よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ふくおかウォーキング協会楽しいウォーク「イヤーラウンド10km」(福岡市博多区)

2021-01-15 17:24:45 | ウォーキング

福岡県のコロナ感染者は正月以来増え続けているので、県も緊急事態宣言してもいいのではないかと思っていましたが、県知事の話では、まだベッド数に余裕があるので要請はしないと

言われていましたが、1/13政府の追加の緊急事態宣言には、7府県に福岡県も入っていました。期間は、先に宣言した東京など1都3県と同じ2/7迄。

この決定を受け、「ふくおかウォーキング協会」では、1/14以降2/7迄のウォーキングの中止が発表されました。

というわけで1/13の楽しいウォークは、今月最後のウォークになりました。

コースは、「博多阪急イヤーラウンド10kmコース」。このコースは、本来は住吉神社の方に廻るコースなんですが、今回は逆コース(東公園の方から)です。

集合場所は、博多駅。参加者47人。9:30スタート。

 

 

博多千年門

博多千年門は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成26年3月に完成しました。名称は公募で決定。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願ったものとなっています。

歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。博多千年門は、かつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切妻本瓦葺(きりづまほんかわらぶき)、中世博多の寺社様式が採用されています。また、門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様が刻まれています。(YOKAナビより)

 

 

東公園入口には、今でも銭湯があります。銭湯といえば、富士山の絵、この銭湯にもあるそうです。

 

東公園には、亀山上皇と日蓮上人の像があります。

亀山上皇は、13世紀後半の元(モンゴル)軍の来襲の際に、「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国の降伏を祈願された亀山上皇の故事を記念し、

福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄氏等の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)元冠に緑あるこの地に建立されました。高さ約6メ一トルを誇るこの像の原型となった

木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲の代表作のひとつで、現在は筥崎宮の奉安殿に安置されています。(説明文より)

仏教・日蓮宗の開祖で「立正安国論」を唱えた日連上人の銅像は、日本で3番目に大きい銅像といわれている。原型作者は竹内久一(東京美術学校教授)。台座壁画の著者は矢田嘯雲(やだしょううん)。高さ約10.66m、重量75tあり。日蓮上人は「立正安国論」の中で外国からの侵略を予言し、「文永の役」「弘安の役」と2度の元軍の侵攻により適中させたといわれている。その古戦場である東公園に、戦没者の霊を慰め世界平和を祈るために銅像が建立された。(クロスロード福岡より)

 

東公園から馬出(まいだし)に向かいます。昭和54年迄は、ここを西鉄市内電車が走っていました。

私が子供の頃、馬出に叔母が住んでいましたので夏休みの時には、この電車を利用して遊びに行っていました。

 

崇福寺は、臨済宗大徳寺派で、山号は横岳山。仁治元年(1240)、湛慧が大宰府横岳に創建した。翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が招かれ、開堂説法を行なった。

文永9年(1272)に大応国師(南浦紹明)が入寺し開山。その後多くの高僧を輩出し、慶長5年(1600)、初代福岡藩主・黒田長政により現在地に移転され、黒田家の菩提寺として庇護を受けた。

墓所には嶋井宗室などの墓もある。
山門(さんもん)は、旧福岡城の表御門を移築したもので、黒田家との関わりの深さがうかがえる山門。切妻造、本瓦葺の二階建てで、左側に潜戸があるため、

扉は中央よりやや右側に設けられている。これも福岡城本丸の表門として使用されていた面影だ。県指定文化財の建造物。(yokaナビより)

崇福寺の境内にあるお饅頭屋さんは、美味しいお饅頭ということで評判です。名物は「官兵衛まんじゅう」です。

  

濡衣塚は、濡れ衣という言葉の発祥地です。その昔、聖武天皇の時代(8世紀頃)に、筑前の国司として、佐野近世が妻と一人娘・春姫を連れて赴任したが、在任中に妻が亡くなったため、

土地の娘を後妻として迎え一女を授かったそうな。ところが、連れ子の春姫が疎ましく思えた後妻が、漁師に「春姫様が釣り衣を盗むので困っている」と近世に訴えさせ、その証拠にと、

濡れた釣り衣を着て眠っている春姫の姿を見せられた近世は逆上してその場で春姫を切って捨てたとか。一年後、近世の夢枕に無実を訴える春姫が現れ、

自分の行動を悔いた近世は出家して石堂川の畔に濡衣塚を造ったとされています。 

 

コースは、博多の寺社に入ります。

聖福寺(しょうふくじ)は建久6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝みなもとよりとも公よりこの地を賜り、栄西禅師ようさいぜんじ開山かいさんとして創建された日本最初の禅寺ぜんてらです。山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。又、栄西禅師は中国(南宋)よりお茶の種子を請来し、茶樹の栽培、喫茶の方法を伝え、その普及に大いに貢献し、後に茶祖と称されました。栄西禅師が京、栂尾高山寺の明恵上人に茶の種を分けてあげた話は有名な事です。(聖福寺HPより)「

 

 

櫛田神社 博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。
祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、

天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。
境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。(yokaナビより)

 

本来のコースは、櫛田神社から川端商店街の方に行くのですが、47人もの団体ですので歩道のある大きな道を歩きます。それと時間も大分経過しましたので少しショートカットします。

コースは、福岡の歓楽街「中州」へ。

 

中州は、昼間ということで人通りも少ないですが、明日から緊急事態宣言の為、益々寂しくなってくるのでしょうか?

歩道では、お正月のイルミネーションの取り外しが行われていました。

 

これから春吉橋を渡るのですが、春吉橋工事中の為迂回します。

清流公園にある「高灯籠」。昔は、このあたりを整備し遊園地「向島」を開きました。この灯籠は、明治33年(1900)に建設されて住吉神社に寄進されたものです。

灯籠には、建設に協力した福博の商家や魚市場の人々の名前が刻まれています。この中には現在でも実在する会社名もあります。

旧園地の市街化により昭和29年(1954)清流公園内の現在地に移されました。

   

時刻も12時近くなりました。一応博多駅がゴールですが、住吉神社で仮ゴールにします。

 

住吉神社は、全国2千数百社ある住吉神社の始祖で、大阪の住吉大社、下関の住吉神社とともに「三大住吉」の一つです。

12:03 住吉神社へゴール。

 

今日のGPSです。

緊急事態宣言は2/7までですが、私の予想ですが、どうも2月末ぐらいまで延長になりそうです。

明日からご近所ウォークをします。

 

 


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2 コメント

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ローリングウェスト様 (よっくん)
2021-01-16 06:55:15
おはようございます。いつもコメントありがとうございます。福岡県も緊急事態宣言が発出されました。ウォーキング教室も2/7まで全部中止になりました。2/7まで解除されればいいのですが、まだまだ長引きそうです。これからはオルレや近場のウォーキングを楽しみたいです。
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Unknown (ローリングウエスト)
2021-01-15 21:10:31
新年早々、寒い中で頑張って歩いておられますね~!小生も見習わなくちゃ・・。博多も緊急事態宣言が出ましたね。コロナ感染に十分気をつけながら健康増進されて下さい。
(PS)まだ今年になって貴殿のご来訪なく誠に寂しい限りですね~!
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