1/07は、ふくおかウオーキング協会主催の「三社詣りウオーキング」に参加しました。
集合は、地下鉄西新駅。平日とはいえ、今年初めての例会で参加者も約50人。
準備体操のあと、ウオーキング開始。
※「広田弘毅」は、福岡市出身、戦時中の総理大臣。城山三郎「落日燃ゆ」のモデル。
西新駅から大濠公園を通り、「福岡県護国神社」へ。
御鎮座
昭和18年4月30日
御祭神
明治維新以来幾多の戦役事変に際し戦死病歿せられ 平和日本の礎石となられた 福岡県下一円の護国の英霊鎮座地(神社HPより抜粋)
今日、(1/7)は、七草粥の日。境内では、「七草粥」が振る舞われていました。
♪ 七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬさきに 七草はやせ 七草はやして とんとんとん とんとんとん ♪ (七草囃子の歌)
福岡県護国神社を後に、「櫛田神社」へ向かいます。櫛田神社は、博多の祝い唄「祝いめでた」にも出てくる博多の総鎮守です。有名なものとしては、博多祇園山笠があります。
博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、毎年7月1日から7月15日にかけて開催される700年以上の伝統のある祭であす。櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭のひとつ。
正式には櫛田神社祇園例大祭。
祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。 天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。
この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、 天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。(神社HPより抜粋)
本殿横に「霊泉鶴の井戸」というのがあったので飲んでみましたが、塩水みたいに辛くて一口だけにしました。
また境内の横には、もう1月だというのに「シコンノボタン」が咲いていました。(だいたい9月半ば~11月ごろに咲く)
ウオーキングの最後は、「住吉神社」。
住吉神社の沿革は、
筑前一之宮「住吉神社」は、底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神を祭神とし相殿に天照皇大神・神功皇后を配祀します。
住吉三神は遠い神代の昔に伊弉諾大神がここ筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラエ(禊祓)をされた時に志賀海神社の御祭神ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。
したがって当社の御鎮座は遠い遠い神代のことで、年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様です。住吉大神をお祀りする神社が全国に二千百二十九社ありますが、
当社は住吉の最初の神社で、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されております。
また平安時代に全国各地に「一ノ宮」が定められましたが、当社は筑前国一の宮として朝野の厚い崇敬をうけました。
約八千年前、神功皇后の三韓への御渡幸に際し、住吉大神の荒魂は水軍をお導きになり、和魂は胎中天皇と申し上げた応神天皇の玉体をお守りになり、刃を用いずして御帰還遊ばすことが出来ました。
よって皇后は住吉三神の御神徳を厚く敬仰感謝され、新羅の都に国の鎮護として住吉大神をお祀りになり、攝津(大阪)、長門(山口)、壱岐に住吉神社を御創建になりました。
当社への朝廷の御崇敬はとくに篤く神功皇后の勅祭(十月十三日の例祭の起源)に始まり、聖武、清和、陽成、後一条、鳥羽、後花園の各天皇が奉幣あらせ、大正天皇は三度、昭和天皇は五度の奉幣がありました。
また当社は諸武将の崇敬も厚く、楠正成・源頼朝・足利尊氏は祈願文、寄進状を寄せ、一時は自国・他国を合わせ神領三千余町(ha)歩神人三百人に及んだと伝えられます。
江戸時代に入っては元和九年(1623年)藩主黒田長政公は白銀二千両と材木を寄進して社殿を再建し、六代光之公も社殿を修理されました。(博多の観光スポットより抜粋)
昔は、この一帯まで海だったそうです。
境内では、鯛や鯉の形をした「おみくじ」がありました。
約10kmのウオーキング。このあと博多駅東の中華料理店での新年会に出席しました。
初めて「紹興酒」にチャレンジしました。砂糖を入れて飲みましたので、とても甘く、グイグイいけます。飲みすぎに注意しなくては・・・・・・・・
今週末から、静岡へ遠征してきます。