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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

『プレアデス 銀河の夜明け』読み始める

2006年02月13日 22時19分47秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 4日間ほど寝込む前はちょっとした知的スランプだった。まったく読書意欲が湧かずいやそれどころか本を開くことも嫌だった。何だったんだろう。

 いまからだが思うように再び動かせるようになって初めてまた本を読む気になってきた。それもこれまで決めてきた価値観からすると優先順位が低い表題の本をふと読みたくなったのが不思議だ。

 前に『フラワーオブライフ』を買ったがあまりに自分の思考の枠を飛び越えたものだったので理解できず、それらの書を「単に知識だけ集めても自分の血肉にできないものはまだ学ばなくていい」と判断して“積読”状態にしていたんだけれども、その自戒も破って今回表題の書を手にした。

 アセンション、フォトンベルト、アヌンナキ、ルシファー、アルシオネ、ツォルキン・・・といったこれまで遠避けてきたニューエイジキーワーズが続々と出てくる。果たしてぼくはこれらをどう理解するのか・・・。自分の治療院HPの改訂と同時進行で読んでいくのだがそれにも影響するのか・・・。多重構造をした聡哲という個のこれまで知られていていない他の側面が浮かび上がってくるととても楽しいのだけれども。
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宮崎勤被告への死刑判決について(霊的視点から)

2006年01月18日 21時52分57秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 幼児誘拐殺人事件の宮崎勤被告の最高裁での死刑判決が出た。遺族や多くの国民感情として当然のように思える。ぼくにも幼い娘がいるがもし娘が殺されたりしたらやはり犯人に仕返しをしたいと思うだろう。

 この間ぼくは人間は輪廻転生して決して魂という生命エネルギーは消滅しないことを学んできた。だから愛娘が殺されたとしても失われるのは肉体であってその愛らしい性質、性格はそのままに今も存在していると思うだろう。しかし現実にそんな状況に置かれたならば頭ではそのように理解できても、たぶん心、感情では納得できず犯人への復讐の念に燃えるに違いない。

 ぼくは一つ前の自分の前世でその時の両親、弟を強盗に殺されたのちその殺人犯を後にそうと知らず愛してしまい、後年その罪に苛まれて自白した彼を責めず、警察に売り渡さず、赦し、その男が自首して死刑になった後、その男の子供をひきとって育てたという経験をしているらしいことを最近受けた過去世リーディングで知った。

 だからとてもとても難しいことだけれども今生でもぼくは人を“赦す”ということを学ぶ必要があるのだ。そうでないと前世の自分の魂が到達した段階より劣ってしまうから。魂の成長が退歩してしまうから。だから今回の死刑判決を当然と思ってしまう今の自分の魂のレベルがとても悩ましい。

 以下は2004年9月14日に書いた文で、霊界通信の一つである『霊訓』からの抜粋で、霊界から見た死刑執行の誤りを述べている。本日これから放映されるだろう『オーラの泉』などで死後の世界や霊的世界のことが日常に受け入れつつあるけれども、次のようなディープな情報も少しずつ知れ渡っていくことが望まれる。

 『本日、大阪池田小事件の犯人宅間死刑囚の死刑が執行された。人権団体の非難表明が出ているが霊界からは死刑執行の誤りを次のように述べてきている通信がある。

 「霊にとりて、その宿れる肉体より無理やりに離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送られることほど危険なるものはない。いかなる霊にとりても、急激にそして不自然に肉体より切り離されることは感心せぬ。われらが死刑を愚かにして野蛮なる行為であるとする理由もそこにある。死後の存続と進化についての無知が未開人のそれに等しいが故に野蛮であり、未熟なる霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせさらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているが故に愚かというのである。

