よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第8回大阿蘇元気ウォーク(熊本県阿蘇市)

2018-09-04 18:05:38 | ウォーキング

9/1~2日迄阿蘇市で行われる「第8回大阿蘇元気ウォーク」に参加するため、9/1(土)午前4時ごろ福岡の自宅を出発しました。

        

阿蘇まで160kmぐらいですので遅くとも午前7時には到着する予定でしたが、自宅を出て、1kmぐらい走った所で思わぬハプニング!

民家の横から黒い物体が私の車目がけて突進。ビックリして止まり、見てみると80kgは、ありそうな猪でした。

その猪、倒れていましたので、てっきり死んでいるのかと思い、近づくと起き上がりフラフラしながら、山の方へ帰って行きました。

私の車は、フロントバンパー左側が大破し、これでは、走れません。すぐ修理工場へ持っていきました。

   

急だったもので修理工場に代車がなく、私の甥っ子が私と同じ車に乗っていますので、事情を話し、車を借りることにしました。

午前11時、甥っ子の車で阿蘇に向かって出発しました。阿蘇市役所に着いたのが13時30分。皆さんゴールされています。

駐車場を見ると、北九州のNさん、長崎のSさん、敦賀のFさんの車があります。ここで待つことにします。

しばらく、雑談し、今日の宿「かんぽの宿阿蘇」に向かいました。かんぽの宿では、和歌山のDさん、浜松のHさんと同宿です。

  

宿からは、根子岳、高岳が見えます。この姿は、涅槃像に似ています。 注)阿蘇山は、阿蘇五岳といって(根子岳、高岳、中岳、杵島岳、鳥帽子岳)の総称です。

楽しみは、宿の食事です。今日は歩いていないのであまり食欲もありませんでしたが、どうしてどうして全部食べてしまいました。

 

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2日目は、阿蘇山山麓横断20kmコースに参加しました。出発式では、佐藤阿蘇市長が挨拶されました。この市長、成人式で新成人を前に歌を披露されたりする名物市長です。

出発式でも歌を披露されました。8:30 20kmスタートです。

  

今日は、昨日と打って変って天気も良く絶好のウォーキング日和です。

  

1時間ほど歩くと、豊後街道「坂梨宿」に入ります。

豊後街道は、熊本城下から出発し、大津や阿蘇市内牧、そして阿蘇郡産山村を経て豊後鶴崎(大分市)へと至る近世肥後の主要な街道で、阿蘇谷のほぼ中央部を横断しています。

瀬戸内海を経由して上方(関西)方面へ抜ける主要ルートとして、加藤清正や歴代の細川藩主も参勤交代の際に利用していました。

もう10年ぐらい前になりますが、私も豊後街道の大津~宮地まで歩いたことがあります。雨上がりでしたので途中の二重峠では石畳が滑りそうでゆっくりゆっくりと歩いたことが思い出されます。

写真の「十三里木」というのは、熊本城下から13里(約52km)という意味です。

 

  

坂梨公民館が最初のチェックポイント。ここまで5,2km。氷で冷やしたトマトが振る舞われました。トマトを1個丸ごとかじるのなんか、久しぶりです。(小学生以来かな?)

   

  

天神橋(眼鏡橋)・・・・・平保木川(へぼのきがわ)にかかる単一アーチ形の石橋。弘化2年(1845年)着工、弘化4(1847年)完成。
石工棟梁・卯助(うすけ)ら総勢72名があしかけ3年を経て完成。

昭和58年町の文化財指定のとき、隣の天神社にちなんで天神橋と名付けられました。

橋の下底の長さ 6.4m、幅 4.3m、アーチの中央部の高さ 2.1m、約100個の石が見事な弧を描く。 石の材質は滝室坂産の阿蘇溶岩。 

橋の欄干には、「弘化四(1847)年丁未寿吉辰 八代郡種山手永 棟梁石工 卯助」と刻まれている。棟梁・卯助(うすけ)は、通潤橋や霊台橋などを架けた石工。
天神橋の最後の一石を積む際に、アーチの下に座したそうです。平成2(1990)年の大水害にも耐えた天神橋。石工たちの施工技術の高さがうかがえます。

