山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

映画「ほんがら」にて

2014-03-09 17:39:40 | モノローグ【エトセトラ】
劇団員太郎君がこの間、バタバタとしていた。上映会の準備に追われていた。
その大変さは我がことのようにわかる。人を動かすにはタイムリーさと普遍がある。
企画や集客に向けての苦労はスタッフが少数であれば大きな負担を感じることもある。
それも熱意でフォローされる。作品に対する愛というか、意志の強さを感じた。
昨日(土)上映会に行った。
映画の魅力の一つにドキュメンタリーはある。演劇ではこうはいかない。

農村再生ドキュメンタリー映画作品『ほんがら』自主上映会

「ほんがら」とは「からっぽ」という意味で使われている。
この映画は滋賀県近江八幡市島町で50年途絶えていた「ほんがら松明(たいまつ)」火まつり復活のドキュメントだった。
老人クラブの呼びかけで若い力、青年団まで再生していく様子が流れる。小さな町(農村)だからこそ見えるヒューマン。
農業離れしていく時代に<まつり>の力で町が再生される。否、若い世代の<こころ>が活き活きと復活する。
ほんがら、つまり空洞を作った大きな松明にてっぺんから火を噴き出す。
記憶を頼りにこの仕掛けを作る場面や、松明を大勢で立てる場面、圧巻だったのはその松明を地面に叩きつけて空気を送りこむ場面。
うまくいかない。「もう一度」とやり直す。諦めない。まつりの人々の力が大きく固まる。
昔から農民たちは下向きで力強かった。叩かれても耐える。「もう一度」と歯を食いしばって生きた。
クライマックスで火を吹いてくれた。もしも火を吹かなかったら・・・。それでも大きな感動はあったと思う。
ドキュメンタリーは新しいドラマとなってつづく筈。
今、農村の在り方に不安はある。だが多くを語らなかったこの「ほんがら」に多弁を感じた。農村を死なせてはならない。

上映後、鍋パーティーとなった。このお寺で鍋を食べたのは3回目である。
5月16日・17日は同会場(法泉寺)で夢桟敷の「透明人間」公演をする。
写真は(左)長岡野亜監督、(中)このお寺の住職さん。

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