植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

『死んだらおしまい、ではなかった』

2010年09月18日 21時20分36秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
『死んだらおしまい、ではなかった』ー2000人を葬送したお坊さんの不思議でためになる話(大島祥明著、PHP研究所)

 友人に勧められて読んだ。2000人以上の方の葬儀に関わった住職さんが、ご自身の体験から霊の実在を確信されるようになったのだけれども、そのことを淡々と書かれている。

「霊についてなにか述べようとすると、ほとんどが「思い込み」とか「宗教や信仰」だとか、「特殊な霊能者の世界」のようにとらえられてしまいます。
 しかし、私のつかんだ実感から言えるのは、たしかに霊(本人)は実在するのです。決して思い込みや信仰からではありません。
 そのことを、主観的な表明ではなくて、だれもが納得いく客観的なデータとして残しておきたい。その気持ちから、出会った霊的な体験を、一件一件、記録していったのです。
 客観的な統計データには、最低でも二千件以上のサンプルデータが必要だといいます。だから、最低でも二千件以上のデータがなければ、説得力を持たないと思いました。そういうわけで、私は無理をしてでも二千人以上の葬儀を執り行おうとしたわけです。結果、二千四十六件もの葬儀を経験することになったのです。」

 二千件のデータを得るのに11年の歳月がかかり、そしてそのデータの整理にとりかかってから20年が過ぎようとし、ご自身が60歳を越えられたので本として上梓されたとか。

 ご住職はいつ頃からか故人の霊(本人)がわかるようになり、それを感じながら読経されるのだとか。ご住職の執り行う葬儀は葬儀社からの依頼がほとんどで、菩提寺のない方、あるいは菩提寺が地方にあるために、そこの僧侶に来てもらえない方ばかりなので通夜の日に、初めて故人とご遺族にお会いする。

 だから故人の住所、性別、年齢などはわかるけれどもどんな仕事をしていたとか、どこで亡くなったのかも知らない。どんな暮らしをしていたのか、どんな性格なのか、そのようなことはまったくわからないそうだ。また、ご住職もなるたけ遺族から個人の情報についての話を受けないようにして、何の先入観もなく故人の霊(本人)と接するようにして、より正確に「本人」の状態、ご住職の感じる「なにか」を知ろうとしてこられた。

 そうして感じた「本人」のことをときおり遺族に話をすると、初対面にも関わらず、私が「まるで故人と生前に親しく付き合っていたようだ」とか「そんなことまでご存知なんですか」と驚かれることもあり、なかには、当の遺族も知らなかった話が出てくることもあり、遺族が故人の友人に聞いて初めて知ったという事実もあったとか。

 そうしたご自身の体験からくる話なのでとても面白いし、興味深い。
例えば「死んだ直後、ほとんどの人は自分が死んだことがわかっていない」とか「本人が死を自覚するまでの期間はどれくらいか」とか。

 そして「死んでも変わらないからこそ、いまを大切に生きる」とか「人生において大事なものは、いのちと時間」といった提言をされている。

 輪廻転生までは踏み込んでいないけれども、死後も私たちは存続しているんだなぁということを実感させてくれる本だ。

 そしてこの本を読むと葬儀に出ることが怖くなるかもしれない。だって故人の霊には私たちの感情や思いがまるわかりという状態らしいから、神妙に焼香待ちの列の中で「終わったらラーメン食って帰るかぁ」とか考えてることがバレバレだそうだから・・・あ~コワ、ごめんなさい(笑)

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