鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

大谷昌司

2006年06月16日 | Weblog
大谷 昌司 選手 JAPANサッカーカレッジへ移籍のお知らせ
2006.6.16
 いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。
 このたび、当クラブ所属の大谷昌司選手(23)がJAPANサッカーカレッジ(北信越リーグ)へ移籍することが決定いたしましたので、お知らせいたします。

大谷 昌司 選手 Masashi OTANI
■ 背番号 23
■ ポジション MF
■ 生年月日 1983年4月17日(23歳)
■ 身長/体重 172cm/66kg
■ 出身地 群馬県
■ 経歴 前橋育英高→鹿島アントラーズ
■ 出場記録 年 所属 リーグ(得点) カップ(得点) 天皇杯(得点)
2002 J1 鹿島 0(0) 0(0) 0(0)
2003 J1 鹿島 0(0) 0(0) 0(0)
2004 J1 鹿島 2(0) 0(0) 0(0)
2005 J1 新潟 0(0) 0(0) 0(0)
2006 J1 新潟 0(0) 0(0) ―

J1リーグ戦通算:2試合出場0得点
※6/16 現在
■ コメント
新しい環境で挑戦することを決断しました。1年半という短い間でしたが、温かいご声援をいただき、本当にありがとうございました。

昨季、アルビレックス新潟に完全移籍した大谷昌司だが、JAPANサッカーカレッジに移籍とのこと、旅立った選手ではあるが成長後に対戦することを楽しみにしていただけに感慨深いものがある。
JAPANサッカーカレッジは北信越社会人リーグのチームである、基本的にアマチュアということであろう。
去って行っても第一線で相まみえたかったが、叶わぬ夢となりそうである。

大谷と言えば、2004年Jリーグ1stステージ第9節 大分トリニータ戦の先発であろう。
フェルナンドの出場停止により機会を得た大谷は初先発した。
当時のスポーツ新聞には、中田英寿に顔が似ている選手として紹介されていたので記憶している人も多いであろう。
実際はナカタよりも元イングランド代表・ニューカッスルのKieron DYERの方が似ている。
ちなみにその試合で相棒となったもう一人のボランチは新井場である。
如何に苦しい選手状況であったかよくわかる。
その試合は3-0と快勝し、大谷選手は途中交代ながら無難にプレイをこなした。
そう、無難だったのである。
特に秀でるところもなく、明らかにダメなところもない。
没個性。
スタジアムで見た大谷は何も感じさせてくれなかった選手であった。
去年の夏の練習試合で見た吉澤より上手であったし、堂々としていたと思う。
しかし、吉澤はボール奪取とプレッシングに将来性を感じたのは事実であった。
昨季のナビスコ杯予選リーグ清水戦で先発した中後は守備が穴で狙われていた、しかし2アシストを記録。
そういうところが、プロとして続けて行くには重要な部分なのでは無かろうか?
前橋育英高校では10番を背負い高校選手権に出場した大物である。
才能は十分に備えていたと言える。
だが、才能だけでは、入り口に立つまでしか出来ない。
そこから先が重要なのである。

なお、この試合で出場停止の金古に変わって岩政が初先発している。
そこで完封勝利をしていることも特筆すべきであろう。