2021-0816-man4066
万葉短歌4066 卯の花の3776
卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
来鳴き響めよ ふふみたりとも 大伴家持
3776 万葉短歌4066 ShuI429 2021-0816-man4066
□うのはなの さくつきたちぬ ほととぎす
きなきとよめよ ふふみたりとも
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第35首。題詞に、「四月一日掾久米朝臣広縄之館宴歌四首」。左注に、「右一首守大伴宿祢家持作之」。
【訓注】卯の花(うのはな=宇能花)。咲く月(さくつき=佐久都奇)。ほととぎす(保等登芸須)[天平20年(748)4月1日は、立夏前日。佐々木信綱の『夏は来ぬ』の立夏は、新暦5月初旬]。ふふみたり(敷布美多里)[「花が蕾のままの状態で閉じていることをいう」。04-0792若木乃梅毛 未含(わかきのうめも いまだふふめり)、-1363片枝者 未含有(かたえだは いまだふふめり)、など]。
2021-0815-man4065
万葉短歌4065 朝開き3775
朝開き 入江漕ぐなる 楫の音の
つばらつばらに 我家し思ほゆ 山上憶良男
3775 万葉短歌4065 ShuI415 2021-0815-man4065
□あさびらき いりえこぐなる かぢのおとの
つばらつばらに わぎへしおもほゆ
○山上憶良男(やまのうへの おくらが をのこ)=山上憶良の息子。憶良については、01-0063歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第34首。題詞に、「射水郡(いみづのこほりの)駅館之(うまやのたちの)屋柱(やのはしらに)題著(しるす)歌一首」。左注(要旨)に、右一首は山上臣、あるいは名は審(つまび)らかにしないが憶良の息子の作か、と。
【訓注】朝開き(あさびらき=安佐妣良伎)[「朝早く、港を押し開くようにして舟を出すこと」。03-0351旦開 榜去師船之(あさびらき こごにしふねの)]。楫の音(かぢのおと=可治能於登)。つばらつばらに(都波良都婆良尓)[「・・・櫓の音の擬声語。・・・つくづくと・・・」。集中に、03-0333曲曲二 物念者(つばらつばらに ものもへば)、と2例だけ]。我家(わぎへ=吾家)。屋柱題著歌[「柱にしかに書かれていたのではなく、現在の短冊の類に書かれて柱に吊されていたのであろう」]。
2021-0814-man4064
万葉短歌4064 大君は3774
大君は 常磐にまさむ 橘の
殿の橘 ひた照りにして 大伴家持
3774 万葉短歌4064 ShuI415 2021-0814-man4064
□おほきみは ときはにまさむ たちばなの
とののたちばな ひたてりにして
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第33首。左注に、「右二首大伴宿祢家持作之」。
【訓注】大君(おほきみ=大皇)。常磐(ときは=等吉波)。橘(たちばな=多知婆奈[2か所])。ひた照り(ひたてり=比多氐里)[「<ひた>はひたすら。・・・<照り>の原文<氐>は広〔広瀬本〕に拠る。底本〔西本願寺本〕ほか諸本<底>。つとに池上禎造・・・<氐>が正しいとしている」]。
2021-0813-man4063
万葉短歌4063 常世物3773
常世物 この橘の いや照りに
我ご大君は 今も見るごと 大伴家持
3773 万葉短歌4063 ShuI415 2021-0813-man4063
□とこよもの このたちばなの いやてりに
わごおほきみは いまもみるごと
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第32首。題詞に、「後追和(おひてこたふる)橘歌二首」。次歌左注参照。
【訓注】常世物(とこよもの=等許余物能)[「常世の国から渡来しためでたい物」。記紀伝承により、橘のこと。4111]。我ご(わご=和期)[「<我が>の転。当時古形と見られていた」。<わごおほきみ>訓として、01-0036(長歌)吾大王、以後、集中での出現は37か所]。
2021-0812-man4062
万葉短歌4062 夏の夜は3772
夏の夜は 道たづたづし 船に乗り
川の瀬ごとに 棹さし上れ 田辺福麻呂
3772 万葉短歌4062 ShuI414 2021-0812-man4062
□なつのよは みちたづたづしふねにのり
かはのせごとに さをさしのぼれ
○田辺福麻呂(たなべの さきまろ)=06-1048歌注参照。「この二首には署名がない。・・・誦詠者福麻呂自身の作った歌であるがゆえに、署名がないのであろう」。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第31首。左注に、「右件歌者御船(おほみふね)以綱手泝江(かはを さかのぼり)遊宴之日作也 伝誦之(でんしょうする)人田辺史福麻呂是也」。
