小林正観『究極の損得勘定Part2』(宝来社)より
「末期ガンで余命3ヶ月なんですけどどうしたらいいでしょうか?」
「3ヵ月後に死ぬということに関心を持たなくていいのです。そんなことはあなたには関係ない。今すべきことは目の前のこと、人、物を大事にするだけ。
ガンであと3ヶ月の命、と宣告されたら、それをどうやって半年、1年に延ばそうかと思うのではなくて、その3ヶ月の間に「どれだけ人に喜ばれたか」ということを、足跡として残していくほうがいいと思います。「喜ばれれること」は、自分が「喜びを感ずる」こととイコールです。
今まで喜ぶこと、喜ばれることの少ない人が、ガンになっているのかもしれません。仮にガンになったとしてもあらゆる病気の中でガンは余命幾月というのがわかりますから「神様、死ぬ時期を教えてくださってありがとう」と感謝することもできる。
自分から温かいものを投げかけていて、周りの人から「ありがとう」と言われていたら、言われたほうの人間が幸せをたくさん感じられるのだから、ストレスがない。ガンだと言われても感謝すらできるかもしれない。死ぬまでの間に、どれほどの人に喜んでもらえるかをひたすら考えるだけなのです。
ある医療関係者の報告ですが、ガンで余命3ヶ月と宣告されてから、奇跡的にがん細胞が消滅して治った人の共通項と、治らずにそのまま死んでしまった人の共通項というものがあるそうです。
前者は「ガンをどう治すか」ではなくて、「残された3ヶ月という時間をどう生きるか」に考え方を切り替えた人である。余命3ヶ月と言われてその3ヶ月を何とか1年に伸ばそうということで闘病生活に明け暮れた人は、3ヶ月前後で死んでしまうことが多いそうです。
そうではなくて、その3ヶ月を、自分のやりたいこと、例えば曲を作って遺そうとか、絵を何十枚描こうとか、俳句を作って遺そうとか、その3ヶ月間の日記を書いて、同じような境遇の人を勇気付けるようなものを残していこうとか、、「自分の生きている時間をどうするか」に切り替えた人が、ガン細胞を体の中から消滅させたらしいのです。
ですから、ガンと闘うと死に近づく、ということらしい。残された時間を充実させた人は、ガン細胞が消滅する可能性があります。私の周りには、なぜかガンが治ったという人がたくさんいますが、そういう因果関係があるようです。
そしてその生き残ったガン患者さんたちは「もう何も人生で心配することはなくなった」と全員が仰いました。余命3ヶ月と言われたときの状態で毎日過ごしているので、日々の一瞬一瞬を楽しんで生きていれば、残された余命がどれくらいかということは、もう関係がないからそうです」
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「末期ガンで余命3ヶ月なんですけどどうしたらいいでしょうか?」
「3ヵ月後に死ぬということに関心を持たなくていいのです。そんなことはあなたには関係ない。今すべきことは目の前のこと、人、物を大事にするだけ。
ガンであと3ヶ月の命、と宣告されたら、それをどうやって半年、1年に延ばそうかと思うのではなくて、その3ヶ月の間に「どれだけ人に喜ばれたか」ということを、足跡として残していくほうがいいと思います。「喜ばれれること」は、自分が「喜びを感ずる」こととイコールです。
今まで喜ぶこと、喜ばれることの少ない人が、ガンになっているのかもしれません。仮にガンになったとしてもあらゆる病気の中でガンは余命幾月というのがわかりますから「神様、死ぬ時期を教えてくださってありがとう」と感謝することもできる。
自分から温かいものを投げかけていて、周りの人から「ありがとう」と言われていたら、言われたほうの人間が幸せをたくさん感じられるのだから、ストレスがない。ガンだと言われても感謝すらできるかもしれない。死ぬまでの間に、どれほどの人に喜んでもらえるかをひたすら考えるだけなのです。
ある医療関係者の報告ですが、ガンで余命3ヶ月と宣告されてから、奇跡的にがん細胞が消滅して治った人の共通項と、治らずにそのまま死んでしまった人の共通項というものがあるそうです。
前者は「ガンをどう治すか」ではなくて、「残された3ヶ月という時間をどう生きるか」に考え方を切り替えた人である。余命3ヶ月と言われてその3ヶ月を何とか1年に伸ばそうということで闘病生活に明け暮れた人は、3ヶ月前後で死んでしまうことが多いそうです。
そうではなくて、その3ヶ月を、自分のやりたいこと、例えば曲を作って遺そうとか、絵を何十枚描こうとか、俳句を作って遺そうとか、その3ヶ月間の日記を書いて、同じような境遇の人を勇気付けるようなものを残していこうとか、、「自分の生きている時間をどうするか」に切り替えた人が、ガン細胞を体の中から消滅させたらしいのです。
ですから、ガンと闘うと死に近づく、ということらしい。残された時間を充実させた人は、ガン細胞が消滅する可能性があります。私の周りには、なぜかガンが治ったという人がたくさんいますが、そういう因果関係があるようです。
そしてその生き残ったガン患者さんたちは「もう何も人生で心配することはなくなった」と全員が仰いました。余命3ヶ月と言われたときの状態で毎日過ごしているので、日々の一瞬一瞬を楽しんで生きていれば、残された余命がどれくらいかということは、もう関係がないからそうです」
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父の病気で私達家族もいろいろなことを考えました。ガンはまさに生き方が問われる病気ですね。悲しい日々を過ごしましたが、今は、日々、何でもないことを、有難く感じることが出来ます。父が病気を通して教えてくれたのだと思っています。
父の病気がなければ、先生のホームページを見つけることも、お話をきくこともなかったのです。
本当にありがとうございました。
そうでしたか、お父様、旅立たれましたか…きっと今頃は自由になったお姿で快活に過ごされていることでしょうね。
人の思いは時空を超えてあの世の人々へもちゃんと届いていると聞いています。お父様へのmariさんや皆さんの思いは温かいさざなみの様にお父様を包んでいることでしょう。
人は20人ほどのグループで輪廻転生を繰り返して魂の学びの旅を続けているとか…またいつか今回はお父様を演じた魂の方とお会いになれるでしょう。今しばらくはお別れの時ですね。気を落とされませんように…
ともすれば喪失感にとらわれてしまいそうになるときがありますが、先生のおっしゃる通りですよね。
きっと父は今はとても自由になっているんでしょうね。
父が旅立ってから、私は死というものへの恐怖をあまり感じなくなりました。扉をあけて向こうに行けば父にも会えるんだなと、思えるようになりました。
でも、扉の向こうに行くまでは、感謝を忘れずにせいいっぱい生きなきゃいけませんね。
生きてる事ってすばらしいですよね。
先生、本当にありがとうございました。