 そなたらはみずから定めた道徳的並びに社会的法律に違反せる者の取り扱いにおいてあまりに盲目的であり無知である。幼稚にして低俗なる魂が道徳を犯す。あるいは律法を犯す。するとそなたらはすぐにその悪行の道を封じる手段に出る。本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純なる霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、人間はすぐに彼らを牢獄に閉じ込める。そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿なる邪念に燃えている。それのみか、霊界の未熟なる邪霊までもそこにたむろし、双方の邪念と怨恨とによって、まさに巣窟と化している。(中略)

 凶悪人から身体的生命を奪う。復讐的刑罰を与える。厚顔にも法の名の下に流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである。しかも、かくして傷つけられし霊が霊界より復讐に出ることをそなたらは知らぬ。」(中略)
 「然り。友よ、そなたらが設けたる牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方の全てにおいて、その趣旨がことごとく誤りと無知の上に成り立っている。

 戦争および大量虐殺に至っては尚のこと恐ろしきことである。本来同胞として手を繋ぎ合うべき霊たち、その霊たちの利害の対立をそなたらは戦闘的手段によりて処理せんとする。血に飢えし霊たちは怨念と憤怒を抱きつつ肉体より引き裂かれ、霊界へと送り込まれる。肉体なき霊たちは燃えさかる激情にさらに油を注がれたる如き激しさをもって地上界を席巻し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心を一層駆り立てる。然るにその拠って来るそもそもの原因は単なる野心の満足、一時の気まぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かなる野望に類するものであったりする。

 ああ、友よ、人間は何も知らぬ。まだまだ知らねばならぬことばかりである。しかもそれを、これまで犯せる過ちを償うため、苦くかつ辛き体験を通じて知らねばならぬ。人間は何よりも先ず、愛と慈悲こそ報復的処罰に勝る叡智なることを知らねばならぬ。」(『霊訓<完訳・上>』、W・S・モーゼス著、近藤千雄訳、心の道場)』

 この通信のようなこと(死刑執行された者の魂が憤怒にかられて幽界をさ迷い、人間界の憎しみに拍車をかけていること、戦争など闘争において死んだ者も同じ思いで人間界に災いをなしていること)が本当だとすればやはり生きている私たちが思考を変えて戦争絶対忌避とか死刑廃止としていかない限りこの世が良くなる(浄化される)ことは先に延ばされるだろう。

 見えない世界のことを学ぶことは平和に繋がり愛に繋がっていく。オカルトに対する興味でなく自分を高める、社会をハートフルに変えていく手段として見えない世界のことを真摯に学んでいきたい。
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大晦日

2005年12月31日 13時48分35秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 大晦日の今日は『ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと』を読んでいる。近くにあるインディアンジュエリーの店に立てかけてあった本を一瞥して読みたいと思い、アマゾンで買った。

 十数人のエルダーたちが写真と共にその思いを語っている。「ナショナルジオグラフィック誌を中心に活躍するライターと写真家が10年以上の歳月を掛けて、全米各地のインディアンリザベーション(居留地)をたずね、スピリチュアル・エルダー(精神的長老)たちの言葉を記録したものだ。彼らの心の奥、夢、ビジョン、ユーモア、笑い、癒しの方法や黙示的な預言を心に響く言葉で読者と分かち合ってくれる」(表紙カバー裏より)素晴らしい本だ。

 さてこの本を携えてまた自由が丘駅前のスターバックスへ行ってこよう。ゆっくりとした時間を味わいたい。

 今日は大晦日。いろいろあった一年でした。みなさんは如何だったでしょうか?
 良い年をお迎え下さい。来年もよろしく。
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キョーコさんの“カミングアウト”

2005年12月20日 23時05分54秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 左のブックマークに入れてあった「キョーコのきまぐれ日記」のキョーコさんがブログタイトルをヒーリングソウルに変え、彼女本来のシャーマンの能力をオープンにすることにされた。

 キョーコさんのブログを見てもらうとわかるのだけれどもぼくには彼女はとても理性的な人に思える。ブログのカテゴリに「時事・社会」「歴史・戦争」「近隣諸国・領海」といった大事だけれども正面きって語るには骨が折れるジャンルが並んでいて、またその中身の文章の視点が鋭くて舌を巻いてしまう。さすがに「時代の流れを読め」なんて記事を投稿されているだけある。そんな彼女は最近多くネット上で見かけるヒーラーやチャネラーの方とはちょっと違う感じがしている。

