は東海道のものに比べれば小規模であり、渡し場のあった佐屋以外は本陣も一軒ずつしかありませんでした。
折角東海道を歩いているのですので、私達もこの佐屋街道を歩いて宮宿へ行きたいと思います。
6/25 七里の渡しを12:30に出発。
揖斐川の堤防の所に「住吉神社」があります。
桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する自由活発な商業都市として発達してきました。
住吉浦は、廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。この人たちによって航海の安全を祈り、住吉神社(現大阪市)から勧請してこの住吉神社が建立されました。
神社前の石灯篭2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。なお、近年は太一丸堤の上にあった神明社が合祀されています。
ここから、伊勢大橋・多度山方面の眺めは水郷桑名ならではの趣があり、水郷巡りの発着点として利用されています。(桑名市観光HPより)
また、初日の出は、鳥居の下からおがめるということで人気スポットです。
木曽三川公園に来ました。このあたりは、揖斐川、長良川、木曽川が合流し伊勢湾に流れる所です。
公園事務所では、「桑名の折鶴」が展示されていました。一枚の紙でたくさんの折鶴を折ることは、前回のNHK朝ドラ「あさが来た」で風吹じゅんさんが折っていましたね。
公園事務所から紹介され公園の向かい側にある「六華苑」に行きました。
「六華苑」(旧諸戸清六邸)は、山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913)に竣工しました。特にその洋館部分は、鹿鳴館などを設計し、
「日本近代建築の父」と呼ばれた、ジョサイア・コンドルが手がけ、地方に唯一残る作品として注目されています。揖斐・長良川を望む約1800㎡余の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの
建造物群と「池泉回遊式」日本庭園で構成されたこの邸宅は、創建時の姿をほぼそのままにとどめている貴重な遺構です。桑名市は、平成3年に土地を取得し、建物は諸戸家からの
寄贈を受け、整備工事の後、平成5年に「六華苑」という名称で一般公開しました。その構造物のうち、洋館及び和館は、平成9年に国の重要文化財に指定され、他に6棟が、
三重県有形文化財、離れ屋は桑名市の有形文化財に指定され、大切に保存されています。また、庭園は一部を除き平成13年に国の名勝に指定されました。(六華苑パンフより)
諸戸家は戦国時代、一向宗門徒として織田信長に抗した丹羽定直に発するといわれています。定直は織田軍との戦闘の際、城中の戸坂を集め、これによって矢や石を防ぎつつ
縦横無尽の働きをしたため、証意上人より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、これが諸戸家の始まりとされています。一向宗徒が信長によって駆逐された後は郷里の
西外面村(現三重県長島町)で、後には自ら開墾した加路戸新田(現三重県木曽岬町)で代々庄屋を勤め、幕末に至りました。
しかし、その諸戸家も江戸時代末期の清九郎の代に塩の売買が不調に終わり、2000両もの負債を抱えてしまいます。そのような時期、清九郎の長子として
弘化3年(1846年)正月に生まれた清六は、一家で移住した桑名で、父の死後文久3年(1863年)18歳の頃から資金80両をもって米穀業を営み、わずか3年で負債を完済しました。
明治維新の後も新政府高官の知遇を得、また西南の役や米相場で利潤を上げるなど30万円を蓄財、明治19年には海防費2万円を政府に献上し、翌年には特旨をもって
従6位に叙せられました。また一方で田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主となりました。
その当時まで桑名は、東海道の宿場町として、また海運を利用して米を伊勢神宮や大阪、関東へ輸送するための港湾、商業都市として栄えていました。清六はこの地の利を生かし、
時流にもうまく乗ったのです。
清六は晩年の明治37年、桑名の飲料水不良を解消するため15万円を投じ、独力で小野山に貯水池(煉瓦造、市指定文化財)を設け、上水道を完成させ、これを無料で町民に開放しました。
清六の死後、水道設備は遺志により桑名町に寄附されました。(桑名市HPより)
桑名の民謡で「桑名の殿様」というのがありますが、(ここでいう殿様とは、大旦那衆のこと)このモデルになった方でしょうか?????
六華苑を後に再び街道歩きへ出発。
伊勢大橋の袂には、木曽川下流三川事務所(揖斐川、長良川、木曽川)があります。
伊勢大橋は、昭和9年(1934)に完成、全長1105,8m。橋の途中で揖斐川と長良川に分かれます。
伊勢大橋を渡ると長島町です。今は、桑名市に合併していますが、合併前は、桑名郡長島町でした。
右側に「富士山」が見えます。何だろうと思って調べると、なばなの里「アイランド富士」です。
長島町に入りました。長島町は、木曽三川の河口部に位置し、長島温泉やなばなの里で有名です。
「又木茶屋」は、郷土の画家佐藤昌胤画伯の生前の屋敷を長島町が譲り受け、情報交流施設として完成した又木茶屋。敷地内には画伯の愛した多種の椿や、
旧長島城の庭園の石で組んだ枯れ山水の庭園が整備され、立ち寄った人の目を楽しませています。施設内には画伯のギャラリー、道路案内、まちの特産やまちの人が
作成した手工芸品を紹介・販売しているほか、交流のひろばや庭園で抹茶をいただくことができ、憩いの場としても利用されています
歩いていると「伊勢湾台風の時の水位」がありました。概算で7~8mぐらいあるでしょうか?
伊勢湾台風は私が小学生低学年の時でしたが、この台風は、覚えています。
「尾張大橋」が見えてきました。この橋の中間部から愛知県になります。
尾張大橋は、木曽川に架かり、全長878,8m。昭和8年に完成しました。
橋を渡ると愛知県弥富市です。
今日は、名古屋発17時ぐらいの新幹線で帰る予定ですので、今回はここまでとします。
愛知県の県境を越えられたのですね!
今回色々とレポートされたところは、一度も行った事のない所なので興味深く読んでいました
なばなの里って、イルミネーションが綺麗で季節になると旅行のツアーで紹介されているところですね
沢山の見どころが有るとなかなか前に進まないんじゃないですか??嬉しい悩みってところでしょうか
江戸時代は、七里の渡しから船で熱田神宮の方にいったのですが、折角ですので歩いて熱田神宮に行ってみようと思います。
なばなの里、長島温泉も行ってみたかったです。