鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

不動心

2008年11月19日 | Weblog
鹿島が正念場の大分戦へ不動心
 J1の優勝争いが佳境を迎える中、リーグ首位に立つ鹿島は勝ち点2差で4位につける大分と23日に大事な一戦に臨む。

 リーグ戦はここ2戦未勝利で、天皇杯も敗退とチーム状態は決して良くない。だがDF岩政は19日の練習後、「失点(15日の天皇杯清水戦で大量4失点)の修正も大事だけど、自分たちの軸をぶらさないことも大事になる」と足元を見つめ、不動心を持って戦うことを誓った。

 [2008年11月19日19時45分]

「軸をぶらさない」確かに重要なことである。
ここ数試合の不調は気分を滅入らせるに十分である。
しかしながら、ここで小手先を変えたところで好転するものでもあるまい。
得点は取れておるのだ。、次は失点を減らすことにある。
ちょっとしたメンタリティで改善できると思われる。
我等は勝利するために戦うのだ。
その気持ちを忘れず、一つ一つ勝利を重ねたい。
その積み重ねの先に何かしらがあると言えよう。
不動明の心なのである。

サッカー少年野沢拓也

2008年11月19日 | Weblog
ブラジルではすごい経験をさせてもらいました。
08.11.14 UPDATE
― 小学生時代(稲田小学校少年団)
サッカーを始めたのは2年生からです。ずっと野球をしていたので、その後も野球をするんだと思っていたのですが、親から聞いた話だと、兄がサッカーを始めたので、僕も一緒にサッカーをするようになったようです。稲田小学校の少年団はあまり強くないチームでした。昔、交替選手がおらず11人で頑張る「頑張れキッカーズ」という少し現実的なマンガがあったのですが、稲田小もまったくその通りでした。勝てないんだけど、みんなで頑張っているという感じで。監督はスパルタで厳しい人でしたが、技術があって上手かったということを記憶しています。そこで練習をして、家に帰ると、サッカーの経験がまったくない父が待っていて、そこでもパスやドリブルなどの基礎練習をさせられました。毎日毎日、サッカーばかりでした。個人的には市選抜、県選抜に選ばれました。地域選抜に行くと、アントラーズジュニアの選手がいました。みんな上手いんですよ。もう手に負えないというか。敵わないなあ、と思っていた記憶があります。

― 中学生時代(稲田中学校→鹿島アントラーズジュニアユース)
3年生に兄がいたので、そのまま中学校の部活に入りました。稲田中も稲田小からの持ち上がりだったのでそんなに強くありませんでした。僕は当時フォワードで出ていたのですが、身体が小さかったため、1年生の頃はなかなか厳しかった記憶があります。この頃、県選抜でアントラーズの選手たちと仲良くなったんです。みんな上手いし、プレーしていると楽しくって。この人たちと一緒にサッカーがしたいと言う気持ちが強くなって。それでアントラーズのジュニアユースに入りました。自宅からは車で1時間半の距離だったのですが、毎日、親から送ってもらいました。やっぱりアントラーズのジュニアユースはすごかったんです。圧倒的でした。みんな基礎が出来ているんです。それまではボールを持つとドリブルだったのですが、しっかりとパスを回すというサッカーとガラッと変わってしまったんです。俺、やっていけるのかなあ、って思っていました。ですが、指導してくれた藤代監督はひとりひとりに丁寧に教えてくれる熱い監督だったんです。ここでしっかり基礎を学びました。この監督との出会いがなければ、僕はここまでになっていないと思います。

― 高校への進学
ユースにはすんなりと上がれました。家を離れて、寮に入ることになったのですが、サッカーだけを考える生活が僕には良かったので、あまり気になりませんでした。