 だからぼくは彼女の今回の“カミングアウト”に敬意を表するし、そんな理性的な彼女がカミングアウトしても大丈夫と読んだであろうこの今の時代の可能性、つまり目に見えない世界のことを普通の場で語っても許容する人が多くなってきている今を本当に大事な時代だと思い始めている。

 「わたしはずっと自分のシャーマンとしての能力がいやだった。
 神々や精霊たちと交わり、かれらの要請を受けて宇宙や大地の龍脈やアセンションのための調整するのがシャーマンの役目。これは人に言ってもなかなか理解してもらえないし、へたに話して奇異の目でみられるのがこわかった。だからごく一部の親しい友人をのぞいて、できるだけこうした話はしないようにしていたんだよね」

 「なにがあんなに怖かったんだろう?
 異端扱いされて、社会から抹殺されることだろうか? それもあるけど、いちばんこわかったのは自分自身の力に気づくことだったのかもしれない。
 古代にクラマの力が封印されたのは当然だった。その時代、人々の意識は保守的で、大きな宇宙の変化の波についてゆくことができないのは目に見えていたからだ。変化についてゆくことができなければ文明は崩壊する。だからこそ当時のシャーマンたちは人々を守るために、その力を人間が使いこなせる時が来るまで、この地に封印したのだろう」

 キョーコさんのような人たちがその特別な能力をもってたとえ奇異な目で見られたとしても重要な役目を果たすということを覚悟し受容して“カミングアウト”してくれることを歓迎したい。そして間違ってもオカルト的なことへの興味からの接触や批判ではない形でそのような人たちと手を携えてこの文明の行く方向やその速度を正していくことをしていきたいと思う。それが彼女の言う「その力を人間が使いこなす」という意味だと思う。


 キョーコさん、引用が多くてゴメンナサイ。著作権の問題とかあるのでしょう。もし差し障りがあるようでしたら訂正しますので言って下さい。
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『精神病が消えていく』

2005年12月19日 17時52分29秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 『精神病が消えていく 続・精神病は病気ではない』萩原玄明著、ハート出版を読んだ。東京八王子の長江寺の萩原住職は霊視という彼独特の方法で精神病を癒している方。「霊障をあなたの家にもたらしていたのは先祖の誰々さんである」などと死者を特定して伝えることはせず、精神病という憑依現象を起こしている悩める先祖霊の特定を相談者の方々自身に探し出させ、供養させて精神病を治癒に持ち込んでいる。

 前に『精神病は病気ではない』『死者は生きている』などの萩原住職の著書を読んでいるのだけれども、今回小学校5年生の息子さんがとつぜん爆発的に怒ってしまうなどで悩んでいる方の相談を受けて、場合によってはと考えた。

 前に読んだ2冊は鍼灸師の先生にお貸しして未だ返って来てないので手元にないからその方にお貸しできないので、新たに表題の本と『心を盗まれた子供たち』『あなたも自殺しますか』の萩原住職の書籍をアマゾンの中古市場でオーダーした。

 「家族の中に精神病が発生したら、それは悔やんで悔やんでもがき苦しんでいる死者たちが必ずいるということであり、更にあなたも今きっとそれと同じ過ちをしているのに自分でさっぱり気がつかずにいるということなのです」

 「治すためにしなければいけないから、供養というものをしなくてはならない、だから供養をする、というのでは治るという結果は決していただけません」

 「死者の教えとは何か。一口で言うならば、それは生きている今を正しく暮らせということです。自分の生命の根源である先祖や縁者に対して常に感謝の気持ちを持つという、このこと一つができるかどうかそれだけでもいいのです。自分ばかりいつも真ん中に置いて、人の痛みをまったく考えないような自分中心の暮らしを深く反省するということだけでもいいのです。人間の一番大事なものはお金でもなんでもなくて心なんだということを、死者の今の苦しみから学べばいいのです。それが正しい暮らしというもので難しい理屈は一切無用です」

