4/20 朝から雨模様。合羽などを着て会場に向かいました。
第2日目の20kは、「やきものの里 皿山・田園コース」です。会場で出発を待っているとこんな方がおられました。
大阪の方で「Tさん」。昨日、今日と両日40kmを歩かれるそうです。お顔を拝見しましても、とても89歳には見えません。
雨が降りしきる中、7:30 スタート。
梅林寺を通り、筑後川を渡って佐賀県みやき町に入ります。
千栗八幡宮の先の交差点が、40k、20kの分岐点。20kは、佐賀カントリー倶楽部を通って「皿山」に向かいます。
「白石焼」は、文化3年(1806)、白石鍋島藩が本藩御用窯「大川内」(伊万里)から陶工を呼び寄せ、白石で御用焼を命じたのが始まりです。
有田が、西目の皿山、白石が東目の皿山と称されました。
白石神社から下ってくると、先ほど千栗交差点で分かれた40kmの方とすれ違います。ウオーキング友達のNさんと、ここですれ違いました。
天吹酒蔵では、新酒ではなく、お酒の仕込み水が振る舞われました。
コースは、長閑な田園地帯を歩きますが、時折 風が吹いて少し寒くなります。
筑後川を渡り、水天宮へ。
久留米の水天宮は、全国水天宮の本山で、社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て
建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前神社と呼ばれた。
そのころ、中納言平知盛の孫の平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。
幕末の志士・真木和泉守保臣は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られている。
境内の案内板には、
「真木和泉守保臣」(1813~1864)は、明治維新の中心的人物である。
水天宮神職の家に生まれ、早く父を失ったが、よく母に仕え、かねてから学問に励み、武道、音楽にも長じ、藩校明善堂(現 明善高校)から表彰を受けた。
傍らに流れる筑後川は、菊池一族の誠忠を語り、少年の時愛読した絵本「楠公記」は、尊王愛国の精神を培い、長じては、水戸学を中心に学識を深め、しかも身を以って実践した。
藩政改革を企ててならず、一時水田(現 筑後市水田)に蟄居したが、後に脱出して東奔西走、国事に盡し、諸国に志士から「今楠公」と謳われ、その中心的指導者と仰がれた。
彼は、蘭方医「工藤謙同」と親しく、外国の事情にも通じ、久留米の医学刷新に盡し、久留米藩医学館の生みの親といわれる。
また、早くから薩長連合を唱えたが、時到らず、長州藩と共に倒幕の軍を起し、禁門の変に敗れ、同志16人と天王山に登り、辞世の和歌を残して自刃した。
大山の峰の 岩根に埋にけり わが年月の 大和魂
境内には、水田で暮らした「梔子窟」が再現されています。
水天宮から久留米市中心部へ向かいます。荘島公園では、お味噌汁の接待がありました。雨で少し寒くなってきましたので暖かいものは、本当に助かります。
ふと、周りを見ると自衛隊の調理車が・・・・・・・ この味噌汁、調理車で作っていたのですね。
ゴールまであと2km。朝から降っていた雨もようやく上がりました。
ムーンスターの本社前を通り、「青木繁旧居」へ。中に入ろうかと思いましたが、他のコースの人でいっぱいでしたのでここはパス。
東町、西鉄久留米駅を通りゴールの中央公園へ。今日は雨で散々でしたが、昨日みたいな急坂もなく無事ゴールしました。時間は11:45でした。
この大会、ゴール後のお楽しみで抽選会があります。完歩証の番号によって商品が当たります。昨日は何番か違いで何にも当たりませんでしたが、今日はというと・・・・・・・
当たりました
アサヒコーポレーションの「メディカルウオーキングシューズ」です。定価22,000円(税別)。
新しいウオーキングシューズが欲しいなと思っていましたのでホントラッキーでした。
どうも有難うございました。大事に大事に履きます。