【訓注】夏の夜(なつのよ=奈都乃欲)。道たづたづし(みちたづたづし=美知多豆多都之)[「物〔(道)〕の形がはっきりせず心もとないさま」。04-0575痛多豆多頭思(あなたづたづし)、04-0709路多豆多頭四(みちたづたづし)、など]。船(ふね=布祢)。棹さし(さをさし=佐乎左指)。
2021-0811-man4061
万葉短歌4061 堀江より3771
堀江より 水脈引きしつつ 御船さす
賎男のともは 川の瀬申せ 田辺福麻呂
3771 万葉短歌4061 ShuI414 2021-0811-man4061
□ほりえより みをびきしつつ みふねさす
しつをのともは かはのせまうせ
○田辺福麻呂(たなべの さきまろ)=06-1048歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第30首。次歌左注参照。
【訓注】水脈引き(みをびき=水乎妣吉)[「・・・ここは航跡。・・・水先案内をする・・・説も・・・」]。賎男のとも(しつをのとも=之津乎能登母)[「水夫たち。熟語として固定していた・・・」]。申せ(まうせ=麻宇勢)[「お仕え申せ・・・。マウスはマヲス・・・より新しい形・・」。ワ行かア行かは、誤伝有無を含めて諸説あり、と依拠本]。
2021-0810-man4060
万葉短歌4060 月待ちて3770
月待ちて 家には行かむ 我が挿せる
赤ら橘 影に見えつつ 粟田女王
3770 万葉短歌4060 ShuI414 2021-0810-man4060
□つきまちて いへにはゆかむ わがさせる
あからたちばな かげにみえつつ
○粟田女王(あはたの おほきみ)=「家系未詳。・・・この一首のみ」。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第29首。題詞に、「粟田女王歌一首」。左注に、「右件歌([4058~60の三首])者在於左大臣橘卿之宅肆宴(とよのあかり[下記注])御歌并奏歌也」。
【訓注】月待ちて(つきまちて=都奇麻知弖)。家(いへ=伊敝)。赤ら橘(あからたちばな=安加良多知婆奈)。
【編者注-肆宴】しえん、とよのあかり。「天皇・上皇の催す宴をいう。豊の明かりの意で、酒を召して赤ら顔をすること。それが五穀の豊穣につながるとされた。諸兄が催した宴を天皇の立場でいったもの。<肆>は連ねる、の意(依拠本注)」。この用字は、集中、01-0007(題詞)・・・三月寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉・・・以下、題詞に14か所使われている。
2021-0809-man4059
万葉短歌4059 橘の3769
橘の 下照る庭に 殿建てて
酒みづきいます 我が大君かも 河内女王
3769 万葉短歌4059 ShuI414 2021-0809-man4059
□たちばなの したでるにはに とのたてて
さかみづきいます わがおほきみかも
○河内女王(かふちの おほきみ)=「高市皇子の娘。・・・歌はこの一首のみ。」
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第28首。題詞に、「河内女王歌一首」。4060歌左注併照。
【訓注】橘(たちばな=多知婆奈)。酒みづき(さかみづき=佐可弥豆伎)[「<酒みづく>は酒に浸る、酒宴を催す意」。18-4116(長歌)左加美都伎 安蘇比奈具礼止(さかみづき あそびなぐれど)、など]。
2021-0808-man4058
万葉短歌4058 橘の3768
橘の とをの橘 八つ代にも
我れは忘れじ この橘を 元正上皇
3768 万葉短歌4058 ShuI414 2021-0808-man4058
□たちばなの とをのたちばな やつよにも
あれはわすれじ このたちばなを
○元正上皇(げんしゃう じゃうくゎう)=4057歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第27首。題詞に、「御製一首」。4060歌左注併照。
【訓注】とをの(とをの=登乎能)[「実(み)の重みで枝の撓むさま。<たわ>とも」。08-1595枝毛十尾二(えだもとををに)、10-1896十緒(とををにも)、など他所では<とをを>]。
【原文】18-4058 多知婆奈能 登乎能多知婆奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎 元正上皇
2021-0807-man4057
万葉短歌4057 玉敷かず3767
玉敷かず 君が悔いて言ふ 堀江には
玉敷き満てて 継ぎて通はむ 元正上皇
3767 万葉短歌4057 ShuI414 2021-0807-man4057
□たましかず きみがくいていふ ほりえには
たましきみてて つぎてかよはむ