 萩原住職の供養をごくごく簡単に説明するならば霊視によって特定することができた死者に対し、「あなたの肉体は既に消滅して今は魂として生きていることを自覚し、地上へはもう意識を送ることなく魂の故郷へお帰り下さい」という意味のことを一心に説く彼独特の方法だとか。

 ここで言われている“供養”とはお金を掛けて墓を作ったり僧侶による回向などをすることとはまったく違っていて「浮かばれていない先祖霊の方々が待ち望んでいた『あなたの心の優しい応答』」だそうだ。だから精神病を起こすまでして自分の存在、思いを知らせたかった先祖の方をきちんと特定し、その人が伝えたかったことをしかと心に受け止めてわたしたちが生き方を改めていくことで病気が治っていく。決して精神病にかかっている本人への治療、祈祷などではない。

 もしかしたら癌も同じ意味があるのかもしれない。直観だけどそう感じる。真実かどうかを探り当てていきたい。
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時の輪講座2回目

2005年12月17日 14時57分48秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 昨日は参宮橋のオリンピックセンターで行われた北山耕平さんのストーリーテリング“時の輪”講座2回目に行った。参加者30人前後。借りた教室の机を四隅に畳んで椅子を円陣に配して中央にデザイン灯りを置いて3時間ほどの語りに声を傾けた。

 『ネイティブ・タイム』という北山さんの著作の初めの方を読んでくるのが“宿題”で、その宿題からぼくはこの列島に住む人たちが繰り返してきた争いは中国や朝鮮半島の強い政治集団の植民地(日本列島のこと)における代理戦争だったのだ、というふうに掴めてきた。

 そして昔、歴史の教科書で「鉄器が入ってきた」とか「○○が伝わってきた」と学ばされたことが実は決して鉄器や○○だけが入ってきたのではなくて、そこに激しい戦いがあったりその結果それを使う人たちに征服されたりしてそれらが伝え及んだのだと理解するほうが妥当だとも思い至るようになった。

 であるから日本には激しい征服物語がなかった、というのも変だし昔から日本民族というものがいたというのもおかしなことになるだろう。この列島のネイティブの人々は今のアメリカインディアンの人々と同じようにあとからやってきた者たちに武力によって制圧されたり辺境に落ち延びていったのだと思う。かつて新羅、百済、高句麗といった国が朝鮮半島にあったころ、百済が新羅に滅ぼされた時に多くの百済人が難民となってこの列島に渡ってきたとのこと。そして土着化していったと。そういうことを知るとこの列島の人々は実は一つの民族ではない寄り合い所帯だということが理解できてくる。

 いまこの国の人は“日本人”という単一の国民がいるように錯覚をしているように思える。それはまことにもって教育の賜物だ。ぼく自身台湾人と日本人のハーフなのだけれどもアイデンティティは日本人になりきってしまっている。しかしよくよく学んでいくとこの列島に住む人を一つの“日本人”と見做すのはむりがあるように思える。だから違いを認め合うということが大切になってくるのだろう。

 個人的な体験にもとづいた個人的見解だけれども人間はさまざまな時代、国、民族、性別、容姿、知性で生まれ変わる、生まれなおす存在だと思っている。だからそこから得た学びは「どこで生まれてもいつ生まれても“人”という存在で学ぶことはたいがい同じ。もうそろそろ民族、国家などといった人を分断する、ほかとの違いを際立たせるような考え、比較概念からはもう卒業しよう」ということだ。

 ボーダーレスの時代を生きるには“ただの地球に生きる人”でいいと思うのでそのように生きていきたい。
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霊視