坂梨手永会所跡・・・・・熊本藩主細川氏がその領地に導入した行政制度。領内を「手永」と呼ばれる行政区画に分けて村を束ね、責任者として惣庄屋を置く。

江戸時代初期に細川家が小倉藩領に創設し、寛永9年(1632年)に熊本に移封されると熊本藩領にも導入された。小倉藩の手永制度は細川家に代わった小笠原家によって引き継がれ、

以後両藩で廃藩置県まで行われた。

  

  

  

11,2km地点の「踊山神社」が2回目のチェックポイント。

踊山神社は、その昔、水不足の年は笹を持って神社の前で踊ると水が湧いたため、「踊山神社」と称したと伝えられています。また、子供の驚風(痙攣などの病気)の神様としても知られています。

 

  

今日は、暑く、水分を補給してもすぐ飲みたくなります。ここで我が家から持ってきた自家製の「梅干し」をいただきます。塩分補給です。

  

チェックポイントを過ぎ、しばらく歩いていると、地元の子供さんたちがウォーカーに何か話しかけています。何だろう?と思うと、ウォーカー一人一人にアイスキャンディを配っています。

冷たくておいしかったです。有難う!

コースは、寺院のある所に来ました。このあたりは、「田園ゆたっと散歩道」とネーミングされています。

   

  

長善坊の公孫樹(いちょう)・・・・・樹齢約400年、幹回り7m、根回り13m、主幹は、地上12mから二手に分かれています。この公孫樹は、加藤清正公が朝鮮出兵の時、長善坊契雅僧正の

功をたたえ、坊中に西厳殿寺を復興した時に植えたといわれています。一説には、後年母親の病気回復祈願の為、阿蘇を訪れた時、清正公が乗っていた馬を繋いだのがこの公孫樹であると

いわれていて、別名「駒つなぎの公孫樹」ともいわれています。

コースはJR阿蘇駅に来ました。

   

阿蘇駅の隣が、道の駅阿蘇です。ここまで14,4km。ここでは、阿蘇の高菜、阿蘇の牛乳、冷やしトマトが振る舞われました。

 

  

ゴールまであと5kmです。現在11時45分。となるとゴールは、12時45分ぐらいかな?

  

  

一の宮町門前町商店街にやってきました。

  

あちらこちらに「湧水」があります。勿論水質証明書もつけてあります。

 

  

阿蘇神社・・・・孝霊天皇9年の創建、肥後国一の宮、旧官幣大社。阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をまつる由緒ある神社で、末社は全国500社を超える。

 

全国的にも珍しい横参道で、境内には願いごとを叶えてくれる「願かけの石」や縁結びにご利益がある「高砂の松」、西本清樹の歌碑がある。

 

今に伝わる神事は稲作と深く結びつき、「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形民俗文化財に指定。一の神殿・二の神殿・三の神殿・楼門・神幸門・還御門の6棟は国の重要文化財に指定されている。

また、楼門は日本三大楼門の一つに数えられる。「新熊本百景」「熊本緑の百景」に選出。

平成28年(2016年)4月の熊本地震で楼門と拝殿が全壊し、2022年めどに再建が完了する予定です。

 

 

12時45分ゴールしました。

  

今日のGPSです。

今日は、夕方までに甥っ子に車を返さなければいけませんので、ゴールしてすぐ、帰途につきました。福岡の自宅に戻ったのは、16時ごろでした。

最初は、車が大破したため、参加するのをためらいましたが、久しぶりに阿蘇の雄大な景色を見ることができました。無理して来てよかったです。また来年も参加し、リベンジをしたいです。

 


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2 コメント

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Unknown (kumasan)
2018-09-06 16:10:56
大変な災難に遭われましたね。でもご夫妻に怪我もなく、ご無事で良かったです。
八女の方でも最近猪の出没が多いそうで、それを逆手にとって、猪料理を出す店があるそうです。
阿蘇の雄大な景色を見せていただき有難うございました。仏様の寝姿にほんとによく見えて、拝みたくなる風景ですね。
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Kumasan (よっくん)
2018-09-06 18:14:37
コメント有難うございます。
我が家の近くの山に猪がいるのは、知っていましたが、まさか、早朝私の車に突進してくるとは思いもしませんでした。すぐ修理工場に持っていきましたので昨日お昼頃修理が完了しました。25万5千円だそうです。車両保険に入っていたから助かりました。
阿蘇のウォーキングは1日目は雨でしたが、2日目ははれ上がり暑かったです。阿蘇神社も早く復旧したらいいのですが・・・・
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