○元正上皇(げんしゃう じゃうくゎう)=退位(養老8(724)年)後の元正天皇。この七首期の難波宮滞在は、天平16(744)年閏1月11日から11月14日まで。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第26首。題詞に、「御製一首 和(こたふ)」。脚注に、「或云 多麻古伎之伎弖(たまこきしきて)」。左注に、「右二首件歌者御船泝江(かはをさかのぼり)遊宴之(いうえんする)日左大臣奏并御製」。
2021-0806-man4056
万葉短歌4056 堀江には3766
堀江には 玉敷かましを 大君を
御船漕がむと かねて知りせば 橘諸兄
3766 万葉短歌4056 ShuI414 2021-0806-man4056
□ほりえには たましかましを おほきみを
みふねこがむと かねてしりせば
○橘諸兄(たちばなの もろえ)=第3922歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第25首。題詞に、「太上皇(おほき すめらみこと)御在(います)於難波宮之時歌七首 清足姫(きよたらしひめの)天皇也 左大臣橘宿祢歌一首」。
【訓注】堀江(ほりえ=保里江)[「難波宮の北を掘って、南方の水を西の海に導き入れた川(・・・)。今の天満橋あたりの大川」]。玉敷かましを(たましかましを=多麻之可麻之乎)[「<玉敷く>は、客を迎えるためにその場を飾る常套句」。06-1013門尓屋戸尓毛 珠敷益乎(かどにやどにも たましかましを)、11-2824覆庭尓 珠布益乎(おほへるにはに たましかましを)、など]。御船漕がむ(みふねこがむ=美敷祢許我牟)[「大君が船遊びをすること・・・」]。太上皇[「退位後の第44代元正天皇。諱(いみな)は氷高皇女。脚注に<清足姫天皇>とある。・・・橘諸兄を重用した」]。
2021-0805-man4055
万葉短歌4055 可敝流みの3765
可敝流みの 道行かむ日は 五幡の
坂に袖振れ 我れをし思はば 大伴家持
3765 万葉短歌4055 ShuI407 2021-0805-man4055
□かへるみの みちゆかむひは いつはたの
さかにそでふれ われをしおもはば
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第24首。久米広縄館饗宴歌四首の第4首。左注に、「右二首大伴宿祢家持 前件歌者廿六日作之」。
【訓注】可敝流み(かへるみ=可敝流未)[「福井県南条(なんじょう)郡今庄(いまじょう)町〔(現・南越前町)〕南今庄付近。<み>は<回>で、あたり」]。五幡(いつはた=伊都波多)[「敦賀市五幡」]。
2021-0804-man4054
万葉短歌4054 ほととぎす3764
ほととぎす こよ鳴き渡れ 灯火を
月夜になそへ その影も見む 大伴家持
3764 万葉短歌4054 ShuI407 2021-0804-man4054
□ほととぎす こよなきわたれ ともしびを
つくよになそへ そのかげもみむ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第23首。久米広縄館饗宴歌四首の第3首。次歌左注参照。
【訓注】ほととぎす(保登等芸須)。こよ(許欲)[「ここを通って・・・。<よ>は<より>と同じく通過地を示す」]。灯火(ともしび=登毛之備)。月夜(つくよ=都久欲)。なそへ(奈蘇倍)[「ある物を別のある物に見立てる」]。
2021-0803-man4053
万葉短歌4053 木の暗に3763
木の暗に なりぬるものを ほととぎす
何か来鳴かぬ 君に逢へる時 久米広縄
3763 万葉短歌4053 ShuI407 2021-0803-man4053
□このくれに なりぬるものを ほととぎす
なにかきなかぬ きみにあへるとき
○久米広縄(くめの ひろつな)=4050歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第22首。久米広縄館饗宴歌四首の第2首。左注に、「右一首久米朝臣広縄」。
【訓注】木の暗(このくれ=許能久礼)。ほととぎす(保登等芸須)。君に逢へる時(きみにあへるとき=伎美尓安敝流等吉)。
2021-0802-man4052
万葉短歌4052 ほととぎす3762
ほととぎす 今鳴かずして 明日越えむ
山に鳴くとも 験あらめやも 田辺福麻呂
3762 万葉短歌4052 ShuI407 2021-0802-man4052
□ほととぎす いまなかずして あすこえむ
やまになくとも しるしあらめやも
○田辺福麻呂(たなべの さきまろ)=06-1048歌注参照。
【編者注】巻18(4032~4138、百七首)の第21首。題詞に、「掾久米朝臣広縄之館饗(あへする))田辺史福麻呂宴歌四首」、仮に略して久米広縄館饗宴歌四首、その第1首。左注に、「右一首田辺史福麻呂」。さらに4055左注参照。
【訓注】ほととぎす(保登等芸須)。験(しるし=之流思)。