2005年12月08日 20時27分22秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 先日ブックマークに入れている「Spiritual」を運営している霊能者の方に実際にFちゃんが霊視を頼んでくれてその結果も見せてくれた。
 心優しい言葉が並んでいたように思う。目新しい言葉や理解できない表現はなくて平易な言葉で、でも真摯な直言、指摘があった。彼女も参考になると思う。

 ぼく自身が霊視をしてもらったわけではなかったがサイトの雰囲気から良さそうと判断してブックマークに入れていたので、実際に霊視を頼んで体験してくれたFちゃんには感謝している。そして霊能者の方が信頼に足る方だとわかったので嬉しかった。

 
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不動明王

2005年12月07日 22時34分56秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 今日の最後の患者さんはどうも後にお不動さんがいるらしい。何人もの霊能者に見てもらってもそういわれるとのこと。小さい頃からあわや命を落とすという経験をするも間一髪で助かってきたという。若い頃から人にいわれてお不動さんをお祭りしているところへ行くと、どういうわけか「今日はお待ち申し上げておりました」と言われることが多かったとか。別に個人的にフラッと寄ったにも関わらずだそうだ。「今日はすごい方が来ると言われていましたがあなた様でしたか」とも。

 初診の治療が終わって癌には意味があることなどをお話しているうちにそのような不思議なことが小さいことからあるのでと自らのお話をされだした。

 聞いていてふと思った。これは先々月にぼくがお不動さんにハープを奏上したことに対するお不動さんのお導きかなと。もしかしたらお不動さんが喜んでくださって縁の深いこの方をぼくの元へ連れてらしたのかもしれない。そんな気がした。
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前世リーディング考

2005年11月28日 22時35分45秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 いままで自分と周りにいる人を比較することをずいぶんしてきた。情けないけれどももちろん今でもしている。でも今回“前世リーディング”を受け自分の前世を知ってからはその前世の自分と今の自分を比べている。

 人は二百数十回の前世を持ちさまざまな経験をして学んでいくというのであれば、たまたま今生で知り合った他者と自分を比較するよりも前回までの自分よりどれだけ向上したかのほうが大事なのではないかと思う。もちろんこのことは前世を解き明かしてくれる超能力者と接触することができてその恩恵に浴せて自分の前世を知ることができるという稀有な条件が揃わないとできないことではあるけれども。

 寺山先生にご報告とお礼のメールを差し上げたところ、以下のお返事を頂いた。
「お受けになって、その素晴らしさに気づかれたとのこと。自分が現在あることが、いかに過去生とつながっているということが分かると、生きていることにブレが少なくなり、無駄がなくなってきます。
 この今生きていることをどうぞ大切ににして、ご自分の体を 扱ってください。このことはガンの患者さんにとっても、治っていくことできっと役立つことと思います。本当に良かったですね。」

 まさに寺山先生の仰るとおりで生きていることにブレが少なくなり無駄がなくなっていく。わたしたちは通常はこういう能力は封印をして生まれてくるという。しかしなんらかの役目があり高江州先生は今生半ばにしてこの特殊能力を授かった。出会いには必ず意味があるはずでありその高江州先生の前世リーディングを受けることができたぼくは自分の人生に対する直接的な恩恵のほかに、もっとその意味を深く考える必要があるのだ、と今うしろから囁かれている気がしており、先生との会話を録音してあるMDを繰り返し聞いて再確認をしている。
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過去世リーディングを受けてきた

2005年11月24日 23時55分55秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 アルケミストの高江州薫先生に過去世リーディングをして頂いた。午後5時過ぎに伺ってセッションが終わったのが10時40分だった。ぼくが2時間半ちかいマッサージやエネルギーワークをスタッフの方から受けている間じゅうに高江州先生が別室でぼくの過去世を3代分に亘ってリーディングしてくださり、それをもう一人の方がパソコンに入力していた。そしてその印刷したものA4の紙5枚を手渡してくれた。スタッフの人の話では何でも今年のベスト10に入るほどの文章量だったそうでそれだけ波乱万丈だったらしい。普通は過去世1回につき紙1枚くらいとか。そしてそのぼくの過去世3回分の物語をスタッフの方が読み上げてくれた後、過去世の登場人物が今生の家族のうちの誰にあたるかを高江州先生が解き明かしてくださった。(説明はすべてMDあるいはテープに録音してくださり後で頂ける)