― 高校生時代(鹿島アントラーズユース)
1年生の時は3年生に曽ケ端さんがいて、クラブユース選手権で準優勝しました。対戦相手で覚えているのはガンバです。すごかったんです。大黒さんがいて、二川さんがいて。ボールが見えませんでしたよ。2年生からトップの練習に参加させてもらいました。ジョルジーニョやレオナルドがいた時代でした。ものすごい選手じゃないですか。一緒にボールを蹴ってもらえるんですか? ってくらいでした。ただ、その中でも、僕は自分のサッカーのことだけに集中していました。3年生の時にトップの試合に出場させてもらいました。ああ、これがJリーグなんだ、と思ったことを記憶しています。その後、ジーコに呼ばれたんです。リオのCFZに行って見ないかって話をされたんですね。僕はそれまで海外に行ったことがなかったですし、サッカー王国ブラジルにはすごく興味がありましたから、2ヶ月間行っかせてもらいました。ここではすごい経験をさせてもらえました。ブラジルは本当にサッカーが一番なんだな、やはり日本はサッカーが認知されていないんだな、って思いました。夜、寝ていても、どこかからサッカー中継のアナウンサーの声が聞こえてくるんです。うるさくて眠れないくらいに。どこかが優勝すると、花火が打ちあがるし。毎日がサッカーばかりでした。プレイヤーもサッカーしかなくて、子どもの頃からプロとはなにかを教えられているような環境でした。日本では何でも買ってもらえますが、ブラジルの子どもは何かを買うために頑張っているんですよね。そんな環境だったのですが、試合にも使ってもらえて、サンパウロの大会に出させてもらったんです。その大会は大きな大会で、プロへの狭き門だったんです。みんな真剣勝負で、ピッチにペットボトルや石とか飛んでくるし。こんなところで戦っているんだから、世界一にもなれるよな、というイメージがありました。

契約はブラジルに行く前に決まっていました。その時のことはあまりよく覚えていませんが、とにかくサッカーだけをしていけるという喜びはありました。

― プロになれた一番のポイントは?
段階を踏んでここまで来たんですが、やはりアントラーズに来たのが大きかったと思います。サッカー漬けになる日常にいて、本当にサッカーしかやってきませんでした。それが良かったんだと思います。

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

サッカー漬けの野沢拓也の半生である。
ケーラー病との戦いこそ語られておらぬが、サッカーを楽しみつつここまで来たことが伝わってくる。
これからもずっと鹿島アントラーズでサッカーと共に歩んでいった欲しいものである。

篤人練習中

2008年11月19日 | Weblog
[ 日本 vs カタール ]前日練習の様子

松井大輔(サンテティエンヌ/写真左)のリフティングに笑顔を見せる内田篤人(鹿島/写真中央)と今野泰幸(F東京)。

右サイドを切り裂くのか、守備を頑張るのか、右サイドが戦術のカギとなろう。

小笠原主将屋外リハビリ開始

2008年11月19日 | Weblog
小笠原回復順調 屋外でリハビリ開始
 10月10日に左ひざ前十字じん帯再建手術を受けた鹿島MF小笠原が屋外でのリハビリを開始した。これまでは室内でのリハビリだったが、この日は安藤理学療法士とともにピッチを歩行。「寒かったです」とおどけながらも、久々の屋外でのトレーニングに明るい表情をのぞかせた。全治6カ月で来季の開幕は絶望だが、4月上旬の復帰に向けて順調な回復を見せている。
[ 2008年11月19日 ]

小笠原主将が復帰へ向けて屋外リハビリを開始。
一つ一つ前へ進んでいる様子である。
練習終了後には金古にペットボトルの水をかけるイタズラを見せメンタルの充実も感じられる。
我等が主将の為にも優勝して今季を終わらせたい。

秋-春制、ナビスコ杯改悪否定

2008年11月19日 | Weblog
犬飼会長改革案にJ鬼武チェアマン反発
 Jリーグ鬼武健二チェアマン(69)が、日本協会の犬飼基昭会長の改革案に「NO」を突きつけた。18日、都内でJリーグ将来構想委員会を開き、同会長が提案した(1)10年からのシーズン秋春制移行(2)ナビスコ杯の五輪方式導入(3)天皇杯の日程見直しについて討議。鬼武チェアマン(C)は「無理が通れば道理が引っ込む、というわけにはいかん」と会長の提案に不快感を示し、現段階では受け入れない方針を示した。

 (1)シーズン制移行 委員会では9月開幕~5月末の秋春制で試合日程をシミュレーション。11年1月のアジア杯(カタール)など日本代表の活動期間を考慮すると、リーグ戦8~9試合が未消化になると結論付けた。欧州のように、8月中旬から前倒しで開幕する例もあるが、鬼武Cは「猛暑や雷雨があるから7、8月はやらないという(シーズン移行の)大前提が崩れる。準備が必要だし、10年からは無理」と断言した。

 (2)ナビスコ杯 犬飼会長は若手育成を図るため、出場資格を23歳以下の選手とオーバーエージ(年齢制限外)3人に制限する「五輪方式」を提案。鬼武Cは「ニューヒーロー賞を設けたり、代表がいなくても若い選手が盛り上げている。JリーグのことはJリーグが決める」と突っぱねた。

