lizardbrain

だらだらぼちぼち

まやビューライン

2013年12月21日 23時19分15秒 | 風景光景

ずいぶんと昔、

社会人になったばかりの年の夏、高校の同級生で大阪の専門学校に行ったM君の夏休みを利用して北海道旅行を計画した。
M君の専門学校の同級生が北海道出身で、その同級生の北海道の実家に泊めてもらうつもりだった。
寝台列車泊を含めて、7泊8日くらいのスケジュールだった。
考えてみると、その北海道出身のM君の同級生とワタクシとは一面識も無かったわけで、今から考えてもずいぶんと厚かましい話なのだが、M君の話によると悪いヤツでも無さそうだったし、就職したばかりで手取収入も安く、まともに貯金すらできかねるような個人的には慢性的大不況の状態であった。
(ま、今も個人的不況の真っ只中ではあるが、、、、、)
最低限の予算で旅行しようとしているワタクシ達にとって宿泊代金が不要(もちろん手土産くらい持っていく良心は持ち合わせていたが)なのは、大歓迎だったのだ。

旅行予定日はどんどん近づき、寝台列車の切符も手配した頃に事件、いや、思いもかけない天変地異が勃発した。
北海道の有珠山という火山が噴火したのだ、、、、、、
有珠山が広い北海道のどの辺りにあるのかが良くわからなかったし、まさか影響はあるまいと気にもしていなかったのだが、M君から電話があった。
なんと、予定している北海道旅行で泊めてもらおうとあてにしていたM君の同級生の家は有珠山に近いところにあり、直接の被害は出ていないものの、噴火が始まってから時々火山灰が飛んでくる状態だと。

厚かましくも宿泊費を予算化しないで計画した旅行であるが、いくらなんでも火山灰が飛んでくる家に泊めてもらうわけにはいかない。
かといって、二人とも1週間ほどの宿泊経費をまかなえる状況ではなかった。
M君と相談の結果、北海道旅行は出発直前に中止となってしまった。
が、北海道まで遠出するため、休暇は既に手配していた。
そのまとまった休暇を家でゴロゴロしていてはもったいない。
で、何故か、北海道旅行の代案として京都に旅行するプランが浮上してきた。
京都なら北海道に比べると交通費はうんと安く済むし、その分宿泊費がかかってもなんとか行けそうだった。
といういきさつで、京都の安ホテルに2泊、後は大阪市都島区にあったM君の下宿に居候して、後の4日ほどは朝大阪を出て夜京都から戻る極めて変則的な旅になった。

その、本来なら北海道に行く予定だったのに京都を探索した最終日、二人して神戸に住んでいるこれまた同級生のT君を訪ねることにした。
男ばかり三人そろったところで、大して盛り上がる話題もなく、どっかに出かけようという話になった。
それならば手っ取り早く、ケーブルカーに乗ってお山に行こうという事になった。
お山の展望台らしき場所で海をバックに写真を撮った。
近畿地方を直撃ではなくて、それ気味の進路で台風が近づきつつあったので、随分風が強くて、真夏なのに涼しかったのを憶えている。
ワタクシの乏しい記憶によると、この時出かけたお山はてっきり六甲山だと思い込んでいた。
最近になって、T君の奥さんの話を聞いたり神戸の地図を改めて眺めているうちに、どうやらあれは六甲山ではなく摩耶山だった事が判明した。

つい何年か前に、T君は一足先に旅立ってしまった。
以来、あの時、ヤツと一緒に展望台で撮った写真と同じ場所にもう一度立ってみたいという思いが心の中に浸透していった。

以来、何度か神戸に行く機会はあったのだが、摩耶山まで足を伸ばす時間を取れなかった。
去年の11月にはしっかりと行く予定にしていたのだが、間の悪いことにその日は何故かロープウェイの定休日だったため、あきらめて行先を六甲山に変更するという悲しい思い出もあった。
その時は、いったいどうして交通機関としてのロープウェイに定休日があるのか、とどうにも納得できなかったのだが、、、、、
おまけに、昨年の終盤から今年の春が到来する冬場はリニューアル工事もあって、クローズされてしまった。

で、今年の9月30日、
ようやく、かねてからの念願だった摩耶山再訪を果たせた。
M君と一緒なら良かったのだが、ヤツは最近東京勤務が多くて都合が合わないので、こういう時はどんどん自分勝手に動くしかない。

摩耶山のロープウェイはまやビューラインという愛称らしい。


まやビューラインの乗り場には駐車場がないので、タクシーで行くか三宮駅からバスに乗って『まやケーブル下』停留所で降りる。
神戸市内を循環するバスと比べるとこの摩耶方面へのバスは便数が少なく、ほぼ1時間に1本くらいしか無い。
三宮駅に着いたのが10時ごろ。
次のバスの発車まで50分ほどあった。
とにかく駅前のベンチに座ってのんびり待つ。
バス停はあんまり混雑していない。

                    
11時過ぎ、バスに乗って摩耶ケーブル駅に到着。

                    
ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで、11時40分ごろ山頂に。

ところが、満を持してここまでやってきたものの、展望台の風景にはほとんど記憶が無い。
さて、これから、あの時ヤツらと写真を撮った場所を探さなければならない。
昔の写真のコピーを片手に調査活動に取り掛かる。

                   
左の写真の画面右側では、小学生達が遠足のランチタイムで盛り上がっていた。

                    
あれから30ン年経っている訳だが、休憩所とか展望台とかは何となく新しく見える。

          
このあたりは震災の影響をあんまり受けていないと聞いている。
だが、何度か設備をリニューアルしていたとしても不思議ではない。


比べてみるとフェンスの形状が違っているが、松の木の位置から察すると、30ン年前にはどうやらこのあたりで撮ったらしいと推察するしかない。
もっとドンピシャであの時と同じ風景にめぐり合えると期待してたので、なんとなく肩透かしを食った気もしないではない。
だが、ここに来た事の意義は大きい。

そうそう、有珠山は活火山で、最近では200年3月にも噴火している。