 知らされて得た過去世はあまりにリアルで想像もできないものだったが、それから得た教訓は非常に示唆に富み満足すべきものであった。それは今生での自分の仕事面においては使命が間違っていなかったこと、このまま突き進んでいいこと、もっと突き詰めていいこと、これから拡げるべき能力は何かなどを理解できたり、家族関係の面ではその繋がりが運命的なのかそうでないのか、何がお互いの課題でありどうやったらそれを乗り越えられるのかといったことを理解できた。

 ぼくは一つ前の過去世では米国の女性で本当に数奇な運命を辿ったらしい。最後には自分の両親、弟を殺した仇の子供を全身全霊で育てあげることもした恩讐を越える愛情を持てた女性だったらしい。この世で過去の罪滅ぼしをそうとうしたと思われる。だから今が穏やかなのかもしれない。

 その前はフランスの女性で美貌でグラマーな酒場の踊り子(ダンサー)。宝石などの現世の豊かさを追い求めて失敗し最後は刺殺されている。どうやらこの過去世で物質的なものの儚さを身をもって知ったため今生ではそれを追う意味をもう強く感じないのかもしれない。

 その前は南スペインの村の男性で踊りが誰よりもうまく軽やかなステップは多くの者に喜びを与えたらしい。最愛の女性を弟に奪われまわりからの誤解の中に家族と別れ最後はジプシーの家族と放浪のたびを続けて失意の中亡くなる・・・。この過去世での体験が今生に最も強く影響を与えており、それが「恨みと誤解の人生を終え、愛と真実の道を歩む」という現世のプログラムに繋がっていくと。

 この時代のここに生まれてきてよかったと思う。高江州先生に見てもらえて自分の一番知りたい「わが命の使命」(今生だけでなく過去から未来へと連綿と続く“私”という生命エネルギー体の課題)の一片が見えてきた。今生の課題は数年前から自分で認識することができてきたので不安はなかったが未来に亘るミッションまで知りえることができそうだ。高江州先生を強く薦めてくださった寺山心一翁先生や実際にオーラリーディングの結果を見せてくれて大いに刺激してくれたLightiningさんことvedic vision01さんには深く感謝している。有難うございました。

 もっと詳しく説明をしたいが今日はもう寝よう。また書きます。皆さんにお勧めする。
 
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2005年11月12日 18時58分03秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 ネイティブ・アメリカン関連のサイトを幾つか追加。
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ラコタ族・伝統の踊りは素晴らしかった

2005年11月08日 18時38分39秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 北山耕平さんのブログNative Heartでケビン・ロック氏によるフープダンス、インディアンフルートのライブがあると知ったので6日夜に大雨の降るなかを新横浜のスペース・オルタまで行って見てきた。

 昼には品川区鍼灸師会での講演があってそれで緊張してしまってとても疲れてしまったので(体力がなくて情けないが・・・)大あくびをしながら新横浜へ向かう道すがら「途中で寝てしまうのでは」と危惧していたのだけれども、ライブがとっても素晴らしくて目が覚めあくびどころかハイになってしまった。それほど活き活きとした見事なライブだった。

 フルートも良かったけどフラフープの妙技には目を丸くしてしまって、演技が終わるごとに自然に「ヤー!」などと声が出てしまった。

 でもぼくが一番驚いたのはケビン氏の肉体だ。52歳で「中年の危機だ」と言って笑わしていたけれどもとんでもない。とにかく“生き物”として美しかった。プロポーションも良かったがそれより激しいフラフープを舞いきれる“生き物としての躍動感を感じる”肉体だった。