 (3)天皇杯 犬飼会長はシーズン移行を視野に、元日決勝を含めた日程見直しを示唆。鬼武Cは「日本で最高の大会なら、シーズン終盤に決勝を行うべきだ。シーズン移行とは別問題」

 将来構想委員会は来月初旬に再開して継続審議するが、第2回の会合で早くも犬飼会長の案が否定されるという事態に陥ってしまった。
【山下健二郎】
 [2008年11月19日7時41分 紙面から]

Jリーグ鬼武チェアマン、犬飼案にNO!!
2008.11.19 05:05
 Jリーグの鬼武健二チェアマン(69)は18日、日本サッカー協会(JFA)の犬飼基昭会長(66)が提唱する「2010年に秋春シーズン制へ移行」「ナビスコ杯を五輪方式のU-23(23歳以下)大会に」などの大胆改革案に対し、拒否の姿勢を明確に示した。ともに日本サッカー発展を思っての考えとはいえ、すれ違いの距離は大きい。
 Jリーグ理事会後の会見。鬼武チェアマンは“犬飼案拒否”の考えをはっきりと口にした。

 (1)《シーズン制移行にNO!》犬飼会長はJのシーズンを秋↓春に移行したい考えを明言。猛暑や雷の影響を受ける真夏開催の問題点と国際カレンダーに合わせることなどが理由で、秋春制の10年開始を目指すとしたが、鬼武チェアマンは「10年? 無理でしょう」。この日のJFA将来構想委員会で討議されたが、日程が収まらないことを確認した。さらに、地域密着を目指す鬼武チェアマンは「雪国は夢を捨てろ、ということになる」と、1、2月に試合開催が困難な新潟など雪国クラブを何より憂慮する。

 (2)《天皇杯問題にNO!》天皇杯を軽視するクラブが多いことを問題視した犬飼会長は、抜本的改革を指示。シーズン制とも関連する問題に、鬼武チェアマンは「天皇杯が最高権威の大会というならば、決勝はシーズンの終わりに来るべき」として、現行日程のままが理にかなっていると主張した。

 (3)《ナビスコ杯改革にNO!》犬飼会長は、ナビスコ杯を23歳以下とオーバーエージ選手3人限定の五輪方式に変えたいと公言。これに鬼武チェアマンは「変える気は毛頭ない。JのことはJで決める」と憤った。

 「討議をしないと前には行けない。いきなりエイヤ! では…」。その声は、ドーハ滞在中の犬飼会長へ届きそうな勢い。鬼武チェアマンの言葉通り、Jリーグの懸案についてはJリーグ理事会が最高決定機関。基本的に、日本サッカー協会の理事会はこれを追認する立場にある。とはいえ、犬飼会長は日本サッカー界をリードする役職。近日中にトップ会談が行われるが、シーズン制は10年来の論議。鬼武チェアマンの明確な意思表示で、さらに対立の構図が浮かび上がった。


鬼武Cが犬飼会長案否定
 Jリーグ鬼武健二チェアマン(69)は18日、日本サッカー協会の犬飼基昭会長(66)が主張する「2010年からJリーグの秋―春制シーズン移行」「ナビスコ杯のU―23(23歳以下)」について真っ向から否定した。

 同チェアマンは都内で開かれたJリーグ理事会後、「シーズン移行は10年からは無理。ナビスコをU―23とするつもりは毛頭ない。JリーグのことはJリーグで決めます」と強い口調で話した。さらに「無理が通れば道理が引っ込む、ではいかん」と厳しい表現で犬飼会長の提案を非難した。

 一方、カタールで同チェアマンの発言を伝え聞いた犬飼会長は「常軌を逸しているよ。信じられない。傘下の一組織でしょ。命令しているわけじゃなく、発展のため、一緒にアイデアを出していこうと」と話し、帰国後、鬼武チェアマンから事情聴取する考えを明かした。

(2008年11月19日06時02分 スポーツ報知)

春-秋制から夏-初夏制(秋-春制)への移行ナビスコ杯U-23化など次々に改悪を打ち出してきた犬飼サッカー協会会長に対し鬼武Jリーグチェアマンが真っ向否定とのこと。
Jリーグにも良心があったとホッとしたところである。
犬飼氏の案は一つ一つ問題があり、犬飼氏自体がきちんと考えていないことが読み取れた。
やはり現場に近い人間が冷静に分析すると現実的ではないことがわかるのである。
これで一つ危機が回避された。
とはいえ、犬飼氏の恐怖政治はまだ続く。
我等は強権に負けることなく戦い続けたい。