 ボディビルダーともアスリートとも違う。ぼくは演劇などを見ないのであのような肉体を他に見たことがこれまでなかったからとても新鮮だった。ケビン氏の経歴は詳しく知らないが52歳であれだけの“舞”をできるのであれば30~40代の頃の彼のそれはもっと華麗だったことだろう。

 激しく細やかなステップを踏める力強い足腰にも驚嘆したけれども、10分以上フープによる造形表現をしながら高速旋回をしても体の軸がぶれないバランス感覚とそれを支えられる体幹部の頑健さ・・・。スピード、パワー、バランス、しなやかさを兼ね備えた肉体はとても同じ現代人のそれとは比較にならないものだった。かつてアングロサクソン人達が亀の島にやってきた時、ケビンのような肉体を持つモンゴロイド人たちを見て恐れおののいたのではないかと推察する。
 
 ぼくは美しくて大きな動物が大好きだ。ベンガルタイガーやマウンテンライオン、大オオカミ、ホッキョクグマ、エルク、オルカ・・・ 生き物としての躍動感は見ていて堪らない。ケビン氏には人間の“オス”が表現できる、筋肉美やエロスとは異なる、またアスリートなどに見られる生活とかけ離れた運動によってできた肉体とは異なる、“祈りを生きている者の肉体の、機能的な美しさ”を見せてもらったような気がする。

 とてもよかったので来年には日本国内のツアーも予定されているというからぜひ見に行きたいものだし、皆さんにもお勧めする。

 ケビン・ロック氏のサイト Kevin Locke
 一見すると加山雄三のような・・・。でも実物はもっと円熟味があって素敵だ。
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カルマの清算としての今の仕事をしている?

2005年10月31日 22時15分18秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「この地球に一時的に立ち寄り、経験を積んでいく魂は、愛、奉仕、養育といった無私の行動をつうじて、自己のより高い霊的な特性を理解していく」(『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー、日本教文社)

 このことは別の表現で何度でも目にし理解もしているつもりなんだけれども、実際の行動に移していくことは難しい。自分が体調が悪い時、精神状態が良くない時でも変らずに相手に対して献身的な態度を取ることはほとんど不可能に近い。情けないが今のぼくにとっては。今日もそれで一つ失敗した。

 それでもコツコツやっていくしかないだろう。ぼくは直観だが自分の直近の過去生では殺人などの相当悪いことをやってきた感じがしている。その償いのために今人を癒す仕事についているのではないか。そしてその過去世のカルマが相当重いため来世も治療家などの仕事をして贖罪に務めるのではないかと。来世も今と同じことをする、と霊能者の方に言われたこともそのためかと。

 いつか高江州先生に過去世リーディングをしてもらってその辺を明らかにしていきたい。
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過去世(前世)リーディングに関連して

2005年10月22日 22時19分18秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 昨日の高江州先生の講義の余韻が深い。
 「初めて会った瞬間『嫌なやつ』と思うような相手とはたいてい過去生でその相手となんかやっているはずです」

 「みなさん、これまでの過去生でやったりやられたりの関係なんですよ。たいていのひとは被害者の時のことは良く覚えていると仰るが、自分が加害者の時のことは『それは私のことじゃないと思います』といいますねぇ(笑)」

 「交通事故で自分を跳ねた運転手の人に、実は過去生で自分がその4倍も5倍もひどいことをしていたことなんかもある。だからそのあとに補償金なんかでもめるとよけいカルマが増えていくこともある。被害を受けても相手を責めないことで憎しみ合いの連鎖が途切れ、レッスンを終了させることができるのです」

 「愛してるんだけど主人の寝ている顔を見ていると思わず濡れたハンカチを顔に掛けたくなる(窒息死させたくなる)のは、過去生で自分が兄からやられて死んだ仕返しをしたい弟の過去世体験から来るもの(過去生で今の夫が自分の兄だった)」

 「みなさん二百数十回の過去生がある。今の人生舞台を二百数十人の自分が客席から見ている。どんなに失敗したって客席からブーイングは来ない。失敗しても『がんばれ!がんばれ!』と応援こそすれブーイングは来ません。だから最後まで歩み続けてほしい。それが過去に二百数十回生きてきた自分に対しての責任の取りかただと思うのです。懸命に今生を生きる、そして幸せになることが我々の義務なのです。だから人と比較することは無意味です。自分の道を行く権利があるのです」

 「同じ親から生まれても過去生が違うから人生で為しえることが異なるのはあたりまえなのです」

 「裕福な家庭に生まれ健康、家族愛に恵まれ順風満帆な人生を送る人と、貧しい家庭に障害を持って生まれ悲惨な人生を歩む人がいます。今生だけで考えれば『神も仏もあるものか』と思える不公平です。しかしそれはそれぞれの過去生が違い、今生で学ぶ課題が異なるからです。裕福な家庭の人は前世で貧しい生活を忍び、貧しい家庭に生まれた人は前世で飽食を繰り返したぜいたく人生を送っていたということがおうおうにしてあります。ですから“人と比較しない”ことが重要です。」

 余韻が深かったせいか、往診途中の品川駅構内のベッカーズカフェでココアを飲んでいる時、目の前を通り過ぎる人々が無性に愛して止まない人々に一瞬なっていった。最近こういう感覚が時々起こってくるのだけれども、ぼくの人に対する愛情が拡がりつつあるのかなぁ。昨日の講演は間違いなくそんな最近のぼくの感情傾向を後押ししている気がする。
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高江州薫先生のトータルヒーリング講座

2005年10月21日 23時38分36秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「過去世を知り自らの希望の未来へと向かう」講演に行ってきた。

 強烈でインパクトのある講演だった。ぼくの中では今まで「何十とあるだろう過去世(前世)のうちの一つ二つ分かってもあまり意味がないだろう」とか心の道場のニューズレターに影響されてか「過去世にこだわるのは自分がかつて立派だったことを知ってこの世での恵まれないあるいは報われない現在の不満の代償を得るような行為だ」と考えていた。

 しかし高江州先生の話から、直近の3回分の自分の過去世(前世)を連続的に知ることは現世で起きているつらい事柄(病気や災難、人間関係等)の意味を理解し、解釈を変えることに繋がっていき、物事を肯定的に捉えられるようになり幸せに繋がっていくと理解できた。

 特に印象に残ったのは病気には過去世に原本があるものがほとんどである、という言葉だった。ということは癌の直接な原因は今生にあるのではなく、過去世にあるということを意味する。

 寺山心一翁先生のお話になるが今日の講演では高江州先生に見てもらった寺山先生の過去世の記録を開陳されていた。それによると寺山先生の一つ前の過去世で、先生はそのときの父親と大好きな兄を腹部腫瘍の病気で失い、それを祈りで治せなかった悲痛な体験から「よし、今度は自分がその病気になって絶対自分で治してやる」と誓ったらしく、それが今生で現実となって腎臓癌になり、それを独力で治すことになったのだと説明されていた。

 うーん、病気の原因が過去世にもあるということ、これは深いことを知ってしまった。というのが正直な感想だ。「体の手当てだけでなく魂を癒すことが重要ですよ」と言ってきたことは正しかったのだと嬉しいのだけれども、癌の根本が過去世にあるとなると治療のためにはやはりその原本が何かを探る必要も出てこざるを得ない。

 そうなるとやはり高江州先生のような人に患者さんを診てもらう必要があるだろう。今後はお力を貸して頂けたらと強く思った。講演の後に高江州先生と話す機会が持ててそういう話ができたので、いずれはまず自分の過去世リーディングをしてもらってからその後患者さんへの導きも検討していこう。

 今日の講演を教えてくれたLさんと背中を押してくださった寺山先生、そして快く治療日時の変更に応じてくださったIさんに深く感謝している。今日も良い日になった。ありがとうございます。

 なお高江州先生のサイトは左のBookMarkに入れてある。
 「ヒーリングセンター アルケミスト」をご参照あれ
コメント (2)
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